ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

静寂の山城 3

2015年06月04日 21時28分42秒 | ウォーキング

この日はいていった靴は、
トレッキングシューズではなく

トレイルランシューズ。



普通のランシューズに比べて
底が少し硬く、滑りにくいパターンが
刻まれているというものの、
石がゴロゴロしている山道部分は
歩きにくかったな。

ただでさえそんな靴でも歩きにくいのに、
昔の高取城では城を守る方法として
登り道の要所要所に
竹の皮をびっしり敷き詰めたんだそうだ。

わらじで急斜面、
竹の皮道を登ることを考えたら
さぞかしこの城は竹の皮でツルツル滑るって
まるでドリフ状態だったんだろうて。

松ノ門跡を過ぎる。



この門の名前は後で出てくるので
覚えておいてくだされ。

それから矢場門跡、二の門跡を過ぎると、
ちょっとドキッとする石が立っていた。

これ。



「猿石」という。

飛鳥の奥の栢の森へと下って行く道と
壺坂方面への下り坂の分岐にギョロッと立っている。



武士の居城であるこの地にしては
異質な石といえるだろう。

「猿石」という名で有名なものは、
明日香村の吉備姫王の墓の前の4体と
この高取の1体である。

いずれも、いつ誰が何のために作った
ものなのかは不明だそうだ。

高取の猿石も実は明日香の4体と
同じところから掘り出され、
城の石垣のために運ばれる途中、
ここに置かれたものといわれている。

台石も古墳から運び出されたものだろうとのことだ。

城の石垣という明確な意思のもとに
置かれてある石と違って、
ここにこれを置いてあるのは
運搬の際に、これがいかにも異質な感じがしたからだろう。

いずれにしても山道でこれに出会うと、
道端でふいに出会うマムシグサよりは
ドッキリ度は高いな。

しかし、明日香村の4体に比べて
この猿石の顔は何となく親近感が持てる。

一緒に記念撮影しておいた。



ここへ来るときには一度栢の森へ
ピストンしてみようかと考えていたのだが、
いかんせん歩き始めたのが遅かったので、
今回はスルーした。

おススメコースは、土佐街道から壺阪寺に向かって歩き、
帰りに栢の森へ下る
というコースがいいかもしれない。

今回は壺阪山駅へと戻るコースだ。



七曲りというくねくね道を下って行くと、



再びこんな石が立っており、
その少し先にこんな社があった。



「聖天さん」だそうだ。

説明板には生駒の聖天さんの
元宮という説もあると書かれてあった。

最近まで「聖天さん」とは
あまり縁がなかったのに、
生駒に行ってから、
天王山の聖天さん、
松虫の聖天さん、
そしてここと
立て続けに聖天さんとの出会いがある。

まるで、導かれているような気さえするぞ。

ようやく人里に出て、
やっと人の姿を見た。



でもまだこのあたりの民家はパラパラなので、
こんな集合郵便受けらしきものがあったりする。



おや?チャリンコに乗った同年代ぽい人が
道の横に溝で写真を撮っている。

何かな?とおもったら

「馬冷やし」と書かれてある。



高取城へ登る前に、
馬を休めるために
馬の足を冷やす泉がここにあったそうだ。

その人と一緒にフムフムと写真を撮った。

結局チャリンコのその人は、
このあと続く「土佐街道」という、
昔労役にかり出された土佐の人たちが、
労役後帰ることができなくなり
この地に住みつき、
町名を故郷と同じ土佐町にした
という街を通る街道の
あちこちを写真に納めに来ているそうで、
ずっと前後しながら歩くことになった。

多分に同好のにおいがしたぞ。

抜きつ抜かれつ続く。


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