市街地をしばらく進んでいきますと、
こんな公園に出ます。
その名も「ブクンダ公園」。
ちょっとエキゾチックな名前ですが、
かつてここにあった溜池である
「仏供田池」にちなんだ名前です。
いやあ、周りには雨を避けるように
いぞがしく歩き回るひとがいっぱいいる中、
傘を差しながら公園の施設を
じとっと眺める変なおじさんがいます、
などと通報されないでしょうか
と若干気になりますねえ。
その公園から、
さらにごにょごにょと歩いていきますと、
「辛国神社」へと入っていきます。
え~っと、名前から
カレーの神さんをまつっている
神社の一つ・・・ではありません。
しっかりした神社です。
物部氏が、この辺りを治めていた時に
物部氏の祖である饒速日命を
祀ったのが始まりと伝えられています。
その物部氏と同じく
饒速日命の末裔である
韓国連(辛国連)が物部氏の没落後に
その祭祀を司ったことから、
辛国神社と称したと言われておるのです。
え~、祭神が饒速日命というのは、
doiron家近くの曽根神社と同じですなあ。
この神社の参道には
結構たくさんの木が植えられていて、
なんとこの緑は、
「大阪みどりの百選」
に選ばれているそうです。
泉大津のみどりの百選は
泉穴師神社のみどりだそうですから、
ちょっと似ていますねえ。
で、こんな碑はありましたが、
みどりの百選のあの例の石碑は
見逃してしまったようです。
そして次はここからさらに南を目指して歩き、
「仲哀天皇陵」を目指しました。
そうですね、
この辺りは百舌鳥・古市古墳群として
世界文化遺産登録入りを
目指しているんですね。
藤井寺・羽曳野の古市古墳群には
123基もの古墳があるそうです。
こんな狭い道を抜けていきますと、
やがてその御陵の山が見えてきました。
え~っと、ぐるっと回ってと思いましたが、
この辺で自分の服を見ますと、
もうコートの袖が雨に濡れてぼとぼとです。
あちゃーこのままだと
着替えを持っていない上の服だけでも、
あとで着るのは気持ち悪いかもしれません。
やっぱり雨で風が強い時となると
こうなるんですねえ。
もう古墳をぐるっと回るのも
面倒になりました。
本当はこんな古墳があるそうなんですが、
裏から御陵の山の写真だけ撮って、
もう駅のほうに向かうことにしましょう。
歩いていきますと、あれ?
なんか建物の上のほうに、
にょきっと木が立っているところに出ました。
地図を見ますと、
どうもこれが「アイセルシュラホール」
という藤井寺市の生涯学習センターのようです。
変わったデザインに見えるのは、
藤井寺市で見つかった
古墳時代の巨石運搬用そり「修羅」と
「舟形はにわ」をイメージして
デザインしたものと言われています。
これはちょっと変わった建物ですねえ。
まあ、中には入らず、
ここでは外見の写真だけでも撮っておきました。
さらに駅に向かって進んでいきますと、
ここが西国札所の「葛井寺」です。
ここは以前、友達と西高野街道を歩いた後、
藤井寺で一杯飲みの前に寄ったところです。
こんかいは外からぱちりと
写真を撮っておきました。
で、そうしてやっと駅に戻ったのですが、
夜の宴会までだいぶ時間もあります。
このまま向かっては早すぎます。
で、服装を見てみたのですが、
ぼとぼとになったコートの袖も
さほど寒くもありません。
発汗シャツが効いているのかもしれません。
まあ、これくらいだったらいけるかな
と再度考え直し、
せっかく駅まで戻ったので
ここから電車で道明寺の駅まで移動し、
再度そこから雨に濡れないように
注意しながら友達の家(古市)まで
歩いてみようと、
考え直したのでありました。
なので、道明寺からの話へと続く。
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