ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

佐保・佐紀路4 佐保姫のこと

2015年09月06日 21時37分09秒 | ウォーキング

車が通ったら歩行者も逃げられないほどの
狭い道を進んでいきます。



前からやたら学生が歩いてくるなあと思ったら、
県立奈良高校の正門から
いっぱい湧いて出てきてました。

この時はまだ8月だったのですが、
夏休みじゃないのでしょうか。

最近は9月を待たずに
夏休みを終える学校が多いようやね。

その正門の横にあったのが「狭岡神社」。



鳥居からうっそうとした森の中に
参道の石段が続いています。



入って行くと、
まずこんな「狭穂姫(さほひめ)伝承の鏡池」がありました。



「狭穂姫」は古事記では
「沙本昆売」と表記されます。

この女性は、
今回の歩行の最初の頃に
陵墓が登場した欠史八代の天皇のひとり
「開化天皇」の孫にあたります。

後に垂仁天皇の皇后になりますが、
兄と夫の政争に巻き込まれて亡くなりました。

この「狭穂姫」が姿を映した池が
この鏡池だと伝承されているわけですね。

どれどれ、ではdoironも姿を映してみましょう。

ところが写真を撮ろうとして
池の上に体を乗り出したら
そこで飼われている鯉達が
エサをくれるものと勘違いして
わらわらと集まってくるため
池面が波立ってしまい
うまく写せませんでした。



うう、折角doironも姿を映してみた
という伝承を作りたかったのに・・。

ところで、ここで「狭穂姫」という女性が登場しましたね。

「佐保路」と何か関係があるのでしょうか。

あるんです。

このあたり一帯を統治していたのが
「狭穂姫」の兄「沙本比古(さほひこ)」だったんですね。

話は少しややこしくなってしまいますが
実は「佐保姫」という別の信仰もあるのです。
奈良盆地は、盆地といわれるように
周りを山に囲まれています。
その北側に位置するのが平城山(ならやま)丘陵です。

その平城山のうち、
東部の佐保川北方に広がる丘陵を総称して、
佐保山と言います。
それは多分この地の統治者
「沙本比古」からついた名前なんでしょう。

この里山ともいうべき佐保山は
春の景色が最高です。
淡い新緑と樹々の花々が
柔らかい春の日差しの中で風に揺れる様は
あたかも女神が宿っているようであるところから、
佐保山には春を司る神霊が宿っている
と考えられ、「佐保姫」といわれる女神が
信仰されるようになりました。

東大寺三月堂の南に手向山八幡宮があり、
春の女神「佐保姫」はそこに祀られています。

したがってこの狭岡神社にある
「狭穂姫伝承」の「狭穂姫」は、
「佐保」の名前の由来とは関係しますが、
「佐保姫」と同一ということではありません。

ややこしいので整理しておきますと、
沙本比古が統治していた地が「佐保」で
そこに宿る春の女神が「佐保姫」
そして沙本比古の妹が「狭穂姫」なので、
「佐保姫」と「狭穂姫」は別
というのが一般的な説なんだそうです
(二つの姫は同一という説もあります)。

そんな狭穂姫伝承地のある「狭岡神社」を出て
こんな山道に沿って行きますと、



左に狭い小さな道が現れます。



これが「歴史の道」ですね。
ちょっと高台を進んでいきますので、
奈良市街地が見渡せます。



遠くには東大寺と若草山も見えています。



この景色が今回歩いた佐保路の
代表的な景観ですかね。

坂道の途中にはこんな喫茶店もあったりします。



佐保路の旅人向けなんでしょうねえ。

なおもこんな道を進んでいくと、



前方が緑のトンネルになっていました。



その奥にあったのが、
在原の業平ゆかりのお寺といわれる

「不退寺」です。



あ、ここにはdoiron除けの
こんなお札が貼られていましたので、



五感を研ぎ澄まし、
門前で雰囲気を味わい、
においをかぎ、中をチラ見し、



静けさを聞いて、門にタッチして五感で感じ
ヘコヘコと退散しました。




さあ、この辺で昼をかなり過ぎてしまいました。

適当なところを見つけて食事にしましょう。

おなかをグルグル~っと鳴らしつつ続く。


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