ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

たまたま生國魂1

2013年09月03日 21時41分04秒 | ウォーキング

先日大阪市内で、
昔から親しくしている人達での飲み会がありましたので、
尿酸値も下がったので、
安心して出かけて行ったdoironなのでした。

その日は、午前中は仕事で
次の取材の打ち合わせがあった以降は、
親父もデイに出かけたので、
こちらも昼早々に家を出て、
難波に向かうことにしました。
天気の様子を見ながら、
歩けそうならほっつき歩こうと
計画しての外出です。

ごとごとと南海電車に揺られ
難波についたら、
小雨模様だったので、
よしよしとばかりに歩き始めました。

まず、出かけたのがこれまで何度も行きましたが
、あらためていろんなお願い事をするために、
法善寺の「水かけ不動さん」にお詣りに行きました。

都会の中にあって、
このあたり一帯はどことなく風情のある場所ですね。

賑やかな商店街を右に折れ
「こいさん通り」と名付けられた
小道を行くとすぐにたどり着きます。



周りのどの方角から眺めても、
不動さん周辺は異空間的雰囲気でしたね。

これは西側。







おや、石碑の横に変な動作をしている猫が・・・




このあとこの猫ちゃん
木の上にするすると登って行きました。
奇妙な行動にしばし見とれてしまいました。

ふと、後ろを見ると
こちらにも猫が・・・



そしてこれは東側からの参道ともいうべき路地の入口です。



当の不動さん本人はというと、
年中水をかけられているので、
体中が苔だらけですね。



頭を見ると、頭髪部分に
鮮やかな緑が茂っていました。

うらやまし~と思いながら眺めていると、
次々にお詣りに来る人がおり、
耳を澄ましていると外国の方々が多かったようです。

今や、日本の文化遺産には、
当の日本人より
外国人の方が興味を抱いているようです。

何度も何度も水をかけて、
先日書いた友達のこともお願いしつつ、
不動さんを後にしました。

そして次は織田作之助の
文学碑の探索です。

この10月に生誕100年を迎える、
大阪をこよなく愛した作家の文学碑です。

今年は生誕100年目ということで、
代表作「夫婦善哉」なんかも
あらためてドラマ化されているようですね。

地図では、不動さんの北側の路地に
その文学碑があるとのことなので、
外国人をかき分けかき分け探して、
やっと見つけました。



「包丁一本、さらしにまいて~」という、
大阪人なら一度は口ずさんだことがある歌が刻まれてました。

今、doironが歌うとしたら、
「おむつを一枚、股間にあてて~」
となるかもしれません。

写真を撮っていたら、
道行く人たちが「何、なに?」みたいな顔をしていましたね。

とまあ、そんな具合に
小雨の法善寺横丁をうろついて、
次に向かったのが、
文学碑つながりということで
もう少し東側にある

「谷崎潤一郎文学碑」

実はこの明治末期から昭和中期にかけて活躍した
近代日本文学を代表する作家の作品
「細雪」に登場する四姉妹のモデルとなった人達は、
doironと遠い親戚にあたるそうなんです。

それだけに、ぜひとも見ておきたかった碑のひとつです。

法善寺横丁を出て、
怪しげなホテル街を抜け、
東に進んでいくと国立文楽劇場があります。

その少し手前、千日前の大きな道路沿いの
歩道の植え込みにひっそりとたたずんでいました。

最初は見過ごしたようで、
ウロウロしていると、こんなのも見つけました。
「二ツ井戸舊跡」と書かれてありました。



おっと、またこの「舊」の字の登場です。
先日のオジチャリで勉強しましたね
「旧」の字の旧字ですね。

「今なら貞子人形を置いとけば
受けるのになあ」と思いつつ、
文楽劇場のガードマンに谷崎潤一郎文学碑のありかを
「知ってるかな~」と思いながらおそるおそる聞いてみたら、
よく聞かれるんでしょうかね、実に的確に教えてくれました。

そうして見つけたのが、これ。



谷崎潤一郎文学碑などという言葉はどこにもなく、
ただ彼の作品
「蓼喰う蟲」の一節が刻まれてあるだけでした。

無事に見つけて写真撮影をした後、
おいしそうなたこ焼き屋さんを見つけました。
しかも、テーブルも少しあって
ビールも飲めそうなので、魅かれましたが、

たまたまこの近くにあるという生國魂神社に
もっと魅かれたので、



タコ焼きとビールという極上のおやつを我慢し、
さらに東へと足を延ばし、神社参拝に向かったdoironなのでした。

次回に続く。


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