ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

イバラはないよ 1

2016年01月31日 21時38分09秒 | ウォーキング

今日は大阪国際女子マラソンの応援でした。



え~、写真もあまりとれない中
何とか取れた一枚でした。

走った皆さんお疲れさまでした。

さて、ではdoironの少し前の
歩き話の続きです。

久しぶりの熊野も歩いたし、
次はどこへ行こうかあ
といろいろと考えてみたのです。

行先の選択はいろんな方面がある。
もちろん淀川、リボン道の続きもあるし、
草津のようなちょっと遠方に
がんばって出かけてみることもできる。

そんな歩きの中でひとつ、
プラッと出かけられるようにと、
近辺の歩きスポットも
いくつか考えてある。

今回選んだのは、
そんな近辺歩きのスポットの
一つとして選んであった
「茨木」に出かけることにしました。

和泉市と出水市、
柏原(かしわら)市と橿原(かしはら)市
なんかに似て「茨城」という字に
間違えたりします。

その昔、「イバラ」が
たくさん生えていて
それで屋根をふいた人も
多かったことから、
「茨切」(いばらきり)が生って
「茨木」になったという説が
よく言われます。

そんな茨木に行くことにしました。

ここを選んだ理由は、
まずひとつには「親父」が
青春時代を過ごした街であるということです。

当時親父は中距離の種目の
陸上をやっていたそうで、
「800m」の学校記録を
持っていたそうです。

その陸上をやっていたのが、
市内にある「茨木中学」
(今は「茨木高校」)が
親父の母校であることで、
その中学校の先輩が
「川端康成」であったことは
よく親父がしゃべっていたことでした。

地図を見てみますと、
市立の「川端康成文学館」
なんかもあるようです。

1948年に市となり、
現在人口が約28万人の
この市の中心部分を、
テクテクと歩いてみることにしました。

この日は車ではなく、
家から電車で出ました。

南海電車に乗って天下茶屋から



地下鉄&阪急で茨木に到着。



ここからちょっと寄り道しつつ、
南茨木までが今日のコースです。

では歩き始めましょう。

茨木の駅前はにぎやかです。



まずは駅前を西を向いて
進んでいきます。

東本願寺茨木別院を見ながら



進んでいきますと、



おっ、マンふたです。



市の木(カシ)と市の花(バラ)が描かれています。

真ん中にあるのが、
市章ですね。
よーく見ると茨木の
「茨」がかたちどられて
鳩のような絵になっています。

また「川立地蔵尊」がありましたので、



覗いてみますと、
おお~草津の地蔵さんと
同じように彩られた地蔵尊が並んでいます。



この辺の地蔵さんにも、
子どもによる地蔵の化粧
なんかがあるんでしょうか。

商店街を抜けていきますと、





旧地名を表す道標が立っています。



市が平成21年から22年にかけて
市内の町家調査を行ったときに
設置した道標です。

商業とともに発達した
茨木中心部の発展を祈念した
道標づくりで
10本ほど建てられているようです。

この日は結局1本しか見なかったけどね。

その先にあったのが「茨木小学校」です。



この小学校のあったのが
茨木城の城跡といわれ、
茨木城楼門を原寸大の瓦ぶきで
復元したものが立てられてあります。



おお~、ここにきて初めて
過去の歴史に触れる
それらしきものに出会いました。

この茨木城に関連のある人として、
有名な茶人「古田織部」が好んだという
「織部焼」で小学校の校名が
作られているそうです。



道はここから、紅梅が咲く梅畑の家や、



バックに緑道の大きな緑の葉が
茂っている緑道に近づいていきます。



そう、今日はこの旧茨木川が
回収されて作られた

「旧茨木川緑地」

を中心に移動します。



旧茨木川は昭和24年に廃川となり、
一時は汚れたどぶ川のような
景色だったそうですが、
今はきれいに回収され、
全長5キロくらいの緑の多い公園として
市民に親しまれているようです。

その公園の横が「川端通り」
と呼ばれています。



というのも、その旧の川に
丹波橋という橋が架かっていたすぐ先に
「川端康成文学館」があります。
これです。



寄ってみましょう・・・どれどれと続く。


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