衝撃のニュースが飛び込んだのは、出発の前日だった。
「友ヶ島の桟橋が復旧し、
本日から渡し船が運航します」とのこと。
桟橋が壊れた当初、復旧のめどは立っておらず、
したがって運航再開の日にちも
全然決まらないとのことだったので、
いろいろ検討した結果目的地を
明日香に変えたというのに、
あの検討は何だったの?って感じだ。
もしかしたら、これはワイワイとうるさい
ドジ旅を静かな明日香で繰り広げさせないため、
急遽桟橋復旧をさせた明日香人の陰謀かもしれない。
それならなおさら、我々は戦わなくてはなりません。
前日になって今さら目的場所を友ヶ島に戻すことはできないし、
何よりもうすでに心は明日香に向いてしまっていたので、
明日香行きを決行したのでありました。
ジダンと待ち合わせていた阿倍野で4人が合流。
実はこの時すでに、頭上から明日香人が
我々の動きを監視していたことにdoironは気づいており、
ジダンに目配せをするとすかさず彼も写真を撮っていた。
そして長年勤めた職場の通勤経路である
懐かしい近鉄南大阪線に揺られ、
約30分で橿原神宮前駅に到着した。
駅に降り立ち
「doironさん、このあとのバスの時刻は?」
と聞かれて、
「知らんな~」。
「え~、調べてないの。あかんやん~」
と怒号が飛び交う中、
ジダンが見かねて駅員に尋ねに行ったら
10分待ちくらいでバスに乗車することができることがわかった。
「有名な観光地だからそんなもんだろう」と平然と言い放ちつつ、
心の中でホッと胸をなでおろすdoironなのであった。
まだ陰謀はないようである。
観光客を詰め込んだバスに揺られて
doiron一行はスタート地点である石舞台に向かった。
ところが、このバスの中で驚くべき出来事が起こったのだ。
バスの車窓から、景色を撮影していたときだ。
すぐ横で何やらなつかしい聞きなれた声がすると思い
そちらを見ると・・・
どひゃー、
以前の職場で一緒だった
某市会議員が座っているではあ~りませんか。
思わず背筋が伸びてしまったぜ。
聞けば後援会の人達を連れて、
明日香の散策に来られているとのこと。
しかも降りるバス停まで一緒の様子。
うう、まさしくこれはdoironのテンションを
下げようとする明日香人の陰謀に違いない。
何せその議員には職場で逆らってばかりいたからね~。
微妙な視線が漂う中、
30分ほどバスに揺られて、
なんとか石舞台に到着。
乗っていたバスの名前は明日香の有名な史跡
「亀石」にちなんだ「かめバス」だ。
明日香村と奈良交通が
明日香村内の交通渋滞緩和のために
運航しているバスで、
循環バスの赤かめ号と周遊バスの金かめ号が走っているそうだ。
doiron一行が乗ったのは多分その赤かめ号。
議員一行とはそこでお別れし、
ほっとしながらこちらも案内地図を確認して、
いよいよ歩行を開始したのであった。
事前に用意しておいた地図で経路は分かっているのだが、
その場の方角がわからなかったため、
あっちかな?こっちかな?
と迷いつつのスタートとなった。
するとさっそく、道標が現れた。
これは確認しなくてはなるまい。
「右よしの」は読めたが、左は読めなかった。
ていうか、さほど気合を入れて読まなかったのだが、
それが実は明日香人の陰謀だったのだ。
その先にあった現代の道案内を見ると、
どうやら方向を180度間違っていることに気がついた。
げげ、片道500m、往復約1キロのロスである。
あの道標の写真を後でよく調べてみると、
「左たうのみね」と刻まれていたようだ。
本日のメインルート「多武峰(とうのみね)」の方角を指している。
その時点で気がついていたら
100mほどのロスですんでいたのだが・・・
これはやはり聖なる地から我々を遠ざけようとする
明日香人の陰謀に違いない。
元来た道をひき返し、
史跡の「石舞台」に到着するのに
約20分かかってしまった。
しかしその寄り道もこんな、
おもてなしのおばさんに出会って
少し報われたかも。
顔がどことなく南方系なのは
どうしてですかね。
さ、再度気を取り直して進んでいこう。
と、ここで同行のM上さんから大胆発言があった。
昔ここにきて
あの石舞台の石の上に乗って
遊んだ記憶があるそうだ。
どひゃー、何とも大胆。自由な時代だったんやねえ。
ではここでみんなで登りに行ってみよう~
とはならず、誰も入場料を払う気もない。
全員で近くの丘の上から眺めるだけにした。
しかし、舞台芸人にあこがれるジダンの血が騒いだか、
何度も写真を撮る彼の後姿には
どことなく心残りの気配が漂っておりましたとさ。
もうジダンのブログは今回の目玉スポット
談山神社まで進んでいるようです。
先を急ぎましょう。
続く。