空間の位置関係や自分の居場所、
方向などがよくわからない人を
方向音痴
と言いますねえ。
なぜ「音痴」なのかわからないけど、
何となく自分の中の感覚がずれているという点で
それなりに言い得て妙のある表現だと思います。
実は、ミセスdoironも
方向音痴の部類に入ります。
家の中で話をしていて、
「あのねえ、今度○○スーパーで駅弁特集をするらしいで」
などと言いながら、
指差す方角が当のスーパーと
180度ずれていたりする。
先日も、チャリで市役所に行こうとしているときに、
村の人と会って
「あら~、寒いのに自転車に乗ってどこまでお出かけ?」
と聞かれて、胸を張って
「市役所です」と答えると、
「へえ~、えらい遠回りするんやなあ」
と言われたとか。
それもそのはず、
市役所とはまるっきり正反対の方を向いて
走っていたんだそうだ。
そんな彼女の生態を見てると、
彼女の場合、
頭の中に地図はあるのだが、
方位磁石がないようなのだ。
そう、空間認識が欠けている
というべきかも。
まあ、いわゆる方向音痴というやつだ。
そんな方向音痴にも
いろいろあるようで、中には、ルネにいた
「N尾」クンのように、
地図も空間認識もない人間がいる。
しかも、彼は折り紙つきの
「音痴」でもあった
(N尾クンはこれを読んでるかな)。
そういえば、
長年連れ添うているが、
doironもミセスdoironの
歌なるものは聞いたことがない。
(う~ん、もしかしたら音痴かも)。
また、K姉さんのように空間認識も地図も
それなりに頭の中にあるのだが、
認知度が低いという人もいる。
そのように、
方向音痴にも種類や段階があるようだ。
そうして方向音痴についていろいろ考えていくと、
結構生き方に関する示唆に
富んだ問題であることがわかる。
自分の目指す道は常に考えているが
道筋がわからない、
あるいは自分がどこに向かっているのか、
時に見失う。
さらに言えば、
自分の立ち位置がわからないので、
どちらに向かって
足を踏み出せばいいのかわからない。
これらもすべて方向音痴だとするなら、
たいていの人は人生の方向音痴、
なのかもしれないな。
doironもそうだ。