ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

デカスロン

2011年06月18日 22時18分45秒 | スポーツ全般

6月の第2土日中心に
埼玉県で行われた
日本陸上選手権。

福島千里や絹川愛の活躍が
華々しく報じられたが
その一週間前に
川崎市等々力陸上競技場で
開催された
日本選手権混成競技の10種競技で
日本の混成界の悲願が達成された。

2011年6月5日

10種の最終種目1500mを
「声援と興奮の中で走った」
と語る日本記録保持者は
右代啓祐(うしろ けいすけ)クン(24)だ。

10種競技は10を意味する”デカ”を
用いてデカスロンといわれている。
またこの競技は
陸上のすべての要素を兼ね備えて
初めてなしえる競技であるため
その優勝者には
”キング オブ アスリート”の
称号が与えられる。

スイム、バイク、ランの
トライアスロンどころではない。
100m走
走り幅跳び
砲丸投げ
走り高跳び
400m走
110mハードル
円盤投げ
棒高跳び
やり投げ
1500m走
を二日間でこなし
それぞれ決められた採点方法で
結果を数値化し、
その合計得点で争う競技なのだ。

持久系、瞬発系、技術系を
すべてこなして初めて
なしえる陸上の中の陸上競技なのである。

これまでの日本記録は

金子宗弘が持っていた7995点であった。
1990年、当時順大の所属であった金子は
同じく順大クラブの松田が持っていた
日本記録を一気に300点以上上回り
7916点をマークし、
その3年後7995点という
8000点まであと5点というところまで
迫ったのだが、そこから伸ばせず
日本混成会は18年もの間
その5点を上回る選手の出現を待ち続け
ついに今春、右代クンがその悲願を
達成したわけだ。
その右代クン、実は
昨年4月の日本選抜和歌山で
歴代2位となる7930点をマークしていたので
今年の彼には8000点の期待が
大いにかけられていた。
そんな中で獲得した結果は

8076点

走り幅跳びのトップ記録が
追い風参考だったため
公認となるセカンドレコードで
計算しても

8073点

堂々の日本記録である。

ゴール後彼は泣いた。
「これまで悔しくて泣いたことはあるが
うれしくて泣いたのは初めてだ」ったという。

10種を語ると色々あるが
それはまた次の機会にゆずるとして
今日はそんな結果を踏まえて
doironだったら
10種競技で何点くらい
取れるだろうかと計算してみた。

記録は、ある種目については
生涯最高記録を用いてみました。
またやったことのないのは
いろいろ屁理屈で推察してみました。

100mは中学校の頃の100m走で
13秒台。それから高校の頃には
50m走で6秒2で走っているので
ほぼ13秒としてもいいだろう。

幅跳びも高校時代に
5m25を飛んでいる。
砲丸は学生用の砲丸しか投げたことがないが
たしか8m台であった記憶があるので8mとする。
高飛びは、ベリーロールで
自分の身長を超える1m65を飛んでいる。
400m走は、職場の
陸上大会で62秒という記録がある。
110mハードルは
やったことがないが
100mの記録から控えめに推測して
18秒ということにする。
円盤、やりは投げたことはないが
中学のときハンドボール部に
所属していて、ソフトボールの遠投には
自信があったので
距離的になじみのある25m(プールを想像した)は
投げられたであろうとこれも控えめに想定した。
さらに、棒高跳びにいたっては
飛びかたも知らない。
しかし、何もなしで高飛びで
1m65を飛べるのだから
棒があったらいくらなんでも
これくらいは飛べるだろうと
設定して2m

さいごの1500mは
doiron絶好調のころの5分02秒

以上の数値を用いて
計算した仮想デカスリートdoironのレコードは

3835点

日本記録の半分にも満たないとは
どういうこっちゃ

右代クンは24歳。今回作った日本記録は
世界から見ると
ようやくB標準(8000点)を超えた程度のものである。
世界で戦うには8300点は必要だといわれる中で
日本デカスロン界をぐいぐい牽引していってほしい。

右代啓祐、この名前をわすれないでおこう。
彼の名前の中には、doironの本名と同じ漢字が
二文字入っているんですぜ。

え、それがどうしたん?って

い、いえ何でもありません。