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群馬・高崎の「山名八幡宮」に行って来ました

先日といっても、今月中旬ですが、高崎にある 「山名八幡宮」 に行って来ました                                  

このあたりは千年以上前から人が住み社会を営んでいた地ですから、 周囲の風景はなんとなく古代を感じます

実は「山名八幡宮」に行こうと思ったわけでなく、八幡宮裏手の万葉古碑を見ながら、近くのカリンの林でカリンを拾おうと思ったのです

カリンは残念ながら1っ個も落ちておらず、代わって八幡宮を散策する事にしたのです

 山名八幡宮は、清和源氏新田氏の祖新田義重の子で、山名氏の祖となった山名義範が1175年~ 1190年頃に豊前国(大分県)の宇佐神宮の分霊を勧請して社殿を造営し、武運の神(武神)として崇敬したのが始めとされています

新田一族は現群馬県太田市(旧新田郡新田町)あたりが新田の庄と称し新田氏の興りとなっていますが、上州はおろか全国に華々しく展開していった一族として知られています

即ち、ここ山名町に鎮座する「山名八幡宮」は、そんな新田一族と高崎との関連を最も印象づける名勝なんだそうです

新田一族の祖である新田義重(源義重)は、清和源氏の嫡流である八幡太郎義家(源義家)の孫で、義重の弟は後に室町幕府を開く足利尊氏の祖であります

平安時代の末期、京都を離れて上野国・新田郡へと下っていった義重が新田の庄を拓き、次男の新田義範は、山名郷に移住して新田姓改め「山名義範と名乗り、このちを治めたのだそうです

山名一族は新田一族の中で、異端的な存在となって子孫は繁栄した事で知られています                           その繁栄振りは室町時代全国66ヶ国の内11ヶ国の守護を務めたほどで、「6分の一殿」と呼ばれたそうですから恐れ入ります

そんな山名氏の発祥の地、「山名八幡宮」は全国にある山名氏の精神的なつながりを保証する重要な場所だったのです

今は小さな街並みの山名ですが、往古のたたずまいを「山名八幡宮」は見せてくれています                                        山名の町は鎌倉街道沿にあって、鎌倉時代には門前町として栄えたといわれています

    拝殿への石段

現在の社殿は本殿・弊殿・拝殿からなる権現造りで、三手先の軒や腰部の彫刻がすばらしいです

本殿は銅板葺きの三間社流造りで、彩色した彫刻が施されています

    側面三間の軒組
 明和年間(1764-1772)の造営とされています

境内には他に、随身門・神楽殿などがあります

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