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群馬北部・水上方面の紅葉を見ながら・・・ 大古を偲ぶ

先日、谷川岳周辺の紅葉  を眺めてきました                                                              その帰り道・国道R17沿いの利根・「月夜野」を通りました   

「月夜野」の地は、平安中期三十六歌仙の一人・源順(みなもと の したがう)がこの地に巡行した際、山にかかる月を見て、「よき月よのかな」と歌を詠んだといわれ名の由来になっています  

JR新幹線・上毛高原駅近くに在る「道の駅・月夜野矢瀬親水公園」に立ち寄り、利根・月夜野の紅葉  を愛でました                                                                                               紅葉はこれから本番です  

 

「矢瀬親水公園」は、縄文時代の集落跡である史跡「矢瀬遺跡」を配した、総面積3・5ヘクタールの親水公園です

「矢瀬遺跡」は国の指定史跡で、利根川によって出来た河岸段丘の最下面にあった縄文後期の村跡と見られたものを復元したものだそうです

発掘成果を元に、村は人工の水場を中心に作られ、中央には祭祀場や墓地があり、その外側をぐるっと囲むように住居が配置されています                                                                            現在、水場の跡や茅葺き住居、また高床建物やお墓などが復元され、村の様子が再現されていますが、休憩所なども造られているので、3000年前の世界が時を越えて今あるように思えます

 

    奥の建物は 縄文住居です ・ 右奥の材木櫓組は、祭祀場です

公園の片隅に、 「源義家」の弓引く像がありました  

「源 義家」は、平安時代後期(11世紀末)の武将で、「八幡太郎(はちまんたろう)」の通称でも知られ、源氏の武家棟梁たる地位を作った象徴とされる人物です                                                        後に武家政権鎌倉幕府を開いた源頼朝室町幕府足利尊氏などの祖先に当たることから、後世では英雄視された理由になったと思われますが、彼の実生涯は猛将として戦いに明け暮れ、政治にもみくちゃにされ、不遇であったとも見られます

  

    月夜野・矢瀬の地で、「源義家」が奥州征伐の時、敵残党狩りのため利根の急流を渡ろうとして、渡河の位置を矢で射て指示している像だそうです

数十メートルはあったであろう利根川の川幅を飛び越える矢を放つ事にも驚くけど、そんな矢を目印に大軍が渡河する目印になったというのも、信じがたい逸話です

「義家」の神話もどきの逸話は幾つもあるそうですから、まんざら嘘ではないのでしょう 

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