ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

[長崎と韓国・朝鮮④] 軍艦島と、軍艦島ツアーの概要

2012-11-16 23:10:13 | 韓国・朝鮮と日本の間のいろいろ
    

[長崎と韓国・朝鮮①] 岡まさはる記念長崎平和資料館を見学
[長崎と韓国・朝鮮②] 齋藤茂吉と朝鮮(+長崎)
[長崎と韓国・朝鮮③] 日本二十六聖人記念聖堂で、なぜか朝鮮三国時代の弥勒菩薩像が・・・
 ・・・と続いてきたシリーズの最後です、一応。

 前回の記事の末尾で「最後の記事がメインです」と書いてからすでに半月以上、また10月15日に長崎の軍艦島に行ってからは1ヵ月と1日経ってしまいました。

 長崎に行くことになって、中国やオランダではなく、韓国・朝鮮関係のネタで何があるか、と考えて最初に思い浮かんだのが軍艦島でした。といっても、かつてそこの炭鉱で多くの朝鮮人が苛酷な労働に従事していた、という程度のわずかな知識だけで・・・。
 そして長崎最後の半日、他の著名観光地探訪を全部断念して軍艦島ツアーに行ってきました。
 事前学習もせず、予備知識もほとんどなかった状態で行ったこともあって、いろいろ収穫があった上、帰ってからも関係書をあれこれ読んでいたら、きりがなくなって今に至りました。写真集とか証言記録とかいろいろ出ているし、小説では内田康夫「棄霊島」赤川次郎「三毛猫ホームズの無人島」は一気に読了しました。ただ「毎日新聞」で昨年6月~今年8月連載されていた大沢在昌「海と月の迷路」はまだ単行本化されてなくて未読です。韓国作家・韓水山の小説「軍艦島」(原題「까마귀(カラス)」(2009.作品社)も刊行されていますが、これもまだ最初数ページ読んだだけです。
[11月17日の追記]長崎出身の作家・吉田修一の短編「キャンセルされた街の案内」(新潮文庫)も軍艦島のことを書いています。

 軍艦島については、炭鉱を中心とした歴史、そこで暮らした人々の生活、近代化産業遺産関係等々いろんな切り口があるなあと痛感しています。知れば知るほど本ブログで何をどう書くかを考えると、収拾がつかなくなってしまいそうです。

 またそれらのことを全然知らなくても、軍艦島の遠望や、島内の廃墟と化した建築物群の写真を見ただけで人の目をひきつける「異様さ」といったものがあります。
 上記のような推理小説の舞台とされたのもそれゆえでしょう。昨日発売の「週刊文春」11月22日号の「CATCH UP」には、映画「007 スカイフォール」で悪の本拠地として描かれるマカオ沖の島のモデルにもなったとか。昨年7月にスタッフが来てロケハンをし、その写真をもとにロンドン郊外にセットを造って撮影したそうです。

      
    【「007 スカイフォール」より。長崎市としては当然世界に向けての宣伝のチャンスと捉えていますね。】

 軍艦島ツアーのガイドさんの話では、福山雅治B’zもこの島に来たことがあるそうで、船内でもB’zのミュージックビデオを流していました。
 帰ってから探したら、B’zの「MY LONELY TOWN」という歌で、YouTubeにもありました。(→コチラ。)

 福山雅治は歌の方ではなくて、この島を撮った「残響 Photo Exhibition 2008」と題した写真展を開いたことがあり、それについて語った動画(→コチラ)も見つかりました。ただし、福山雅治は長崎出身ということもあって、軍艦島の「異様な」外貌よりも、自身語っているように故郷とか時の流れといったものに撮影の主眼が置かれているようです。

 ・・・というわけで、一体何から書こうかあれこれ考えましたが、とりあえずは島の名称や位置等、地理上の基本事項から。

[軍艦島の名称・位置・広さ等]
 軍艦島の正式名称は端島(はしま)。かつての住民や、長崎の地元では端島といいます。(私ヌルボが長崎に行った時、地元の方に「軍艦島に行こうと思ってるんですよ」と言ったら「ああ、端島は・・・」と言い換えていらっしゃいました。)
 「軍艦島」の名は、戦艦土佐に似ていることからその名がついたと言われています。しかし2004年閉山30周年記念の写真集「端島~軍艦島~」によると「1916年4月7日に大阪朝日新聞が、端島を二本煙突の巨大な軍艦に似ていると報道」したのが最初とか。
 ※戦艦土佐は、三菱重工長崎造船所で建造されたものの、1922年ワシントン軍縮条約の結果完成を見ることなく標的艦として沈められました。(→参考。)

 軍艦島の位置は下の地図参照。
 長崎港からは南西約17.5kmの位置にあります。長崎半島からは約4.5km離れています。
      
  【崎戸・高島とともに、かつて端島は三菱が経営した海底炭鉱で知られた島でした。林えいだい「死者への手紙」(明石書店)所載の地図より。】

 軍艦島は、南北約480m、東西約160mの小さい島です。
 面積は約63,000㎡で、東京ドーム(46,755㎡)の約1.35倍。
 元々は現在の3分の1ほどでしたが、1897~1931年の6度の工事で埋立てと護岸堤防の拡張を繰り返し、現在の大きさになりました。
 ※軍艦島にボタ山がないのは、その埋立てに用いたため。また廃坑を埋める時にも用いたそうです。
 1974年1月の炭鉱閉山後まもなく、4月20日までに残っていた約2千人の住民が全て島を離れ、島は無人化しました。以後現在まで、島の人口はゼロです。
 その後も島は三菱の所有でしたが、2001年当時の高島町に無償譲渡され、2005年1月合併により長崎市に編入されました。

[軍艦島ツアーの概要]
 次に、2009年4月から始まった一般対象の軍艦島上陸ツアーのあらましです。
 島への上陸は長く禁止されていましたが、2009年4月22日から見学通路内からに限って見学ができるようになりました。
 当初年間2万5千人程度と予測していた上陸者数は、初年度の実績が約5万5千人。その後も2010年が8万5千人、11年が8万4千人で、順調という言葉以上の人気をよび、地元に約65億円もの経済波及効果をもたらしたとのことです。
 現在、上陸ツアーを実施している運航会社は以下の通りです。
 長崎港から発着は次の4つ。集合・発着場所等は異なるので要注意!
  やまさ海運
  高島海上交通
        ※伊王島からでも乗船可。高島にも上陸し、石炭資料館(端島模型)・岩崎弥太郎銅像等見学。
        ※やすらぎ伊王島という伊王島宿泊観光とのセットプランもあります。
  軍艦島コンシェルジュ
  シーマン商会
 各社で若干の差はありますが、ツアーのあらましは次の通り。
 ・料金・・・大人でおよそ4000円前後。これに施設見学料として300円がプラスされます。
 ・時間・・・長崎港発~軍艦島~長崎港着 計2時間30分前後。
       軍艦島のすぐ近くまでは約30分で行くが、上陸の前(または後)に島の周囲を20分くらい(?)時間をかけて周る。
       上陸して見学する時間は40~50分程度。
 ・各社とも、午前と午後各1便運航。
 ・天候によって欠航になることもあります。
    ※①のサイトによると、今年4~6月の運航率・上陸率は83.3~96.8%だったが、7月は運航率74.2%、上陸率61.3%。
 ・乗客定員は、①170名 ②200名 ③130名 ④45名
    ※②は客室内座席60程度で、他も定員=客室内座席数ということではないようです。
 ・上陸ツアーはなかなかの人気で、とくに土・日は早くから満席になることもよくあるようです
 上記4社以外に、長崎半島の野母崎の手前の野ノ串港から出航するのが、
  アイランド号・・・15分で軍艦島に到着と、航行時間は長崎港発の半分以下。

 見学地は、下の地図のように非常に限定されています。距離にしてわずか230mで、見学ポイントが3ヵ所あり、ガイドさんの説明があります。

     
    【「廃墟」の中を自由に歩き回れるわけではありませんが、それでも失望する人は少ないと思います。】

 ツアーのようすは各社サイトの画像でおよそ見当をつけてください。③と④のサイトには動画もあります。

 実際に私ヌルボが行った時のことや、撮影した写真については続きで、ということにします。
 島の歴史や、歴史遺産等については、さらにそのあと、かな?

 → <[軍艦島ツアーで考えたこと] 「いつ、どんな立場で見たか」で大きく異なる思い出>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする