ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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韓国の作家パク・ソンウォンとその作品、中村文則との対談のこと等 

2012-11-26 20:09:39 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 11月20日と21日「読売新聞」に、「日韓作家リレー書簡」というタイトルで朴晟源(パク・ソンウォン.박성원)中村文則がやりとりした書簡が載っていました。(なぜか読売のサイト内を検索しても何も載っていませんが・・・。)

 中村文則は2005年「土の中の子供」で芥川賞、2010年には「掏摸<スリ>」大江健三郎賞を受賞したりしているので、それなりには知られているのではないでしょうか? ウィキの説明では1977年生まれで35歳。
 私ヌルボは「何もかも憂鬱な夜に」という小説を読んだことがあります。一応死刑関係の作品には目を通しておこうと思って・・・。感想は、文字通り「何もかも憂鬱な」作品でした。じめっとした、というか、ぬるっとした、というか・・・。

 朴晟源は中村文則の8歳上の1969年生まれ。日本での知名度はヒジョーに低いと思います。第一、韓国作家の名を1人でもあげられる人からして少ない現状ですから・・・。
 しかし、こうした感じで全国紙が取り上げてくれると多少なりとも韓国作家の認知度が高まるというものです。

 このリレー書簡の企画は、クオンという出版社が「新しい韓国の文学」というシリーズの第5巻で、朴晟源の「都市は何によってできいるのか」をこの9月に刊行したことと、続いて11月9日池袋のジュンク堂書店で、以前から(2008年~)知り合い同士の中村文則と、刊行記念としてトークイベントが開催されたことが前提となっています。

 そのトークイベントの動画がYouTubeにあって、2作家のやりとりを視聴することができます。(→コチラ!)
 韓国語学習者にとっても勉強にはなるのですが、約1時間30分にも及ぶ長尺なので、ちょっとかったるいかも・・・。そこをがんばって最後まで見てみると、中村文則氏は小説よりも語りがずっとおもしろく(あの小説を思えば当然)、朴晟源氏は雰囲気も実際の話もユーモアが漂っています。翻訳者の吉川凪さんと、通訳としてきむ・ふなさんが登壇しています。
 朴晟源氏が写真を見ながら自身の経歴等を語っていますが、トルチャンチ(満1歳のお祝いの宴席)の時、トルチャビで鉛筆を取ったというエピソードはできすぎてますね。

 さて、「読売新聞」のリレー書簡の内容は、朴晟源氏がトークイベントの前に吉川凪さんとサンシャイン60や雑司ヶ谷霊園を歩いたりして、過去と現在が共存するものだと改めて思ったこと、翌日は東京駅→三越本店→銀座を歩いて、font color="maroon">を歩くのと似ているので「見慣れた感じがした」ことを記していました。(これも当たり前。) また彼の小説は主に都市での生活を描いているけれども、「東京もソウルも、妙に似ていてなじみがあるようであり、またよそよそしかったです」とも。(よくわかります。)
 一方、中村氏はトークで語っていたように、映像メディアがその国の人々を「外面」から映し出すのに対し、文学は「内面」を深く描くもので、「そのようにお互いの国がお互いの国を「内面」からとらえ続ける限り、世界はよくなっていく」ことを強調しています。

 その朴晟源の作品でこれまで翻訳されているのは、少し前に「あの鄭泳文さんが文学賞三冠王」と題した記事で紹介した鄭泳文の短編が収められている安宇植編・訳「いま、私たちの隣りに誰がいるのか」(作品社)に、「デラウェイの窓」という短編が1つあるだけです。
 この作品については、上記のトークショーの中で中村氏が「なんとも言えない喪失感みたいなものがあって・・・、とてもいい短編」と評しているのは、本人を前にしての社交辞令ではないと思います。
 私ヌルボもこの短編は以前読み、印象に残っています。「デラウェイ」というのは作品内で語られる写真家の名前です。静物画や人物画のようなありきたりの写真を撮っていて、無名のまま世を去った写真作家。ところが彼の死の直前に、弱視のためいつも拡大鏡で写真を観察していたあるアマチュア写真家が、デラウェイの写真に対して最初の発見をしたというのです。のどかな農家のジャガイモやスープが並ぶ食卓をそのまま撮ったような写真。しかし食卓に置かれたスプーンには何かがぼんやりと写っている。それを拡大すると、一人の兵士が農夫を射殺している光景が浮かび上がってくる。ユーゴ内戦当時の政府軍による民間人虐殺の場面を、「デラウェイは反射した物体を通して映し出したのだった」。その後一見平凡そうな写真と、その中の眼鏡やガラスのような反射物に隠されている「真実」を人々は探し求めるのですが・・・。作品冒頭には、そのデラウェイの言葉が掲げられています。「窓というのは、真実をうかがうことができるチャンスだ。もしも窓がなかったら、四角い壁の中に閉じこめられている真実をどのようにして救い出せるというのだろうか。」
 しかし、本当にそれは真実なのか? それとも・・・、というのがこの短編のキモ。

 で、肝心の彼の新作「都市は何によってできているのか」ですが、私ヌルボ、さっそく読んでみようと思ったものの、横浜市立図書館では目下のところ貸出し中なので読むのはしばらく先ですね。
コメント
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