ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

​​​​​​​​​​​​​​​​​​他者と接して初めて自分が見えてくる(中)

2024-06-14 15:58:01 | エッセイ・雑文(韓国・朝鮮関係以外)
他者と接して初めて自分が見えてくる(中)

来日した外国人がビックリすること

 おはようございまーす。みんないるかな?
 さてと皆さん、ちゃんと朝ご飯食べてきましたか? あれ、君は? あ、ご飯じゃなくてパンですか。
 いやあ、思い出すなあ・・・、60年ばかり前の小学生時代ですよ。先生が授業の最初にクラスのみんなに朝ご飯をお茶碗何杯食べてきましたか?と聞いたんですよ。「1杯!」とか「2杯!」とか口々に答える中で、先生は一人黙っていたぼくに「あれ、あんたは?」と聞いたんです。で、ぼくが答えたのが「うちはパンだから・・・」だったわけ。今日と違うのはその時の他の生徒たちの反応でね、「オーッ!」という声が上がって、・・・って意味わかりますか? つまり、その当時はパンにバターに紅茶にといった朝食は高級なイメージがあったんですね、たぶん。名古屋から地方の小都市に引っ越してまもない頃で、他の男子がほとんど坊主頭の中でごく少数派の坊ちゃん刈りあだ名が「外国人」だったしねー。いや、名古屋ではべつに目立ってなかったですよ。
 食べ物関係の思い出はいろいろあるけど、あと2つだけ話すね。1つ目は中学か高校の頃、2歳上の兄貴が「おい知ってるか?」と真顔で聞くんです。何かと思ったら、「カレーライスは混ぜないで食べるのがふつうらしいぞ」。わが家では父が混ぜて食べてたんで、ずっとそれがふつうだと思ってたんですね。
 同じような例が大学に入ってからもありました。クラスの最初の親睦会がすき焼きパーティーだったんだけど、お膳の上の生卵を見てぼくは「何だ、これは?」と首を傾げました。というのもわが家にはすき焼きの具に生卵をつけて食べるという習慣がなかったのです。同じようなこと、君たちにもあるんじゃないの?
 といったところで、察しのいい人は気がついてるかもしれませんが、もう授業に入りかけてます。

 前回はアイデンティティという言葉について説明しました。その例として、高校に進学して最初はいろいろ戸惑ったりもしたのが大体はしばらく経つうちに新しい環境になじんでくるという話をしました。考えてみれば野良猫が人に拾われて飼い猫になるのも同じですね。家族の一員としてのアイデンティティがネコなりに確立されるわけです。
 人が赤ちゃんとして生まれた時は身の回りの世界しかありませんから、それが自分の標準になります。ただ、その身の回りの世界が他の赤ちゃんの場合とどれだけ重なっているかはわかりません。その後成長するにつれて世界が広がっていって、物事によってそれまで認識していた身の回りの世界がその外の世界と照らし合わせると例外的だったことに気づいて補正することもあり、あるいは反発して自分の「正しさ」にこだわり続ける場合もあります。
 日本全体で見ると、地方によって気候・風土の違いや食文化や方言などの違いはあるし風俗習慣や物の考え方なんんかも多少違うところがあるかもしれませんが、おおよそはかなり均質的な社会なので引っ越しをしてもショックを受けるほどのことは滅多にないんじゃないかな?
 しかし、海外に行くと驚くことがいろいろあるはずです。逆に日本に来た外国人が日本人にとっては思いもよらぬことで驚いたり疑問に思ったりしてるんですね。
 朝食の話のついでにひとつ質問しましょう。外国人観光客が日本の旅館に泊まった翌朝定番の朝食のお膳を見て首をかしげたモノは何でしょう? んーと、納豆? まあフツーの答えだけど、外国人のお客さんにあえて出すかねー? 一応正解は今話した生卵なんです。日本の卵は大丈夫ですが、他の国ではどこも食中毒の危険性があるので生卵を食べる習慣がないのだそうです。卵かけごはんを食べてる日本人を見ると気持ちが悪いという外国人はけっこう大勢いるそうですよ。
 ということで、ここでひとつ本を紹介します。大野力(つとむ)さんという方が書いた『ニッポン人はなぜ?』という本で「途上国青年との日本問答」と副題がついてます。1998年発行で25~6年も経ってるんで、今の外国人の皆さんの日本に対する理解度とはズレがあると思います。その点は念頭に置いて下さい。

 大野さんは海外技術者研修協会という財団法人の研修センターで講師を務めていました。発展途上国から産業技術研修生として来日した青年たちが六週間ほどセンターで日本語を教わるほかに、日本の社会や文化などについて説明をするのですが、その時に彼らの発する質問にとても懇切丁寧に答えるのです。意表を突く質問にすぐ答えるのはむずかしいのであれこれ考えなくてはならないですよね。で、考える。それが今まで考えたこともない日本再発見につながるわけです。
 じゃあ君たちならどう答えるか、やってみますか?
 まず第1問。「日本の男たちはなぜヒゲを生やさないのか?」
 これはサウジアラビア人。かなり真剣な顔つき。大野さんは生活習慣の違いの問題です。生やしている人もいますが、少数です」と答えますが、立派な口ヒゲをたくわえた彼らは半信半疑でショックを受けているようす・・・。以前ぼくの元同僚の先生がアラビア方面に旅行に出かける前、「ヒゲを生やしてないと一人前の男とは見られない」とかでヒゲを伸ばしてましたね。ただイスラム教国でもトルコやエジプトやインドネシアなど世俗主義の国は比較的寛容だそうです。
 第2問は自動販売機について「なぜ盗まれないのか?」とフィリピン人の質問。
 なぜですかねー? 大野さんは「手間や捕まるリスクを考えると割に合わない」と答えます。手間については、質問者の話では「いちいち現場で鉄板を切ったりしないでトラックで夜街を走り回って自販機ごとどんどん詰め込む」のだそうです。
 インドネシア人からはこんな質問もありました。「インドネシアでは街頭の物売りがたくさんいるが日本では見かけない。いったいどこへ行ったのか?」と、これも自販機がらみですね。さらにはインド人青年からも「日本では駅の改札も自動だしバスもワンマンだし、工場でもさかんにロボットを使ってる。失業者がたくさん出ると思うが、どう救済しているのか?」。
 この質問には大野さんも質問者が納得できる答えは出していません。恥ずかしながら、ぼくもです。面目ない。
 第3問はインドの青年の質問。「私は今東京の研修センターで日本語を習っていますが、技術研修は広島の会社です。東京の言葉は広島で通じますか? 文字は同じですか?」
 これは答は簡単ですが、皆さんもたぶん気づいているように、それぞれ自分の国が基準になってますね。地理か世界史かで習ったかもしれませんが、インドのお金の単位はルピーですね。そのルピー紙幣は表は英語とヒンディー語だけですが裏には15種類の言語で100ルピー等と書かれています。つまり主要言語だけでも17もあり、インド全土だと住民が母語として日常的に使用している言語はなんとその50倍くらいあるそうですよ。
 第4問もナイジェリアの青年の不意打ちのような質問です。「日本には部族がいくつありますか?」
 うーむ、なんと!ですねー。大野さんは、こう言うほかないと思って「現在の日本に部族と見られるようなものはありません」と答えますが、青年はすぐさま「それでは日本に部族がなくなったのは何年前からですか?」と折り返し問いかけてくるのですよ。
 大野さんは続けて「ここまで踏み込まれて、私は質問者の問題意識の、ただならぬ強さに気づかされる」と書いています。そしてナイジェリアという国の歴史を思い起こします。かつては奴隷貿易の根拠地。奴隷海岸という言葉、聞いたことあるでしょう。1960年に独立を果たしたものの、67年に始まったビアフラ紛争では飢えた子供たちの悲惨な写真が新聞に載って衝撃を受けました。スマホで「ビアフラ紛争」で画像検索してみて。今はナイジェリアはアフリカ有数のサッカー強国として知られているし、半世紀前とはずいぶん変わってるとは思いますが、なんせ250ほども部族があって、その間の紛争は絶えないようで、国政は安定にはほど遠いみたいですね。大野さんは、質問した青年が切実に部族のことを問いかけたのも、そんな背景があったんじゃないかと推察してその質問の背景へのこちら側の現実感の稀薄さ、ないしは欠如に思い至らざるを得ない」と記していますが、ぼくはその洞察力にひれ伏するしかありません。

 技術研修生の皆さんからの質問はここまでにしておきます。ぼくがなるほどなーと思ったのは、さっきも言ったように質問には自分の国のもろもろが反映されているということと、質問される日本人にとっては自分が生まれて以来当たり前過ぎて考えてもみなかった日本の独自性に気づくということ。お互いが相手を鏡として自分の姿を映しているようなものです。

 今日は食べ物の話が多かったね。ただ、食べ物だと自分が慣れ親しんできた味と違ったらすぐ気がつくけど、たとえばインド人青年が首をかしげるしぐさは疑問や不満ではなく「よく分かった」という意味だし、タイ人の社員のミスを上司が注意したら笑みをうかべて聞いているので「真面目に聞いてない!」と思われるが、それはタイ人にとってはふつうの表情だというように、動作や表情なども決して世界共通じゃないし、誤解しやすいかもねー。それから一般常識とか倫理道徳とかの違いとなると目に見えないし、かなり根の深い国民としてのアイデンティティにも関わってくるから厄介なところです。
 特に近年、主に先進諸国ではジェンダーフリーの風潮が一般化し、日本でも90年代には同性愛に否定的な見方が多数を占めていたのが今は大きく変わりました。しかし世界を見ると同性愛者を違法としている国は多く、石打ち刑を行っているブルネイ等死刑を科している国は世界で12ヵ国あり、10年~終身の禁固刑という国は28ヵ国あります。そこまでいかなくても取締りの対象となったり、家族からも排斥されるという国もあります。そんな世界の現況が一目でわかる<性的指向に関する世界地図>という資料があるのでぜひ検索して見てみて下さい。

 次回は今回とは逆にまた巨視的な観点から日本や世界の国々の人たちの価値観を比較して考えてみましょう。ハイッ、オシマイ!
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他者と接して初めて自分が見えてくる(上)

2024-06-12 15:36:40 | エッセイ・雑文(韓国・朝鮮関係以外)
他者と接して初めて自分が見えてくる(上)

「アイデンティティ」って何なの?

 さあ、始まるよー、席についてー。
 さてと、今日はいきなり難しい言葉について説明するところから始めます。どう難しいかというと、実はぼく自身もよく分かってないというレベルなんですよ、ハハハ(汗)。それで教えられるのかと言われそうですが、そこは「努力します」ということで・・・。これ、言い訳には便利な言葉だねー。テヘヘ、今日は暑いなー。
 で、その言葉なんですが、「アイデンティティ」という英語なんだけど、ずいぶん前からけっこうふつうに使われるようになってますね。あ、「アイデンティティー」と最後を伸ばしてもOKですよ。ところで、皆さんはこの言葉知ってましたか?
 え、お笑い芸人だって? 二人組の? ふうん、知らなかったな。そこまで一般的になってるんだねー。
 じゃあ会話の中でふつうに使ってる・・・というレベル、まではいかないですか?
 ぼくがこの言葉を最初に知ったのは高校時代。ということは、んー・・・ずいぶん昔ですよ。たしか倫理の授業で・・・。いや当時は倫理社会、略して倫社と言ってたね。今オジイサンから「オマエはリンシャをちゃんとベンキョーせんとあかんゾ」と言われても分からんだろなー。
 その高校の頃のリンシャの教科書でアイデンティティーがどんな日本語で説明されていたかというと「自我同一性」ですよ。または「自己同一性」。この用語は今も倫理用語集にありますね。しかし自我同一性と聞いて「そうか、なーるほど」とうなづく日本人がいるかねー? ぼくも分からなかったし、その後何十年経った今も分かりません。今の日本人も分からないからみんなアイデンティティというカタカナ語のまま使っているんでしょうね。
 同じアイデンティティという言葉を韓国ではチョンチェソン(정체성)、つまり「正体性」と言ってます。ぼくはコチラの方がずーっと良い訳し方だと思います。要は自分自身が一体何者なのかということを心の奥底でどのように認識しているかということですからねー。
 人間に化けた妖怪に「おまえの正体は何だっ?」と問いをぶつけると「フッフッ、ばれちゃあしょうがねーや」と笑いながらタヌキが正体を現す場面がアタマに浮かびますが、そんなようなものですよ。ん? タヌキは自分のことタヌキだという自己認識はあるのかな? ミミズなんかはなさそうか? 飼い犬は自分も家族の一員と思ってるのか? それとも・・・。フーム、動物のアイデンティティもおもしろそうだけど、まあ興味のある人は将来研究してごらんなさい。
 このアイデンティティという用語が広まったのは、アメリカの精神分析学者エリクソンが青年期の発達課題を説明する際に用いて1960年代頃から広く知られるようになって、その後意味も広がっていったようです。
 倫理の教科書のアイデンティティ関係のページにはアイデンティティ・クライシス、つまり「アイデンティティの危機」という用語も出てきます。生まれてからずっと自分の周囲のことを学習しながら適応することに懸命に生きてきたのが、成長して学校などで新しい人間関係もできて、外の社会についての知識も広がる中で自分を見失ってしまうことを指す言葉です。フランスの啓蒙思想家ルソーは著書『エミール』で人が青年期を迎える頃のその自己のめざめを「第二の誕生」と呼んだ、といったことも教科書に載ってます。
 ・・・って、今けっこうふつうに使ってる中二病となんか意味が重なってる感じじゃないですか? そう言えばTVアニメで「中二病でも恋がしたい!」というのを放映してましたが、そのテーマ曲のタイトルがまさに「INSIDE IDENTITY」だったんですね。これは最近知りました。
 さて、アイデンティティという用語を自我同一性じゃなくてもっとわかりやすい日本語で言うと、スマホでググってみれば「国・民族・組織などある特定集団への帰属意識」、「独自性」、「一致」、「身元」、「本質」等々の言葉が出てきます。
 まあ自我同一性よりはマシですが、イマイチですかねー。で、ぼくが独自に具体例を考えてみました。
 君たちがこの高校に入学して生徒証をもらって制服を着ても最初はしっくりこなかったでしょ? 話し相手も中学時代の友だちと「そっちのクラスのフンイキどうなの?」なんて情報交換したりして。それがしばらく経って、人にもよるけど一学期の末にはクラスの仲間の名前も憶えて高校生活に慣れてくる。これも人によりますがこの学校の部活が対外戦で活躍するとうれしく思ったりといった愛校心を持ったりもする。一方、中にはこの学校というよりも自分が入った部活に強い思い入れを持つようになる人もいるでしょ? あるいは、「この」学校というより希望する大学や職業をめざして本気で勉強することを最優先して日々がんばってる人もいる・・・かな? こうして、それぞれ中学生のこそして、まだ自分の居場所を見つけられない頃とは違う新たなアイデンティティを確立していきます。ただ中にはまだ不安定な精神状態の人もいるかもしれません。
 ところで、もし君たちが初対面の人に自己紹介するとしたらどんなことから話しますか? 「◯◯高校生です」とハッキリ言う人は◯◯高校の生徒であることに強いアイデンティティを持っているということ。「◯◯高校野球部でレギュラーやってます」と言えば当然その肩書きを誇らしく思ってるわけですね。そこらへんは本校生徒でもさまざまです。それから、もちろん人によっては学校以外の何か、たとえばピアノとかバレエとかの習いごととかサッカーのクラブチームのこととかの方がずっと重要だという人もいるでしょう。

 さて、やっとここから本論です。(えっ!
 一応この授業の看板は日本史なので、日本人としてのアイデンティティの形成をテーマに考えてみようということで、ここまではその前提なんですよ、ハハハ。すみませんねー。
 自己紹介の話の続きなんですが、もし海外旅行先で「どこの国の方ですか?」とか「何人ですか?」と聞かれたらどう答えますか? たぶん大方の日本人なら「日本です」と答えますね。しかしたとえばラモス瑠偉や元横綱の白鵬のように外国から来てその後日本国籍を取得した人の場合はどう答える? それ以前に自分自身ではどう認識しているのかな? ・・・という疑問も出てきます。それから、長く日本で暮らしている在日韓国・朝鮮人の人たちが大勢います。ルーツは戦前から日本にやってきた在日一世ですが、1965年の日韓基本条約以降は国籍の選択肢も韓国籍か日本籍か、でなければ従来の朝鮮籍(←これは北朝鮮のことじゃなく便宜的なもの)の三択になってもう半世紀以上になり、在日の主体も三世さらには四世になっているので、そのナショナル・アイデンティティつまり国民としての自己認識も多様化しているようですね。少なくともいわゆる嫌韓の人たちのイメージにあるような反日的な意見の持ち主はいたとしてもごく少数じゃないかなー? 日本人との結婚もふつうになってますが、純粋の韓国・朝鮮人だけの家庭でもある資料では九割ほどは日本語を話してますよ。日頃接するマスメディアも日本のテレビや新聞だしねー。

 日本人のナショナル・アイデンティティを考える時、念頭に置く必要があることを一つ言っておきます。それは「日本とはそもそも何なのか?」ということなんですが・・・、やっぱりキョトンとしてる人が何人もいますね。
 どういうことかと言うと、日本は①国の領土がほとんど日本列島という一目でわかる地理的な範囲と重なり、②ほぼ同じような顔つきと体格の黄色人種で構成されていて、③言語は日本語が全国的に用いられている、ということ。これらは日本人にとっては当たり前のことでしょうが、約200ヵ国ある世界の国々の中では非常に例外的と言っていいでしょう。またこれらに付随して④約二千年間日本国内で歴史が展開され、⑤衣・食・住、芸術、文学等々、独自の特色ある文化を育んできた、ということも特色として挙げられますね。
 それからもう一つ重要なことを言っておきます。それは日本人がいつ頃から「自分は日本人だ」と思うようになったのか?ということ。答は明治以降です。だから、大雑把に言ってまだ1世紀半くらいなものですね。つまり世界史的には1800年前後のイギリス、フランスを先駆けとする国民国家の成立とセットなんですが、この辺についてはあとで説明します。つまりは、日本だけではなく、世界を見てもほとんど全国民が「自分は◯◯人だ」という意識を持ったのはそんなに昔のことじゃないということです。
 この点については、専門の歴史学者でも間違った主張をする例をたまに見かけます。具体例をあげれば、90年代末頃から中国は「高句麗と百済と渤海は中国の地方政権であり、中国史の中に含まれる」と主張して韓国の歴史学者やマスコミ、そして一般国民の反発を招きました。「朱蒙(チュモン)」をはじめ高句麗関係の歴史ドラマが相次いだのもそのためです。ついでに言えば、日本史の教科書では高句麗・百済・新羅の三国時代の後は統一新羅の時代となっていますが、韓国では七〇年代から渤海と合わせて南北国時代と呼んでます。こうした中国と韓国の間の歴史認識論争に対して、韓国の少数派の歴史学者・林志弦(イム・ジヒョン)漢陽大教授は次のように語っています。
 「二千年も前の高句麗に現代の近代国民国家の概念をそのまま投影させてしまうのは時代錯誤です。タイムマシンに乗って当時の高句麗に行って「あなたは韓国人ですか?中国人ですか?」と聞いたら高句麗人は当然「何をわけのわからんことを言いなさるのか?」と言うんじゃないですか?」
 ぼくはこの見解には全面的に同意します。
 これ以外にも、歴史認識問題となるとそれぞれの国民の皆さんが「愛国心」に根差した主張を応酬し合う例は日韓間に限らずホントに多いですよね。しかし片方が相手方を「論破したぞ!」と思っても相手は「はい、おっしゃる通りです」なんて受け入れることはありませんよ。まさに自分たちのアイデンティティに関わる問題だから。そんなわけで、ほとんど解決は望めないというのがぼくの見方です。
 それでも、今日のテーマは相手と直接接して初めて相手の実像と、今まで気づかなかった自分の姿が見えてくるということで、戦争とか議論とかも直接接することだから、そう考えると得ることも多いと思いますよ。
 このテーマであと二回くらい続くかな? はい、ではまた今度。
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上川陽子現外相が法相の頃のひどい政治  ~ ウィシュマさん死亡事件、入管法改悪など ~

2024-06-08 22:20:37 | ヌルボの意見・主張・寸感
 現在外務大臣の上川陽子外務大臣。一部では初の女性総理の声もあるようですが、私ヌルボとしては不安がつのるばかりです。皆さんは上川氏が菅義偉内閣の法務大臣の頃(2020~21年)法務大臣を務めていたことを憶えているでしょうか? メディアで大きく報道されたのがウィシュマさん死亡事件(→ウィキペディア)でした。
 名古屋入管に収容されていたスリランカの女性ウィシュマ・サンダマリさんが体調が悪化して病院での診療を求めても入管職員らは詐病と見て取り合わず結局は入管職員の呼びかけに応じない状態になってやっと病院に搬送され、死亡が確認されたという事件です。ニュース等でこの事件を知った人の多くは入管職員たちの仕打ちに「ひどい!」と思ったのではないでしょうか? 今私ヌルボは「多くは」と書きましたが、実は最初「ほとんどは」と書いたのを書き直しました。どうもこの頃「このような人たち(=入管職員等)によって不法滞在外国人の収監・送還が適切に行われている」と評価する向きも相当数いるようなので不本意ながら「訂正」しました。
 事件当時上川法相がそんな民意を読んでそれに迎合したのか、あるいはそんな民意を醸成しようとしたのかはわかりません。
 ところが上川法相はこの問題の多い入管法をさらに改悪し、難民認定申請者を強制送還できるよう例外規定を設けること(=文字通り「死地に追いやる」)や、送還を拒む外国人に対して刑事罰を加える(どんな「犯罪」を犯したのか?)こと等を盛り込んでいるのです。
 これに対し、ヤフーニュース
「国連に逆ギレの上川法務大臣、問われる資質―「拷問、虐待」「国際法違反」特別報告者ら入管を批判」と題した志葉玲さんの記事がありました。
 これによると国連人権理事会等から批判が多々寄せられ、国際人権規約等に反するとの指摘も出ています。
 コチラ
の記事でも書いたように日本も1981年に難民条約に加入しました。しかし今そのことを知っている日本人はどれほどいるでしょうか? 現在日本の難民認定率は2.0%。他の国々と比べると誇張ではなく「極端な低さ」です。2023年は13,823人が難民申請を行い、過去最多の303人が認定されましたが不認定は7,627人と依然として非常に少ない認定数といえます。
 参考として米欧4ヵ国のデータを掲げておきます。日本の数値と比べてみて下さい。

 国名   2021年認定数 2021年申請数
アメリカ       20,590人      210,488人
イギリス       13,703人       60,950人
ドイツ        38,918人          253,688人
フランス     32,571人         171,323人

 このような難民条約加入の事実も無視してきた結果多くのわれら日本国民はその事実も知らず井の中に居ることさえ知らない蛙のようになってしまっているようです。
 おりしも今晩(2024年6月8日)の午後11時からNHK Eテレで特集番組として「改正入管法施行へ」が放映されます。これは見なくちゃ・・・て、あと1時間もない? あー、あせるあせる! ま、後でNHK+で見てもいいけど・・・。

※上記以外に2018年7月に松本智津夫元死刑囚等オウム真理教関係の13人の死刑を執行しました。私ヌルボが死刑に反対であることはこれまでにもブログに書きましたが、上川法相は彼らの処刑に対して<明鏡止水>という言葉を使っているのです。「澄み切った心でことにあたるという意味がある。私も鏡を磨きながら、そこに映し出されるさまざまな事柄について澄み切った心でしっかりと向き合っていきたい」とのことですが、先進国の指標ともいうべきOECD加盟38ヵ国中唯一の死刑存置国であることはご存知なのでしょうか?
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