1つ前の記事で、徳寿宮の東側に見えるソウル市庁舎の外壁の市民掲示板(下画像)について書きました。 今回は、その製作者のイ・ジェソクさんと、彼がこれまでに手がけた広告アートを紹介します。
まずは先の記事の最後で、予告編として載せたこの画像から。
この建物は釜山地方警察庁です。そして車は拡大して見るとわかるようにパトカーです。
製作途中の短い動画があったので貼っておきます。
少なくとも外装やタイヤは実物を使っているようです。細部を見ると、車の左下方には「총알캍이 달려가겠습니다.(弾丸のように走っていきます。)」という文字。その右に小さく「犯罪の届は112、学校暴力の届は117」という電話番号が記されています。
→コチラの<eデイリー>の記事(韓国語)によると、この「空飛ぶパトカー」は2011年警察庁広報諮問委員に委嘱されたイ・ジェソクさんの<才能寄付>で2013年9月釜山市南区大淵洞の旧南部警察署に設置されました。これに続いて翌10月21日の警察の日に同市海雲台区の佐洞派出所に設けられたのが下左のインスタレーションです。
これもやはり「パチンコの弾のように直ちに出動します。」という意味。その右は同じ場所の別パターンで、人気ゲームのキヤラクター・アングリーバードの人形が載っています。3つ目のブランコも2014年3月釜山警察庁の学校暴力予防キャンペーンとして作られたもので、支柱の上のボードに描かれた女性警官の腕に懸けられた鎖が、ちょうど実際のブランコの鎖につながっているように見えます。ボードの左上には「お姉さんだけを信じて」、「学校暴力は117」と書かれています。(他に男性警官のものもある。)
警察関係では、これより先、2011年ソウルの江南警察署の外壁に横4.7m縦9mの大きなミミズクの絵が描かれました。(下画像)
夜になると、元々あった2つの窓の明かりがちょうどミミズクの輝く目になっています。そしてその左上には「安心してお休みください」「警察は24時間眠りません」という意味の2行のハングルの文に光が当てられています。
さて、この記事のタイトルについてですが、‘広告の天才’というニックネームは私ヌルボが付けたものではありません。2010年にイ・ジェソクさん自身が自分の経歴・経験や、広告哲学といったものを記した本を出したのですが、その書名が「광고천재 이제석(広告の天才イ・ジェソク)」だったのです。副題は「세계를 놀래킨 간판쟁이의 필살 아이디어(世界を驚かせた看板屋の必殺アイデア)」(右画像)。その後2014年に改訂版が刊行されました。(→innolifeの記事参照。)
ヌルボはこの本を読んだわけではありませんが、この本の内容紹介等で知り得た彼の経歴は次の通りです。
1982年大邱生まれ。医大に行った兄に押され、初等学校の時から漫画だけ描いて時間をつぶしていた。中学生の頃は授業態度不良で何度もなぐられた。高校に進学して、絵だけで4年制大学に行けると聞いて死ぬほど描いた。400点満点で100点台だった模擬試験の点数が終盤に300点をはるかに超え、地元大邱の啓明大学校視覚デザイン科に入学。4.5点満点中評価4.47で首席で卒業した。しかし大学在学中から学生広告公募に根気よく応募したが大したものでもない賞さえ受賞に到らず、卒業後も数十社に願書を出したが地方大というだけで最初から相手にされないのだ。やむなく地元の看板屋で仕事を始める。
ある日、近所のチラシ配りのおじさんにからかわれ、アメリカ留学を決心する。それまで<루저>(loser.負け組)だった彼の人生はアメリカで大逆転する。1年間米軍部隊に出入りして英語を身につけ、2006年9月にニューヨークのスクール・オブ・ビジュアルアーツに編入する。そして6ヵ月後から世界的な広告公募展でメダル狩りを開始する。最高権威のニューヨークワンショーフェスティバル最優秀賞、広告界のオスカーと呼ばれるクリオ賞銅賞、米国広告協会が授与するアディ賞金賞等々、国際広告祭で29個ものメダルを獲得し、JWT NEW YORK、BBDO等の広告代理店でアートディレクターとして働き、ヒット作を生み出した後 帰国し、2009年自らのめざす「世界を変える広告」作成のためイ・ジェソク広告研究所を設立した。
・・・彼のユニークな作品世界とともに、このような学歴社会での<負け組>からの大逆転といった経歴が相俟って韓国社会での注目度が一気に高まったのでしょうね。
なお、2013年KBS2テレビで「花を咲かせろイ・テベク」(原題=広告の天才イ・テベク)と題したドラマが放送されましたが、これはイ・ジェソクの成功記を基にした物語です。しかしこのテベクの方は大学を中退した点等々、イ・ジェソクさんとはかなり違うようです。
紹介したい彼の作品はまだまだたくさんあります。あと20くらいかな? それらは続きということにします。あ、1つだけ予告編ということで載せておきます。
→ ‘広告の天才’イ・ジェソクの奇抜な広告アートの数々 [その2]
まずは先の記事の最後で、予告編として載せたこの画像から。
この建物は釜山地方警察庁です。そして車は拡大して見るとわかるようにパトカーです。
製作途中の短い動画があったので貼っておきます。
少なくとも外装やタイヤは実物を使っているようです。細部を見ると、車の左下方には「총알캍이 달려가겠습니다.(弾丸のように走っていきます。)」という文字。その右に小さく「犯罪の届は112、学校暴力の届は117」という電話番号が記されています。
→コチラの<eデイリー>の記事(韓国語)によると、この「空飛ぶパトカー」は2011年警察庁広報諮問委員に委嘱されたイ・ジェソクさんの<才能寄付>で2013年9月釜山市南区大淵洞の旧南部警察署に設置されました。これに続いて翌10月21日の警察の日に同市海雲台区の佐洞派出所に設けられたのが下左のインスタレーションです。
警察関係では、これより先、2011年ソウルの江南警察署の外壁に横4.7m縦9mの大きなミミズクの絵が描かれました。(下画像)
ヌルボはこの本を読んだわけではありませんが、この本の内容紹介等で知り得た彼の経歴は次の通りです。
1982年大邱生まれ。医大に行った兄に押され、初等学校の時から漫画だけ描いて時間をつぶしていた。中学生の頃は授業態度不良で何度もなぐられた。高校に進学して、絵だけで4年制大学に行けると聞いて死ぬほど描いた。400点満点で100点台だった模擬試験の点数が終盤に300点をはるかに超え、地元大邱の啓明大学校視覚デザイン科に入学。4.5点満点中評価4.47で首席で卒業した。しかし大学在学中から学生広告公募に根気よく応募したが大したものでもない賞さえ受賞に到らず、卒業後も数十社に願書を出したが地方大というだけで最初から相手にされないのだ。やむなく地元の看板屋で仕事を始める。
ある日、近所のチラシ配りのおじさんにからかわれ、アメリカ留学を決心する。それまで<루저>(loser.負け組)だった彼の人生はアメリカで大逆転する。1年間米軍部隊に出入りして英語を身につけ、2006年9月にニューヨークのスクール・オブ・ビジュアルアーツに編入する。そして6ヵ月後から世界的な広告公募展でメダル狩りを開始する。最高権威のニューヨークワンショーフェスティバル最優秀賞、広告界のオスカーと呼ばれるクリオ賞銅賞、米国広告協会が授与するアディ賞金賞等々、国際広告祭で29個ものメダルを獲得し、JWT NEW YORK、BBDO等の広告代理店でアートディレクターとして働き、ヒット作を生み出した後 帰国し、2009年自らのめざす「世界を変える広告」作成のためイ・ジェソク広告研究所を設立した。
・・・彼のユニークな作品世界とともに、このような学歴社会での<負け組>からの大逆転といった経歴が相俟って韓国社会での注目度が一気に高まったのでしょうね。
なお、2013年KBS2テレビで「花を咲かせろイ・テベク」(原題=広告の天才イ・テベク)と題したドラマが放送されましたが、これはイ・ジェソクの成功記を基にした物語です。しかしこのテベクの方は大学を中退した点等々、イ・ジェソクさんとはかなり違うようです。
紹介したい彼の作品はまだまだたくさんあります。あと20くらいかな? それらは続きということにします。あ、1つだけ予告編ということで載せておきます。
→ ‘広告の天才’イ・ジェソクの奇抜な広告アートの数々 [その2]