ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

「ホサダマという言葉があるが、よいことが続くと・・・」

2010-04-29 23:52:28 | 韓国語あれこれ
 ドラマ「英雄時代」第14話で、順調にいっていたテサンの自動車整備工場が火事で焼けたことを知ったグク・テホがつぶやきます。
 (字幕) 「好事魔多しというが・・・・。」
 DVDを少し戻して聞きなおすと「호사다마라고 하는데・・・(ホサダマラゴ ハヌンデ・・・)」

 <好事多魔>をそのまま音読みにして<호사다마(ホサタマ)>なんですねー。
 電子辞書にもちゃんとありました。

 四字熟語の大部分は日韓共通で、音も似通っているから、文字通り<大同小異(대동소이.テドンソイ)>というわけです。
 あとは<他山之石(타산지석.タサンジソク)>とか<先見之明(선견지명.ソンギョンジミョン)>のように<の(之)>は<지(ジ)>と読むということを知っていれば大方は聞き方OKでしょう。
 ・・・・と高をくくっていると、このドラマ中にしばしば出てくる昔からの朝鮮の漢文音読文化の面妖さにうろたえてしまうことになります。

 とくにこの<好事多魔>の場合、カタカナだと4字だけだからわかりにくいのかも・・・。

 ・・・と考えて、他のカタカナ4字の四字熟語を拾ってクイズにしてみました。

①エメモホ
②オブジリ
③ミサヨグ
④プジギス

正解は次の通り。範囲指定すると字が現れます。
曖昧模糊(애매모호)
漁夫の利(어부지리)
美辞麗句(미시여구)
不知基数(부지기수)  ※非常に多いこと。

 やっぱり、ホサダマがダントツでむずかしい感じ。
 韓国の人はすぐわかるのかなー?
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イザベラ・バード「朝鮮紀行」を読む (予告編)

2010-04-28 23:40:43 | 韓国・朝鮮に関係のある本
 私ヌルボの住まいに堆積している書籍中、分類すると圧倒的に多いのが未読本です。
 イザベラ・バード「朝鮮紀行」(講談社学術文庫)もその中に埋もれていましたが、お酒の好きな韓国オタクのTヒョン(兄貴)の「全部読んだよ」という言葉に触発されて、がんばって読破してしまいましたがな。

 「すごい」という言葉を濫発するのはボキャ貧の証左ということは承知してますが、それでもこの本はそれ以外の言葉は見当たりません。いやー、ホントにすごい本です。

 いや、正確にいえばイザベラ・バードという人がすごいんですね。

 最初、ヌルボとしましては、この本を読んで①おどろいたこと ②ナットクしたこと ③まなんだこと をそれぞれ5つずつくらい具体的にあげていこうと思ったのですが、それだけでもかなり長い記事になりそうなので、(得意の)「またいずれ」何回かに分けて書くことにして、今回は「イザベラ・バードがどう<すごい>か?」について記して、今後の予告編ということにします。

【イザベラ・バードがどう<すごい>か?】

①すごい行動力!
 現代と比べると格段に交通が不便な時代に、交通不便な日本や朝鮮に長期間・長距離の旅行をしているだけでもすごい。
 彼女が日本の東北を旅行した時に訪れた現・山形県南陽市「イザベラ・バード記念コーナー」があるそうですが、その関係で南陽市のサイト中に彼女の略年譜が載っているので、まあ見てみてください。
 1878年日本を訪れた彼女が、東北地方を旅して「日本奥地紀行」をものしただけでもたいしたものですが、それまでにもアメリカ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・ハワイを周っているんですねー。
 さらに日本のあとは香港→マレー→カイロ。さらに今の国名・地名で言えばパキスタン・インド・チベット・イラク・イラン・・・。
 そして1894年にカナダ経由で横浜→神戸を経て初めて朝鮮の地を踏んだのがなんと62歳の時ですよ。
 うーむ、ぬんという女性でしょうねー!?
 今のように便利な旅行用品がいろいろあるわけでもなく、カメラと現像道具だけでもかさばったでしょうし・・・。

 小船で旅する時、彼女は・・・
 植物の採集と乾燥もしたし、写真を撮り、苦心してネガを現像したりものした。毛布と防水布をありったけ集めて舟のなかに「暗室」をつくるのである。こういったことがわたしの仕事であり、毎日が忙しくておもしろかった。

 ・・・「毎日が忙しくておもしろかった」とはねー・・・。
 また彼女が朝鮮で踏破した所は「道なき道」もありドロドロのぬかるみもあり、金剛山のような山にも登ったり急流の深い瀬を渡ったりもしています。

②すごい観察力!
 「朝鮮旅行記」に記されている動植物の種類はハンパじゃないです。
 たとえば南漢江を舟で行き、丹陽からさらにさかのぼった辺りで確認した植物。

 大きく枝分かれしたウコギ、2種類のニシキギ、クルミとクワに寄生したヤドリギ、ハゼノキ、ウルシ、松、モミ、マタタビ、グミ、群生したヨーロッパ栗、ハンノキ、カバノキ、カエデ、ニレ、ライム、そしてよく見かける木でケヤキの一種ではないかと思えるものがある。(以下、花についても20種類ほど列挙しています。)

 現代の日本人で、こんなに動植物の名前を知っている人はまれでしょう。
 また具体的な数字もいろいろ記録しています。

 荷役に使われる馬は・・・体高は10ハンドから12ハンド、・・・160ポンドから200ポンドの荷物を一日に30マイル運び、粗末なえさで何週間も働く。

 もちろん、彼女の観察力は動植物についてだけではなく、田畑や家、商店や商品、人の衣服や髪型等々、見たものすべてに及んでいます。

③すごい取材力
 つまるところは旺盛な知的好奇心のなせるわざ、なんですかねー? 「朝鮮旅行記」には、いろいろ書物等で調べたり、直接現地の住民に聞かなければわからないことが満載されています。

 松都(開城)について書かれた部分を例にとると、

 朝鮮人商人はいまや14軒ある日本の焦点と競合し、40人いる日本人居住者の存在に耐えねばならないのである。
 ・・・わたしが済物浦から乗った汽船には14万ドルに相当する朝鮮人参の委託貨物があった。
 ・・・時勢の朝鮮人参のなかには1本40ポンド(!)するものもある。自生のものはおもに彊界山中で採れる。・・・一般の人々は朝鮮人参には魔力があり、純粋無垢な者にしか見つからないと信じている。


 その他にも、<すごい>例をあげればキリがありません。
 そんなすごい女性が、東学党の乱、日清戦争、日本主導の近代的改革(甲午改革)、閔妃虐殺事件とそれに続いて高宗がロシア公使館に遷った俄館播遷(がかんはせん.露館播遷とも)という、まさに朝鮮の歴史的に重大な時期に現地を訪れているのですから、その意味でも非常に貴重な記録といえます。
 とくに私ヌルボが本書を読むまで知らなかったのですが、イザベラ・バードは閔妃に直接会って話をしているんですね。
 閔妃が虐殺される8ヵ月前のことです。会見の際の閔妃の言葉がまた印象的なのですが、予告編にしてはもう長々と書きすぎたので、いずれ本編で、ということにします。

      
   【韓国の人たちに、とくに読んでほしい本です。

 → イザベラ・バード「朝鮮紀行」を読む (予告編)
 → イザベラ・バード「朝鮮紀行」を読む(1) 虐殺される8ヵ月前の閔妃と会見。
 → イザベラ・バード「朝鮮紀行」を読む(2) 朝鮮半島のトラ
 → イザベラ・バード「朝鮮紀行」を読む(3) この本は韓国で・・・
 → イザベラ・バード「朝鮮紀行」を読む(4) 断髪令が命取りとなった開化派政権
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国内の映画 Daumの人気順位 と 週末の興行成績[4月23日(金)~25日(日)]

2010-04-27 23:51:59 | 韓国内の映画の人気ランク&興行成績
 「クロッシング」をはじめとして「ジョニー・マッド・ドッグ」「第9地区」「プレシャス」「オーケストラ!」「おとうと」「17歳の肖像」「密約」「涼宮ハルヒの消失」等々、観る予定の映画は溜まる一方。
 ところが今月11日以降16日間映画観てなくて、「これはいかん」と(何がいかんか自分でもよくわかりませんが)敢えて雨が降る寒い今晩「フローズン・リバー」を観にいってきましたよ。タイトルも寒いし、映画の舞台も米国・カナダ国境辺りの雪と氷に覆われた零下20度の世界。物語がまた生きんがためヤバい仕事に手を染めたりと、これでもう寒いの4乗? さてこんな日に、私ヌルボ以外に観客がいるかなと周りを見ると、それでも5人いましたよ。この映画のラスト同様、零下20度の世界に少しだけ明かりがさして零下5度くらいになると、それでも温かさが感じられるものなんですねー・・・。

   ★★★ Daumの人気順位(4月27日現在上映中映画) ★★★

【ネチズンによる順位】

①しあわせの隠れ場所  9.4(384)
②Desert Flower  9.4(28)
③境界都市2(韓国)  9.3(63)
④義兄弟(韓国)  9.2(1942)
⑤ハーモニー(韓国)  9.2(1403)
⑥アバター  9.1(4835)
⑦実家の母(韓国)  9.1(181)
⑧信念の勝負  9.0(22)
⑨ミルク  9.0(58)
⑩小さな池(韓国)  9.0(183)

 ②・⑦・⑧が新登場です。
 ②は、故国ソマリアから逃れ、世界的なスーパーモデルとなったワリス・ディリーの自伝「砂漠の女ディリー」をもとにした映画。日本公開の情報は見当たらず。映画については、→このブログ参照。
 ⑦については後述。
 ⑧の韓国題は「믿음의 승부」で、原題は「Facing the Giants」。万年黒星の高校生フットボールチームが、さまざまな挫折を通り抜けながら、「試合に勝っても負けても神様の栄光を表そう!」という信念によって成長し、強くなって行くという、実にストレートなクリスチャン・ムービー、ということです。
 「大いなる静寂」といい「回復」といい、キリスト教映画の公開作品数とその観客動員数については、日韓の間に非常に大きな差異があるようです。

【専門家による順位】

①アバター  9.3(8)
②預言者(A Prophet)   8.3(9)
③境界都市2(韓国)  8.2(8)
④ハート・ロッカー  8.1(9)
⑤パリ20区、僕たちのクラス  8.0(6)
⑥シリアス・マン  8.0(6)
⑦マイレージ、マイライフ  7.7 (4)
⑧ミルク  7.5(4)
⑨愛のうた、パリ  7.5 (2)
⑨大いなる静寂(スイス・独・仏)  7.5 (2)

 日本でも公開中のアカデミー賞作④だけが新たにランク・イン。あいかわらず変化に乏しいです。

   ★★★ 韓国内の映画 週末の興行成績[4月23日(金)~25日(日)] ★★★
          「ベストセラー」がトップに 久々の韓国映画 

順位・・・・題名・・・・・・・・・・・・・封切り日・・・週末観客動員数累計・・・・観客動員数・・・・上映館数

1・・ベストセラー(韓) ・・・・・・・・・04/15・・・・・・・・216,884・・・・・・・・・・・・・・・・560,967・・・・・・・336
2・・タイタンの戦い・・・・・・・・・・・04/01・・・・・・・・154,472・・・・・・・・・・・・・・2,564,783・・・・・・・427
3・・実家の母(韓)・・・・・・・・・・・・04/22・・・・・・・・109,621・・・・・・・・・・・・・・・・140,978・・・・・・・315
4・・キックアス・英雄の誕生・・・04/22・・・・・・・・・88,275・・・・・・・・・・・・・・・・102,174・・・・・・・251
5・・ハート・ロッカー ・・・・・・・・・・04/22・・・・・・・・・87,448・・・・・・・・・・・・・・・・102,682・・・・・・・195
6・・ありがたい殺人者(韓) ・・・・04/08・・・・・・・・・79,995・・・・・・・・・・・・・・・・542,349・・・・・・・267
7・・しあわせの隠れ場所・・・・・・04/15・・・・・・・・・73,148・・・・・・・・・・・・・・・・200,079・・・・・・・148
8・・ザ・ウォーカー ・・・・・・・・・・・・04/15・・・・・・・・・44,627・・・・・・・・・・・・・・・・199,397・・・・・・・278
9・・スパイアニマル・Gフォース・・04/22・・・・・・・・・19,697・・・・・・・・・・・・・・・・・20,810・・・・・・・・85
10・・六連発銃強盗団(韓)・・・・・・03/18・・・・・・・・・19,203・・・・・・・・・・・・・・1,198,807・・・・・・・149

 韓国映画の1位は9週ぶり。数字自体はそんなすごいというものでもありませんが・・・。
 新登場は3・4・5・9位の4作品。
 3位、原題は「친정엄마」。친정は漢字で親庭=実家です。娘のためならたとえ火の中、水の中という母と新米ママになった娘が、34年間延ばしてきた生まれて初めての2泊3日のデートを楽しむという内容。昨年の一連の<オンマ・ブーム>の中で注目された演劇「実家の母と2泊3日」が原作。
 4位、アクション・スーパーヒーロー・コメディ。お子様向け、のようです。日本公開未定。
 9位、モルモット部隊が活躍するディズニー映画。日本では3月公開で、まだやってます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝鮮から引き揚げた一女性からの聞き書き

2010-04-26 21:41:25 | 韓国・朝鮮と日本の間のいろいろ
 前の記事に記した朝鮮戦争の写真展の展示室で、係の人に話しかけている年配の女性が目にとまりました。
 「私、朝鮮から引き揚げてきたので・・・」という声が耳に入ってきます。係の人がどう対応したかわかりませんが、その女性がその場を離れて写真を見始めた頃合いをみて、私ヌルボ、話しかけてみました。
 
 「どちらにお住まいだったんですか?」
と尋ねると、
 「<たいでん><じんせん>に・・・」
とのお答え。
 一瞬頭の中に「?」がよぎりましたが、
 「大田(おおた)と書く、<たいでん>ですね? 今テジョンって言ってる・・・」
と何とか思いつきました。

 続けて話をうかがうと、お父さんは朝鮮総督府に勤めていたとのこと。
 「当時のことだから、おおっぴらには口にできないけど、父は家では「朝鮮人がかわいそうだ」とよく言ってましたよ。で、私も今でも他人事のようには思えなくて・・・。」
と、この写真展も見にきたと語られる。

 お父さんは朝鮮総督府で朝鮮人の徴用(徴兵?)などの仕事をされていたらしい。
 ところが戦争末期「多くの朝鮮人を戦地に送り込んだ自分が行かないわけにはいかない」と自ら志願して兵となり、その後あのレイテ戦で戦死。

 総督府の日本人の中にも、こんな誠実な方もいらっしゃったんですね。
 娘のIさんは終戦当時9歳。朝鮮人に襲われて壊された日本人の家も多かったけど、「私たちの家は朝鮮の人たちが守ってくれて助かった」そうです。

 朝鮮からの引き揚げは終戦の翌月の9月。事前に釜山まで送った家財は「日本人の物」ということで焼かれてしまい、ほとんど着の身着のままで日本に渡ります。

 Iさんの記憶では、「小さな船」だったそうです。港を発つ時5隻だった船が、唐津の港についた時には2隻。つまり3隻は知らぬ間に「消えていた」とか・・・。浮遊機雷に触れて沈んだのか・・・。

 たまたま、私ヌルボが読んでいる途中の古書「秘録 大東亜戦史」(冨士書苑.1953)には、8月15日の敗戦、韓国でいう光復前後のさまざまを記した手記が収録されています。

 大多数の日本人を支配していたのは、ただ「日本へ帰ろう」という気持ちだった。

 「××行」の旗を立てた機帆船が動いていた。日本に帰る人は、その船に勝手にのってゆけばよかった。税関、荷物の検査も何もなかった。荷物ものせられる、早ければ十二時間、おそくとも一昼夜で着くというので、みな争って乗った。しかしその間、暴風雨その他機雷、海賊船などで犠牲も相当でた。
 米軍が計画輸送を実施した十月十六日からこの機帆船は禁止された。

 唐津市に上陸したものは、全南、全北、慶南のものを合せて四万名におよんだという。


 当時、機雷の危険性が高かったため下関港へは入港できず、朝鮮からの船は博多や唐津、山口県の仙崎港に入港したようです。
 しかし、帰国する途中で沈んだ船や犠牲となった人たちの記録はどれくらいちゃんと残っているのでしょうか? ネット検索してもよくわかりません。まさか、「しかしその間、暴風雨その他機雷、海賊船などで犠牲も相当でた」という記述だけで済まされているわけはないと思いますが・・・。西新宿の平和祈念展示資料館あたりに資料があるかも・・・。

 今年75歳というIさん。2004年に、戦後初めて韓国に行ったとか・・・。「すべてがすっかり変わって・・・」。

 若い人たちに昔の話をするようなこともほとんどなく、また話を聞こうという人もいないようです。私ヌルボ、もっと詳しく聞きたいこともあったのですが、閉館時間まで1時間もなく、そのままお別れしました。

        
 【「秘録 大東亜戦史 朝鮮篇」。貴重な手記が収められています。】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝鮮戦争の写真展からわかったこと at日本新聞博物館

2010-04-24 23:54:57 | 韓国・朝鮮関係の知識教養(歴史・地理・社会等)
 4月17日(土)から横浜の日本新聞博物館で、「朝鮮戦争から60年 戦場の記録」と題した企画展をやっています。(6月27日(日)まで)

 すでにブログのネタは飽和状態だというのに、私ヌルボと同類の韓国オタク、お酒の好きなTヒョン(兄貴)からこの企画展をやっていることを聞いて、今日関内まで見に行ってきました。

 アメリカ紙「ニューヨーク・デイリーニューズ」から共同通信社が入手した満洲事変(1931)~朝鮮戦争(1950~53)の戦争報道写真約2万9千点を寄託され、そのうち朝鮮戦争関係が約3600点。その中から202点を厳選して展示しているものです。

 1950年6月25日の北朝鮮軍の総進攻から53年7月27日の休戦協定締結まで、時系列にしたがって展示されています。
 それぞれの写真説明は詳しいものではありませんが、何よりも写真自体が多くのことを物語っていて、メモを取りつつ見ていったら、結局2時間近くかかってしまいました。

 以下、とくに気づいた点を列挙します。

戦争中の実にさまざまな場面・風景を写している。米軍兵士だけでなく、韓国兵やトルコ兵、北朝鮮や中国の兵士(捕虜)、韓国の人々等々の人間、戦地の風景、飛行機から撮った、空襲で破壊された都市や工場や鉄道等々。
 太平洋戦争当時の写真も同様ですが、従軍カメラマンの活躍と、彼らの役割をアメリカ政府や軍当局が重視していたかがうかがわれます。

開戦を伝える新聞も展示されています。
6月25日「毎日新聞」は号外で「戰爭狀態を布告」「北鮮共和国、韓国へ」と報じています。(「2時20分」とのメモあり。) 翌26日の「讀賣新聞」は「北鮮軍の主力南下」という見出しで1面のトップ記事にしています。
当時の新聞は<北朝鮮>でなく<北鮮>だったのですね。しかし、1行15字詰の小さい字を昔の日本人は読んでたんですねー。あ、昔の私ヌルボもふつうに読んでたんだー・・・。

戦火を逃れて南への道をたどる住民。はだしの人もけっこういます。荷車に家財道具を乗せて牛の引かせている人、牛の背にたくさんの荷物を乗せ、自分も乗っている人もいます。
女性は皆チマ・チョゴリで、頭に荷物を載せた人が目につきます。洗面器を手で支えないで載せている女性も写っています。
 いつ頃までなんだろう? 昨年12月にソウルに行った時、めずらしく頭に物を載っけたおばさん(おばあさんではない)を見かけましたが、カメラを取り出してる間に見失ってしまいました。

大田駅前でアメリカの歩兵部隊を迎える多くの市民の写真。背景の商店の看板は「平和館」「共成堂製菓所」のように左→右書きもあれば「里千三」のように右→左書きもあります。漢字使用が普通だったようで、つけたし的に「담배」(タバコ)とか「공급과자」(高級菓子)のようなハングルが書かれています。

1950年9月、仁川上陸作戦で捕虜となった北朝鮮軍の捕虜は丸裸にされたんですね。武器隠匿を警戒してとのことです。また同月、ソウル郊外で女性捕虜1号となった19歳と16歳の従軍看護婦の写真もありました。存命であれば今70代後半ですか・・・。

1950年12月、北朝鮮の興南の国連軍墓地で葬送ラッパを吹く海兵隊兵士。数十(?)の十字架が並んでいますが、今どうなってるんでしょうね?

⑦北朝鮮深く進攻した米軍が、中国人民義勇軍の参戦により後退する際、大同江の橋を破壊しましたが、その橋の骨組みにしがみついて、まさにアリの群れのように逃れようとする平壌市民。その写真は1951年のピュリツァー賞を受賞したそうです。
 戦線が南に北に移動する度に、多くの住民も各地を移動し、やはり米軍の爆撃で橋が破壊されたソウルの漢江のような川を越えるのは大変だったようです。漢江で、幅の狭い歩道橋を多くの人が渡っている写真もあります。(歩道橋といっても道路をまたぐ歩道橋じゃなくて・・・)

1950年11月、「敵と内通した韓国人」ということで609人が死刑に。その10冊の場面の写真もあります。

済州島に小舟で渡った避難民も7万人に上ったそうです。孤児1000人も・・・。
 全体的に、子どもの写真が目につきます。

1951年3月、旧朝鮮総督府が、焼けて骨組みがあらわになってしまっている写真があります。私ヌルボ、初めて見ました。

1952年9月、説明文によると「在韓国連軍後方には4万人のゲリラが活動」とあり、さらに「韓国警察は13ヵ月間に1万3千人射殺」とあります。同じ民族同士。戦争がなければ殺し殺されずにすんだのに・・・。

遺棄死体数百といひ数千といふ いのちをふたつもちしものなし 土岐善麿(1940)」
 多くの死体が並んだ写真を見ると、この短歌が思い出されます。
 咸興の洞穴から発見されたという数十(?)の虐殺死体の写真。20日の記事で紹介した<老斤里事件>の他にも、無辜の住民が殺された事例はいろいろありそうです。

厳しい状況の中でも韓国女性のたくましさを感じさせるのが、戦時のソウルの路上でお好み焼きを売る女性や、米兵向けに立ち木や井戸を利用して洗濯屋を開いている女性。たいしたものです。

巨済島の捕虜収容所。捕虜たちは命令を無視して毛沢東・スターリン・金日成の肖像画を掲げたりしています。
 かつて虐げられた人々の希望の星だった3巨人。今明らかになっていることを思うと、私ヌルボ、暗澹たる思いにとらわれてしまいます。(とくに金日成の野望と決断のためにどれだけの人々が命を失い、不幸な目にあったことか・・・。)

1954年1月20日、板門店で、中華民国の青天白日旗と蒋介石・孫文の肖像画を掲げ、中華人民共和国への送還を拒否する中国軍捕虜たち・・・。一方で北朝鮮に囚われた米軍捕虜21人は報道陣に対して「送還拒否」の意向表明。「THEY CHOSE THE COMUNIST SIDE(彼らは共産主義者の側を選んだ)」。

[付記]
 この企画展の感想ノートが置いてあって、チラと見てみると次のような記述が・・・。

 「今なぜこの写真展か。」
 「同感。朝鮮戦争がはじまったのを日本のせいにしたいようである。」
 「国連軍が<介入> 中国人民義勇軍が<参戦> この違いは何か?」

 朝鮮の南北分断についての日本の責任論にも首をかしげてしまいますが、朝鮮戦争についての責任はそれよりさらにありえないでしょう。「同感」と書いた方は思い込みが過ぎるのでは?
 最後の指摘はごもっとも、かも・・・。
 上記<北朝鮮軍の総進攻>の用字は展示の文言そのままですが、<侵攻>の方が妥当ですかね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

景勝地・三千浦と「三千浦にそれる」の意味

2010-04-22 16:11:33 | 韓国語あれこれ
 <ドラマ「英雄時代」を読み解く>の続きの大ネタに取りかかるか、と思っていた矢先、今日発売の「週刊文春」(4月29日号)を開くと、<有名人オススメ 「ちょっとだけゼイタクなGW」一挙公開!>という記事が目に飛び込んできました。

 冒頭に韓国旅行について記されていて、黒田福美さんが三千浦、西木正明氏(作家)がアリランで有名な地方都市・密陽、柴口育子さん(筆達者なライター)が伝統家屋の旅館・楽古斎を薦めています。その他、最近話題のブルートレイン「ヘラン号」ツアー、韓牛焼肉のコリアハウス、宮廷料理の人気店・宮宴もあげられています。

 それぞれについてコメントしたいところですが、ここはグッと抑えて、三千浦についてだけ一言。

 この記事では、「釜山からバスで二時間の三千浦の美しい海岸線に魅かれている」という文に続けて、
 「絶景には息を呑みます。昔ながらの魚市場の活気も楽しめる。歴史的には日本と関連の深い場所で、文禄・慶長の役で激戦地になり、植民地時代には日本軍の基地もありました」
 ・・・と黒田さんの言葉を紹介しています。

 私ヌルボがこの三千浦という地名を初めて知ったのはガイドブック等ではなく、次のような表現を何かで読んだからです。

 「이야기가 삼천포로 빠지다. (イヤギガ サムチョンポロ パジダ)」

 直訳すると「話が三千浦へ外れる。」
 辞書を引かなくても、前後の文脈から「話が脇にそれる」という意味だろうと見当はつきます。

 例のごとく、グーグルにハングル入力して韓国サイトを探ると、はたしてその通り。
 また、韓国人の中にもこの表現の由来を知りたい人がいると見えて、Q&Aサイトに質問と、ていねいな回答がありました。以下はその訳です。

Q.三千浦にそれる」という言葉はよく使いますが、いつから、どうしてそのように使用されるようになったのですか?

A.由来は3説あります。
 最初は、昔ある商人が晋州へ行こうとして道を間違えて、商売にならない三千浦に行ってしまい困ってしまった話からきた、という説。
 二つ目は、鎮海に海軍基地ができてから、海軍により使われた言葉、という説。鎮海からソウルに休暇で行って、隊に帰る途中に三浪津(サムニャンジン)から鎮海に行く汽車に乗り換えないで、間違って三千浦に行く汽車に乗り換えたため帰隊時間を守れず、怒られた兵士たちによって生み出された言葉というわけです。
 三つ目の説も汽車がらみ。釜山を出発して晋州に行く汽車には三千浦に行く乗客と晋州に行く乗客が一緒に乗る。汽車が開陽(ケヤン)駅に着いたら、晋州行きと三千浦行きの客車に分離して運航する。この時必ず放送を通して乗客は各々何号車に移るようにと知らせてくれる。しかし、晋州へ行く人が酒を飲んで眠り込んでいたりして三千浦に行ってしまう場合もあるということから生まれた言葉である、というものです。


 地図でその辺りの鉄道路線を見ると、なるほどとうなずけます。

 三千浦は風光明媚なところのようだし、いつか釜山方面に行く機会があれば、文字通りちょっと立ち寄ってみるかなと思っていたら、さすがに韓国渡航回数100回以上という黒田さんはちゃんと行ってたわけですねー。

 しかし、この週刊誌の記事の他のオススメというところを見てみると、な~にが「ちょっとだけゼイタクなGW」なもんか、ハワイの1泊5万円のホテルとか都内の高級レストランの数々とか、「十分すぎるほどゼイタクなGW」で、けっこうなことでございます、はいはい。

※三千浦は現在泗川(サチョン.사천)市の一部になっています。市の文化観光サイトに、いろんな情報や写真が載っています。 →日本語版  →韓国語版
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[韓国オタクのための連休プラン] えっっ、佐賀県!?

2010-04-21 18:11:43 | 韓国・朝鮮と日本の間のいろいろ
ゴールデンウィークが近づいてきました。
 幸いにして暦通りに休みがとれる私ヌルボとしましては、家でグータラしてるよりも、残り少ない人生(ってほど年寄りでもないが)、どこか旅にでも出かけるか、と思案中です。

 旅のコンセプトは、もちろん韓国オタクらしい自己研修ですねー。

 で、近場であれば、たとえば埼玉の高麗神社方面。現在は日高市になってるんですね。

 あるいは箱根。報道によると、最近韓国人や中国人の観光客がずいぶん増えているようですよ。知り合いが1人でも安く泊まれる箱根のさるホテルに行ったところ、韓国人と中国人の泊り客が多くて驚いたと言ってました。
 つまり、そこに韓国語会話武者修行の旅に出るというのも一案かも、ということです。

 しかーし。せっかくの大型連休だし、もっと足をのばして・・・、といっても黄金週間中の航空運賃の高さを考えると韓国行きもあほらしいし、今からでは遅すぎるし・・・、で、国内で首都圏から離れて、しかも韓国についてのベンキョーにもなりそうだ、ということで私ヌルボが熟慮に浅慮を重ねて考えだしたプランが、ヂヤ~ン! と効果音を1発入れて発表すると、それは
佐賀県ですっ!!

 いかがでせうか?
 佐賀県というと、鹿児島や福岡はもちろん、長崎と比べても、あるいは別府温泉のある大分、阿蘇や熊本城のある熊本と比べても、はては(失礼っ! 宮崎の皆さん)そのまんま知事誕生以後は宮崎の後塵まで拝して、九州の中でいちばん影の薄い県、というイメージになっているのではないでしょうか? 少なくとも、以前のヌルボはそうでした。何年か前、佐賀県出身のはなわというお笑いのヒトが佐賀のことを自嘲的に歌っているのを聞いて、「あー、やっぱりそうなのか」と同情の念を禁じ得ませんでした。

 ところがその後、少しずつ朝鮮・韓国ゆかりの地についての知識が増えるにつれ、私ヌルボ脳内の佐賀県の評価は上昇の一途で、今やトップクラスまで上りつめたといっていいでしょう。
 たとえば、少し考えれば佐賀県内の有名な観光地や名産で、朝鮮・韓国と関係するものは実に多いことに誰しも気づくはずです。

①名護屋城跡は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の時の根拠地。

②有田焼 と、③唐津焼 は、文禄・慶長の役の後渡来した朝鮮陶工によって窯が開かれました。

④吉野ヶ里遺跡からは、朝鮮半島風の土器が出土しています。
 マイナーなとこでは、4月2日の記事でも紹介した⑤「にあんちゃん」の舞台は今はない杵島炭坑大鶴鉱業所で、これも佐賀県東松浦郡肥前町です。

 それから、⑥佐賀県の県鳥はカササギなんですね。別名カチガラス。カチは韓国語の까치(カチ)そのまんま。韓国でふつうによく見かける、韓国リピーターにはおなじみの鳥ですね。
 あの鳥が佐賀県を中心に九州方面にいて、ウィキペディアによると1965年県民の公募で佐賀の県鳥に指定された、とあります。写真を見ると、電柱の上に巣を作ったりしてるんですねー。

     
      【カササギ(カチガラス)。ソウル・景福宮の敷地内で撮影。

 さらに続くマイナーなネタ。先日横浜の掃部山(かもんやま)公園での花見の席で初対面の佐賀県出身の方と話をしたのですが、その中で出たのが東京駅等を設計した明治~大正の大建築家の話。
 辰野金吾ですね?」と言うと、大変喜ばれました。ヌルボは出身までは知らなかったのですが、唐津の生まれだそうです。明治維新期に工部大学校(後の東大工学部)を優秀な成績で出て、東京駅の他、日銀本店、大阪市中央公会堂等々の優れた建築物を世に残した人物で、高校日本史の教科書にも名前が載っているはずです。
 辰野金吾がなんで朝鮮・韓国と関係があるのかというと、植民地時代に特殊銀行として朝鮮銀行券を発行していた朝鮮銀行も彼が設計しているというわけです。この建物は戦後も韓国銀行として長く用いられ、2001年からは韓国銀行貨幤金融博物館となっています。

     
      【旧・朝鮮銀行(現・韓国銀行貨幤金融博物館

 ・・・と、ことほどさように佐賀県は朝鮮・韓国関係に縁のある場所・モノ・人がいろいろそろっています。効率よく周るにはどこに泊ってどういうルートをたどればいいかなあ、とか「ぶるるナントカ」を眺めながら考えていますが、考えるだけで楽しんじゃって結局行かなかったという前例は過去何度もあったので今回もどうなるやら・・・。

※つけたし
 直接関係ないけど、ソフトバンクの孫正義社長は佐賀県出身の在日3世。今は日本国籍。
 直接関係ないけど、俳優三國連太郎は1943年、徴兵を逃れようと唐津市呼子の港から朝鮮に渡ろうとしたが、手紙を受け取った母親の手配で直前に官憲に捕まった。ウィキ中の「来歴・人物」はオモシロイです。誰が書いたんだか・・・。

[関係記事]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国内の映画 Daumの人気順位 と 週末の興行成績[4月16日(金)~18日(日)]

2010-04-20 23:09:06 | 韓国内の映画の人気ランク&興行成績
 私ヌルボ、先週は全然映画は観てません。寒いと眠気が襲ってきて、映画館に行っても眠り込んでしまいそうな気がして・・・。冬眠するクマさんとかの気持ちが少しわかるような気がします。コチコチになって冬眠するカエルさんの気持ちまではわかりませんが・・・。

   ★★★ 韓国内の映画 Daumの人気順位[4月20日現在上映中映画] ★★★

【ネチズンによる順位】

①しあわせの隠れ場所  9.4(249)
②境界都市2(韓国)  9.3(59)
③義兄弟(韓国)  9.2(1932)
④小さな池(韓国)  9.2(143)
⑤ハーモニー(韓国)  9.2(1391)
⑥アバター  9.1(4799)
⑦ONE PIECE -FILM-  9.1(154)
    STRONG WORLD(日本)
⑧ミルク  9.0(56)
⑨インビクタス/負けざる者たち  9.0(119)
⑩回復  (韓国)  8.9(104)

 少し変動があって、①と④が新登場。
 ①は韓国題「ブラインド・サイド」。NFL(アメフト)で活躍するマイケル・オアー選手の実話を元にしたドラマ。日本では2月公開で、まだやっていますね。
 ④については後述。

【専門家による順位】

①アバター  9.3(8)
②預言者(A Prophet)   8.3(9)
③境界都市2(韓国)  8.2(8)
④シリアス・マン  8.0(6)
④パリ20区、僕たちのクラス  8.0(6)
⑥(500日)のサマー  7.7 (7)
⑦マイレージ、マイライフ  7.7 (4)
⑧ミルク  7.5(4)
⑨愛のうた、パリ  7.5 (2)
⑨大いなる静寂(スイス・独・仏)  7.5 (2)

 すべてが先週とまったく同じです。

   ★★★ 韓国内の映画 週末の興行成績[4月16日(金)~18日(日)] ★★★
         半数が新登場。「小さな池」に(個人的に)注目

順位・・・・題名・・・・・・・・・・・・・封切り日・・・週末観客動員数累計・・・・観客動員数・・・・上映館数

1・・タイタンの戦い・・・・・・・・・・・04/01・・・・・・・・257,107・・・・・・・・・・・・・・2,327,417・・・・・・・549
2・・ベストセラー(韓) ・・・・・・・・・04/15・・・・・・・・204,426・・・・・・・・・・・・・・・・234,101・・・・・・・364
3・・ありがたい殺人者(韓) ・・・・04/08・・・・・・・・113,668・・・・・・・・・・・・・・・・416,150・・・・・・・295
4・・ザ・ウォーカー・・・・・・・・・・・・04/15・・・・・・・・・99,156・・・・・・・・・・・・・・・・115,989・・・・・・・292
5・・しあわせの隠れ場所・・・・・・04/15・・・・・・・・・74,463・・・・・・・・・・・・・・・・・84,329・・・・・・・157
6・・六連発銃強盗団(韓) ・・・・・・03/18・・・・・・・・・40,631・・・・・・・・・・・・・・1,155,022・・・・・・・257
7・・バウンティ・ハンター・・・・・・・04/15・・・・・・・・・27,169・・・・・・・・・・・・・・・・・32,149・・・・・・・138
8・・ザ・クレイジーズ・・・・・・・・・・・04/08・・・・・・・・・16,659・・・・・・・・・・・・・・・・134,268・・・・・・・225
9・・プロポーズ・デイ・・・・・・・・・・・04/08・・・・・・・・・15,335・・・・・・・・・・・・・・・・・99,124・・・・・・・166
10・・小さな池(韓)・・・・・・・・・・・・・04/15・・・・・・・・・11,514・・・・・・・・・・・・・・・・・27,673・・・・・・・・85

 1位「タイタン」は、勢いは鈍ってきたものの3週目で200万人を越えました。
 以下、2・4・5・7・10位が新登場です。
 2位は、小説の盗作問題がテーマ、といってもミステリーです。主人公の人気作家を演じるのはオム・ジョンファ。7kg減量して取り組んだそうですよ。韓国では、昨年人気ドラマの「善徳女王」「アイリス」も盗作が取りざたされ、POPS関係でも盗作が話題になったそうで、そんな世相を反映した作品のようです。今話題の上海万博CMソングをめぐる岡本真夜さんの歌の盗作問題はまるくおさまりそうな気配ですが・・・。
 4位、原題は「The Book of Eli」で韓国題は「イルライ(일라이)」。日本公開は6月19日とか。デンゼル・ワシントン主演のSFアクション。時代は近未来で、荒廃したアメリカを舞台に人類救済の秘密が記された本を守り抜く男の戦いを描く、ということです。
 5位は上述。
 7位、バウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)の男が雇われて捕えることになった相手は元妻。しかし、そこには巨大な陰謀がからんでいて、事態は思わぬ方向へ・・・というアクション・コメディ。日本公開は7月。
 10位、朝鮮戦争勃発の翌月(1950年7月)、朝鮮半島の腰部に位置する山あいの小さな村。世の動きにも無頓着な子どもたちは全国のど自慢大会の方が関心事。戦線が後退して村人たちは避難するが・・・。1999年AP通信の報道で明るみに出た忠清北道の老斤里(ノグンリ.노근리)虐殺事件という米軍による民間人虐殺事件に基づいた作品。このテの映画には私ヌルボ、気をそそられます。原題は「小さな蓮池(작은 연못)」。直訳しなかったのは、蓮池薫さんの名前を連想させるから?

      
        【「小さな池」(韓国版)のポスター
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝の「毎日新聞」 <金正銀の写真>は誤報!?

2010-04-20 11:40:18 | 北朝鮮のもろもろ
 今朝(4月20日)の「毎日新聞」の1面トップに「正銀氏 初の近影」とともに大きな写真。中央に金正日総書記、その隣に立っている人物が「最有力後継候補」の三男・金正銀氏であるとのこと。

 他の「朝日」「読売」にこのニュースはなく、どうやら「毎日新聞」の特ダネらしい。

 記事を読むと、「北朝鮮の「労働新聞」等の国営機関が3月初めに報じていたことが分かった」とありました。
 私ヌルボの最初の疑問は、「そんな前なら、なぜ今まで報道されていなかったか?」ということ。
 どうも、「労働新聞」等にはこの写真は載ったものの、この人物が金正銀氏とは書かれていなかった。それを毎日新聞が独自に韓国情報機関等の関係者から証言を得て、金正銀氏だと結論づけ、報道したということのようです。

 韓国ではどう報道されているかと思ってネット検索したところ、韓国各紙のサイト等を見ると、「毎日新聞」の記事をそのままの形で大きく伝えていましたが、午前9時半頃から「アレレ?」という内容の続報が出てきました。

 つまり、「統一部は、「この人物は金正銀と確認できない」と明らかにした」というわけです。
 さらに以下のようにその理由があげられています。
 この人物は昨年12月2日に金策製鉄連合企業所を訪ねた時も案内をした人物中の一人で、
金正銀である可能性は少ない。金正日の他の現地指導に登場していないと把握している。したがって金策製鉄連合企業所の関係者と見られる。
 また、金正銀が27歳ということを考えると、写真の人物は20代には見えないことからも、金正銀である可能性は少ないと分析される。

 ・・・ということで、韓国各メディアは、昨年6月の「テレビ朝日」の誤報と並べて、「日本の金正銀報道、また誤報」と伝えています。
 今日の「毎日新聞」の夕刊が注目されます。


※追記(4月20日19時40分)
 「毎日新聞」夕刊を見たのですが、この件については何も出てないですね。
 目下確認中なのか、明日の朝刊のお詫び&訂正記事の文言を検討中なのか、それとも韓国の情報部に対抗して、コチラが正しいという確証があるのか・・・。
 私ヌルボも、この記事をかなり早く流しはしたんですが、「テレビ朝日」とすべきところを「朝日新聞」としてしまったので、ヨソの誤報について声を大にして批判できる立場でもないんですけど・・・。(恥)

2010年10月6日の記事を参照のこと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国ドラマ「英雄時代」を読み解く[7] 時代考証の疑問 親日派と「愛国歌」

2010-04-18 23:53:23 | 韓国の音楽
 歴史ドラマの時代考証はすごく難しそうです。江戸時代の茶店で、椅子に腰かけるような造りはなかったそうですし、かといって既婚女性を当時そのままに鉄漿(おはぐろ)をつけたりしたら現代人にはブキミでしょう。
 言葉使いだけに限定しても専門的な知識がないとダメでしょうね。
 たとえば1960年代以前のドラマに「しらける」という言葉が出てくると、私ヌルボをはじめ年配者は「ヘンだぞ」と思いますが、70年以降に生まれた人にはわからないのでは? 1930年頃の言葉となると、専門家以外の日本人は皆お手上げでしょう。

 しかし、「英雄時代」の中で私ヌルボが「これは違うんじゃないの?」と思った箇所が第3~4話あたりで2つありました。

 1つ目は、会話の中で<親日派>という言葉が現在と同じ意味、つまり支配国日本に協力した売国奴という意味で使われていたこと。
 ウィキペディアの「親日派」の項目の説明によると、「外交史料館等の資料を検索する限り、朝鮮半島地域において明治後期から大正、昭和(終戦前)までは現在の親日派の意味での報告は無い」とあります。
 つまり、この言葉が現在のような意味で使われるようになったのは戦後のことです。

 2つ目は「愛国歌」のメロディーについて。
 劇中で義烈団という抗日運動組織の闘士のソン・ドンミンという男が登場します。この組織は実在しますが、ソン・ドンミンは架空の人物です。
 警察から指名手配されていたドンミンは結局みつかって撃たれてしまい、現在韓国の国歌になっている「愛国歌」を歌いつつ死んでゆきます。

 ところが、「愛国歌」の歴史をさぐると、現在の愛国歌の歌詞は「1896年の独立門定礎式の際、白頭山を歌った愛国詩に「蛍の光」のメロディーをつけて歌ったもの」で、その後「1948年8月15日の大韓民国の独立記念式典で、安益泰が1935年に作曲したメロディーを同じ歌詞にのせた新「愛國歌」が歌われた」とのことです。
 つまり、このドラマの時代では、まだ「蛍の光」のメロディーで歌われていた、ということになると思います。

 上記2つの誤りは、やはり現代の韓国人の歴史に対する「こうあってほしい」という思い入れがモトになっているのではないでしょうかねー・・・。

 なお、「君が代」の場合は1880年(明治13年)に今の曲がつけられたということなので、それ以前の時代設定のドラマで用いられたら間違いになります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国ドラマ「英雄時代」を読み解く[6] 今も愛唱される童謡「オッパセンガク」

2010-04-17 23:59:45 | 韓国の音楽
 ドラマ「英雄時代」の中で、いろんな歌が歌われたり、流れてきたりしています。
 「歌は世につれ・・・」で、それらの歌から当時の世の中をうかがいしることができます。

 3話で、家を出ていった兄テサンのことを思って、2人の妹が「兄への思い(オッパセンガク. 오빠 생각)」という歌を歌います。

 この歌は、今でも韓国人なら誰もが知っている、韓国の代表的な童謡の1つです。
 「오빠 생각」で動画検索すると、いくつもヒットして、聴くことができます。たとえば→コチラ
 歌詞は次の通りです。

뜸북 뜸북 뜸북새 (トゥムブク トゥムブク トゥムブクセ)  トゥムブク トゥムブク クイナが
논에서 울고 (ノネソ ウルゴ)  たんぼで鳴いて
뻐꾹 뻐꾹 뻐꾹새 (ポックク ポックク ポッククセ)  ポックク ポックク カッコーが
숲에서 울 때 (スペソ ウル テ) 森で鳴く頃
우리오빠 말 타고 (ウリオッパ マル タゴ)  兄さんは馬に乗って
서울 가시며 (ソウル カシミョ)  ソウルに行って
비단구두 사가지고 (ピダン クドウ サガジゴ)  絹張りの靴を買って
오신다더니 (オシンダドニ)  帰ってくると言ったのに

기럭 기럭 기러기 (キロク キロク キロギ)  キロク キロク 雁が
북에서 오고 (プゲソ オゴ)  北から来て
귓들 귓들 귀뚜라미 (クィトゥル クィトゥル クィトゥラミ)  クィトゥル クィトゥル コオロギが
슬피 울건만 (スルピ ウルゴンマン)  悲しく鳴いているばかり
서울 가신 오빠는 (ソウル カシン オッパヌン)  ソウルに行った 兄さんは
소식도 없고 (ソシクト オプコ)  たよりも 絶えて
나뭇잎만 우수수 (ナムンニムマン ウスス)  木の葉だけが はらはらと
떨어집니다 (トロジムニダ)  散ってゆきます

 国民的な童謡といっても過言ではないこの歌ですが、「作詞者が12歳の少女だということは韓国人でもそんなに多くはない」とある韓国サイトにありました。
 その少女の名はチェ・スネ(최순애.崔順愛)。1925年に、水原に住んでいた彼女が、韓国児童文学の父・方定煥(パン・ジョンファン.방정환)が出していた「オリニ.어린이(こども)」という雑誌の童詩欄に投稿して入選した作品です。
 この童詩欄では、翌1926年、馬山のイ・ウォンス(이원수.李元寿)少年の書いた「故郷の春」が当選しました。韓国語講座等でも教わったりする、韓国を代表する歌ですね。
 このチェ・スネちゃんと2歳年上のイ・ウォンス君、「オリニ」誌投稿仲間同士の文通が機縁となって、1936年結婚に至るわけですよ。まさに物語的な展開ですねー。

 実は私ヌルボ、以前韓国の代表的な児童文学作家・権正生(クォン・ジョンセン.권정생)が書いたイ・ウォンスの伝記「내가 살던 고향은」を読んだのですが、このご夫妻、朝鮮戦争では子どもを亡くしたりして苦労されたようです。しかしイ・ウォンスは「故郷の春」の一発屋で終わるどころか、戦後も感動的な童話をいくつも書いて、韓国の代表的な童話作家としても名を成しています。

        
  【李元寿の伝記「ネガサルドンコヒャンウン」(権正生:著)は読みやすい韓国語で、内容も感動的!

 ドラマの中で、妹たちが歌う「オッパ・センガク」、馬と汽車の違いはあるものの、歌詞が物語とちょうど重なる感じです。村を出た兄を妹たちが待つ、そんな場面は当時けっこうふつうにあったんでしょうね。

あるサイトで、この歌にまつわるエピソードが記されていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国ドラマ「英雄時代」を読み解く[5] 工事現場で多用される日本語の用語

2010-04-16 23:57:58 | 韓国語あれこれ
「英雄時代」を読み解く、というよりも、「英雄時代」は単なる入り口で、その時代を読み解く、という感じになってますね。

 第3話からです。
 江原道通川の寒村から汽車に乗って元山に出たテサンたちは、トンネル建設現場で働くことになります。

 反抗分子の探索のため乗客を検問する場面や、工事現場の場面で日本語の単語がいくつも出てきます。

 官憲は日本人のようですが、丸ごと日本語のセリフはなく、日本語は「バカヤロ」だけ。
 工事現場でも、韓国語中でも「チクショー」は日本語。

 何かの本で、この「バカヤロ」はインドネシアで今も残っている日本語だと記されていました。植民地や戦時中のアジア各地の占領地で、この言葉は現地の人々の記憶に長く残るほど多用したということでしょうか。

 工事現場でケガをしたテサンに対して、「アカチンニナ バルラジュオ」(赤チンでも塗ってやれ)との声。
 そういえば、映画「僕が9歳だったころ」でも「アカチン」という日本語がそのまま用いられていました。
 今赤チン、すなわちマーキュロクロム液は水銀中毒の危険性とかで使用を控える動きが進んできているので、日本でも韓国でも死語になりつつある、といっていいのかなな?

 1度村に帰ったテサンは、まもなく再び家を出で京城に行きます。
 第6話です。徳秀簿記講習所の広告にテサンは目をとめるのですが、その住所は「京城府鍾路通二丁目十二番地」。京城はキョンソン(경성)と言ってます。鍾路通はチョントン(鍾通.종통)です。二丁目はイジョンモク(이졍목)と日本語的読み方をしています。現在はもちろんチョンノ(동로.鍾路)・イガ(이가.二街)です。

 第7話でも、仁川の建築現場の場面で日本語の単語がいくつか出てきます。
 「金を貸してくれ」というセリフ中、「オカネ」だけは日本語そのままです。
 「ドカタ(土方)」は韓国語では「ノガダ(노가다)」と変化して使われています。

 建築・土木関係の韓国語の中で、日本語由来の言葉が多く残っている(残っていた?)のは、植民地時代にその分野で働いていた朝鮮人がたくさんいた名残りです。

 上記の「ノガダ」は私ヌルボも何かで読んで知っていましたが、元山の場面で出てくる「ヤリキリ」という言葉は意味がわからず、広辞苑にもありませんでした。ネット検索で少しヒットしましたが、つまりは目標を設定してそれをやりきること、つまりのことなんですね。

 また「シンマイ(新米)」はそのまんま。
 「ヤリキリ」の他に意味のよくわからない日本語は「テモト」。
 「テモトのくせにあいさつもなしか」というセリフの中で使われています。
漢字だと手元(手許)。「広辞苑」には6番目の意味として載っていました。「(左官職人などの)傍らについて助手をつとめる人。」

 川崎市立図書館の蔵書中に박숙희(パク・スッキ)「우리말 속 일본말(韓国語の中の日本語)」という本があります。(下の画像)

 韓国語の中の日本語の固有語117語、日本式の漢字語115語、日本式の外来語39語を挙げて意味や用例を説明するとともに、「固有の韓国語に言い換えよう」という内容の本ですが、その中にも上記の「ノガダ」や「テモト」もあり、そのほかにも「コウバイ(勾配)」「ドカン(土管)」「トギダシ(研ぎ出し)」「アシバ(足場)」「ハンバ(飯場)」等の現場関係の用語が収められていました。

 この本に載っている日本語由来の言葉の中には、「タクアン」「タンムジ」「ベントー」「トシラク」のように韓国語学習者にはおなじみの例もありますが、日本人として首をかしげるようなものも相当数あります。そこらへんの考察はまた機会があれば、ということにしておきます。

       
   【「우리말 속 일본말(韓国語の中の日本語)」の表紙
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現在も北朝鮮で進行中の悲劇... 映画「クロッシング」近日公開

2010-04-15 18:11:44 | 韓国映画(&その他の映画)
      
   【「クロッシング」韓国版のポスター

 今日4月15日は北朝鮮では太陽節。つまり故金日成の誕生日
 アジアプレスのサイトによると、「近年の4月15日太陽節は以前と違い、人民への『特別供給』は2~3kgの食糧と卵3~4個、お酒1本(500g)が全部だ」とのことです。

 すぐ前の記事で、「CLEA 5月号」のぜいたくさ加減に「アタマがクラクラする」などと書きましたが、今の北朝鮮についての諸情報にもまったく正反対の意味でアタマがクラクラしてしまいます。

 脱北者とその家族を描いた映画「クロッシング」については、3月9日の記事でも紹介しましたが、最近、映画館で予告編を観ました。公式オフィシャルサイトでもみられます。
 チラシをみると、政治的立場・意見を越えて、横田滋さん夫妻、大谷明宏、黒柳徹子、辛淑玉、寺脇研、藤田真利子(アムネスティ・インターナショナル日本 理事長)、土井香苗(ヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表)等々12人がコメントを寄せています。ペ・ドゥナさんは「近いのに遠いと思い、ごめんなさい。知っていながら知らんぷり、目をふさいで、ごめんなさい。一緒に泣いてあげるしかなくて、本当に本当にごめんなさい」と記しています。

 今日発売の「週刊文春」(4月22日号)にも、勝谷誠彦(ジャーナリスト)の「北朝鮮「収容所半島」を忠実に再現! 「クロッシング」は涙と怒りもて観よ」との見出しの、力の入った紹介記事が載っていました。

 いよいよ明後日、4月17日から渋谷のユーロスペースで公開されます。
 私ヌルボの居住する横浜では、シネマ・ベティで5月15日から上映されます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あーウラヤマシイ、羨ましい、裏山椎・・・ 「CLEA」の「韓国完璧バイブル」

2010-04-15 16:06:32 | 韓国・朝鮮に関係のある本
 私ヌルボ、オジサンはオジサンらしく月刊誌「文藝春秋」と週刊誌「週刊文春」は毎号読んでますが、同じ文春の雑誌でも「CLEA」は立ち読みもめったにしないくらいです。
 ところが今書店に出ている5月号は何年ぶりかで買ってしまいました。

      

 「口コミ版 韓国完璧バイブル」と、大きな字で自信ありげに銘打ってますよ。
 その上には「韓国通がこっそり教える、美・食・ファッション全300軒」ですよ。
 いったいどこが<こっそり>なんだっ、とツッコミを入れたくなりますが・・・。

 「CLEA」のサイトでご覧あれ。「欲張り女が美しい!」というすごい自己肯定コピーには林真理子もビックリでしょう(←意味不明)。ヌルボは(そんなワケないと思うけどなー・・・)と心の奥でつぶやくのみです。

 記事を通読してみて、いやー、韓国ファンにもいろんな人がいるんだなー、韓国にもいろんな店とかモノがあるんだなー、とつくづく思いましたよ。
 ただし、この<いろんな>というのは、私ヌルボがこれまで考えていた標準レベルを下限として、上限は限りなしという範囲なんですけどね。正直なところ、アタマがクラクラする感じ、といったらちょっと大げさかな?

 具体的にいきましょう。
 <CLEA韓国通30人がこっそり教えます。>ということで、ヌルボも名前を知ってる人、知らない人がいろんなことを教えてくれてます。たった2人の男性その1は、今朝のニッポン放送「お早うGoodDay」に出演して、このブログでも3月15日の記事でふれたマッコリブームについて語っていた八田靖史氏と、その2は3月3日の記事でふれた日韓音楽文化交流コーディネーターの古家正亨氏。(<正亭>は誤植ですよっ。)
 で、この30人、皆でもないけど、韓国渡航回数がハンパじゃないです。100回以上が6人とか・・・。まあ上記古家氏(260回)、笛木祐子さん(100回以上)、黒田福美さん(100回以上)とか、仕事と言えばそれまでなんですけどね。
 しかし、人によっては<こっそり>の中身がすごいわけですよ。ミレニアム・ソウル・ヒルトン内のラグジュアリーエステサロン(₩330,000)とか・・・。

 笛木優子さんの<2泊3日スケジュール>は「清潭洞のお洒落なカフェ」で始まるところから違いますねー。宿泊も笛木さんは1拍36万ウォンのグランドハイアットソウルで、ヌルボはその10分の1の安宿ですからねー。あ、昨年12月に行った時にはソウル駅の隣駅南営の駅近至便の伽耶観光ホテルに6万ウォン出して泊まって、「部屋からブログ入力ができる!」という感動を体験しましたが・・・、ってラベルが違いすぎます、とほほ。で、ヌルボが笛木さんと出会う可能性があるのは3日目朝のキムパプ天国しかなさそうです。
 外の皆様方もほぼ同様ですが、渡航回数200回以上の関谷咲恵さん(KPOPSTAR誌元編集長らしい)という人がソウル大学寄宿舎の食堂を穴場として薦めているのはグッドです。

 高価、といえばヌルボの苦手なブランド関係。<お買い物はアウトレットが新常識>だそうで、たとえばCOACHのロゴバッグ、₩876,000が50%OFFで₩438,000なのかー。ヌルボはコンビニで買ったショッピングバッグですけど・・・。

 ウラヤマシイと言えば、10万ウォン単位でバンバンお買い物ができちゃう<欲張り女>の皆さんだけでなく、この記事の取材スタッフ。「ソウル本命レストランリスト46」というのも数々の美味しそうな料理の写真とともに紹介されています。つまり、お仕事でうまいものをいっぱい食べてきたワケね。中には「取材班 記憶に残る一皿」としてあげられている<ジュムロクトゥンシム>の韓牛ロース130g₩48,000というのもあったりして・・・。

 どうも僻みと羨望がついつい先行したような書きぶりになってしまいましたが、なかなか詳しい「完全版 ソウル地図本」も別冊で付いているし、いろんな情報が詰まっていて、男性も、また欲張りしたくてもできない女性も、読むだけでもけっこう楽しめる内容で、買ってソンはないでしょう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国料理のデリバリー

2010-04-14 23:03:22 | 韓国料理・食べ物飲み物関係
 郵便受けに「韓国家庭料理デリバリー 韓飯(はんめし)」というチラシが入ってました。
 場所柄、デリバリー関係のチラシはしょっちゅう入っていますが、韓国料理関係は初めて。
 メニューは、石焼ビビンバ\\1,130、海鮮チヂミ\\840、特選カルビ弁当\\1,300の他、キムチはもちろん、各種チゲ、クッパ等々、一通り以上そろっています。
 ホームページをみてみると、配達エリアは横浜市の中心部だけのようです。
 昨年開業したようで、注文してみた人のブログによると、豆腐チゲ(\\900)とかコムタンスープ(\\840)とか、プラスチックの丼に具だけ入っていて、「そこに水筒に入ったスープをスタッフが注いでくれます」とありますねー。

 日本社会への韓国料理の浸透はめざましいものがありますが、以前横浜の某所にあったビビンバのファーストフード店は長続きしませんでした。今、韓食デリバリーの見通しはどうなんでしょうかねー?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする