ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (15)

2015-09-27 23:54:48 | S氏の慶熙大学校10週間留学記
<ヌルボより>  S氏の留学記も今回の番外編で最後。私ヌルボが4月に行って彼に会った時、「修了式の後は何日か日程のスキマができるのでどうしようかな」とか言ってましたが、寄宿舎を出て(出ざるをえない)ヌルボが泊まっていた安ホテルに移り、そして14~15日に束草に行ったのですね。

≪ソウル留学番外編≫
◎6月14日(日)~15日(月)
 日本から来ていた2人連れの友人のガイド役が終了。カンさんと日本から来ていた彼の友だちもずいぶんと助けてくれた。明日は束草(ソクチョ)への一人旅を決めた。カンさんからは「せっかくだから江陵(カンヌン)まで行ってくれば」とか、「バスに乗るときは前の席に座り景色を眺めながら行った方がいいよ」と言われた。翌日の15日朝5時45分に起きる。なんと雨の音がする、風も強そうだ。さあ困った。ネットで天気予報を見るとソウルも束草も今日一日天気は悪そうだった。気が滅入る。中止しようかと思ったが、せっかくなので意を決して行くことにした。
 外は肌寒く、長袖が欲しいくらいだ。6時45分、宿を出て地下鉄2号線の乙支路(ウルチロ)3街駅に向かう。幸運にも小降りになった。7時20分、江辺(カンビョン)駅前にある東部バスターミナルの切符販売所でチケットを買うが、バスは7時に出た後で次は8時20分。1時間待つことになる。簡単にキンパプ(のり巻き)をコンビニで買って朝食にする。美味しくない。
 バスに乗ると、28人乗りの優等(ウドン)バスだが中はガラガラ。乗客は6人しかいない。一番前の席は空いていた。カンさんに前の席に座れといわれたのを思い出し、運転手に前の席に移っていいかと聞いたところ、「いいよ」とのことで席を移動する。天気は回復し晴れ間が出てきた。定刻通り出発。漢江の陽の光の反射を見ながらバスは高速道路に入る。予定では10時35分ごろの到着。9時半になってバスは休憩所に入り15分間の休憩。出発時間になったが1人戻ってこない。5分経っても戻らないので運転手が探しに出た。それから数分して70歳くらいのおじいさんを連れて戻ってきた。手には買い求めたと思われる2本の茹でたとうもろこしを持っていた。10分程度の遅れで出発。後ろを盛るとおじいさんはとうもろこしを美味しそう食べている。
 山景色と水田ととうもろこし畑を見ながらバスは進み、束草まであと8キロという標識を見た後少し長めのトンネルに入る。出たところは深い霧で、先ほどまで薄日が差していたのが嘘のようだ。視界は10数mくらいしかなく徐行運転。数分して市内に入ると霧は晴れていた。そんなことで束草の高速バスターミナルに着いたのは11時近かった。ターミナルの真横に観光案内所があり、さっそく今日の宿を探す。綺麗な部屋を探して欲しいというと、観光客は少ないのですぐ探してくれた。雪岳(ソラク)山にも行って見たかったので、「ロープウェイは動いているか?」と聞いたところ、「運行している」とのこと。宿はターミナルの真横だ。部屋を見てから決めようと思ったが、宿の50歳前後と思われる主人は感じが良く料金は3万5千ウォン。ルームキーを渡されて6階の部屋にゆくと大きめの部屋でなかなか綺麗な部屋だった。これなら文句はない。
 15分ほど休憩し、近くのバス停から市内バスで雪岳山のロープウェイ乗り場の終点まで行く。乗車時間は約20分。バスを待った時間は数分程度。薄日は射しているものの山はどうせガスっていると思ったが、まあしょうがない。案の定,山の上は雲がかかり、景観で有名は雪岳山も今日はだめだ。天気が悪くとも日曜日のためそれなりに観光客は多い。入山料3500ウォンを払って公園を進み、ぱっとしない食堂で昼食。ロープウェイに乗場周辺にはおしゃれな食堂がいくつかあった。ここで食べればよかったと悔やまれた。往復9000ウォンのチケットを買い乗車。チケットを買う際、「上に上がっても景色は見えないですがいいですか?」と念を押される。数分乗車して駅に着いたが、着く直前に目の前に急峻な岩が現れる。駅から整備された山道を十数分上ると権金城と呼ばれる絶景で有名なところだ。ちなみに城はない。広場のような自然の岩場があって多くの人が休憩したり更に上の方に登ったりしている。時おり霧の晴れ間から少し景観が現れるが、目の前は切り立った断崖絶壁。しかも柵はなく転落したら一巻の終わりだ。さすがに足がすくむ。あと2、30m上がると頂上だ。遠いところまで行ったが、急な岩場でロープを伝わなければいけない。霧も濃く、たいした靴をはいていないので無理することない。下山することにした。ロープウェイの乗り場まで戻ると霧はだいぶ晴れてきていて、下の乗り場が見えるようにまでなっていた。
 いったん宿に戻り、次はアバイ村を目指すことにした。3時半頃出発。海岸に近いところを30分ほど歩く。アバイ村へはケッペという人力の箱のような船に乗らなければ行くことはできないと思っていたので、小さな船着場を見つけ乗船。20mくらいの幅の運河のようなところをワイヤーロープに先の曲がった鉄の棒を引っ掛けて引っ張ると船が進む。乗客も手伝いながら2分程度で到着。アバイ村は小さな島のようなところのはずだが、ちょっと歩くとバス通りがある。おかしいと思ったら乗ったところがアバイ村だった。すぐに引き返して再度乗車。なるほど小さなところに3、40軒の食堂がひしめき合っている。ここでの名物はアバイスンデオジンオ(イカ)スンデだ。トウミからアバイスンデは大して美味しくないと聞いていたので。店の前でてんぷらを揚げているアジュンマの誘われるま店の軒先に座りオジンオスンデを注文。まあまあいける味だったが、サービスで出してくれたエビとイカのてんぷらが衣がサクサクしてとても美味しかった。
 食べていると向かいの店がやけに騒々しい。その店の隣人と思われるおばあさんが隣の店の従業員を怒鳴り散らしている。物を投げているような音もする。日ごろの鬱憤を晴らしているようだった。ひとまず収まったと思ったが、また人目を憚る様子もなく大騒ぎを始める。韓国人の感情表現のもの凄さに驚きあきれる。
 食後もう一度ケッペにのる。ここでぽつぽつと雨が降り出す。今日はもう降らないだろうと思って傘を宿に置いてきてしまった。バス通りを渡ると大きな市場があってしばし見学。乾物中心に肉、魚介類、野菜、雑貨、何でも売っている。特に地元の特産のタラコ、めんたいこが目についた。雨は強くはないが降りやまず雷鳴まで聞こえてきた。しかたなく傘を1本購入。小雨の中、海沿いを延々と歩いて埠頭をめざす。降ったり止んだりする中を4、50分ほどひたすらに歩く。埠頭の手前にカニ料理と干し魚を売る店が道路の両脇に百数十メートルは続いているところに出る。店の前の生簀に種類別に分けられていたが、どれも美味しそう。残念だが高くて量も多くとても手がでない。埠頭までたどり着き、展望台から海を眺めた。さすがに疲れた。それにしてもこの3日間歩きづめのような気がする。われながら何でこんなに元気なのか、と思いつつ市内バスに乗り、宿に着いたのは8時ごろだった。宿の名前はロコステル。けっこう大きなピンク色の宿。今は料金が安いがシーズンになるとかなり高くなるそうだ。束草はもうあまり見るところはなさそうだ。江陵にでも立ち寄りソウルに戻ることにしよう。

<ヌルボより> 昨夜(26日)、サークル関係の飲み会で、このS氏の留学記についてT兄(ヒョン)、「Sさん、悪いけど俺はアンタが行った所は全部行ったよ」とニヤニヤ。
 ヌルボが済扶島(チェブド)(→コチラ)にも行ったのかと訊くと、もうずいぶん以前に行ったらしい。ということは、世宗大王陵(英陵)とか、利川のなんとかにも行ったのかな? うーむ、なんという人だ。
 私ヌルボはT兄の足許にも及ばないものの、この束草には去年6月行ったゾ! 楊口(ヤング)とか高城(コソン)統一展望台に行った時に・・・というところで、振り返ってみると、本ブログでは旅の始まりで酒を飲んでる場面(→コチラ)と、高城展望台関係(→コチラ)しか書いてないことに気づきましたがな、ハハハ。
 そういうわけで、その時撮った写真の中で今回の≪番外編≫にも関係するものを貼っておきます。
     
 有名なケッペ(갯배)。目と鼻の先くらいの距離を結ぶ「渡し船」。・・・というか、直訳すると「犬舟」なので「ニセ舟」といった感じでしょう。舟の進行方向と反対側にロープを引っぱります。動画は→コチラ
 これも昨夜の話で、T兄がケッペを知ったのはNHKの「ぐるっと海道3万キロ」で見たのが最初とか、・・・ってヌルボと同じでないの! 今ネットで調べたら1985~88の放送。そんなに昔だったのかー・・・。
      
 ケッペを下りたすぐのところにある「秋の童話」のウンソ(ソン・ヘギョ)ジュンソ(ソン・スンホン)の像。韓国での放送は2000年9~11月だったのか。ソン・ヘギョは1982年生まれ。ふーむ。ソン・スンホンは1976年でウォンビン1977年か。みんな同じように年を取っていきます・・・。
      
 海岸には北朝鮮から越南してきたアバイ像と、ここにも「秋の童話」の説明板がアバイ(아바이)とは咸鏡道(ハムギョンド)方面の方言で「おじいさん」の意味。
      
 アバイスンデ(左)とオジンオスンデ(右)。オジンオスンデの方が美味しいかもしれませんが、アバイスンデも決して美味しくないわけではありません。チラと写っていますが、いろんな魚のゴッタ焼きも食べました。
     
 刺身は韓国でも安くはありませんが無性に食べたくて・・・。で思い出したのは、6月1日の日記で「韓国のひとは食べないらしい」と記されていた<刺身のツマ>のこと。この写真でもわかる(?)ようにダイコンじゃなくて透明です。たぶんこれのことだったんでしょうね。店の主人に訊ねると「海藻から作られ(?)、食べられる」とのことで食べてみると大根よりも硬い感じ。今調べてみると<海藻クリスタル>といって日本にちゃんとあるでないの。(→コチラ参照。)

 ・・・というわけで、15回の連載もオシマイです。S氏のおかげでヌルボもいろいろ勉強になりました。コマウォヨ!
 あと、続編みたいなもので、タンソという楽器とその楽譜についていずれ記事を書く予定です。
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定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (14)

2015-09-12 17:22:38 | S氏の慶熙大学校10週間留学記
◎6月10日(水)
 今日で授業が終わり。担任と面談する。「試験の結果は思ったほど良くなかったですね」といわれた。授業の中で、「何か一つドラマか映画を見つけ何度も繰り返し聞いて、発音して行けば必ずしゃべれるようになります」と言われた。「何本も次から次に見るのではなく、一つが完璧になったら次に進むように」とのこと。「今後も質問があったらメールしてください」と言ってくれた。その後は韓国の千代紙で韓国服の紙人形つくり。これをもって授業は全て終了。最後の授業は5名しか出席せず。
 帰りに件の中国人生徒に出会う。今日はカザフスタンの生徒と一緒だった。この学生はやたらと韓国語がうまい。もう3年も学校で韓国語を勉強しているそうだ。外国人の韓国語スピーチコンテストにも出ていた。話しているうちに「カザフスタンで日本語を教えませんか」と言われた。何でも日本語教師は格別の高給らしく「王様クラスの生活ができます」との話。後で中国人女性の話によると彼は本国政府から奨学金を受けているとのこと。元気がよい上、よくしゃべるので頭のよさそうな印象を受けた。
 夜明洞へ行く。地下商店街に入ったがどの店も人が入っていない。人も少なく閑古鳥が鳴いている。カンさん曰く、「マーズの影響で売り上げが全然ない。今月は商売にならない」という。気の毒になる。日本から遊びに来ている男と3人で東大門にウナギを食べに行く。1人1匹ずつ醤油味のウナギを注文した。一口サイズに切られている。このほかにも塩焼き、ヤンニョム味があった。こちらのウナギは焼肉と同じようにエゴマの葉やサンチュに巻いて食べる、もちろん生ニンニクや唐辛子みそも一緒に巻く。美味しいと思ったものは針ショウガをたっぷりと巻いて食べた時。ウナギのうまさが十分にひき出されていた。韓国ではウナギの尻尾から食べるそうだ。カンさんに理由を聞いたら、「尻尾に一番栄養があるからだ」という。日本から来た男は若いが酒好きでなかなか帰ろうとしない。よくしゃべるしなかなか面白い。2軒目は広蔵(カンジャン)市場横にあるユッケ専門の店に入る。ユッケを堪能する。日本に帰ったら生肉は食べられない。結局3軒ハシゴしてしまった。

◎6月11日(木)
 ついに今日が終了式。朝のテレビではマーズを取り上げている。
 10時から終了式だが、クラスの出席者は6名程度。通常は講堂で大々的に終了式を行うらしいが、マーズの関係でクラスごとの終了式となった。寂しい終了式だ。先生から修了証書を頂く。11時過ぎには終わってしまった。他の皆さんは次の学期に進む人が多いので特別別れを惜しむわけでもない。
 寄宿舎に戻ったが慣れた土地を後にするのはやはり寂しい。先生からまた来てください、と言われたが、機会があれば短期集中講座にでも参加してみたい。荷造りを始める。小さな部屋だががらんとした部屋も寂しい。明日の朝には出なければならない。この部屋にある電気機器はテレビ、冷蔵庫、エアコン、換気扇、洗濯機くらい。コンセントはいくつもあるが、実際使ったのはパソコン等の無線機器の充電用1つだけだ。これだけでも人間なんとか生きてゆける。授業終了と同時にこの日記も終えることにする。多くの人に助けられいろいろな人に会い、楽しくいい思い出ができた。ありがとうの一言に尽きる。

<ヌルボより> 6月10日の記事。「韓国の千代紙」というのは「韓紙(한지)」のことですね。
 カザフスタンの日本語教師の件、「王様クラスの生活ができます」に心が動く人もいらっしゃるのでは?
 「韓国ではウナギの尻尾から食べる」というのは初めて知りました。→コチラに関係記事(韓国語)がありましたが、それによると、「ウナギは尻尾に生殖器がある」という説があるがそんなことはなく、「ウナギは尻尾の力が強いので尾がよいと言われるのだ」とのことです。
 6月10日の最後の授業に続いてついに11日が修了式。クラスで初日からずっと出席を続けたのはS氏だけだったそうです。日本人の国民性もあるかもしれませんが、やはり彼の熱意&勤勉さによるものでしょう。

 この記録は、あと1回<番外編>があり、それですべて終了となります。
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定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (13)

2015-08-30 23:53:11 | S氏の慶熙大学校10週間留学記
<ヌルボより> 前回お知らせしましたが、8月25日(火)夜に韓国文化院で催されたイ・ドンシン(李東信)さんによる民族楽器タンソの公演に行ってきました。いやあ、これはホントに期待以上! なんとなく、ラクにいい席に座れるだろうと思って、文化院は初めてというS氏と図書室等館内を回ってから開場時刻の6:30に2Fのホールに行ったら、定例の映画上映会と同じくらい長い列ができていました。結局座れたのは前方でも横の方。S氏も「皆さん、一体どんな人たちなんでしようね?」と意外な面持ち。
 肝心の演奏は、韓国の正楽(宮廷音楽)に始まって民謡やカヤグム(伽耶琴)との二重奏、そして驚いたのは「ラプソディ・イン・ブルー」や「チャールダーシュ」といった洋楽の難曲や、「テイク・ファイブinアリラン」といったクロスオーバー曲も自在に吹きこなしていて、さすが12歳の時から46年間(かな?)のキャリアを感じさせる、とても聴きごたえのある演奏でした。
 Sさんからタンソの話を聞かなければイ・ドンジンさんと、この楽器自体の表現力の豊かさを知ることもなかったわけで、その点ヌルボとしてもラッキーでした。

◎6月5日(金)
 小雨混じりの朝で少し肌寒い。今日は会話と、筆記の試験。
 会話は先生と1対1で先生の言ったことを聞き取り質問に答える形式。最初は簡単だが徐々にむずかしくなってゆく。聞き取りは何とかなったが、解答は習った文法を駆使しなければいい点はもらえない。考えがうまくまとまらず口ごもってしまうことがしばしば。会話は生徒2人が一組になって与えられた課題を会話しながら解答するというもの。与えられた課題は「友だちと会う約束をしてしまったが別の用事ができてしまい、時間を変更してもらう」という内容。2人でストーリーを考えたが、少し簡単にまとめ過ぎた。
 筆記は自分の友人を紹介する文章の作成。どんな容貌か、性格はどうか、特徴はあるか、どういう関係か、どこが好きか等々を与えられた文法を使って作成するとういもの。作成スペースはA4用紙4分の3ほどあるが、その半分も埋まらない。書こうとしても綴りがよくわからない。文法は何とか使えたが、成長が見られない自分がいた。もう1つは「ホームページを使って一緒に勉強する友だちを募集せよ」というもの、時間が足りず、これも筆が進まない。あと1つは単語を並び替えて短文を作る。これは何とかなったか。授業開始前に「長文作成はむずかしいので先にやって、短文作成は後回しにしろ」という。一般的には簡単なのから先にやったほうがいいと思うのだが。とりあえず今日の試験は終了。月曜日は文法と読みと聞き取りの試験。
 夜、退職した会社の女の子、そしてその彼氏と会う。鐘閣の永豊(ヨンプン)文庫で待ち合わせ。彼氏もプログラマーとして一緒に仕事をしたことがある。その前に仁寺洞でカンさんへのプレゼントを買う。食事した店はカンさんの行きつけの例のサムギョプサルの店。2人とも肉の厚さにびっくりする。いつもの青唐辛子入りのソジュ(焼酎)を片手に盛り上がる。カンさんも乗りがよく初対面とは思えない雰囲気。二次会まで行って気がつけば12時を回っている。2人をカンさんと一緒にホテルまで送り、カンさんとタクシーで帰宅。西江(ソガン)大のおじさんから「明日1時新村(シンチョン)で会いましょう、1人友だちを連れて行きます」とのメールあり。

◎6月6日(土)
 二酔いで目が覚める。少し勉強し新村へ向かう。西江大のおじさんと1時に会う。待っている時にそばにいた女性がおじさんの友たちだった。おじさんは6級をこの学期で勉強するという。6級はもう最高クラスだ。その女性も気さくな方で、もう20年前に韓国へきて勉強を始めたらしい。いわば韓国語の勉強の元祖に近い。おじさんとは御茶ノ水のYMCAで一緒に韓国語の勉強をした仲らしい。おじさんは飲む気満々。これからはソウルの市場を制覇する予定との意気込み。新村からタクシーで10分位行ったところにある加佐(カジャ)という町のトンネ何とかというシジャン(市場)へ行き、その中にある精肉店が経営する焼肉店へ入る。試験中の身としては何とも心苦しいが、昼間から焼肉を食しながらソジュをいただく。特別美味しいというわけではないが、肉は柔らかくて新鮮だ。おじさんはソジュをコップにいれてビールを継ぎ足して飲むのがスタイルになっている。女性も行ける口だ。飲んではいけないと思いつつ酒が進む。ニンニクもどんどん喉に飛び込んでゆく。昨日から一体どれほどのニンニクを食べたことやら。日本では到底考えられない。3時過ぎに店を後にしてバスで新村へ戻る。ここでもう一杯飲むことになる。同伴の女性は今日の夜のフライトで日本へ帰国するとのこと。昼間の日差しが暑くまぶしい。6時近くに帰宅。
 さあ勉強しなくては。明日もカンさんと朝から釣りへ行くことになっている。

◎6月7日(日)
 道峰山(トボンサン)駅で8時30分に待ち合わせ。おたがい時間通りに来ていたがすれ違いがあり、5分遅れで会うことができた。カンさんの車で釣り場へ向かう。20分ほどかかったが途中の山並みが美しく、高層団地も目に飛び込んでくる。ソウルの開発が相当進んでいることを目のあたりにする。この辺は釣り掘りが多いことで有名らしい。いくつもの釣り掘りの看板を目にした。
 1軒の釣り掘りに駐車。けっこう大きな釣り掘りで、すでに50人ほどが釣り糸をたれている。カンさんは釣り場に腰を据え、私の分を含め黙々と釣りの準備に取りかかる。顔は生き生きとしている。用意してもらった釣り道具で釣り始める。獲物はフナ。初めての私にエサの付け方、針の投げ方を教えてくれる。私の左右両脇で釣りをしている人も皆親切で、何かとアドバイスをしてくれた。釣り仲間はみな気が合うらしい。目の前に小高い緑の山があって、晴れ間から流れてくる風がさわやかに感じられる。何とものどかな感じがする。しばらくして手応えがあり1匹釣り上げる。記念の1匹だ。カンさんの奥さんが用意してくれたつまみで焼酎をいただく。つまみはワカメ、タラの芽、イカのボイル。他にもキュウリとかを奥さんが用意していたらしいが、カンさんが忘れてしまったらしい。タラの芽が実に美味しい。
 この後延々と5時まで釣りを続けた。昼ご飯を食べたら帰り支度をして4時には寄宿舎に帰れると思っていたが、カンさんの釣り道楽は時間の経過を忘れさせるらしい。途中何度も釣りの魅力を説明してくれた。それにしても今日は釣れないらしい。なんだか日が悪いらしい。確かに周りの人も今日は釣れないとぼやいていた。
 6時過ぎに寄宿舎に戻り明日の試験勉強を始める。結局1時半までだらだらと勉強した。

◎6月8日(月)
 文法、読み、聞き取りの3科目の試験。思ったより量が多い。筆が進まない。まずい。文法は少し余裕を持って完了したと思っていたが、試験終了1分前に回ってきた先生が答案の空欄部分を見つけ、「どうして書かないのか」と聞かれる。あっ、と思ったが手遅れ。4問が問題用紙の裏にあることに気づく。時すでに遅し。読みの試験も相変われず時間に追われ全問回答できず。聞き取りも途中に聞き漏らしがあり混乱する。後悔の連続。
 試験終了後、俳句会のメンバーが推薦してくれた観光名所で東九陵という王陵のあるところに行く。回基(フェギ)駅から中央線に乗って東方面に進み、約20分足らずの九里駅下車。そこからマウルバスで20分ぐらいのところで下車。着いたらなんと今日は月曜日で休園
 明洞のカンさんの店に行き、土産用の海苔を日本に送る手続きをしてもらった。
 夜9時、こちらへ来てしばらくしてから会った韓国人のチョさんとあった。前の会社の関係の人に紹介してもらった人だ。「3ヵ月で帰るのはもったいないです。もう少しやれば聞き取りも十分にできます。それにはテレビドラマを見て繰り返し聞いてしゃべるのがいいでしょう」とアドバイスを受けた。

◎6月9日(火)
 試験結果の発表。思っていた以上に取りこぼしがあり最悪の結果。こんなに間違えていたのかと愕然。聞き取り78点、読み59点、文法68点、書き取り55点、会話70点。平均は66点。進級するとなるとぎりぎりの水準か。とくに書き取りは答案を見せてももらったが綴り間違いの山また山。よく点数をくれたなと忸怩たる思い。
 教科書は重たく授業ではもう使わないと思い、4時過ぎに寄宿舎隣にある郵便局にEMSを頼みに行く。係りの人に手助けしてもらってなんとか梱包してもらった。この辺は韓国のサービスのいいところだが、意外と送料が高くびっくり。重たいせいか45,400ウォンもとられてしまった。
 部屋はすっきりした。部屋点検もあるので掃除をする。短い間だがこれが最後の掃除かと思うとなんとなく寂寞感が襲ってきた。この部屋で眠れるのもあと2回だ。マーズの影響で観光客が来ないが、夜はカンさんの友たちが1ヵ月ぶりに韓国に現れる。カンさんは「仕事はあきらめて早く飲もう」という。私は7時半に寄宿舎の点検があって7時半には部屋にいなければならないので5時半に回基駅で待ち合わせ、3人で飲む。中座して寄宿舎に戻り点検を受ける。トイレの床をもう少しきれいにするようにと指導を受ける。

<ヌルボより> 試験も終わってこの記録もあと2回分くらい(たぶん)になりました。
 S氏、今回もやっぱりいろんな人と会っていろんな店でいろんなものを飲んだり食べたりしています。5日の「いつもの青唐辛子入りのソジュ(焼酎)」というのは韓国ではフツーになってきているのでしょうか? 私ヌルボも4月に行った時に飲みましたが、舌がピリピリする感じです。翌6日の「ソジュをコップにいれてビールを継ぎ足して飲む」というのはもうだいぶ前からフツーになってますね。韓国語ではソメク(소맥)焼酎(ソジュ.소주)と麦酒(メクチュ.맥주)の合成語です。
 せっかく東九陵まで行ったのに休園とは残念でしたね。施設等の見学、月曜はとくに要注意!です
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定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (12)

2015-08-22 11:09:32 | S氏の慶熙大学校10週間留学記
<ヌルボより> 民族楽器タンソの魅力にはまったS氏ですが、たまたま8月25日(火)夜に韓国文化院でタンソ公演があることを知り、一緒に聴きに行くことにしました。私ヌルボも合奏では聴いたことがあったかもしれませんが、独奏の演奏会は初めてです。
 さて今回は最初に利川まで1泊の吟行。いろいろ観光地を巡るのはいいとしても、短い間に5句とか3句とか作れというのはヌルボにはムリ(^^;)。
 あいかわらずオジサンたちや若いクラスメートたちと飲んだり食べたりしてます。とくに40歳も年の離れた若者とフツーにつき合ってるのはいいですね。

◎5月30日(土)
 今日は利川(イチョン)まで1泊吟行の日。朝8時45分に鐘閣(チョンガク)に集合し、観光バスで現地に向かう。
 参加者は20代後半から85歳まで20名。85歳のおじいさんはほんとに元気だ。韓国の人と結婚し大阪に住んでいたが2、3年前に韓国に引っ越したらしい。韓国語は全くしゃべれない。長生きの秘訣は俳句だそうだ。余裕をもって朝7時前には起きたが、持っていくのを忘れないようにと昨日買ってわざわざ玄関に置いておいた差し入れ用のマッコリを置き忘れてしまう。地下鉄に乗ってから気がついたが時すでに遅し。
 あいにくの小雨模様で少し肌寒い。ハイウェイを走る車窓から見える緑の山並みが美しい。日本でも見慣れた光景だ。田植えを終えたばかりの水田も懐かしい光景だ。1時間45分ほど走り、世宗大王陵を見学。実に広い敷地に松の木が周囲にたくさん植えられ、芝生がきれいに刈られている。ここは世界遺産に登録されている。大きな土饅頭のお墓が偉大な業績を物語っている。この地は陶芸だけでなく利川米というブランド米の生産地でもあるらしい。次は海剛(ヘガン)陶磁美術館でホットモットの弁当をいただく。昼食後美術館の敷地にある登り窯を見物していると、いつの間にか館長のユ・グァンヨル(柳光烈)氏が出てきて窯の説明をしてくれた。丸顔で小太りの童顔の面影の残るおじいさんだ。この人は陶磁器の作家、収集家、研究家として日本でも名前が知られているらしい。収集の苦労話を日本語で愉しそうに話していた。館内にも11~12世紀頃の陶磁器が展示されているほか自身の手による現代作品も展示してある。相当高価なものも多数あるらしい。財産を切り売りして収集したらしく、「もうお金がなくなってきた。個人で継続するのは本当に大変だ」と話していた。そのあと雪峰(ソルボン)公園を散策。雨も降っていてとくに見るものもなかった。
 3時ごろ公園発。やっと日がさしてきた。場所を移して句会に入る。5句詠まなくてはいけない。なかなか大変だ。5時半から夕食。
 食後ホテルにチェックイン。利川で一番料金の高いホテルでミランダという。7時半からホテル内の幹事部屋で2次会。ここでも酔いが回ったところで1人3句の課題。12時過ぎに散会。

◎5月31日(日)
 朝7時朝食。7時半から早朝句会。
 9時にホテルを後に後にする。私はここで一人離れ市外バスに乗ってソウルに戻る。句会の皆さんとはここでしばしの別れとなる。2ヵ月間だがすっかり皆さんにお世話になった。俳句の面白さを教えてもらった。やっと親しくなった人もいた。もう2度と会えない人がほとんどだ。一行はこれから陶器作りと句会に向かう。「もう1日一緒に行きましょう」と誘われたが、宿題もあり期末試験も近いので後ろ髪を引かれる思いで1人利川を後にした。
 バスターミナルはホテルから近いので助かった。10時半にはソウルに到着。トウミにプレゼントでもあげようと思い清涼里で下車。ロッテデパートでネクタイを購入。

◎6月1日(月)
 今日はクラスメートのアラブ系の2人と昼食を共にする。以前ご馳走になった10代の若者に対するお礼と、もう1人ホットドックをご馳走になった2人への謝礼をかねて、前から今度はお返しに寿司でも食べようと企画していたが、結局タッカンマリを食べることになった。明日も一緒に食べようということになった。
 夕方カンさんから連絡があった。「今日は機械が壊れて6時間かけても直らなかった。仕事にならず疲れたので一緒に飲みましょう」との誘いだった。8時に回基(フェギ)で待ち合わせ。同じ商店街でかばん店を経営している友だちを連れてきて近所のシクタンで一緒に食事をする。
 この食事はカンさんがご馳走してくれた。最近割り勘にしようといっても受け取ってくれない。いつかまとめてお返しをしなければならない。食事の後に、家に来て一緒に飲もうと話があり、ついついお邪魔してしまうことになった。駅から徒歩3、4分のところにあるマンション群の中の17階建てマンションの17階。奥さんが出迎えてくれる。お子さんも挨拶してくれた。美味しい刺身を用意していてくれた。美味しかった。日本と同じで大根のツマの上に盛られていてツマを食べようとしたら「それは食べないほうがよい」といわれた。韓国のひとはツマは食べないらしい。それにしても家は広いし、眺めもいい。この家を手放したのはもったいないと思う。新しい家はやはりマンションで、1階になるらしい。職場には今より3駅近くなるらしい。また今より少し狭くなるという。
 夜も更けてきたのでお暇する。駅までカンさんが送ってくれた。電車に乗ったが何駅か手前の駅が終着だった。駅員に次の電車は?と訊くと「もう今日は終わりました」と告げられた。やむを得ずタクシーに乗車。

◎6月2日(火)
 今日の文法の授業は代役の先生だった。担任は急に体調を崩し今日は休みとのことだった。授業の内容は昨日からパンマル(ぞんざい語)の授業。なかなかややっこしい。
 授業のあと、アラブ系の二人と一緒に学校のそばにあるインド料理を食べに行った。今日は中国人のクラスメートとその友だちも一緒だった。アラブ人の友だちが食事代を支払ってくれた。昨日は自分が支払ったがそれよりか高い。自分が一番年上なので払うと言ったが受け取らない。また借りができてしまった。
 夕方トウミからメールが入る。今学校にいるので後で会って食事をしようという内容。6時に会ったが、昼ごはんが効いてまだお腹が減らない。喫茶店に行き勉強の手助けをしてもらう。1時間ほどいて食事に行く。
 俳句会の人からメールが入り、「観光するのにすごくいい場所がある。帰国前に一度行ってみたほうがいいです」との内容。先日の句会のときにそんな話を聞いていたがそのままにしていた。交通手段が詳しく記載されていた。中央線の九里という駅からバスで15分くらい行ったところにある東九陵という王陵墓がある広大な公園らしい。時間がなくなってきた。いつ行こうか。

◎6月3日(水)
 今日もパンマルの授業。意外と複雑でよくわからなくなった。このままでは試験に出てきてもわけがわからない。そろそろまとめなければ理解できなくなってきた。
 帰りがけに中級クラスの中国人の女の子に会う。文法のテキストを見せてももらったがやはり難しそうだ。日本へ帰って勉強するため校内の書店に行くといったら一緒につき合ってくれた。「このテキストの中身はいいよ」というので買おうとしたら、色刷りの教科書で「高いからやめた方がよい、単色だが鐘閣の本屋に行けば安く売っている」とのこと。ちなみに買おうとした本は2700ウォン。言われたことに従うことにした。金曜日に鐘閣へ行く予定があるので、カンさんへのプレゼントとあわせて買いに行くことに決める。

◎6月4日(木)
 朝から気温が高い。完全な夏だ。授業前に、今学期が終わった後いったん帰国する生徒に、「マーズの件で家族が次学期に韓国に来ることを反対されたら必ず連絡するように」とのこと。やはりマーズの影響は大きいようだ。
 今日で授業は終わりとなった。なんとなく寂しい気がする。明日からは試験が始まる。進級する必要がないので気は楽だ。
 明日は会話の試験と筆記の試験。午後トウミと会って筆記の手伝いをしてもらった。手紙とネットショッピングで買った商品のクレームをネットで行うという想定。書くには書いたが、ほとんど書き直された。明日の気が重たくなりそう。
 今日、以前勤めていた会社の女性が彼氏と一緒に韓国に着いたとの連絡が入った。明日は一緒に食事をすることになっていたが、その打ち合わせのメールのやり取りで時間がかかり、明日の試験勉強はおろそかになった。また、一時帰国していた西江大のおじさんからも連絡があり土曜日に会いましょうとの連絡があり、カンさんとは日曜日に釣りに行くことになっている。まあ試験よりは楽しむことにするしかない。せっかくなので外大の留学生に明日一緒に付き合わないかと探りを入れてみた。やはり課題があって忙しそうだが、頑張ってみますと連絡があった。

<ヌルボより> いろんな人(とくに学生)におごってもらったS氏、「今度はお返しを・・・」と常に気にかけているのは「日本人らしい」ところなのでしょうね。おごってもらっても全然無頓着なのもどうかと思いますが、あまり気にしすぎるのも<韓国標準>からはちょっとはみ出ちゃうかも・・・。

 いろいろ観光地が出てきましたが、過去私ヌルボが行った所は皆無! 以下はそれぞれについてのメモ。
 世宗大王陵(英陵)は京畿道驪州(ヨジュ)市にあるユネスコ世界文化遺産です。詳しくは<韓国観光公社>の記事(→コチラ)や<京畿道>公式サイトの記事(→コチラ)参照。
 海剛陶磁美術館も私ヌルボ、行ったことがないどころか知りませんでした、はい。これも詳しくは<コネスト>の記事(→コチラ)を参照されたし。そこの初代館長(柳光烈氏の父)の海剛・柳根(ユ・グニョン)氏(1894~1993)のことは→コチラに記されています。高麗青磁の技術を復活させた陶芸家とのことです。
 雪峰(ソルボン)公園については<コネスト>の記事(→コチラ)参照。また→コチラの記事はこの公園で<利川陶磁器祭り>が催されている時の旅行記ですが、路上オブジェがおもしろそう。
 東九陵は九里市にある韓国内最大規模の朝鮮王陵です。詳しくは<ソウルナビ>の記事(→コチラ)参照。私ヌルボはここも行ったことナシ。これに続く規模の西五陵(→コチラ)は以前行ったんですけどねー。
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定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (11)

2015-08-15 20:09:36 | S氏の慶熙大学校10週間留学記
[ヌルボより] S氏の留学生活も残り少なくなってきました。最初から続いているのは主目的の韓国語の勉強、民族楽器タンソの練習、カンさんをはじめとする人たちとのお酒&食事の交流、知り合いになった近所の店のおばさん等とのコミュニケーション。前回も記したトウミ氏、今度もなかなか気の利いた街歩きガイドです。 

◎5月23日(土)
 今日は完全休養日。溜まった勉強の整理をしようと思うが気が乗らない。清涼里(チョンニャンニ)で昼でも食べようとバスに乗る。3つ目の停留所で到着。マンドゥと冷麺を食べた後市場を練り歩く。何度歩いても巨大で人が多く圧倒される。地下市場に始めては入ったが驚いたことにホンオ(エイ)の大きな専門店があっておびただしい数のエイが所狭しと並んでいる。こんなに食べる人がいるのかと思うような数だ。もちろんエイからは強烈なアンモニア臭が放たれている。見事な光景だった。
 帰国前に安東に行きたいと思っているので時刻表を確認しに清涼里駅へ行く。時刻表があるのだがよくわからない。目的地の表示は電車ごとにされているが、その駅が安東の手前になるのか後の駅なのか定かではない。計画の練り直しをしなければならない。
 夕方カンさんからメールが入る。日本人のお客さんとの約束を違え、ちょっとトラブルになったらしい。そこで謝罪文を考えて欲しいとのことであった。文が完成し終えたところでカンさんから連絡があり、今そのお客さんが来て謝ったところで事なきを得たようだった。一応、文章をカンさんにメールする。
 夕食のため出かける。コンビニのおばさんのところに立ち寄ったら、すぐそばに安くて美味しい豚肉料理の店があるから、と紹介してくれた。すぐ近くにあるはずが見つからないので違う店に入って食事をした。帰りがけにコンビニに立ち寄り、見つからなかった旨を報告したら、「何で見つからないのよ」と叱られてしまった。
 部屋に戻ると、小学校時代の仲間から60歳の誕生日で今仲間うちで飲んでいるという。改めて残されている時間は少ないのだと感慨に耽る。結局たいした勉強はできなかった。

◎5月24日(日)
 今日は休養を決め込む。少し勉強でも午前中文法の復習。昼は前から1度行ってみたいと思っていた外大に近いところにある中華料理屋に行って見た。ここは2回ほど行って見たがいずれも店が閉まっていた。古い小さな2階建ての建物の2階にある。階段上がり口にメニューが掲げてあった。麵を食べたいのだがちゃんぽん以外よく分からない。しかたないので階段を上がり店に入るとなかなかこぎれいにしている店だった。モ何とかという料理があったので、これは何が入っているのかと訊いて見たら、いろいろ入っている、と曖昧な返事。注文して見ると野菜や海産物がたっぷり入っていて少し薄味だが意外と美味い。店の主人は年の頃40代の中国人。日本人かと韓国語で聞かれたのでそうだと答えると片言の日本語が飛び出してきた。少し日本にいたことがあるらしくお姉さんは日本人と結婚して静岡に住んでいる。この店は4年ほど前から夫婦2人で始めたが景気が悪く困っている。この近所も随分と店がつぶれているよ、という。愛想よく人当たりもよさそうな人物だった。午後はカラオケに行く。50分追加サービスしてくれた。アルバイトのお兄さんも何しに来たかわかっていて何も訊かず部屋に通してくれる。

◎5月25日(月)
 今日はお釈迦様の生誕祭で休日。トウミと会い市庁方面に出かける。折角の生誕祭なので近くの曹渓寺(チョゲサ)へ行く。境内は信者で大にぎわい。色とりどりの提燈がたくさん吊ってあり境内を覆いつくしている。ステージも設けられていて歌手が元気よく歌っている。生誕祭の雰囲気を味わうことができた。
 寺に行く途中、日本大使館の前を通ると例の慰安婦の像が設置してあった。テレビでは見たが現物は初めてだ。その後トウミと映画を見に行く。トウミは映画ファンらしく、日本映画も月に1本は見るらしい。題名は「結婚しなくても大丈夫?」。柴崎コウ等が主演。スポンジハウスとかいう建物の中にある小さな映画館だが、そこそこ観客は入っている。意外と日本映画に対する関心は強いようだ。トウミも笑いながら見ていた。韓国語の字幕を追ったが早くてついていけなかった。
 今日の昼間は暑かった。29度まで気温が上がったようだ。清渓川(チョンゲチョン)も涼を求める人々でにぎわっていた。

◎5月26日(火)
 今日はタンソの最後の授業。最初十数人いた生徒も最後は5人だけ。音が上手く出ないと諦めてしまった人が多い。簡単な楽器だがそれなりに奥が深く、やればやるほど高度なテクニックが必要となる。先生からぜひ継続して練習するよう要請があった。日本でどうやって先生を見つけるかが問題だ。最後の授業の後はお菓子を食べてお別れ会。
 学校の授業はそろそろ期末試験モード。成績が悪いと同じレベルをもう一度履修するが、2度やって結果が出ないとこの学校で履修できなくなっている。これから韓国でレベルアップしようとしている生徒にとって試験結果は重いので、皆一生懸命勉強することになる。
 晩飯はコンビニのおばちゃんに教えてもらった店に再挑戦。たまたま店に来ていたおじさんが店まで案内してくれた。行って見るとなんと金曜日に行った店だった。おばちゃんが推薦してくれたペッパン(白飯)という定食をたのんだ。安い上に美味かった。店に案内してくれたおじさんは日本語が片言ながらしゃべれた。4、5年前に石工の仕事で出稼ぎで1年ほど行ったことがあるらしい。日当はよく2万5千円、残業すると1時間5千円もらえたそうだ。「日本はいい」としきりにいっていた。また、この店の店員のおばちゃんが私の娘は奨学金給付生として早稲田で1年ほど勉強していたといってわざわざ電話してくれた。電話に出ると利発そうで感じのいい人だった。ソウル市大で仕事をしているらしい。韓国の学生の日本留学は人気が高いらしい。「母がご迷惑をおかけしました」と何度も謝っていた。

◎5月27日(水)
 今日は暑かった。ソウルでもここのところの暑さは例年にないらしい。昨晩は寝ていても少し暑く感じた。
 授業終了後久しぶりに校内のレッスン場に行ってみた。暑くてどうなるかと思ったらうまいこと日陰ができていた。風もなくいい塩梅なので少しだけ(タンソの)音を出して見た。授業のほうは教科書の残りページも残り少なくなり、終わりが近いことを知らせてくれる。

◎5月28日(木)
 今日のイルキ(読み)の授業はパソコン使用方法についての内容。知らない単語が次々と出てくる。最近物忘れがひどく、なかなか単語が覚えられない。試験にも大きく影響しそうだ。日本にいてもパソコンのことはよくわからないのに。
 それにしても今日は暑かった。朝から半そでで十分だった。教室内ではクーラーを平気で使うのでここでは寒いくらい。
 今日昼ご飯を食べようとしたら、いつも1人で食べている私を気遣ってか例の中国人の女の子が昼食をともにしてくれた。どこで食べようかということになったが結局学食で食べることにした。今日はビザの更新のためこれから大使館に行くらしい。食べる前にピザの話をするものだから食べるほうのピザと勘違いしてしまい、話がかみ合わなかった。
 寄宿舎に帰るとひどく疲れていて1時間ほど午睡をしてしまった。

◎5月29日(金)
 今日の文法では各種不規則・動作動詞・状態動詞の再確認が行われたが、これが意外と頭の中で整理できていない。今まで文法をないがしろにしてきたツケが来たようだ。先生から単語がたくさんが記載されたA4用紙が配られてマスの中を埋める課題が出されたが、けっこうとまどい、先生からチェックされ間違いを指摘される。今まで何をやっていたんだろうと恥ずかしくなった。これはもう覚えるしかない。今日は早く帰っておさらいをすることにした。
 夜カンさんから連絡が入り新しい家の契約が済んだとのこと。声もなんとなく弾んだようす。明日釣りに行こうと誘われたが、明日は朝から句会の人たちと1泊で利川(イチョン)に行くことになっている。残念だがお断りしてしまった。とりあえず新しい家が決まってよかった。
 ところでこの付近は美容室と洗濯屋さんが多い。こんなに需要があるのかと思うほどだ。それにしても洗濯屋さんはどこでも夜遅くまで仕事をしている。自分の店で洗濯をしている店は日本ではもう余り見かけなくなった。こんなところにも韓国には懐かしい風景がある。

 [ヌルボより]  日本では4月8日がお釈迦様の誕生日とされ、花まつり(灌仏会)と称されています。
 韓国では旧暦4月8日が釈迦誕辰日(석가탄신일)で、公休日になっています。2015年の場合は日記にあるように5月25日でした。
 また提燈のことが記されていますが、私ヌルボが2007年のGW(4月29日)ソウルに行った時、世宗路あたりにはもう右のような提灯がたくさん飾られていました。右はその時撮った写真です。「부처님 오신 날(お釈迦様が来られた日)」と書かれています。先の釈迦誕辰日は公的な名称で、コチラが一般的な言い方なんですね。

 同じ5月25日にS氏がトウミ氏と行った映画館のスポンジハウスは、私ヌルボも4月24日ソウル旅行の最終日に初めて行ってきました。4月28日の記事に書いた通りです。観た映画も同じ「すーちゃん、まいちゃん、さわ子さん」。韓国題は「결혼하지 않아도 괜찮을까(結婚しなくても大丈夫かな)」です。S氏も書いているようにハングル字幕が切り替わるのがホントに早いです。「銭湯に行こうか」というセリフが字幕では「찜질방에~(チムジルバンに~)」になっていたな、ということだけ憶えています。
 
        
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定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (10)

2015-08-11 11:31:21 | S氏の慶熙大学校10週間留学記
 [ヌルボより] 留学のいいところの1つは、韓国語を学ぶだけでなく、その韓国語で韓国人や同クラスの人たちといろんな話ができることですね。今回もそんな場面がいろいろあります。
 慶煕大学校では通常の授業以外に多様な企画を実施しています。他の大学でも同様かもしれませんが・・・。21日に希望者対象ですが1泊2日の慶州旅行「現地授業」という言葉は韓国ではよく使われる言葉のようですね。日本の学校では以前はふつうに「遠足」といっていた行事を「校外学習」と言い換えることが多くなりましたが・・・。 ※ハングルで「現地授業」を検索するとヒット数は79万件。「校外学習」は42万件です。ちなみに「修学旅行」は128万件。

◎5月18日(月)
 今日は学校の創立記念日で学校は休み。8時ごろまでごろごろしている。今日は完全休養日。掃除をした後カラオケに行く。1時間の申込みをしたが昼間で空いていたため1時間追加サービスしてくれた。もたもたしている間に一日が終わってしまう。
 外大で勉強しているチエさんからスンホ氏が知っているカニ料理の店に水曜日に行こうと連絡があった。実はチョモ(점호.点呼)という寄宿舎点検が火曜日の夜8時にあるとの通知がされていた。この火曜日は大学で7時半から音楽学部の学生による室内楽演奏会のある日なのでわざわざ寄宿舎に電話してチョモを水曜日に変更してもらっていた。カニを取るか演奏会を採るかで大いに迷う。結局、火曜日の朝にもう1回電話してチョモを再度変更してもらうことにした。それにしてもチョモの時間をもう少し考えてくれるとありがたいのだが。

◎5月19日(火)
 授業開始前に寄宿舎の担当者に電話してチョモの日程を今日に戻してくれるよう要請した。問題なく応じてくれた。午後はタンソの授業がある。残すところ今回を入れてあと2回。先生のレッスンも熱がこもる。熱がこもるのはいいが、先生から夜に教えている別の教室に参加しろと誘われる。今日はチョモがあるといって断ったが、来週は参加せざるを得ない状況だ。
 夜のチョモは簡単に終了。今日も大学で演奏会があるのでチョモ終了後寄宿舎を飛び出す。演奏会が始まるのは7時半。チョモが終わったのは8時15分。坂道を駆け上がり会場に向かう。息が切れるが、空気は乾燥していて寒いくらいの陽気のため汗はほとんどかかない。着いたら休憩時間だったので後半は聴くことができた。学生の演奏とはいえ、ただで聞けてしまうのがうれしい。9時半に演奏会終了。食事して少し宿題をして今日はおしまい。ビールが一口飲みたくなった。

◎5月20日(水)
 明日の1泊2日の現地授業の説明がある。8時20分学校でバスに乗り慶州(キョンジュ)へ向かう。今回の参加人数は206名。人数が多く何回かに分けたらしい。なかなか規則が厳しい。ホテルからの外出、飲酒は禁止。金曜日の5時過ぎに戻る予定。
 6時に外大のチエさんクラスメートのソンホ氏とで道峰山(トボンサン)駅にあるカニ料理店へ行く。この間の日曜日に来たばかりの駅だ。ケジャンというカニ料理をいただく。これが実に旨い。醤油味とヤンニョン味の2種類を食べたが、1人1万3900ウォンでなんと食べ放題! 皿に盛られたカニが少なくなるとどんどん足してくれる。カニみその入っているカニの頭の中にご飯と半熟状態の目玉焼きを少し入れて箸でかき混ぜて食べると、何ともいえない甘みが増し、舌と半熟卵とご飯とカニみそが渾然一体になる食感は、口の中で美しいハーモニーを奏でるようで幸せを感じずにいられない。ソンホ氏が教えてくれた食べ方だ。新鮮で美味しいカニをこの価格でたらふく食べられるとは。来てよかった! チエさんも感じのいい頭のいい女の子だが、ソンホ氏も優しさがにじみ出ている純情な好青年だ。昨日まで夜遅くまで授業で発表するための打ち合わせが続き、今日その発表が終わったらしい。その解放感からか2人とも食べる食べる。この日は6時過ぎから10時近くまでほとんどの会話が韓国語だった。ソンホ氏は大邱(テグ)出身だが、子供のころの思い出や軍隊での経験をいろいろ話してくれる。やはり聞き取りはむずかしいが、もう少し頑張れば何とかなりそうな気がした。

◎5月21日(木)
 学校の慶州1日現地授業の日。前から行こうか行くまいか考えていたが、行こうと決定した。8時15分学校に集合。大型バス5台に分乗し出発。スウェーデン人のシャイ男ハンネスはドタキャンした。
 道のりはやはり遠い。バスは他のクラスも一緒だが、途中別のクラスの日本人の若い子女の子が気を利かせてくれて梅干味のお菓子をくれた。やはり梅干の味は懐かしい。この子は極めて社交的で信じられないくらい元気ではつらつとしている。さすがにこの年で参加すると違和感を感じる。
 やはり同じ言語の人間同士がどうしても集まってしまう。特に特徴的なのはアラブ語圏同士だ。ふだんからこの連中は授業の休み時間がでもそうだがとにかく時間があるといつでも一緒にいる。結束力はとにかく強い。今回の旅行でもアラブ国の連中は学校が用意した韓国料理は食べようとしない。コンビニで何か買ってきて食堂の横に集って食べている。宗教上の違いから豚肉を食べないのは理解できるものの、何もそこまでしなくてもいいのにと思うが、次の日理由が分かるようなことをアラブ圏のクラスメートから聞くことなる。
 この日は瞻星台(チョムソンデ)[=大昔の天文台のようなところ]を見学。夕食をシクタン(食堂)ですませた後、ホテルに移動。
 7時半ごろからレクレーションタイム。ゲームや参加者の自慢の歌や踊りの披露がある。ゲームは先生方の努力もあってなかなか盛り上がり、けっこう楽しい。分乗したバスごとにゲームの得点を競い合うのだが、わがバスチームはビリだった。ゲーム終了後景品のお菓子を持ち寄り2次会が始まる。さすがに自分は2次会参加は見送り就寝。部屋は4人部屋。小さな部屋に押し込まれた感じ。

◎5月22日(金)
 朝食後8時前にホテル発。仏国寺(プルグクサ)、石窟庵(ソックラム)見物に向かう。ここは3度目の訪問になる。途中中国人のクラスメートと話すことができた。今、慶熙大学で学んでいるが来年はこの大学で貿易学を学びたいという。ふだんはおとなしいが自分なりに将来を見据えているようだ。
 早めの昼食の時間になるが、このとき中国人の10人ほどのグループに1人だけ入り込むことになった。隣に座っている女の子は微笑んだ顔で挨拶してくれたが、目の前に座った子は挨拶してもあまり相手にしてないような素振りをされた。日本人が嫌いなんだろうと思っているところ、食べているおかずをズボンに落としてしまった。汚れをとろうとウェットテイッシュを探していたら真っ先に差し出してくれたのがその女の子だった。勘違いをして申し訳なかった。ここでもアラブ圏グループは別行動。
 昼食後ソウルへ向かう。バスは相当のスピードを出す上、車間距離をほとんどとらない。事故が起きたら玉突きになるのは当然だが、それでも他の車が急に車線変更して割り込んでくる。実に荒っぽい。
 車中みんな疲れのため寝入っているが、隣に座っているマレーシアの秀才君と話すことができた。パンダのように小太りで、水を大量に飲み何時も間食にお菓子類をパクついてる。笑顔にあどけなさが残っている。やはり彼は奨学金で授業を受けている。道理で出来がいい訳だ。自国語のほか英語、中国語、台湾語、香港語ができるという。現在28歳。将来はプログラマーになりたいらしい。来年からは済州島でコンピュータの勉強をするという。韓国では5年ほど勉強することになるのだが、毎日暑いマレーシアより四季のある韓国が好きで、寒い冬もまったく苦にならないらしい。ちなみに父親はマレーシアで事業をやっているらしい。
 事故もなく無事学校へ到着。帰りにアラブ系のクラスメートと一緒に帰る。彼いわく、日本人は親切で好きだが中国人があまり好きではないと言う。中国人留学生は確かに多く、食事を一緒にしたがらない理由もそのあたりにあるのかと思った。彼は帰りに美味しいハンバーガーがあるからといってチキンバーガーをご馳走してくれた。何時も笑顔でとてもひょうきんな優しいやつだ。お金を払おうとすると次回ご馳走してくれといわれた。
 夕方は明洞まで出向き、カンさんとそのお客さん夫婦と飲むことになった。片道5時間程度の長旅で疲れを感じていたが、感じのいい夫婦だったので美味い夕食を食べることができた。
 この時なぜかお風呂の話になったので、カンさんに韓国の人はなぜ家に浴槽があってもシャワーだけで済ませるのか聞いてみた。カンさんも16年今の家にいて入浴したのは10回ほどだという。「浴槽はあっても体全部を温めようとするとどうしても足を浴槽からださなければならないので、それが嫌だ。入浴するならゆったり入れる銭湯を選ぶ。それに韓国では冬でも室内が暖かいので体を風呂で温める必要がない。そんな理由で家族は誰も入らないし自分ひとりのため風呂を沸かすのはもったいないでしょ」との理由であった。

 [ヌルボより] カンさんの「なぜ自宅の風呂に入らないか」についての話はとてもおもしろいですね。それにしても「16年今の家にいて入浴したのは10回ほど」とは!(笑) しかし、韓国人の標準はどの程度なのでしょうか? 韓国はわりとふつうのホテル(中の下ランクくらい?)でもシャワーだけの所があったりします。一方、街には沐浴湯(モギョクタン.風呂屋)があって朝から開いていていろんなサービスがあるし・・・。日韓の風呂文化も比べてみるとおもしろそうです。
 ※9日の「毎日新聞」に、台湾の留学生が「日本の「裸の文化」に感動」という投書を寄せていました。(→コチラ。) 銭湯に行った感想で、「どうしてみんな恥ずかしくないのだろうと驚きました」とか「裸の文化は日本にしかないように思います」とか書いていますが、韓国の沐浴湯に行ったらもっと驚いたのではと思います。
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定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (9)

2015-08-07 11:26:13 | S氏の慶熙大学校10週間留学記
 [ヌルボより] 留学生に対するお手伝い役の学生=「トウミ」制度を初めて設けたのが慶煕大学校だそうです。毎度思うことですが、S氏担当のトウミ氏は本当に最上級の「トウミ」だと思います。他の「トウミ」は全然知りませんが・・・。勉強の手助けはもちろん、彼が連れて行ってくれる所の選定はとてもよく考えられていると思います。4月18日にはサムスン美術館Leeum、そして今回の5月13日は大学路です。
 明洞地下街の眼鏡屋さんのカンさんとのツキアイの濃さはもしかして日本人の友人以上? 今回はご家族も一緒にハイキング。

◎5月13日(水)
 今日は先生との個人面談が授業の合間に10分ほどあった。中間試験の結果については問題ないと言われた。「日本人は皆さん勤勉なので感心します」と日本人をほめていた。日本人の評価を下げることなく対面を保てたようだ。生活での不自由な点はないかと訊かれたが問題はないと回答。週に1回週ごとの出来ごとを作文にするのが宿題だが、私の文章は面白く毎週楽しみにしているといわれた。誤字が多くかなり添削されるのでちょっと恥ずかしい。「知らない単語がたくさん出てくるので覚えるのが大変です」とも答えておいた。
 午後はトウミと会って昼食後大学路に連れて行ってもらった。実はここは初めてだ。韓国のブロードウェイともいわれ、独特の雰囲気がある。おしゃれなカフェがたくさんあり料金は高そうだ。平日のため人は少なかったたが、それでも修学旅行と思われる高校生の団体がバスを連ねてきていた。ドラマのロケ地でも有名なところで、たまに芸能人ににも出会えることがあるとかで土日はごった返すらしい。(地下鉄2号線恵化駅下車)。
 夜は大学の講堂で音楽学部の学生の大学創立60周年記念オーケストラ演奏会があった。曲目はデュカのシンフォニー、リストのピアノコンチェルト1番、シベリウスの交響曲2番。なかなかの難曲だ。大きな講堂で音が上に抜ける感じで音響はあまりよくないが、けっこういい演奏だ。とくに弦楽器が締まっている。繊細で安定していて最高の音に挑戦しようという緊張感が漲っている。水準は高い。7時半に始まり、終わったのは9時半。タダで聴けたのはもうけものだった。

◎5月14日(木)
 今日の後半の授業は会話。なんとなくこの授業は苦手だ。状況設定が理解できないところがあって、たまにポカをやらかしてしまう。今日も二人の会話だが、どこを読んでいいか分からず恥をかいてしまった。午後は外国人留学生の韓国語スピーチコンテストがあったので行って見た。延べ十数名が出場し、日本人は2名出場。スピーチ時間は1人4,5分程度。出演者は韓国在籍2年以上の人がほとんどで、事前審査に通った人が出るのでさすがに上手だ。ユーモアも交え笑わせどころも心得ている。正直、理解できたのは半分程度だ。出場者には各々応援団がいて会場はけっこう盛り上がっている。優勝者の賞金はなんと200万ウォン。パキスタンかウクライナ出身の人が優勝した。帰りぎわに担任に会ったので「半分程度しか分からなかった」と言ったら「マイクの音があまりよくなかったからしょうがないわよ」と慰めてくれた。

◎5月15日(金)
 今日は外国人祭りのある日。アラブの人たちは早々に民族衣装をまとい誇らしげだ。さすがに似合っている。1時ごろまで授業をしてねその後早めの昼食をとる。トンカツ弁当が出て教室内で食事。なかなか美味しい。
 12時祭りの行われる校内の場所に移動する。いくつかテントがあって、その中で7ヵ国の人たちがそれぞれチームを組みお国自慢の料理を作って味を競い合っている。ベトナム、中国、アラブ、ガーナ、ブラジル、タイ、日本が出店。民族衣装を着た人も多く華やかな雰囲気だが、人が多くてなかなか料理にありつけない。何とか5ヵ国の料理を確保。さすが自慢料理だけあってそれぞれ特徴があり美味しい。ちなみに日本はお好み焼きだった。
 食後は隣の講堂で一同が集まり、ゲームあり、歌あり、ダンスありの祭典が繰り広げられた。司会は男性教員の一人が担当したが、進行が実にうまい。おそらく30代後半だろう。自ら歌とダンスを披露したが、コミカルなところがあり会場から大うけだった。出場者は志願して出てくるだけあってなかなかの芸達者だ。若い人のエネルギーが発揮されていて大いに盛り上がり、終了したのは4時過ぎだった。

◎5月16日(土)
 今日はT氏御一行(鎌倉のサークル仲間)4名様と会う日。前もってメールで約束していた鐘閣駅隣にある永豊文庫で待ち合わせ。12時に待ち合わせていたので約束場所で待っていたがなかなか来ない。15分経過。なかなか来ないのでそんなはずはないと思ってメールを見たらなんと大きな間違い。自分は永豊文庫で待ち合わせしたと思っていたら、なんと教保文庫と間違えていた。あわてて移動する。歩いて5分程度距離だったので12時20分には到着。Tさんが心配して書店内を探してくれているところにうまく出くわした。皆さんにご迷惑をおかけしてしまった。それでもいつもと変わらない面々を見て懐かしくなった。皆さんそろって満ち足りたような笑顔で、きっと楽しかったに違いないと確信する。
 焼酎を飲み昼食を食べた後、店を変えてマッコリを飲みながら原州・楊口方面への旅の思い出話を聞かせてもらった。少々飲みすぎて気持ちよくなった。この日帰国する皆さんと鐘閣駅で4時頃お別れして寄宿舎へ戻る。気持ちよく午睡。

◎5月17日(日)
 今日はカンさんが山登りに誘ってくれた。こちらに来た当初から彼の大好きな釣りと山登りには必ず行きましょうと言ってくれていた。義理堅く約束を守ってくれ、今日は山登りの日となった。10時に回基駅から地下鉄で20分ほど先の道峰山(トボンサン)という駅で待ち合わせた。改札口で待ち合わせたが、心配してくれてカンさんがホームまで出迎えてくれた。
 駅前は大きなマンションが立ち並ぶベッドタウンだ。カンさんは16年住みなれたこの場所から引っ越すため昨日売却契約を結んだという。ちょっと複雑な気持ちだという。
 目指す山はマンションの立ち並ぶ反対側から山道に連なるが、好天気もあってか大勢の人が押し寄せている。それでもいつもよりは少ないらしい
 駅前から多くの飲食店が行きかう人を待ちかまえている。実ににぎやかだ。しばらく歩くと急に渓谷が現れ別世界のようになる。山頂は標高766mらしいが、さすがに山頂付近の道は険しいらしく、途中の天竺寺というところまで行きましょうということになった。
 岩の多い急勾配を進むが、けっこう年をとった人も登ってくる。新緑が生い茂り爽快な気分になる。カンさんの奥さんが冷たい水とコーヒー、そしてキュウリとトマトを用意してくれた。トマトとキュウリはこちらでは山登りの際の必需品らしい。休憩していただいたが、ほかの登山客も頬張っている。ただのトマトとキュウリだけで食べたが、新緑に囲まれ食べる味は格別なものがある。冷たい水がのどを潤してくれた。奥さんの心配りがなんともありがたい。
 天竺寺に到着。ここは名刹らしい。カンさんも手を合わせ熱心にお祈りしている。敬虔な信者かと思い訊いて見たら「私は無宗教です」といわれた。この寺から山頂が望むことができるが、急峻で非常に大きな岩場があり、世界的に有名なロッククライミングの名所らしい。またここは韓国では知らない人のいない世界的な探検家オム・ホンギルの生まれ育った場所でもあるらしい。ロープを伝って絶壁を登る人影が小さく見える。
 引き返して駅のそばまで来ると奥さんとお子さんたちが出迎えてくれて一緒に昼食をとる。家族が出迎えてくれるとは実にうれしい。お子さんはお嬢さんと息子さん1人ずつ。2人とも中学生の思春期で、私を見ても恥ずかしいらしくあまりしゃべらない。かわいらしい顔をしているが、相手が初対面の日本人でしかも父親より年が上となると当たり前だ。
 豆腐が美味しいという店に入り、一緒に昼食を食べる。「ここにはホンオ(エイ)があるので食べますか?」というので注文してもらう。ホンオは韓国でしか食べられず、しかも高級料理だ。国内産は超高値でめったに食べられない代物だ。ここは外国産らしいが、高いとわかっていながら注文をお願いしてしまった。遠慮なく焼酎を流し込みながら豆腐鍋とホンオたべる。ホンオはアンモニア臭が強いため豆腐、キムチ、にんにく青唐辛子などまとめて口の中に放り込む。さすがの韓国でも嫌いな人が多いらしい。調子に乗って食べているとなんと追加注文までしてくれた。さすがにちょっと参ったが、美味しいので頑張って食べた。アンモニア臭が鼻腔をしきりに刺激する。汗をかいた後の焼酎がついつい進む。カンさんも奥さんもいける口で、どんどんビンが空いてしまう。さんざん食い散らかしてしまうことになった。支払いの段になるとカンさんが払ってくれてしまう。あつかましいと思ったが、言われるまま、また借りをつくってしまった。どうやってお返しをしたらいいのやら。4時過ぎに寄宿舎に戻る。またもや午睡。

 [ヌルボより] ソウルには道峰山の他にも北漢山、冠岳山、清渓山等々手軽に行けるハイキングに適した山がいろいろあります。私ヌルボもぜひ行ってみよう!と思い続けて5年以上、まだ実行していません。
 韓国では「トマトとキュウリは山登りの際の必需品」とは知らなかったですね。
またオム・ホンギル(厳弘吉)という登山家も知りませんでした。ウィキペディアによると1960年生まれで、ヒマラヤ14峰を世界で9番目に制覇した山岳家なのだそうです。
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定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (8)

2015-08-04 06:33:31 | S氏の慶熙大学校10週間留学記
 [ヌルボより] 読んで思うことの1つはS氏のクラスメートたちがとても気軽に彼に接していることです。60歳近いオジサンに彼らの方から声をかけたり時には食事に誘ったり・・・。S氏の人柄もあるでしょうが、どうも対人関係の距離感といったものが日本と違うという点が大きいのでは? 日本人は世界標準からみると対人関係が相当に「よそよそしい」のでしょうね。まあ、こういったいろんな国の人たちとコミュニケーションの場が持てるということは短期留学の大きなメリットですね。
 日本人の勤勉さについてはいうまでもありませんが、S氏はまさにその代表格でしょう。同じクラス内で欠席ゼロは彼だけです。

◎5月6日(水)
 やっと学生証ができる。4月の最初にはできると思っていたが、講義過程の半分が終わってからやっとできあがった。生徒数が多いから時間がかかったと言っているが、それは最初からわかっているはず。まあこの国なのだろう。なくても特段不自由はない。
 試験結果が全ての教科でわかった。聞き取り76点、読み73点、文法85.5点、書き取り62,5点、会話75点。どうしてもスペルミスが多く、書き取りの点が伸びない。授業中もよく指摘される。まあこんなものでしょう。教科ごとの平均点の発表はないようだ。
 今日の夕飯。コンビニのアジュマに教えてもらった外語大留学生の女の子とコンビ二の前で待ち合わせる。昨夜友だちを1人連れていくとのメールが入っていた。6時の待ち合わせ。その前にカンさんと今日飲みに行くため8時半に回基(フェギ)駅で待ち合わせすることにした。
 彼女らと5時50分に落ち合い焼き魚店へ。確かに美味い。安い。いろいろ話しながら食事をしたが、聞いたところによると那覇市出身。中国へも留学したらしい。韓国語は上級クラス。物怖じしない社交的な性格。一緒に連れてきたのは26歳くらいの男子学生。大邱(テグ)出身で日本語を学んでいるらしい。この人もなんとも言えずいい人。穏やかで純粋そうな人柄が話の中に表れている。外大は小さい大学だが、周辺はなかなかにぎわっている。さすがに韓国は奥が深い。2時間近く食事をしいろいろ話をしたが、沖縄の子はさすが上級コースと思わせる貫禄がある。こちらはついてゆくのが必死。ついにこらえきれず後半は日本語で話してしまった。美味しい店は未だあるのでまた行きましょうと言ってくれた。
 8時半にカンさんと落ち合う。飲み場所を探してコプチャンの店に入る。カンさんのようすがいつもと違う。酒を早いペースであおるように飲んでいる。途中タバコを吸いに外に出たが、後ろ姿にたくましさと同時に哀愁を感じた。戻ってきてまた一緒に飲んだが、対人関係でトラブルがあったようだ。敢えてこちらからは訊かないが、ちょっとつらそうだ。

◎5月7日(木)
 朝晩は涼しく長袖が必要だ。
 なんとか授業終了。終了後にドバイ出身のクラスメートが土曜日の7時にアラビア料理を作るので一緒に食べないかと誘ってくれた。食べたいと思ったが先約があるため断ってしまった。しかしせっかくの機会なので考え直し、寄宿舎に帰って先約をキャンセルした。明日の朝行ってよいかどうか確認することにする。よほど私が食いしん坊に見えたのか、それにしても嬉しい誘いだ。宿題が溜まってきた。そろそろやらなければ。

◎5月8日(金)
 授業前に今後の授業日程の説明がある。記念写真の撮影、慶州(キョンジュ)への1泊現地授業、外国人祭り等々。そうこうしている内に期末試験があってもう卒業式になる。
 今日ドバイ出身のクラスメートに明日行く旨を伝えた。アラビア語圏の仲間が何人か集まるようだ。明日7時にフェギ駅で待ち合わせ。
 今日は授業中珍しくあくびがでてしょうがなかった。放課後寄宿舎に帰り昼寝をしたら2時間近く寝てしまった。

◎5月9日(土)
 今日は8時過ぎに起きた。多少疲れているようでベットでぐずぐずする。朝はブラインド越しの日差しがまぶしく7時過ぎには目が覚めてしまう。パンを食べて掃除にとりかかる。1週間人間が暮らしているとこんなに部屋が汚れるのか。それとも人間自体が汚いのか。
 少し髪が長く鬱陶しくなってきたので、近くの美容院でカットしてもらうことにする。この美容院は学校に行く途中にあるが寄宿舎からも近い。けっこう若い人でにぎわっている店だ。金髪のお兄さんがいてこの人がオーナーなのだろう。一見ちょっと無愛想そうだが、そうでもなさそうだ。15分くらい待って取りかかってもらう。「どうしますか?」と訊かれたので「1ヵ月半後にこの状態になるようカットしてくれ」と頼んだところ、どう訊き間違えたのか言い間違えたのか、驚いたように「6ヵ月後ですか?」と訊きなおす。そこは修正。なかなか一生懸命に丁寧にやってくれる。終わり間際に「こんなもんでいかがでしょう?」と言われたが、もみ上げが少し長かったので少し短めにしてもらった。洗髪して終了。1万3千ウォン。安い。できばえも気に入ってこの値段。散髪はソウルに限ると思ったが、そうも行かない。
 夜はドバイ出身のクラスメートと食事するため回基駅から携帯に電話した。5分後に迎えに来てくれた。タクシーで行くというので場所はどこかと訊くと「この近くにある」という。どうも要領が得ない。タクシーでしばらく行くと高麗大学の前に着く。タクシー代を払おうと思ってたら前の席にいた彼が払ってくれた。こちらが払うと言っても受け取らない。2、3分歩いてインド料理の店に着く。家で仲間が集まり郷土料理を食べるのかと思っていたらまるで違う。結局2人だけの食事になった。つたない韓国語で会話をする。いろいろと国やお父さんの写真を見せてくれる。お父さんは医者で歯科と内科の医院を開業していて50歳だという。歯科と内科の組み合わせが日本人には理解できない。家にあるレクサスの写真を見せてくれたが結構な高級車だ。相当裕福な家庭らしい。年を改めて聞いたところ19歳らしい。体格はよく、ひげ面なので22,3歳かと思っていたら未成年。確かに目元にかわいらしいあどけなさが残っている。また、4年後には結婚が決まっているという。京都に行ったことがあるらしく気に入ったようだ。今年は日本に遊びに来るという。この辺で多少誘われた意図が見えてきた。トイレに行くというので待っていると支払いを済ませたようだ。いくらなんでも10代の若者に払ってもらうわけにはいかないので「私が払う」と言っても頑として受けつけない。さすがにこちらもかっこ悪い。押し問答してもしょうがないので、日本に来たら必ず遊びに来るように念を押した。近いうちに寿司でも食べに連れて行こうと思う。

◎5月10日(日)
 今日は家族が来韓。家族ともどもトウミにすっかりお世話になってしまい、ありがたいけれど申し訳ない。家族が到着する前にトウミに中間試験結果を見せたら「筆記がいけませんね」との指摘。
 昼食後、家族を学校に案内する。環境の良さに感激したようす。帰りにお世話になっているコンビニのおばちゃんのところに挨拶に行ったら喜んでくれた。
 夜、東大門でサムギョプサルを食べた後、コンサートがあるとのことで1人で寄宿舎へ戻る。一日中暑いくらいの陽気だが、湿度が低いためか過ごしやすい。明日は午後から雨が降るとの予報。

◎5月11日(月)
 今日から7週目の授業に入る。文法の授業は教え方は丁寧で似たような表現の違いがよくわかる。ただし集中して聞いていないと聞き逃すことになる。黒板に書かれたことをさっさとノートに書き写さないとどんどん先へ進んでしまう。後半の授業は読みの授業。日常生活で使う単語や慣用表現が次々出てくるので覚えるのが大変だ。未だに読むスピードに対処できていない。
 夜、カンさん夫妻とうちの家族とで東大門でタッカンマリを食べに行く。あいにくの雨だが少し涼しいので鍋料理にはもってこいの日和だ。カンさんの奥さんは美人で酒が滅法強い。初対面で隣に座ったが、飲むほどに饒舌になる。日本語は話せない。実に朗らかにおしゃべりしてくれる。もちろん全部は理解できない。わからないそぶりを見せるとわかりやすいように言い回しを工夫してくれる。こちらも「今おっしゃったことはこういうことですか?ムと確認する。なんとかなるもんだ。実に楽しく美味しい会食だった。
 家族を乙支路(ウルチロ)4街のホテルまでタクシーで送ろうとしたが、天気のせいもあってつかまらない。やむを得ず歩いて送っていった。

◎5月12日(火)
 二日酔いでしんどいが朝6時半に明るくて目が覚める。
 通学の途中で背中をたたくヤツがいた。誰かと思って振り返ると台湾出身の靴お宅のクラスメートだった。気軽に声をかけてくれるようになった。実にうれしい。
 今日は韓国語を学ぶ外国人の全員の記念写真を撮る日。いるわいるわ、数え切れないくらい。これでは一体どこに写っているのかわからないだろう。雨は止んでいたが寒い陽気だったので待っている時間が長く寒かった。2時からタンソの授業。家族が帰るので授業は半分の1時間だけ出て見送りのため宿泊先に向かう。
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定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (7)

2015-07-29 12:04:43 | S氏の慶熙大学校10週間留学記
 [ヌルボより] 今回の注目は5月5日子供の日の済扶島(チェブド)一人旅。「海がふたつに割れる韓国版モーゼの奇跡が起こる」というと珍島を思い浮かべる人が多いと思いますが、華城市のこの島は毎日2回見られるし、ソウルから日帰りで手軽に行けるんですね。<ソウルナビ>の記事(→コチラを見ると、広大な干潟の中に奇岩なんかも立っていて、「年間100万人の人々が押し寄せるム行楽地だけのことあります。

◎4月30日(木)
 今日は会話の試験。一番簡単なところで失敗。意外と言葉が出てこない。冷静になれない自分が情けない。主なテーマは、「ストレスはどんな時に生じ、解消するにはどうしたらよいか」という内容。これを習った文法を使いながら回答しなければならない。終わってみればこういえば良かったと思うが後の祭り。クラスメートとの1対1の会話は何とか凌げたか。最初に状況を設定され、どんな会話を作るかといった内容。私とパートナーに与えられた状況設定は、「生徒の両親が訪ねてくるため授業に出席できない旨を先生に伝え、その日の授業内容と宿題をどうするか、生徒と先生に分かれて会話しろ」という内容。こんな状況で試験は終了。
 終了後、班長の発案で皆で昼食をとることになった。場所は正門近くのインド料理店。カレー味のチャーハン。辛くはないがスパイスが効いてなかなかおいしい。和んだ雰囲気で昼食を食べたのは今回が初めて。
 クラスは台湾、香港、中国と中国系が多く、よく中国語で会話している。例の靴好きのお兄ちゃんに「一体何足持っているのか?」と訊いたところ「20足」と答えていた。どこに置くのだろう。中国の化粧好きのお姉さんは日本漫画が好きらしく、しきりと死神の話をしていたが、こちらとしては残念ながら対応できない。
 夕方カンさんとその友達と私、合計4人でソウル市庁裏の飲み屋街に繰り出す。行き着いたのはふぐ料理店。大きめな店だが席は満席。いくら安いといってもやはりふぐはふぐ。日本なら1万円では食べられないだろうと思われるのが5万ウォン足らずで食べられた。カンさんの友達と2次会へ行くため地下鉄で東大門へ向かう。ホフに入り、つまみにスルメを頼んだがこれが誤算。月曜日に治したはずの歯の詰め物が取れてしまった。

◎5月1日(金)
 今日は28度まで上がると天気予報。
 今日が終わると授業日程の半分が終わる。確かに書く力だけはアップしてきていると思うが、あと半分でどのくらい実力が上がるのだろうか。
 朝8時半過ぎに歯医者に寄って予約をしようと行ってみた。診療は9時からだが、先生がいて「今診てあげる」と言われた。これから授業なので午後に来ることにした。
 今日は5教科の中間試験のうち3科目の結果があった。予想していたより出来が良かった。文法は83.5点(0.5点はおまけしてくれたようだ)、読み73点、聞き取り76点。読みは時間が足りなく全問回答できなかったので、今までのところまあまあ恥ずかしくない点数だと思う。日本で勉強したことは十分役立っているようだ。
 今日の授業は答え合わせだったが、このところ先生の話す速度が速くなったように感じる。早ければ早い分聞き取れなくなる。先行きに不安が残る。
 2時に歯医者へ行く。先生が「虫歯があって隙間ができたため接着が上手くいかない」という。現状ではすぐとれてしまうので今後の治療方法について話したいが、細かいことは理解できないだろう。だれか通訳がいないかと言われる。ここはカンさんに頼むしかないと思い。カンさんに電話してもらう。結果は「きちんと治さなければどうしようもない。無理にでも付けろと言うなら付けるが、また直ぐ外れてしまう」と言われた。治療費は健康保険がないため4、5万はかかるとのこと。旅行保険があるため問題はあまりないが、今後続く治療のことを考えると大変そうなので、何とかもう一度付けてほしいと要請。とりあえず付けてもらった。治療費を払おうとすると、「すぐに取れてしまったので今日は頂きません」といわれた。良心的で、これも日本ではあまり考えられないだろう。
 夜はカンさんの店でカンさんのお客さんと待ち合わせ、東大門へタッカンマリを食べに行く。途中広蔵(クァンジャン)市場を見物。多くの人で賑わい、市場の通路のアーケードの露天で老若男女が一杯やりながら何かとほお張っている。途中ユッケの店が集まっているところがあった。日本では規制されもう食べられなくなってしまったものだ。一度食べて見たい誘惑にかられる。タッカンマリの店のあるところにたどり着く。多くの店がひしめいている中で1軒を選び、久しぶりに食べて見たが安くておいしい。まだ夜は涼しいので汗をかかずに食べられた。これを夏に食べると汗が噴出し大変なことになるらしいが、韓国人は平気で食べているという。多くの店の中で1軒だけ行列をなしている店があったが、超人気店らしい。あまりの長蛇の列にここは敬遠。

◎5月2日(土) 今日は午後2時から句会があるが、3時開始と間違えて1時間遅刻。天気が良く風もないので絶好の笛を吹く天気と考え11時ごろ学校に行ってしまった。前日にメールで投句しておいたので何とか参加できたが、結局1票も選句されなかった。
 6時に鐘閣で懇親会が行われたが、ここで食べた鶏をジャガイモと人参と太目のマロニーを醤油味で煮込んだ料理が安くて旨かった。人気店らしく店は直ぐ満席になっていた。2次会に参加。ここでいつもどおり急遽句作りをさせられる。題目は「新緑」と「衣」各1句ずつ。 「道筋の新緑覚ます酔い気分」と「春過ぎてあっという間のうす衣」。2句目は季語が2つあるので好ましくないので、先生が「女子大のあっという間のうす衣」と訂正。

◎5月3日(日)
 今日はトウミと会う。近くの銭湯にゆく。人は少なくゆっくり湯船に浸り気持ちがよかった。こちらへ来てとっぷり湯船に浸かったのは初めてだ。こちらはけっこう銭湯が多い。5千ウォンだった。昼は何が食べたいかと聞かれたので焼き魚を食べたいと言い、店に向かったが、残念ながら日曜のためか休業。途中でチュオタン(ドジョウ汁)の店があったのでそこに入る。これがなかなか美味しい。何年か前に南原で食べたチュオタンを思い出す。来てよかった。
 その後は部屋に戻りね作文の宿題に取り掛かる。

◎5月4日(月)
 今日から授業第5週目に突入。
 こちらは日本と同じで明日は子供の日で休日。
 今日も何時ものコンビニに水を買いに行くと、おばちゃんが若い女の子と話している。おばちゃんからは前から近くに美味しい焼き魚の店があると聞いている。「確認して教えてあげる」と言っていたのになかなか実現しなかったが、その女の子が情報源であることが判明。紹介してもらったところ、外語大で中国語を習っているという。なぜわざわざ韓国にまで来て中国語なのかは聞かなかった。こちらに来て2年ほど経つという。近いうちその店に案内してもらうことにし、カカオトークの連絡先を教えてもらった。
 明日は天気がよさそうなのでどこかへ出かけようと思い立つ。ガイドブックで済扶島(チェブド)へ行こうと決める。しかしこの島に渡るのは干潮時しかなく、それも毎日時間が変わるので事前に干潮時間を調べなくてはならない。島にわたり干潮になると次の干潮まで戻れなくなってしまう。パソコンで調べたがなかなか見つからない。やっと見つけた。朝7時半から午後3時半まで島に渡れることが分かった。

◎5月5日(火)
 目覚めると子供に日にふさわしい上天気。済扶島行きを敢行。朝8時半出発。地下鉄1号線で衿井(クムジョン)駅まで行き、そこからバスに乗る。地下鉄は登山へ向かう姿の人が目に付いた。地下鉄は冷房が効きすぎて肌寒く、皆長袖を着込んでいる。何もそこまで効かせなくもいいのに。リュックに長袖を入れておいたが半袖で出て来てしまい、少々寒い。
 駅を降りるとバス停は運よくすぐに見つかった。
 到着までバスに乗って1時間超。途中、田植え前の田園風景が広がったり葡萄畑があったり、つつじがきれいに咲いていたりと、景観のいいところがあった。済扶島入口で降り、島へ行くバスに乗り換える。ちょうど出発したところで乗り遅れたかと思ったが、運転手さんが気がついてくれてうまく乗ることができた。
 超満員。すぐに両側が干潟となっている2車線の道路を進む。一応歩道も整備されているが歩いている人はいない。広大な干潟だ。
 10分足らずで目的地に到着。しばらく海岸を散策。家族連れやカップルが続々やってくる。潮干狩りや弁当を広げている人がたくさんいるが、日本の潮干狩りほどごった返しているわけではない。ここは世界でも有数のアサリの産地とガイドブックに書いてあった。
 昼になったので名物のアサリうどんを食べようと、立ち並ぶ店の中から1店を選ぶ。一席をあてがわれたが周りは家族連れが多く貝焼きを楽しんでいる。1人の私には残念ながら到底無理だ。
 海岸沿いのそれぞれの店は客の呼び込みに必死になっていた。なぜか多くの店の呼び込みがそれぞれ着ぐるみを着ている。バットマンの格好をした人もいる。島の中は大して見るところはなく、1時前には引き返すことにした。
 済扶島入口に水原駅行きのバスが来たので乗ることにした。乗ったのはいいが降りる停留所を間違えてしまった。大きなロッテマートがあり降りる人も多かったのでつい降りてしまった。バス内の表示もイボン(次)は水原駅と表示されていたと思ったのだが。
 後は交通標識を頼りに駅まで歩いたが20分以上かかってしまった。10年くらい前に来たときと町は様変わりしていた。立派な駅ビルが建ち。大きくきれいなビルが立ち並んで人通りもにぎやかな町に変身していた。
 KRで龍山(ヨンサン)駅にたどり着き、地下鉄1号線に乗ったつもりが4号線に乗っていた。しかし回基(フェギ)駅に着くので結果OK。今日は一日中少し風が冷たく感じられたが、からりとした快晴で気持ちが良かった。
 夜10時過ぎ、どこかの部屋でタンソの練習をしている音が聞こえる。明日、外語大留学生とその友だちとで食事することになった。
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定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (6)

2015-07-23 10:03:13 | S氏の慶熙大学校10週間留学記
◎4月25日(土)
 今日はトウミと会う日だ。当初は風呂屋でも行ってのんびりする予定だったが、先日の晩に急遽試験勉強の手伝いをしてくれるよう要請しておいた。こちらに来て一度も浴槽に浸かっていないのでそれも悪くはないのだが。
 朝は8時に起床。天気はすこぶる良いが、こちらへ来てこんなに寝たのは初めてだった。
 10時に寄宿舎の下で待ち合わせ。教科書を詰め込んだリュックを持って喫茶店に向かう。面接試験の内容を想定し質問と答えを考えてもらった。単語の書き取りをしたほか、短文を読み発音のチェックをした。単語は50個以上を書き取ったが、正答は半分程度しかなく発音はめちゃくちゃ。何度も読み返しを命じられる。2時間半ほど勉強したが、思いがけずウイスキーの差し入れを受ける。このウイスキーは軍人専用に売られるもので、箱には軍人用との記載がされている。なかなか貴重なものだ。しかも軍人は免税で買えるため市価の半額程度らしい。ただし、年間に4本ぐらいしか買えないとのこと。そのほかにも映画が半額で見られたり、いろいろなものが40%割引で買える特典があるという。そんなことで日本の映画もよく見るらしい。Sさんは見ましたかと訊かれたが、1本も見ていない。自分が少々情けなく思えた。
 昼は学校のそばにある小さな食堂に入る。トウミが昔からよく知っているらしい。スンドゥブと豚肉炒めを食べた。肉は柔らかくとてもおいしい。途中トウミが自分の携帯を差し出し、「奥さんに電話してみたら」と言われる。通話料が高いからと断ると「かまわないから」という。久しぶりに妻の声を聞いた。「子供にも電話して」と言われたが、「今電話番号は分からない」と伝えた。「子供の電話知らないとはいけませんね」と言われてしまった。5月18日は大学の創立記念日で授業は休みになるが、この日は日本海側にある束草(ソクチョ)という町に連れて行ってくれるらしい。ただし、雨天の場合は途中の道に危ないところがあるので中止になるという。
 夜、今までに3回ほど行った店で夕食をとる。今日は客が少ない。アジュンマが「おいしいですか?」と話しかけてくれる。そのうちご主人も出前から帰ってきていろいろと話してくれた。最初はあまり愛想がないと思っていたが、今日は饒舌だ。写真を見ながら息子の話、孫の話、北朝鮮の話、どうも安部首相は気に入らないらしいが、われわれは仲良くしなければならないようなことも言っていた。2年前日本に旅行に来たことも話していたが、日本の街路はとてもきれいだったと絶賛していた。

◎4月26日(日)
 今日は朝起きられない。かなり疲れているようで起床は9時半。朝、昨日買ってきたバナナを食べる。熟しておらず皮が上手く剥けない。やや硬めで甘みも少ない。バナナが多いのでいつものコンビニのアジュンマにおすそ分けした。それにしてもいつ行っても店にいる。朝早くから夜遅くまで、日曜から土曜日まで。一体いつ休むのか、他人事ながら気にかかる。
 今日も晴天、天気予報では25度まで気温が上がるらしい。とりあえず遅めの朝食のあと部屋の掃除をする。チリトリは1階まで行けばあるが面倒くさいので新聞紙をチリトリ代わりに使う。実は昨日から急にWI-FIが使えなくなった。困ったので管理人のお兄さんに見てもらったが端末に問題がある、とのことだった。程なくして復旧したのでホッと安堵する。
 昼食を食べた後トラブルが発生した。歯間ブラシを使っていたらかぶせ物がポロリと取れてしまった。奥歯にあるけっこう大きなかぶせ物なので、歯医者に行かなければどうにもならない。N先生に教えてもらったとおり日本の保険会社にTマネーカードでコレクトコールを試みる。上手くつながった。保険が利くことを確認できた。説明書をメールで送ってもらうため自分のアドレスを伝えている途中で電話が切れてしまったが、妻に連絡し日本からアドレスを伝えてもらった。夕方担任の先生に、明日歯医者に行きたいので歯医者を紹介して、とメールを送信した。

◎4月27日(月)
 なんと今日は久しぶりにクラス全員がそろう。まだ3回目だ。
 さっそく先生に歯医者を紹介してもらって授業終了後1時20分ごろに歯科医に行った。2時まで昼休み時間だった。回基(フェギ)駅そばの3階にあり、中は広くてとてもきれい。受付の人が待っていてというので待っていると、1時40分ごろ先生が戻ってきて5分後には診療開始。日本では考えられない。取れたものをスタッフに渡したが、事情を説明するとすぐに取り付けてくれた。虫歯があるので日本で治療を受けるよう促される。治療費は1万5千200ウォン。保険なしの初診でこの料金は信じられない。スタッフも4、5人はいる。カードで支払った。スタッフの対応もすこぶる良。このまま治療継続してもいいくらい。保険会社に請求するのもはばかられる金額。ところで、こちらはカード支払い時のサインがいい加減だ。文字は書かず一本線を適当にクニャッと曲げただけでOK.。どこでも皆やっている。まねしてやってみたらお咎めなし。サインの意味があるのだろうか。
 昼食は治療直後で硬いものは食べられない。冷蔵庫には買い置きした豆腐がある。部屋に戻り豆腐とヌルボさんにもらった甘食のようなお菓子、それとトウミからもらった乾パンで凌ぐことにした。乾パンといってもサクサクと柔らかい。豆腐も調味料がないので買い置きのインスタントラーメンの粉末調味料を取り出し、少し振りかけ食べた。せこいが1食分浮いた。
 そういえば昨日カンさんのお店で知り合ったzさんが火曜日にソウルに遊びに来るというメールが入った。まだ30代前半の男性だがきわめて酒好きで、ソウル大好き人間。着いてからすぐにも飲みたそうだが、こちらも一応試験がある。木曜日の晩に落ち合うことにした。それにしてもヌルボさんが来てから快晴続き。昼間は半袖で過ごせるようになった。疲労感もだいぶなくなった気がする。

◎4月28日(火)
 明日から中間試験。書き取りの授業があったが、旅行に行ったと仮定してどこでいつ何をしたかを書くことが課題。授業中40分近くひたすら書く。先生のチェックを受けるが相変わらず誤字が多い。先生は私の年を考えてか、「まあいいじゃない」くらいのことを言ってくれる。他の皆は上のコースを目指しているので必死。試験前でやや不安なまなざしが目立つ。
 午後はタンソの授業。試験前なので出席者は普段の半分の6人しかいない。先生は私ともう1人のタイ人女性にとくに熱心に指導してくれる。この女性は朗らかで、屈託なくよく笑う。男の先生は私より2、3歳上だがチングとまで言ってくれる。
 今までで親しみを感じるのは、中級クラスの中で意外にも中国人の2人の女性。なぜかよく顔を合わせるし、通学途中でもよく出くわす。いつもにこやかに話しかけてくれる。いつも笑顔でさわやかだ。最初のころアジョシと言われ、「オッパと呼べ」と言ったが、オッパとは言ってくれない。さすがに抵抗があるらしい。無理強いして嫌われるのもいけない。今日のタンソの帰りには試験の出題傾向まで教えてくれる。うれしい気分で寄宿舎に戻った。
 夜、受験勉強をしているとカンさんからカトク(カカオトーク)通話が入る。出ると、カンさんのお客さんが出る。このお客さんは半年ほど前にカンさんと飲みに行ったりしてその後もメールのやり取りはたまにしている。2、3日前に連絡があり、「韓国に遊びに行くので飲みましょう」と連絡が入っていた。けっこう今日もできあがっているらしい。こちらが試験前だと知っていながら、わざとらしく「今から飲みましょう」と半分冷やかし気分。やんわりとかわす。飲みに行くのは試験終了後の木曜日と再確認しておいた。受験勉強は進まない。しょうがない、消灯。

◎4月29日(水)
 久しぶりの雨模様。
 今日は中間試験の初日。文法、読み、筆記、聞き取り。試験を受けるのは何年ぶりだろう。ちょっと緊張感が走る。9時開始で1時まで。1科目終了ごとに10分あるいは20分の休憩がある。試験問題の内容は難しくないが、設問を理解するのに時間がかかる。問題を読んで頭の中で整理するのにやはり若い人の倍はかかるようだ。何度も読み返さなければならない。問題用紙の半分も終わっていないのに他の連中がはや次のページをめくっている音がする。途中時間経過を見るとどうしてもこのままのペースでは終わり切れない。筆記、読みのテストでは案の定時間不足。最後まで到達できなかった。読みの試験では例のマレーシアの秀才君がさっさと終了し時間前に退出した。休憩時間に早かったね、といったら、「簡単じゃん、みんな教科書に出てたじゃん」とのたまう。
 寄宿舎へ帰り、気になるところを教科書を開いて確認する。大きなところで致命的なミスをおかしてことが判明し絶句。結果はあまり期待できそうにない。いずれにせよ、これだけ集中したことは記憶を呼び起こしてもしばらくない。まあいい経験といったところか。
 昼食を食べようと店を探していたらクラスメートに会う。台湾から来た小柄でかわいい顔をしたお兄ちゃんだ。よくガールフレンドと手をつないで歩いている。PCパンが好きで授業に出てこないときがあり遅刻も多い。かったるそうに授業を受けているが授業内は理解しているようだ。趣味は靴集めらしい。毎日違うスニーカーを履いてくる。一体何足持っているのか。中華料理店のおいしいメニューを教えてもらう。
 明日は会話の試験日。

 [ヌルボより] やはり、若い学友たちとか、一緒に飲みに行くオジサン仲間とか、ちょくちょく行く店のオバサンとか、こうしたコミュニケーションがあるのは留学生活の大きな利点でしょうね。まあそれも当人の意志あるいは人柄といったものによるのでしょうが・・・。歯医者さん関係のことはまさに生きた韓国語学習かも・・・。
 それにしてもウイスキーを差し入れてくれるとは、なんと気の利いたトウミなんだ!
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定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (5)

2015-07-16 23:51:50 | S氏の慶熙大学校10週間留学記
 <定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (4)>の続きです。

 [ヌルボより] 前回の記事の末尾で、トウミが案内してくれたという美術館は云々・・・といったことを書きました。しかし、S氏とトウミの人がその美術館に行った日は今回の最初の4月18日です。前回字数が長くなりすぎたので最後に18日の分を削ったのですが、そのことを失念し、そのまま載せてしまったことに今気づきました。その末尾の部分は削除して、以下に同内容の文章を載せておきます。
 すなわち、下記の最初の4月18日に行ったという美術館は、私ヌルボも昨年夏美術オタクのI氏というガイド役付きでソウルの美術館めぐりをした時に行ってきたサムスン美術館Leeumです。関係記事は→コチラです。ここは韓国文化に関心があるという方にはぜひお薦め! 昔から今までの絵画・工芸品等の名作がたくさん展示されています。美術館関係では、ここと国立現代美術館果川館、そして国立中央博物館はゼッタイですね。あと澗松(カンソン)美術館が開いていればこれも必ず。
 このトウミ氏、本当に面倒見のいい、また韓国風にいえば「概念のある」トウミですね。

◎4月18日(土)
 トウミと9時30分に駅で待ち合わせ、梨泰院の近くにある美術館に行く。天気はよく暑いくらい。この美術館(サムスン美術館リウム)はサムスン財閥が経営しているらしい。青磁、白磁をはじめとする焼き物のほか、書画や仏像、現代絵画が展示してある。中には国宝も展示してあり、なかなか見ごたえがある。10時半から1時半過ぎまでたっぷり見学をする。けっこう疲れる。
 梨泰院で食事と散策をして、4時ごろ別れた。次回は会って何をしたいのかと気を遣ってくれる。発音のできない単語があるとボイスメモを入れてくれる。 結局次回は中間試験のアドバイスをしてくれることになった。彼の話していることの半分は聞き取れない。歩き疲れたので帰ってからちょっと昼寝をした。

◎4月19日(日)
 今日は朝から雨。疲れたせいか9時ごろまで寝てしまう。掃除と洗濯をする。出かける気にはならない。勉強しかない。
 昨日ダイソーで包丁を買ってみた。安いエノキを買っておいたので、昼には刻んでラーメンを作った。
 午後は部屋でタンソの練習。カラオケにも行くことにした。こちらのカラオケは少々高いが、空いている時間に行くと時間延長のサービスがある。残り時間は画面に表示される。最初1時間で申し込んだが、30分ずつ2回延長があり、結局2時間練習できた。
 昨日トウミから軍人専用の乾パンを2種類もらった。普通では手に入らないものだという。賞味期限は昨年12月に切れていたが食べてみた。寝酒のつまみになった。

◎4月20日(月)
 朝は昨日からの続きの雨で肌寒い。学校へ行く時寮のエレベーターで同じクラスのスウェーデン人と会う。傘を持っていないようだ。相合傘で学校まで一緒に行く。あまり話さないタイプだが、なんとか話しながら学校へ着く。雨の中に映える新緑がみずみずしい。桜から主役が交代したようだ。ツツジも咲き出し彩を添えている。
 今日は会話の授業だが、上手く言葉が出てこない。簡単な会話だが意外と言葉が詰まる。情けない。
 今日はチョモ(점호.点呼)という部屋の点検があった。すぐに終わったが一応「きれいにしてますね」とほめられた。
 晩はカンさんと西江大の人と夕食。チョンガク(鐘閣)のがってん寿司にする。西江大の人は聞き取りがうまい。カンさんとフェギ(回基)で飲みなおし。帰ったのは結局1時を過ぎていた。

◎4月.21日(火)
 今日の授業は残念ながら先生の言っていることがイマイチ理解できなかった。しかしながら文法に関しては予備知識があるため何とかなっているが、クラスメートは本当に大丈夫なのかと思う。でも皆,意外と理解しているようだ。感心する。
 午後はタンソの授業がある。今日はヌルボさんと4時に鐘閣で待ちあわせたが、この授業のことをすっかり忘れてしまっていた。授業が終わってからの連絡では間に合わない。二日酔いの中7時に目が覚めたので、待ち合わせ時間の変更をメールする。何とか連絡はついたようだ。
 タンソの授業では簡単な曲を練習しているが、先生から上手いとほめられる。ヒョッチギ(혀치기.タンギング)というテクニックがあり、これは曲の節目に舌を上の歯に当てて演奏するというものだが、なかなか難しいらしい。これが自然にできているし、音色もすばらしいとほめちぎられた。まあ、始めたばかりなので、たまたま上手くいったと思うが、そこまで言われるとその気になってしまう。悪いくせだ。できれば韓国語でほめられたい。
 5時半にヌルボさんと会うことができた。今日は来てから一番暑い。ヌルボさんが暖かさを連れてきたようだ。今日の1日の行動を聞くと、江南にある国立中央図書館に行ってきたらしい。さすがにやることが違う。お土産をいただいてしまう。その後「眼鏡を作りたい」とのことでカンさんの店を紹介した。
 眼鏡を作り終えたのは8時過ぎ。3人でサムギョプサルを食べに行ったが、ここで話が盛り上がる。カンさんの奥さんは韓国の南にある青山島(チョンサンド)が実家なのだが、ここは辺境の地にあるため韓国人でも行く人は滅多にいないらしい。映画やドラマの撮影地としては有名だが、カンさんは「日本人が行くことはない」と思っていたらしい。そこへヌルボさんが2年前に行ったといったら驚くことしきり。ヌルボさんが韓国の薀蓄や、韓国内をあちこち回っていると話すとさらに驚く。今日は軽く焼酎1本だけにしましょう、という話が、終わってみると3本空いていた。それに加えヌルボさんからいただいたお土産も忘れてきてしまった。結局帰宅は11時55分。

◎4月22日(水)
 今日の文法の授業は少しこんがらがって来た。後半は書き取りの授業。苦手な授業で文法を駆使しなければならないが、スペルのミスがなくなってくれば何とかなるかと思う。
 3時にヌルボさんと回基駅で待ち合わせた後喫茶店へ。その後慶熙大を案内する。立派な建物があり景色もきれいなので感心してくれる。構内を散策した後ヌルボさんの友人の女性と会うため景福宮駅へ向かう。
 私は昨日の忘れ物をとりに昨日の店へと向かった。教保文庫という大きな本屋さんで待ち合わせることにした。博識だけあって本当に本が好きだ。待ち合わせの本屋で私の友人の作家の著書が韓国語に翻訳されて出版されたと聞いていたので、ヌルボさんに店内の端末で検索してもらったら陳列されていることが判明。その本の写真を撮って帰宅後メールで送ると、えらく喜んだ内容の返事がすぐ届いた。
 ヌルボさんの友人の女性とは待ち合わせの駅のそばでばったり出会う。近所のシクタン(食堂)で食事をする。韓国ではポピュラーな食べ物だが味は良い。焼き魚の塩加減がなんとも程よい。40歳前後の既婚の方で、なかなかの知性と教養をにじませる方だった。出版に関する仕事をされているようで、これもヌルボさんとのご縁なんだろう。食事代を払おうとしたが固辞される。食事後お茶を飲みに行ったが、ここの支払いも持ってくれた。しかも韓国語の本を下さった上、私まで韓国のお菓子をいただいた。なんともすまない気持ちになる。こちらの方は一途なところが日本より強い。おかげで食料は豊富。しばらく飢え死にせずにすみそうだ。
 チョナ(電話)カードを買ったが使えなかったとN先生(鎌倉のハングルサークルの先生)に報告したら「Tマネーカードが良い」との連絡を受ける。自分はそのカードは持っていないと思っていたが、ヌルボさんにカードを見せたら「それがTマネーカードですよ」と教えてくれた。自分はただの交通カードとばかり思っていた。ずいぶん時間を損したと思った。地下鉄を乗り継いで11時帰宅。

◎4月23日(木)
 今日はいい天気。ヌルボさんが来てから良い天気が続きとても暖かい。晴れ男だった。
 このところ授業は中だるみの感がある。しかし今日は休みが多く、5人くらい休んでいる。聞くところではINFINITE(インフィニティ)とかいうグループのコンサートがあるらしく、それに出かけてしまったらしい。文法はややこんがらがっているところがあるが、聞き取りは問題ない。
 夕方はヌルボさんが持って来てくれた崎陽軒のシウマイを、買ってきたキンパプ(のり巻き)とともにパクつく。試験が近いので試験勉強をしようと思うが眠気が襲う。やはり疲れが溜まってきたのだろう。結局宿題を少々やって一日は終わり。

 [ヌルボより]  他の人の文章で自分が登場する場面を読むのはなんだかこそばゆい感じです。眼鏡屋のカンさんと飲んだ時のことは→コチラ、慶熙大学校のキャンパス内ハイキングについては→コチラの過去記事で書きました。
 カンさんの奥さんが青山島出身の方だったとはオドロキでした。カンさんがその場でスマホで奥さんに電話し、私ヌルボと直接話をすることとあいなりました。(笑) なお青山島は映画「風の丘を越えて~西便制」の韓国映画史上レベルのといっていいほどの名場面の撮影地でした。またドラマ「春のワルツ」のロケ地としても知られています。
 4月20日にS氏がそのカンさんと入ったという鐘閣のがってん寿司は、私ヌルボ、昨年12月にたまたま写真(下の画像)だけ撮ってきました。青春の通り(젊음의 거리.若さの街)にあります。ヌルボが入ったかつ屋等、日本関係の店も多く、日本語の看板が目につく街です。→<ソウルナビ>に関係記事があります。

 ヌルボが旅行に出発した20日の日本は小雨の降る寒い日でしたが、このS氏の日記にもあるようにソウルに着いたとたんに春が来たという感じで、街の至る所でツツジが一斉に咲いていました。これも22日にたまたま撮った鐘閣のツツジの写真を貼っておきます。鐘閣の建物よりもツツジの花の方が主役といった感がありました。
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定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (4)

2015-07-12 19:13:49 | S氏の慶熙大学校10週間留学記
 <定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (3)>の続きです。

 [ヌルボより] いろんな人との新しい出会いがあったS氏。人だけでなく、伝統楽器タンソ(短簫.단소)との出会いも運命的(?)だったようで、熱心な練習の成果を過日聞かせてくれました。この楽器や楽譜のことはいずれ記事にします。
 私ヌルボの予測通りだったのは、やっぱり飲む機会が多いということ。これは日本での日常の延長といったとこでしょうか?(笑)

◎4月11日(土)
 朝起きてから一週間ぶりに部屋の掃除をする。さすがに埃がたまってきている。
 今日は俳句の会の吟行があり、回基駅に11時半集合。花見をしながら俳句を作ることになるが、まさか自分が韓国で俳句を作るとは思わなかった。俳句の素養は全くない。今日は頗る天気がいい。結局日韓双方20名程度が集まる。この中には慶熙大学の情報メディア工学の李教授もいる。教授の計らいで普段は教授しか入ることのできない教授会館の屋上で持ち寄った酒と料理で軽い宴会。この建物は高いところにあって遮るものはなく、眼下に見える桜の花があでやかだ。今日明日で見ごろは終わりだろう。
 宴会終了後場所を移し、学内の校舎で俳句の勉強会が行われた。3時間ほどかけて句つくりと講評が行われるが、自分が作った句が意外にも高評価を得た。長年やっていても高評価はなかなか得られないという。まあ、ビギナーズラックというやつだろ。因みに「杯に 花びら一つ かおり立つ」と読んでみた。
 終了後はプルゴギで懇親会。味は洗練された感じで美味しい。その後カラオケに繰り出す。皆とってものりがいい。ところでこの会を主催する先生はYさんという女性でこの世界では著名な人物。気さくで酒が強く、一度の飲み出したらなかなか帰らないので会員から恐れられている。年は65歳。結局最後にもう1件立ち寄ってワインを飲むことになるが、怖いのが酔いが回っているところでいきなり3句詠めと指令が出る。残ったのは先生はじめ6名だが、ここで一気に酔いが覚める。お題は夜桜。寮に帰れたのは12時過ぎ。

◎4月12日(日)
 今日は昨日できなかった宿題をするしかない。作文の宿題はとくに時間がかかる。遊んでいる時間はなさそうだ。
 今日はカラオケでタンソの練習する予定だったが、お金を節約することにして学校に行くことにした。午後3時45分頃に着いたが、昨日まできれいに咲いていた桜はかなり無残な姿になっていた。それでも桜を惜しむ人たちでにぎわっている。花見は昨日でよかった。
 宿題と予習に時間を大きく割かれ、やったことはその他に洗濯と昼食と夕食に出かけたこと。当面の朝の食事の買い物。なるべく野菜の摂取に心がけたいとトマトを購入。木綿豆腐を売っていたので一丁購入。昼にそのまま食べてみたが、腹の足しにはなった。夜は中華料理店を見つけたのでチャーハンを注文。皿の上にチャーハンが載っており、その横に少し野菜の入ったあんかけが添えられている。それと混ぜ合わせながら食べる。漬物2種類とスープがついていた。4500ウォン。辛くなかった。

◎4月13日(月)
 今日から3週目の授業。先生の話はところどころわからない所があるが、ほとんど理解できる。ヒアリングの授業は簡単な内容だが、ところどころ知らない単語が出てくる。
 今日は新しいトウミと会った。26歳の院生。軍隊にも籍があって、6年間の軍隊勤務をこの6月に終えるという。今は就職のため大学院に通っている。背はさほど大きくはないが、軍人のため筋肉質の太い腕が目に留まる。いわゆるモムチャン。顔はメジャーリーグ風のイケ面。明朗でよくしゃべってくれて、勉強にはもってこい。気配りもできていて人を飽きさせない。ギターとチェロも嗜むらしい。標準的なスピードで話すので、神経を集中させないと聞き取れない。軍隊でも優秀らしいが良い人がトウミになってくれたとひと安心。昼飯を中華料理店で食べたあと喫茶店に行って今後の予定を立てた。

◎4月14日(火)
 朝から冷たい雨。いつもどおりの授業。マラギ(会話)の授業は、会社との簡単な電話のやり取りと誘いを断るときの表現方法。午後は2時からタンソの特別授業。音が出る時と出ない時があるが一ね応先生にほめられる。リュー先生から名刺をもらう。小学校の校長先生だった。人格者の風貌はある。4時に終了。
 以前の職場の同業者の友人から韓国の友人を紹介するとのメールが入る。皆がものすごく気を使ってくれている。明日あたりその人に連絡してみなくてはいけない。
 マラギの先生から予習をしなさいといわれた。夜は近所のシクタン(食堂)で食事。初老の夫婦2人でやっていて、親父は愛想がないが奥さんは笑顔で対応してくれた。今日はキムチポックンパを食べたが辛くない。雨模様でとても寒い一日だった。

◎4月15日(水)
 今日初めてクラスの全員が揃う。先生は喜んでいた。このクラスは週に1回席替えを行う。隣りはマレーシアのとっちゃん坊や風のゲーム好き。しかし勉強は良くできる。意欲も高い。今日の授業はイルキ(読み)。病気とか薬に関する話だが、ちょっと予習すれば何とかなる。
 今日は音楽学部の見学を試みる。この学校に大きな王冠の形をした建物があるが、入校式をした大きな講堂。この下に音楽学部がある。あまり目立った行動はしたくないので遠慮がちに歩く。アンサンブル室やオケ練習用の部屋があるが、王冠の形に沿って小部屋が連なり各楽器の練習室となっていた。教授の部屋もところどころにある。その下の階も同じようになっていた。私を誰かと思ったか知らないが、行き交う学生がアンニョンハセヨと挨拶してくれる。中からはけっこういい音色が漏れてきていた。
 今日、紹介してもらった韓国の人に電話した。公衆電話を使ったのは初めてだ。ここの電話は早くボタンを押さないと再度やり直しになる。何度か受話器の中からボタンを押すのが遅いからつなげなかったとのメッセージが出た。今後のこともあり電話カードをコンビニで購入。早速電話をしようとしたがカードが反応しない。うんともすんとも言わない。4台の電話で試したがカードを受け付けない電話もある。通行人に使用方法を聞き、その人もやってみたが結果は同じ。仕方なく買ったコンビニに戻る。使い方がわからないといったところ本部に電話してくれたがラチが明かない。結局購入代金を返してもらうことになった。コンビニのおばちゃんはしきりに恐縮していた。

◎4月16日(木)
 夕方7時に韓国のチョさんという方と仁寺洞(インサドン)の筆をかたどった大きな像の前で待ち合わせ。5分くらい前に着いたが、すでに待っていてくれた。人が少なかったのですぐ分かった。
 仁寺洞の食堂でペクパン(白飯)を食べながらマッコリで乾杯。きれいな店で味も洗練されている。仁寺洞だけあってか器もいい。味も辛いものはなく洗練されている。チョさんはそんなにお酒が強くないらしくひかえめに飲む。多種多様なパンチャン(おかず)とテンジャンチゲを食べる。仕事のこと、家族のこと、韓国経済の行く末、趣味のこと等たわいのない話をする。韓国の保証協会の話。韓国も保証人をとらないので回収はほとんどできないそうだ。気さくで誠実そうな人柄。会ってよかった。会計の際お金を払おうと思ったらすでに支払い済み。恐縮する。帰りの道すがらスタバに入る。お茶代は払ったがぜんぜん釣り合わない。11時頃帰宅。

◎4月17日(金)
 朝気がついたのだが、20日の月曜日の夜8時に部屋の点検があるらしい。階段に張り紙がしてあった。その日はカンさんと西江大に留学中の人と8時に待ち合わせしている。無断で不在の場合は罰則があるという。
 通学途中で信号待ちしているスウェーデンのクラスメイトに会う。同じ寄宿舎で生活している。声をかけてみる。ふだんはあまりしゃべらないが、意外としゃべる。一緒にたどたどしいながらも話をしながら学校に着く。
 席に着くと、これもやはりふだんおとなしいベトナムの女の子が日本のことについて話しかけてくる。彼女とは席替えをして隣になっていた。少しづつ気分が和んできたようだ。
 授業が始まる前に事務室に行き、部屋の点検時間の変更を申し出る。一応了解してくれたが休み時間にもう一度来てほしいとのこと。休み時間に行くと10時はどうかとのこと。まさか酔って点検を受けるわけに行かないので「8時前がいい」と伝えたら30分繰り上げてくれた。30分でもありがたい。
 今日は聞き取りの授業があったが、聞いたことを書かなくてはならない。ほかの連中はそれなりに速度が速い。私の場合は早い人の2分の1くらいの速度だ。スペルを間違えて消しゴムを使いことが多いので、どうしても遅い。何とか凌ぐ。
 昨日トウミからカカオトークに連絡があり、梨泰院(イテウォン)にある美術館に連れて行ってくれるらしい。
 夜はJSCの有志と飲みに行くため地下鉄を乗り継ぎ江南駅へ行く。この路線はWIFIが使える。数名と合流。そのうちの一人の同僚の女性2人も来た。なかなかの美人さん。いつもは安い店しか行かないので安心していたが、この日は違った。日本の居酒屋だが意外と高い。2次会もゴージャスなクラブ。現役の会社員と早期退職の身分の差を味わう。金欠の私には危険な店。次の日の予定もあるので11時に中座して帰宅。
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定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (3)

2015-07-08 23:24:32 | S氏の慶熙大学校10週間留学記
 <定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (2)>の続きです。

 [ヌルボより] 今読み直し気づいたのは、S氏が韓国料理を全然抵抗なくあれこれ食していること。それもとくにグルメ情報等に頼らず歩いていてテキトーに食堂に入って食べたいものを注文して食べ、ほとんど「おいしい」と感想を書いています。どちらかというと、韓国料理がさほど好きとはいえないヌルボにとってはうらやましいかぎり。
 また、たぶん多くの日本人は韓国語が話せても、必要な場合以外は自分からあまり韓国人に話しかけたりはしない傾向があるのではと思いますが、S氏は自然にいろんな会話を店の人等と交わしたりしているようで、これもお人柄でしょうが、大いに語学学習にプラスになっていますよね。

◎4月4日(土)
 二日酔い気味で7時20分に目が覚める。天気は良好。窓下に見える白木蓮の花が大きめの木に密集して咲いていて目の保養になる。
 狭い部屋の掃除をして出かける。
 鐘閣駅前の高くてきれいなビルの12階を目指す。場所は一等地で家賃は高そう。
 今日は句会があると聞いていた。大き目の会議室に入ると20名ほどが集まっていて、日本人だけでなく韓国の人も7、8人参加していた。主宰者のHさんという方を訪ねていったが、いきなり「一句作ってください」といわれ面食らう。俳句の心得は全くなく当惑したが、とりあえず恥ずかしい句を出さざるを得なくなった。
 2時から6時近くまで句会が行われた後、懇親会にも参加させてもらう。皆親切でいい人ばかりで、韓国での過ごし方等についても教えていただいた。「3ヵ月で帰ってしまうのはもったいないからもっと長くこちらで暮らせ」と勧誘された。できることならそうしてみたい。

◎4月5日(日)
 メールを書いているといつの間にか時間が過ぎてしまう。今日のやるべきことは作文の宿題。二日酔いのため食欲はなし。宿題はあの嫌いな作文。何とか仕上げたものの、辞書と首っ引きのため恐ろしく時間がかかってしまった。午後は久しぶりにノレパンへフルート(タンソ)の練習に行く。2時間2千ウォンとちょっと高いが、店員が「少しサービスします」と言って30分負けてくれた。
 5時になって回基(フェギ)の隣駅である清涼里(チョンニャンニ)駅とその1つ先の祭基洞(チェギドン)駅の間にある京東(キョンドン)市場に出かける。かなり寒い。重ね着をしないと風邪でも引きそう。ここは初めて行ってみる。漢方の多いことで有名なところ。商店街沿いにおびただしい数の漢方薬局が軒を連ねる。休日のため開いている店は意外と少なかったが漢方薬を煎じた匂いがすごい。一見に値する。もっとすごいのが道を一つ隔てたところにある市場(清涼里水産市場・東部青果市場)だ。やたらでかい。鮮魚、精肉、野菜、果物何でもあり、所狭しと軒を連ねる。狭い路地が縦横に走り迷子になりそうに広い。韓国人の旺盛な生活力を肌で感じる。
 そろそろ腹が減ってきた。時間は6時半を回った。今日は二日酔いのためあまりたいしたものを食べていない。どこの店に入るか物色を開始する。魚が食べたかったので魚のあら煮料理を出す店を発見。意を決して店に入る。注文すると、「この料理は4時までなんです」と言われてしまった。でも何とか出してくれた。食べた後に店を出ると、たしかに「4時までです」と表示がしてある。それにもかかわらず料理を出してくれたことに驚くと同時に、絶妙の旨さに満足。日本でもあら煮の旨さは知れ渡っているが、韓国も同じ。魚の骨にこびりついた肉片に食らいついてひとり寂しく肉片をほおばっていると、店のオンニが気をきかしてかしてか、「今日本の人が2人来てますよ」と声をかけてくれる。その2人は大阪から来た30代後半かなと思われる夫婦。結局「合流しましょう」ということになった。話を聞いているとギトギトの大阪人とすぐわかる。気がついたら海外旅行の話の花が咲いていた。サンナクチ(生きタコ)を肴に焼酎をしこたま飲む羽目になってしまう。奥さんの方が乗りがよくてかなり飲める口。ご主人の方は最初警戒気味だったが、終わってみると焼酎が6本空いていた。こんなことではいけない。

◎4月6日(月)
 昨晩N先生(鎌倉のハングルサークルの先生)から激励のメッセージを頂いていた。ありがたい。学校の桜は満開になっていて非常に美しい。白木蓮、連翹(レンギョウ)も一緒に咲いていて彩りもすばらしい。あちらこちらで写真をとる学生が目に留まる。桜が人の心を魅了することに国の違いはないようだ。
 今日の授業は文法と筆記。文法もかなり文章を書かされるが、これがつらい。スペルが出てこない。筆記の授業はそれどころではない。ひたすら書かされる。朝起きてから寝るまでの行動を詳しく書けといわれ、しかも習った文法は必ず使えという指示がでる。周りの学生は比較的すらすらと書いている。先生が見かねて助け舟を出してくれる。何とか書き上げたが、綴りの間違いをいやというほど指摘される。初級クラスに対する甘い考えを修正せざるを得ない。これからますます難しくなると脅かされる。宿題も出た。やらなきゃ。

◎4月7日(火)
 今日の文法の授業は、知っている内容だがなかなか整理できず、頭の中が混乱してくる。聞き取りは簡単だが筆記させられると書けない。
 午後は韓国文化の特別授業。タンソという韓国の伝統楽器の講座。いわゆるフルート。1回2時間で8回の講座。講師は62歳で小学校の先生。助手に若い女性がいたが、フルートの先生だという。タンソは早々には音が出ないが何とかなりそう。簡単な曲の楽譜を渡されこれを練習しましょうとのこと。楽譜には見慣れない漢字が記載されていた。先生から年齢を聞かれ答えたところ激励の言葉を受けた。
 夜は、カンさんのお客さんで60過ぎの人が会いたいと言っているとのことで(明洞地下街の)店まで出かける。7時過ぎにカンさんの店で落ち合い、カンさんの仕事が終わるまでホフで話を伺う。年は63歳、西江大で学んでいて、奥さんは韓国人。日本の住まいは(首都圏の)S市とのこと。奥さんに韓国語を習ってもけんかになってしまうので、よそで勉強しているとの話。西江大学は文法の授業はほとんどなく会話が中心だそうだ。大学によってかなり方針に違いがあるようだ。自分より年上の人が同じように大学で勉強しているのは心強い。サムギョプサルを食べて帰宅。

◎4月8日(水)
 今日も欠席者が多く、今まで1度もクラス全員がそろったことがない。
 文法の授業は習ったことのある内容だが、やはり授業速度は速い。午後は会話の授業だが、他の科目と間違えてしまい教科書を忘れる。隣の女の子に見せてもらう。ネイルアートで爪は派手派手。電話でのやり取りを行うのだが、設定された状況がイマイチよくわからず、うまく進まない。その女の子が教えてくれたので何とかしのいだ。
 校内の木蓮はかなり散ってきた。桜もそろそろ散り始まるのか。ただこの3日間の冷え込みで花持ちはよいかもしれない。
 午後、講堂の裏へ行ってタンソの練習をする。雨と風がなければいい練習場所になると思う。
 練習の後、遅めの昼食にしたが、ガラガラで助かった。ここの学食はいつも混んでいて食券を買うのに一苦労する。
 夕食がてらいつも酒を買いに行くセブンイレブンへ行く。「昨日は来なかったからどうしてたのかと思っていた」と心配してくれ、焼酎1本だけ購入。近くに鯖煮のおいしい店があるらしいので調べてくれるとのこと。ありがたい。

◎4月9日(木)
 今日の文法は후에、기 전에について。知っている内容だが、わかりやすく教えてくれる。マラギ(会話)の授業は韓国料理について。新しい単語が結構出てくる。まあ何とかなる。
 2日続けて3,4時限の教科書を忘れる。恥ずかしい。さすがに先生が見かねて教科書をコピーしてくれた。
 授業終了後、今日も学校でひっそりと笛の練習。昼食抜きで1時過ぎから始めるのでお腹は空くが、3時過ぎの学食は人影はまばらで落ち着ける。昼食はスパゲティ。サラダとスープがついて3300ウォン。キムチは食べ放題。
 帰りに長袖のシャツを1枚購入。昼間はやっと暖かくなった。
 あっという間に5時半。宿題をやらなくては。7時半頃何か食べようと外に出る。しばらくぶらぶらするがとくに食べたいものが見つからない。中華でも食べようかと思ったが見つからない。帰り際「トンヘタン」と表示のある店があった。客席には2人客がいるだけだが、とりあえずトンへタンを注文。出てくるまでしばらく時間がかかったがかなり旨い。清涼里で食べたソトリタンのように魚のあらが煮込んである。しかも白子も入っていて野菜も十分だ。ご飯を付けて6000ウォン。店のおばちゃんとたわいのない会話をした。

 [ヌルボ] <ソトリタン>はよくわかりません。<トリタン(도리탕)>はふつう<タクトリタン(닭도리탕)>といわれるように鶏料理なんですけどね。それがタクでなくソ(牛)になってるモノ??
 ※<タクトリタン>については→ソウルナビ参照。 
 ※この件を調べていたら、国立国語院は<トリタン>の<トリ>は日本語の鳥(鶏)に由来していて、つまり日帝の残滓なので<닭볶음탕(タクポックムタン)>と訂正してこれを標準語にしたそうです。しかし、2012年初め頃、人気作家の李外秀(イ・ウェス)氏がツイッターで「<トリタン>の語は韓国語由来である」と主張して一大論争が巻き起こったということを知りました。当時の「朝鮮日報」にも取り上げられています。(→コチラ。) 中には「日本語のトリという言葉も、元を正せば韓国語のタクに由来するのだ(!)等々いろんな説が出てきてしっちゃかめっちゃか。こうした<日帝残滓>語の言い換え自体を批判する意見もなではないし・・・。

 料理関係でもう1つ、<トンヘタン>というのもちょっと検索してみましたが不明です。トンヘ(東海)ヘムルタン(海鮮鍋)ですかねー?
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定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (2)

2015-07-06 23:49:09 | S氏の慶熙大学校10週間留学記
 <定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (1)>の続きです。

 [ヌルボより] 前回の記事で、水のペットボトルの中身を「別の透明の液体」(!)に移し替えた(笑)という1件はどうしようかなと思いましたがそのまま書きました。たんにおもしろかったので・・・。
 クラス分けテストの結果は、他人事ながら気になっていましたが・・・。

◎3月31日(火)
 朝、衝撃を受けてしまった。クラス分けテストの結果をパソコンで確認しようと中級クラスの欄を探したが名前がない。おかしいなと思いながら初級クラスに移動するとそこに自分の名前があった。これはビギナークラスの次に位置するクラス。中級入りを目指していた自分にとってはちょっと不満でありショックであった。
 校舎の入り口にも結果が掲示してあったが、当然のことながら結果は同じだった。
 地下1階にある教室に入ると14、5人ほどが入れる広さだった。授業開始時間の9時前に先生が現れ、生徒もそろった。皆若い。点呼がありお決まりの自己紹介が始まる。13名のクラスらしいが、今日集まったのは自分を含め9人。国別では中国、マレーシア、スウェーデン、べトナム、タイ、サウジアラビア等。日本人は自分ひとりでほっとする。年齢別ではほとんど20代前半で、後半が1人。年齢差は歴然。まあこれはあらかじめ予測していたことで特に気にならなかったが、多くが冬コース(12~2月)の履修者であり、今回の春コース(3~6月)に引き続いて夏コース(6~8月)も受講することには正直びっくりした。若い人だから時間があるのはわかるが、「よく金が続くな」と親のご苦労にも思いが至る。
 11時過ぎからの入校式に参加する。ここでまた驚くのだが、どこから現れるのかいるわいるわ、大きな講堂が満杯になった。世界55ヵ国から922名が集まったと発表があった。式辞のなかで語学院長が「当校は学内の景色の美しさと国際化対応ではよく知られている」と話していたが、経営もうまいなとつくづく感じ入ってしまった。
 12時半には式が終わったが、人が多くなかなか出られない。やっと出られたが少し雨が降り出していた。教科書を買い行こうと思い校内の書店に行ったら、やはり皆考えは同じでレジは長蛇の列ができていたので、後にすることにして食事に向かう。正門前の食堂はどこも満席。やむなく引き返したところ、人影は引いていたので教科書を購入。文法(문법)、読み(읽기)、書き(쓰기)、会話(말하기)、聞き取り(듣기)の5冊に分かれ、しめて6万5千ウォン。中身を見ると写真や絵が多く使われていた。どうせ全冊買わせるならもう少し工夫して2冊くらいにまとめられないかと思う。ここでも経営上手かと勘繰らせる。内容もすでに7、8年前に習ったようなことが多く落胆する。帰り際に顔を見知った若者に「もう買ったか?」と声をかけたら、「高くて買えないよ」といっていた。大方の本音ではないかと思う。

      
【教材の<慶煕韓国語シリーズ>中の2冊。教保文庫のサイトを見ると1冊11,700ウォンと少し安くなってますが、それでもかなりのお値段になります。(ヌルボ) 】

◎4月1日(水)
 今日から本格的に授業開始。昨日来なかった3人が出席。授業開始前に生徒全員に先生から特別授業の話があった。週4日で、事業時間は3時から5時まで。4月一杯は25万ウォン。またお金がかかると思いつつも、一瞬「上達のためには必要か?」と思って申し込みを考えたが、その後すぐに毎週火曜日に韓国文化授業の一環としてタンソ(短簫.단소)という韓国の伝統的な楽器(縦笛)の講習があるとのこと。特別授業の先生も「特別授業よりこちらのほうがいいと思う」と言われたので文化授業を受けることにした。
 今日は文法と聞き取りの授業。文法は一応理解していたつもりであったが、整理をするのに好都合だった。聞き取りも内容的にはとくにむずかしくはないが、考える暇が与えられず早い速度で聞いて話すことが求められた。意外としんどかった上に、聞いたことを即座に書くことも求められた。つづりもわからない単語が多く、ほとんど書けなかった。若い連中はけっこう力を発揮してきちんとできていて、先生にほめられた生徒もいて感心させられた。
 今日初めて出席したうち、台湾人は授業にあまり協力的でなくスマホを触ったりしていたのでスマホは取り上げられ、先生から格好の集中砲火を浴びる対象となっていた。このクラスの女性陣は総じて元気がなくて先生の問いかけにも反応が薄く、叱咤されていた。
 今日の昼は昨日食べた隣の食堂で食べることにした。自動販売機に戸惑っていたら、入れたはずの千ウォンが出てこなくなった。実際3千ウォンの食事が4千ウォンになってしまった。取り戻すための交渉ができない自分がもどかしい。カレーに似たような料理にホットドックがついてボリュームは十分。味は普通。
 夜(眼鏡屋の)カンさんがカカオトークで電話してきてくれて、飲みに誘われる。近所のコンビニのおばちゃんにヘジャンクのおいしい店を教えてもらっていたので、フェギ駅で待ち合わせてその店に行く。結局食べたのはカムジャンタンだったが、なかなか旨い。具材として入っているシレギ(시래기)という白菜を天日干ししたものが甘みがあって味を引き立てていた。ジャガイモの量が少ない代わり、骨付きの豚肉がふんだんに入っていた。韓国のカムジャンタンはジャガイモはあまり入れないそうだ。

◎4月2日(木)
 学校への近道を見つけた。10分程度歩くと学校に着ける。途中の小学校(清涼初等学校)に桜が学校を取り巻くように植えられている。つぼみはかなり膨らみ、一部では咲き出し始めている。満開になるのが楽しみだ。
 文法の授業は動作動詞のテイグッパッチムの後にイウンがきたときの取り扱いと、勧誘のルレヨについての勉強。会話の授業は、道を訊いたり訊かれたりしたときの対応を勉強した。どちらの授業も何年も前に勉強した事柄。興は乗らないが、いつか人に韓国語を教える機会があればいい復習になると思い授業に臨んだ。

◎4月3日(金)
 今日は最初の1週間の終わる日。文法と読みの授業。文法は相変わらず習ったことの復習のような内容だが、けっこう基本的なことを忘れていててこずる。
 授業は1時限が50分で、それが1日に4コマある。9時に授業が始まり、最初の2時限は文法。後の2時限はその他の科目が行われる。時限の合間に10分の休憩があり、1時に授業が終了する。
 今日の3,4時限、つまり後の2時限は読み。学校生活に関する文章を読む。知らない単語はあまりないが、とりあえず早く読むことが要求される。早く読んでどれだけ内容が理解できているかが求められる。予習をしないとついていけない。
 宿題も長文筆記が求められる。しかも、なるべく多くの文法を使うよう指示がなされる。書くことが特に苦手な自分にとっては気が滅入る。宿題の題目は、「この週末に何をしたか?」である。
 午後はこの夏に日本に留学する学生と交流するイベントに参加。学生からは「日本との生活習慣の違い」、「両国の長所と短所」、「なぜ韓国語を学ぶのか」等の質問に応じることになった。一つの教室に6人くらいのチームが4つあり、日本人留学生が2人ずつペアになってそれぞれのチームに出向き、彼らの質問に答える形式だった。一緒に回ってくれたのは20歳の名古屋出身の女性。専門学校でパティシエの資格をとったので韓国で働く夢をかなえたいと話していた。たくましそうに見える彼女ならきっと夢はかなうだろう。
 学生たちの日本に対する関心はかなり強いものを感じた。自己紹介の中で自分の年齢を伝えると一同驚く。1人の学生から「その年齢で留学に来るとは尊敬します」と言われた。今まで尊敬を受けるなどとは無関係に生きてきたが、その言葉を聞いて来た甲斐があったのかなと思う。
 それにしても、宿題の長文作文をどうしようかとイマイチ気が重い。1週間の授業が終わったので夕飯は寿司でも食べようと思い立つ。通学路の途中に寿司屋があるので行ってみると、若い会社員風の人たちや学生らしき人で一杯。諦めて別の店を探そうと歩いていると、たまたま寿司屋が見つかった。ちらし寿司があったので注文する。彩りは日本のものと比べるとさほどではないが、まあよくできている。味は甘めのたれがかかっていたのが気になったが、結構おいしく食べられた。チャミスルを1本のみ、しめて9400ウォン。安く、お腹もふくれた。
 部屋へ帰ってテレビニュースを見ながらもう1本チャミスルをけっこう酔いが回ってしまった。明日は来る前に日本人の知人に紹介してもらった鐘閣にあるソウル日本クラブという団体の人に2時に会う予定。
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定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (1)

2015-07-06 04:14:41 | S氏の慶熙大学校10週間留学記
 S氏は私ヌルボの韓国語学習仲間でもあり飲み仲間でもあります。その彼が今年に入って間もなく、定年1年前にして敢然と早期退職し、3月末~6月半ばの10週間ソウルの慶煕(キョンヒ)大学校に語学留学してきて、先日帰国しました。
 還暦も近い彼ですが、お世辞ではなく10歳あるいはそれ以上若く見える外貌だけでなく気力も旺盛で、留学の意志を最初に聞いた時も「彼ならではの決断だなー」とわれわれは思ったものでした。
 その彼が留学中、宿題や予習に追われて忙しいにもかかわらず、日々の記録を1週間ごとにまとめて仲間に送ってくれました。読んでみると、授業のことだけでなく日々の生活やいろんな人たちとのコミュニケーション等々、実に細かく書かれていて、とても興味深く読みました。

 おそらく、同じように語学留学を考えている人はたくさんいると思います。インターネットで情報を探してみると、たとえば<ソウル市内の語学堂のある大学まとめ>という→コチラの記事は一応の目安にはなるでしょうし、「韓国 留学」で検索すればヒットするいくつかの斡旋業者のサイトには各大学について期間や費用その他具体的な情報が記されています。
 ところが、実際の授業の内容や生活のようすとなると経験者自身による記録が一番! ・・・ということで、このS氏の日記はきっと参考になると思います。いや、留学希望者といわず韓国に関心がある人ならたぶん誰が読んでもオモシロイんですけどね。
 そこで私ヌルボ、4日の夜帰国報告会と銘打った仲間内の飲み会の席でS氏から本ブログへの掲載の承諾を得ました。固有名詞等の個人情報や、内容的に差しさわりのありそうな箇所はもちろん削除したり手を加えたりします。また、私ヌルボが註を付けたりもするかも・・・。
 全部で77日分。字数は総計5万字近くになるので、10回以上に分けて掲載することになります。
 ではさっそく初日から・・・。

◎3月28日(土)
 12時20分発のアシアナ機で金浦空港に到着。なぜかいつもより飛行時間が長く感じられる。税関で思わず引っかかってしまう。羽田の免税店で韓国の友人へのお土産として山崎を2本購入したが、韓国への免税は1本だけとは知らなかった。税関のおばちゃんに指摘されたが、「ほかに持っているか」と訊かれ、「これだけです。1本までとは知らなかった」と言ったら、「いいよ」と言って見逃してくれた。いい人でよかったと気持ちが浮き立つ。
 ソウルで(友人の)眼鏡屋さんと飲みすぎる。

◎3月29日(日)
 昨日韓国入りして安宿に泊まり、本日回基(フェギ)駅そばにある寄宿舎に入れた。部屋はワンルームマンション風で、3ヵ月程度暮らすのであれば十分。駅近といっても建物には寮の名前の表示がなく、同じところを何度も行ったり来たりし、また何人かに聞いたりしてやっと見つけることができた。建物の中に入ったが管理人がどこにいるかわからず、右往左往していたところ外国人寮生がたまたま部屋から出てきて管理人室を教えてくれた。しばらくしてからやってきたスウェーデンの若い3人組も「どこが自分の部屋なのかわからない」といって困惑していた。管理人室へ連れて行き、解決ができたようだった。
 無線LANも使え、通信手段がとりあえず確保できたので一安心。部屋に枕が置いていないので困った。
 それにしても韓国人は親切だ。地下道からの階段を重いスーツケースをしんどそうに持って昇っていたところ、小柄な若い女の子が持ってあげるといって手伝ってくれた。こういうところに感動を覚える。
 明日は朝からクラス分けの試験がある。部屋に入ると足りないものが出てくる。お湯を沸かすための鍋のようなもの、布巾に食器用洗剤とスポンジ。またなんと枕がない。こういったものは近くのスーパーやダイソーで購入することになった。

◎3月30日(月)
 今日はクラス分けの試験日。少し早めに会場に着こうと寄宿舎を出る。テレビの天気予報では今日は暖かくなると言っていたのでコートを羽織らずにいたところ、3月の終わりといえど空気はひんやりと冷たく、通勤の人たちはみなコートを引っ掛けているのであわて気味に部屋に戻ることになった。
 張り切って早めの8時半に会場に到着。まだ多くは集まっていなかったが、昨日会ったスウェーデン人グループが私に気づき、手を振って挨拶してくれた。これだけでも少し心が和む。
 9時からクラス分け。講堂に各国から多くの聴講生が集まりさすがに国際色が豊かに彩られた。なんか自分が国際人になった感じ。今までは国内の仕事しかしていないので新鮮味まで感じられた。
 その中で少し驚いたのは私より年長者がいたことだった。年齢は聞いてないが、頭髪の状況や顔の皺等、どう見ても私より年上の初老の男性を見つけた。来る前は自分が最年長者であろうと確信していたので予想外であった。
 中国人は参加人数が多いせいか別の時間帯に行われた。
 まず、全く韓国語がわからない人とそうでない人が分けられ、半数近くが別室に移された。残った聴講生にまず筆記試験が行われた。
 初級・中級・上級の作文課題がそれぞれ2問ずつ出され、「自分が回答できそうな課題を1つ選び400字にまとめなさい。制限時間は40分です」とのこと。上級の設問に目をやってみたが、問題の意図も読み取れそうもないので即座に断念。中級の問題に目を移したところ、一つは「職業を選択する際に重要なことは何かについて記しなさい」、もう一つは「クレジットカードを使うことに賛成か反対か、またその理由を述べよ」というもの。自分は最初の設問を選択したが、筆はなかなか進まず焦り出す。しかも中東方面から来たと思しき隣の若い男は早くも400字を悠々と超えているのが目に入り、さらに更に焦りが募る。自分の経験を中心になんとか書き込んだものの、スペルに自信はない上、分かち書きもまともでないことは一目瞭然。「もういいや」と半ばあきらめ気味に300字をちょっと出たところでギブアップ。試験管に回答書を手渡すとその場ですかさず採点が始められた。
 しばらくして答案を返却され、点数を見ると61点と記載されていた。いいのか悪いのかは不明であるが、「すぐに面接を行います」とのこと。隣室に案内されたが、やや広めの教室で6ヵ所ぐらいに分けて面接が行われていた。私の試験管は若目の利発そうな女性だった。最初に言われたのが「単語は知っているようですが文法が弱いのではないですか?」だった。文法用語やいろいろな接尾語を示され「知っていますか?」と聞かれ、「一応勉強はしていたので知っています」と回答したところ、面接官もクラス分けをどうしようかと迷っているようすであった。そのほか「韓国語はどのように勉強しているのか?」、「どこで何年くらい勉強しているのか?」、「韓国へは何回くらい来たことがあるか?」、「どんなところが好きなのか?」、「どんなタイプの人が好きか?」等について聞かれて面談は終了。「クラス分けの結果は明日8時半に発表され、パソコンでも確認できる」とのこと。
 この日は1時からオリエンテーションがある。少し時間があったので校内を少し歩いてみると、博物館や図書館が威容を誇って立ち並び、堂々として貫禄も備わった美しさに見とれてしまうような建物で、つい写真を撮りたく誘惑にかられてしまった。
 天気はよく気温は天気予報通りぐんぐん上がり、少し歩くと汗ばむようになっていた。
 まだ友人ができず夕飯は一人でとる。おいしそうなキンパプ(のり巻き)を老夫婦で売っている店を近所で見つける。1200ウォンで購入。道すがら特大の焼き鳥を店頭で焼いている店を発見し、2400ウォンで購入。つい酒も飲みたくなったが、寄宿舎内飲酒は2回発覚すると退寮処分となる。水と同じ色ならばれないだろうと考え、水のペットボトルを空にしてコンビ二で350ミリリットルのソジュ(焼酎)を購入。その場で中身を移し変える。店員のアジュンマが怪訝そうなので理由を話すと、理解を示し納得してくれた。
コメント (2)
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