ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

歌唱力がある韓国の女性歌手シリーズ ①イ・ソニ(이선희.李仙姬.1964~)

2018-11-08 10:35:55 | 韓国の音楽
 韓国には歌唱力がある歌手が多いなという印象があります。
 歌唱力とは何か? あえて分析してみると、
  ①張りがあって、よく通る声。声量が豊か。音域が広く、高音でも声が裏返ったりしないで、逆に聴く者を圧倒する迫力がある。またソプラノでもリリコとかドラマティコといった声の質の違いがありますが、そんな声自体の独自の魅力。
  ②音程やリズムの正確さといった技巧が優れている。
  ③曲想をよく把握し、表現力がある。
 ・・・といったことになろうかと思います。
 まあ声量はなくても巧い歌手はたくさんいるので、①の条件が必須というわけでもないですけどね。しかし①に該当する韓国歌手が多い、ということです。

 この数年、とくに歌唱力を感じさせる歌手&歌を聴くことが何度もあったので、1人ずつで各1曲ずつ紹介していきます。
 私ヌルボの好みで女性歌手限定。ジャンルは歌謡からポップス等々いろいろ。時代も数十年前の懐メロから現代まで。人数は予定はしていませんが、10人以上になると思います。
なお、いくら歌唱力があるといっても良い歌があってこそなので、それもヌルボ自身の好みで選びます。大体は韓国ではよく知られた歌になると思いますが、そうじゃないものもあるかも・・・。

 で、最初は日本の韓国歌謡ファンには広く知られているイ・ソニ(이선희.李仙姬)です。
 彼女は1984年20歳の時、第5回MBC川辺歌謡祭で大賞を受賞した「Jへ(J에게)」が大ヒットしてデビュー早々爆発的な人気を博し、あっという間に80年代を代表する女性歌手の座にのぼりつめます。
 80年代の代表的な男性歌手といえば、これも超有名なあのチョー・ヨンピル(조용필.趙容弼.1950~)ですが、驚くべきことに、チョー・ヨンピルもイ・ソニも、30年以上経った今でも、年齢を感じさせない歌唱力で現役歌手として活躍していることです。

 イ・ソニの歌唱力は大方の韓国人が認めるところ。その彼女の歌から1曲選ぶというのもむずかしいところです。好みでいえば、映画「王の男」(2005)のostとして用いられた「因縁(인연)」とか・・・。とくにこの映画で一躍人気スターになったイ・ジュンギのファンの皆さんにはよく知られている歌、でしょうか? (ドラマ「チェオクの剣(茶母)」のMVでも使われた・・・というより、本来はソチラにに心酔して作った歌だって?) なお、この曲の作詞・作曲も彼女自身によるものです。
 しかし、選んだ1曲はこれじゃないんですよねー。まあヌルボ自身も心残りなのでYouTubeのリンクを貼っておきます。(彼女が41歳の時の動画です。) →コチラ

 ということで、選んだ歌は「チョガクペ(조각배)」です。「小舟」と訳していいのですが、なんとなく思い浮かんだので「一葉舟」にしておきます。90年代に入って若干勢いが鈍ったイ・ソニが1992年の第8集のアルバムで国楽歌謡という新機軸を打ち出し、高い評価を得て復活しました。そのタイトル曲です。
 下に貼ったYouTubeはその1992年のものです。


 歌詞も曲の雰囲気に合ったもので、拙訳を載せておきます。

 조각배

성난 물결 파도위에 가냘픈 조각배
이내 설운 몸을 싣고 하염없이 가는 여인아
봄바람 꽃바람 속삭임도 역겨워
깊숙한 늪으로 덧없이 갈껀가요

소낙비 쏟아지는 깊은 밤 갈대숲
기약없는 인생항로 정처없이 가는 여인아
달님이 잠깨어 방긋 웃음 역겨워
운명에 몸을 싣고 덧없이 갈껀가요
 一葉舟

険しく荒れる波の上に か弱げな一葉舟
うらめしきわが身を乗せて 心虚ろに行く女人よ
春風花風の ささめきも厭わしく
奥深い沼へと はかなくも行くのだろうか

にわか雨の降りそそぐ 深い夜の葦の原
明日をも知れぬ人生航路 あてどなく行く女人よ
目覚めた月の 微笑みも厭わしく
運命に身を任せて はかなくも行くのだろうか

※作詞はイ・チョリョン(李喆鎔,이철용)という作家で、1992~96年国会議員(初の障碍者議員←足が不自由)。現在は易術家。) 彼がイ・ドンチョル(李東哲)の筆名で書いた小説「暗闇の子供たち」はイ・ジャンホ監督により1部が1981年に同タイトルで、2部が1983年に「馬鹿宣言」のタイトルで映画化され(ともに主人公の名もドンチョル)、また「コバン村の人々」も同タイトルで1982年ペ・チャンホ監督により映画化されています。
 作曲はキム・ヨンドン(金英東.김영동)。国楽の作曲家として多くの作品があり、ドラマや映画等の音楽もいろいろ手がけています。

 あ、「一葉舟」といえば五輪真弓の歌にもあったな。→コチラの動画参照。何十年ぶりかで聴いたゾ。

 この第1回目で私ヌルボ、自分が韓国の伝統歌謡が好みということに気づいてしまいました。次回は意識的に傾向の違う歌にするかな。それから、こんな長い記事ではなく、動画中心の短い記事にします。
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<ガーデンまつり×ヨコハマ・モシッソヨ! 2018>で韓国の国楽を聴いてきました

2018-08-19 12:47:31 | 韓国の音楽
 8月17日(金)、午後7時頃横浜市立図書館を出てみなとみらいに向かいました。前々日、たまたま見たポスターで「大盆踊り」が17・18日開催されることを知り、どんなものか散歩がてらに見てくるかと思ったわけです。

    
 行ってみると、なかなかの人出。そんなに広い会場ではないのですが、屋台には長い行列ができていました。桜木町駅から現地まで、いろんな外国語が耳に入ってきたのは場所柄だからでしょうか。中国語、タイ語、韓国語、英語、他にもあったかもしれません。
 盆踊りですが、着いた時にやっていたのは「東京五輪音頭-2020-」。ふーむ、懐かしいのー・・・と半世紀以上前の思い出にふけっていてはキリがありません。(まだ前書きなのに。) 踊っている人たちが一段と盛り上がっていたのは「ダンシング・ヒーロー」。なるほどねー。(参考動画→昨年の神田明神の盆踊り。)
 荻野目洋子の歌がヒットしたのは30年以上前か。あの頃は・・・。(おっと。)
 このみなとみらいの盆踊り大会は第11回目とか。私ヌルボ、すぐ近くに住んでいるのに知らなかった・・・。大体この時期は郷里の徳島に帰っていることが多いということはありますが。
 あ、今年帰っていたら例の阿波踊りの総踊りが見られたかな?

    
 横浜市民なのに今まで知らなかった夏のイベントがもうひとつ。・・・って、ここから本題。
 <納涼ガーデンまつり×ヨコハマ・モシッソヨ!>がそれで、これも町内の掲示板を見て知りました。場所は関内駅から近い大通り公園で15(水)~17(金)開催。「モシッソヨ(멋이 있어요.粋だね)」とあるからには、何か韓国関係の出し物でもあるのかなとチラシの出演団体の表をみると、京畿道立国楽団、男性アイドルグループのApeaceM.A.P6そして地元横浜に本部を置くテコンドー道場・炫武館(げんぶかん)
 この<納涼ガーデンまつり>は10回目か。一方、日韓文化交流イベントの<ヨコハマ・モシッソヨ!>が始まったのが2012年で、2014年からコラボが続いているようです。
 自分の都合と興味・関心等を勘案して、初日の最初の方だけ行ってみました。

    
 ステージのオープニングの30分ほど前の午後5時20分頃に行ったらもう人がいっぱい! <福富町リトルコリア>の韓国料理店の屋台等が並んでいて、テーブルはほとんど満席状態。東の関内方面からは西の端のステージは全然見えません。そういえば会場は午後4時オープンだったか。その仮設ステージの前も、すでに観客がぎっしり。
 横浜の韓国総領事さん等のオープニング挨拶のあと、最初のプログラムは京畿道立国楽団の演奏です。
     
 キム・ウンホさんの大笒[대금.テグム](大きめの横笛)、パク・ナモンさんのチャング(장구)(太鼓)、シム・ヒョギョンさんの歌で、京畿民謡の「太平歌」(태평가.テピョンガ)「チャジン ペンノレ」(자진 뱃노래)が演奏されました。
 (※お名前や曲目は、後で直接伺って書いていただきました。)
 屋外での演奏なので音が拡散する感じで、音楽を聴く条件としては良くなく、演奏者もやりにくかったのではと思います。まして今回来られたのは3人だけだし・・・。やはりちゃんとしたホールでじっくり鑑賞したいものです。

    
 シム・ヒョギョンさんのチマチョゴリ姿がいい雰囲気ですね。「チャジン ペンノレ」の<ペンノレ(뱃노래)>は<舟唄>。<チャジン(자진)>はヌルボが知らない数多くの韓国語の1つで、<テンポが速い>ということのようです。「♪オイヤディヤ、オイヤディヤ」と繰り返される合いの手が印象的でした。

 次の演目は、地元横浜のかっぽれ粋遊会のかっぽれ踊り。いやー、テコンドーといいかっぽれといい、実にいろんな分野で本格的に、あるいは趣味として取り組んでいる皆さんがいらっしゃるものです。
 かっぽれについては私ヌルボ、ちょうど7月にグリーンフラワーズの芝居「かっぽれ!夏」を観た時に合いの手の入れを教わり、その後忘れかけていたのを再び思い出しました。
 ・・・と、見たのはここまで。次のテコンドーが見られなかったのが残念です。
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[日韓の鉄道唱歌②] 韓国の「鉄道唱歌」のメロディーは日本でもおなじみのあの歌

2018-02-11 10:43:41 | 韓国の音楽
 2つ前の記事の続きです。
 前回は、日本の「鉄道唱歌」のメロディーは韓国では「学徒歌」という、若者に学問を督励する内容の歌に用いられていることを書きました。
 では、韓国でも作られた鉄道唱歌はどんなメロディーだったのでしょうか?

 御用とお急ぎの方はとりあえず下の動画だけでも見てください。

 1908年作られた「京釜鉄道歌」です。
 メロディーは、日本人の大多数が知っている(ホント?)唱歌「故郷の空」ですね。世代によっては、ザ・ドリフターズが歌っていたなかにし礼作詞の「誰かさんと誰かさん」というタイトルの方がなじみがあるかもしれません。

 以下は、この「京釜鉄道歌」の内容や歴史背景等について。(かなり細かいのでかったるいかも・・・。)

 日本では1872年新橋~横浜間の鉄道が開通しましたが、韓国(当時は大韓帝国)では28年遅く、1900年日本資本により京仁鉄道(京城~仁川)が開通しました。日本で「鉄道唱歌」が作られた年ですね。
 そして1905年は京釜鉄道(京城~釜山)全線開通。これらの鉄道はその後1908年韓国統監府に売却され、1910年の韓国併合後は朝鮮総督府鉄道局の運営となりました。
 この時代の韓国は近代文化の開化期で、韓国初めての「鉄道唱歌」もこの時期に作られました。
 下の画像は鉄道博物館(韓国)の展示物です。
      
 左から「京釜鉄道歌(경부철도가)」(1908.崔南善(최남선))京仁鉄道歌(경인철도가)」(年、作詞者未詳)「湖南鉄道歌(호남철도가)」(1926.具榮書(구영서))の歌詞です。とても読めるような画像ではありませんが、文字の一かたまりが何番もある歌の中の1番分。ということは、どれも長い歌ということだけはわかります。

 「京釜鉄道歌」の作詞者崔南善(チェ・ナムソン)は、李光洙(イ・グァンス)とともに韓国近代文学の草分けともいうべき存在で、同年(1908年)11月に朝鮮初の近代的雑誌「少年」を創刊し、その創刊号に発表された詩「海から少年へ」も朝鮮で最初の新体詩(近代詩)とされています。
 彼は1890年生まれなので、当時まだ10代でした。早くから才能を発揮したこの秀才は、1904年と06年に渡日し、東京府立一中、早稲田大学高師科に入学しましたが、すぐに帰国しています。しかしちょうど「鉄道唱歌」が流行っていた頃で、それが「京釜鉄道歌」を作る導火線になったことは、彼自身後に語っています。(※大竹聖美「植民地朝鮮と児童文化」(社会評論社))。崔南善は、その後1919年三一独立運動に際して「独立宣言書」を起草した人物としても知られています。

 では、「京釜鉄道歌」の歌詞について少し詳しく見てみます。

 1番の京城から始まって終点の釜山が67番という長さなので、一部しか紹介できません。上掲左の画像を拡大して、まず冒頭の動画で歌われている1・2番、京城[南大門駅]出発の歌詞を読んでみます。
 

 雄(たけ)くも吐き出す汽笛の音(ね)
 南大門を背に発ちて
 疾風(はやて)のごとき勢ひに
 飛ぶ鳥さへも追ひかねつ


 老いも若きも座り居て
 内外(うちそと)国人(くにびと)乗り合わせ
 皆人共にに打ち解けて
 生まれぬ小さき別世界

 全部の歌詞が七五調(4+3+5)という(朝鮮では)新しい形式になっていて、見た目にもタテ・ヨコがきちんとそろっています。18歳の崔南善に対抗して私ヌルボも明治風に訳してみました(笑)が、出来栄えは全然自信ナシ。間違いがあったら教えてください。(コッソリ直します。)

 大和田建樹は1898年末から新橋を発ち、九州の熊本、長崎まで約20日間の取材旅行をしたとのことです。(※中島幸三郎「汽笛一声新橋を」(佑啓社)) もしかして、崔南善もそんな汽車の旅をしたのでしょうか? 歌詞を見ると、当時の各地のようすが具体的に描写されています。そして崔南善自身の「思い」も込められています。具体的に言えば、①各地で日本人居住者が増えている状況 と、②それに対する崔南善の痛憤 です。21~23番の温陽温泉はその一例です。


 彼方此方(あちこち)見るうち知らぬ間に
 いつしか着きぬ天安へ
 温陽温泉まで三里  ※朝鮮の10里=日本の1里
 ひと風呂浴びんと人数多(あまた)


 俥(くるま)と駕籠が備わりて
 行き来に不便は毫(ごう)もなし
 綺麗な造りの宿あるも
 主(あるじ)は粗方(あらかた)日本人


 此れ等は小さきことなるも
 同胞生業(なりわい)衰微せり
 彼等が如何に励むとも
 此れひとつさえ保ち得じ

 まだ韓国併合前だったとはいえ、上の温陽温泉の他にも、龍山駅辺りでは「二千余人の日本人がここに住んでいる」とか、釜山では「日本人居留民が二万人だから/一見すれば日本と変わりなく」等々、各都市に日本人が多く住み着いているようすが読み取れます。
 それに対して、後の方の歌詞ほど崔南善の痛憤の度合いが強くなっていきます。とくに最後の64~67番は全体の総集編として彼の主張がそのまま綴られています。たとえば66番。
  朝から汽車で乗り来しが/我が物ならず他人(ひと)の物/
  いつかは強き力もて/己(おの)が手ずから走らせん


 この崔南善の「京釜鉄道歌」と対照的な歌が、「鉄道唱歌」の作詞者・大和田建樹が1906年に作った「満韓鉄道唱歌」です。
 これは「京釜鉄道歌」は逆に、1,馬関(下関)→3.釜山→9.大邱→17.牙山→23.京城と北上し、さらに25.平壌→27.新義州~鴨緑江→34.奉天→52.大連→57.旅順 と続き、最後の60番は「ああ清国も韓国も/共に親しき隣国ぞ/互いに近く行きかいて/研(みが)かん問題数多し」という歌詞で結んでいます。
 この歌の全歌詞はなんと→コチラで見ることができますが、「20.仁川港に在留の/邦人一万三千余/日露の役の手始に/敵艦沈めし浦なるぞ」といった日清・日露の戦勝国民の高揚した気分が随所に見て取れます。
 この「満韓鉄道唱歌」の動画はニコ動にありました。(歌詞字幕付) ここで16分以上かけて全曲歌っているのはなんと初音ミク さすがに息を切らせることなく歌いきっています。

 最後に「京釜鉄道歌」のメロディーについて。
 私ヌルボ、この歌が「故郷の空」の曲を借りていることは下の展示物(「京釜鉄道歌」(1908年刊行))の楽譜を見て知りました。この記事冒頭のYouTubeは帰国後見つけたものです。

 原曲はスコットランド民謡で、作詞は件(くだん)の大和田建樹。ドリフの「誰かさんと誰かさん」に近い原詞を全然知らずにつけた歌詞だそうです。1888年刊行の「明治唱歌 第一集」所収の1篇で、その当時から一般に愛唱されてきた歌でした。もしかして、多梅稚による「鉄道唱歌」の曲を「学徒歌」に取られた崔南善がちょうど使えるメロディーだということでひらめいたのがこれだったのかも・・・というのは丸ごと想像ですが・・・。
 ただ、ちょっと引っかかるのは、この記事を書くのに大いに参考にした大竹聖美「植民地朝鮮と児童文化」では、한용희「童謠七十年史 韓國의 童謠」に拠り「メロディーは、当時の日本の軍歌がそのまま使われたようだ」として、「故郷の空」には全然ふれていないこと。「故郷の空」のメロディーに定着する以前の<前史>があったということ? よくわかりません。

 今回も例によって予定よりもはるかに長い記事になってしまいました。最後まで読んでくださった皆さんお疲れ様でした。

[補足(自分用のメモ]「湖南鉄道歌」については→コチラと→コチラの記事参照。(どちらも韓国語)
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[日韓の鉄道唱歌①] 日本の「鉄道唱歌」のメロディーは韓国では別の歌に使われた

2018-02-06 15:15:43 | 韓国の音楽
 1月27日(土)、所用のため大宮に行ったついでに、以前から懸案だった鉄道博物館を見学してきました。
 いつからの懸案事項かというと2ヵ月近く前からです。というのは、12月初めの韓国旅行でソウル近郊の義王市にある鉄道博物館に行って来たから。
 その記事はちょっと長くなりそうなので次に回すとして、その韓国の鉄道博物館で見た鉄道唱歌関係の展示を紹介します。が、その前に・・・。

 最初から余談!です。私ヌルボ、以前から疑問に思っていたのが「なぜ新橋ではなく品川の発車メロディーが鉄道唱歌なのか?」ということ。この際と思ってちょっとググってみたら→コチラに理由が記されていました。「品川駅は1872年5月創業した日本最古の鉄道駅で、新橋~横浜間が開業する4ヵ月前に品川~横浜間の工事が完成し、仮営業という形で蒸気機関車が1日2往復走っていた。東海道線のホームの発車ベルが「鉄道唱歌」になっているのは、それにちなんだもの」ということです。

 さて本論・・・に入る前に、もう1つちょっとクイズ。

 今も日本人の大多数が知っている(ホント?)「鉄道唱歌」が作られた時期はいつ頃?
  A.鉄道が開通した明治初期  B.東海道線が開通した1989年頃  C.鉄道が全国的に普及した1900年頃


 正解はです。正確には1900年に造られました。作詞は大和田建樹、作曲は多梅稚(おおのうめわか)です。なんちゃって、私ヌルボ、なんとなくAだと思ってましたよ、ハハハ。考えてみれば、まだ洋楽は普及してなかったですよね。いずれにせよ、この1900年という時期は歴史的にみて日韓の歴史を理解するためにも重要だと思います。
 ついでのついで。いろいろ検索していたら、<鉄道唱歌の碑>というのが新橋駅にあるとか。(汐留口を出てすぐの駅舎壁面。) 西口広場に蒸気機関車が保存展示されているのは知ってましたが、これも知らなかったな。新橋駅なんて今まで100回以上も行ったりしてるのに。トホホ。
 ※日本でレコードが普及しはじめるのは大正時代で、その最初のヒット曲は1914年の松井須磨子「カチューシャの歌」。ラジオ放送はずっと後の1925年。それ以前の、明治期の流行歌は演歌師等によって歌われ、出版社が歌詞・楽譜を印刷した小冊子を発行した。(「鉄道唱歌」の冊子は→コチラの画像参照。)
 ※「鉄道唱歌」刊行の経緯やその後のことについては中島幸三郎「汽笛一声新橋を」(佑啓社)に詳しい。宣伝には楽隊も使われたりしたとか。また冒頭の「汽笛一声新橋を」の名文句は1896~97年に流行した演歌師・添田唖蝉坊の弟子・横江鉄石の「汽車の旅」に拠る等々の考証を記しているのは高取武「歌でつづる鉄道百年」(鉄道図書刊行会)という労作。

 ようやく、じわっと本論。まずは次の韓国語の歌を聴いてください。

 メロディーは「鉄道唱歌」と同じです。しかし韓国では「학도가(学徒歌)」です。
 作られたのは1905年。つまり日本で作られてからわずか5年後。当時「鉄道唱歌」がそれだけ大ヒットしたということです。作詞は韓国の洋楽先駆者として知られる金仁湜(キム・インシク)ですが、その後歌詞はいくつかの別バージョンが作られてきました。
 <ナムウィキ>(→コチラ.韓国語)によると、1920年代の高雲峰(コ・ウンボン.고운봉)バージョンはドラマ「野人時代」のostとして使われたとか。(歌手高雲峰は1920年生まれなのに、なんで?) そして上のYouTubeは1930年代、韓国最初の職業歌手だった蔡奎燁(チェ・ギュヨプ.채규엽)の作詞。それぞれの歌詞をみると、学生に勉学を督励する点は共通していますが、その時代が反映されているようです。<ナムウィキ>は、日本の侵略に対して(武力闘争よりも)実力養成が肝要という安昌浩が唱えたような独立の意志が盛り込まれているとのことですが、1905年というのはちょっと早いのではないでしょうか? (その後歌う人がそのような抗日の意志を読み取ったことはあったかもしれませんが・・・。)

 「鉄道唱歌」のメロディーが借用された例をもうひとつ。これもYouTubeをそのまま貼っておきます。

 なんと北朝鮮の「反日革命歌」。ハングルの歌詞はカラオケ版の→コチラ参照。
 日本の歌のメロディーに詞をつけた抗日の歌という矛盾をつつくというのは今の日本人の感覚。他にも例があったような気がします。それにしても、Boxso Tsugio(or B・ Tsugio)という人、どこからこういうネタを仕入れてくるのでしょう? 韓国サイトにもこの動画は見当たらないし・・・。

 次はやっと韓国の鉄道博物館で見た展示物についてです。それは1908年に作られた韓国の「鉄道唱歌」の歌詞なんですが・・・って、上述のように日本の「鉄道唱歌」のメロディーはすでに別の歌に使われてるし、そこんとこどうなってるの?とか、歌詞の内容とか、いろいろと調べたらまた長くなりそうなので、とりあえずはここで一区切り。
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北朝鮮で禁じられた2つの歌♪♪  ②「われらの願いは統一(ウリエ ソウォヌン トンイル)」

2016-10-14 12:29:12 | 韓国の音楽
 3つ前の記事→<韓国ではだれでも知っている、北朝鮮で禁じられた2つの歌♪♪ ①「朝露(アチミスル)」>の続きです。

 先の記事の「朝露」と比べて、今回の「われらの願いは統一(우리의 소원은 통일.ウリエ ソウォヌン トンイル)」が日本でどれくらい知られているのか、私ヌルボはよくわかりません。ただ、民族学校に通っていた人たちは学校で教わったはずなので皆知っていると思います。また、韓国では初等学校の音楽の授業で長く教えられてきた歌なので、見出しの通り「誰もが知っている」と言ってよいでしょう。
 つまり、この歌は北朝鮮でも韓国でも歌われてきた歌です。※韓国では「われらの願い(우리의 소원.ウリエソウォン)」と短い曲名になっています。

 とりあえず、どんな歌か聴いてみてください。YouTubeにいろいろありますが、とりあえず音楽教材らしいものを貼っておきます。


 これ以外にも、朴槿恵大統領が合唱団の中に入って歌っている動画(→コチラ)等があります。

 一方、この歌は北朝鮮でも歌われてきました。1990年10月10日(朝鮮労働党創建記念日)に催されたマスゲームの動画を見てみましょう。


 この歌を私ヌルボが知ったのは1991年。先の「朝露」の記事で少し書いたように、初めて北朝鮮に行った時のこと。現地に着く前に旅行団中にけっこういた朝鮮総聯関係の人から教わったのか、着いてから案内員氏に教わったのかは思い出せません。とにかく、その時に朝鮮語で教わって覚えたのがこの「われらの願いは統一」です。

 歌詞とその日本語訳は次の通りです。
   
 우리의 소원은 통일
 꿈에도 소원은 통일
 이 정성 다해서 통일
 (※北朝鮮では 이 목숨 다 바쳐 통일)
 통일을 이루자

 이 겨레 살리는 통일
 이 나라 살리는 통일
 통일이여 어서 오라
 통일이여 오라
 われらの願いは統一
 夢にも願いは統一
 このまごころを込めて統一
 (※北朝鮮では「この命をすべて捧げて統一」)
 統一を成しとげよう

 このはらからを救う統一
 この国を救う統一
 統一よ早く来い
 統一よ来い

 この歌の作詞者は安碩柱(アン・ソクチュ.1901~50)。号は夕影(ソギョン)で、日本の統治期に挿絵画家等として活躍した人物です。(→コチラの過去記事で少し書きました。)
 そして作曲者が彼の息子の安丙元(アン・ビョンウォン.1926~2015)。1947年当時ソウル大の学生だった彼が3月1日の三一節特集ラジオドラマの主題歌として父親の詞に曲をつけ発表したのがこの歌でした。その時の歌詞は「우리의 소원은 독립 /꿈에도 소원 독립이목숨 바쳐도 독립독립이여 오라 /이겨레 살리는 독립 /이나라 찾는데 독립독립이여 어서오라 /독립이여 오라」というもので、「統一」ではなく「独立(독립)」 を希求する内容になっていて、歌詞も少し違っていました。(当時の南北朝鮮は、それぞれ米ソの軍政下に置かれていた。)
 しかし翌1948年に大韓民国政府が樹立されて南北の分断が既成事実化され、韓国の教科書にこの歌が掲載される時、歌詞が現在のように変わって「私たちの願いは統一と歌われるようになりました。

 以後もっぱら韓国で歌われてきたこの歌が北朝鮮で歌われることになったのは、1989年。全大協(全国大学生代表者協議会)の代表として世界青年学生祝典に参加するため国禁を侵して平壌入りした20歳の女子学生林秀卿(イム・スギョン)(→右画像)が現地で歌ったのが契機になりました。
 ※林秀卿は現在共に民主党の国会議員。彼女についての過去記事は→コチラ

 その後2000年の南北首脳会談の際、金大中金正日が6.15南北共同宣言に署名した後に手をつないでこの歌を歌い、その前月の平壌オリニ(子供)芸術団のソウル公演でも最後に歌われたのはこの歌でした。
 ※2009年8月23日金大中元大統領の国葬でも弔歌の1つとして演奏された。
 ※利川市の青江(チョンガン)文化産業大学大学校に安丙元が直接書いた楽譜と歌詞を刻んだ歌碑が建立されている。

 今年8月初め、このような歴史をもつ歌が北朝鮮で禁止されたというニュースが韓国で大きく報じられました。発信源はアメリカ政府系のRFA(自由アジア放送)。北朝鮮咸鏡北道のある消息通が「人々の疑問が増幅している」という反応とともに伝えた情報(→コチラ参照.韓国語)です。
 
 TVニュースでも、たとえばYTNは上述のようなこの歌の来歴も含めて詳しく報じています。(下の動画)


 放送の中で、禁止の理由として「金正恩の願いは(統一よりも)軍事強国になること」としていますが、これは上のRFA(自由アジア放送)の記事中の「禁止曲選定とともに伝達された金正恩の指示内容にそのように規定されている」とあるのをふまえたものです。そして7月から禁止曲の統制が強化され、これに反した者には厳罰を科すよう指示が下されたということです。
 上の動画の最後、アナウンサーの背後の大きな字「멀어진 소원 ‘통일’」は「遠くなった願い‘統一’」で、アナウンサーも「われらの願いは遠くなったようです」という言葉で締めくくっています。

 ところで、この「われらの願いは統一」は「統一」の部分を別の言葉に変えて歌われることがあります。→コチラの動画は北朝鮮の公式アカウントuriminzokkiriによってアップされたものですが、1番の「統一」に続けて2番は「自主」、3番は「民主」と歌われています。
 →コチラは、この歌についてとても手際よくまとめられた記事ですが、そこでは「統一」を「自由」に置き換えた歌詞が載っています。(うーむ、これはどこかで歌った記憶があるゾ。) もしかして80年代民主化闘争の中で歌われたのかな? その記事に7つ動画が貼ってありますが、その一番下に2012年3月の中国による脱北者強制送還に対する(韓国内の脱北者による)抗議行動の動画があります。そこで彼らが歌っているのは「われらの願いは自由」。(YouTubeは→コチラ。)
 はたして、今北朝鮮内で「われらの願いは自由」と歌われたりしているかどうかはわかりません。しかし、10月12日の毎日新聞の記事「韓国 脱北者、国内在住は3万人突破へ」(→コチラ)によると、脱北者に脱北の理由を訊くと「2001年以前は7割弱が「空腹や経済難」と答えていたが、14〜16年では同じ回答が1割強へと減少。01年以前は1割に満たなかった「自由への憧れ」は3割強に増加した」とのこと。もしかしたら「朝露」を禁止したのと同様に、金正恩や住民の統制担当部署はこの歌自体に<何か危険な要素>を感じたのかもしれません。

 先日、ある脱北者の方に「「ウリエ ソウォヌン トンイル」が北韓で禁止されましたよ」と言ったら、即座に「金正恩は統一を望んでないんですよ。独裁者でいられなくなるから」という声が返ってきました。正鵠を射ている・・・って、もしかして周知の事実かも。昨年あたりからの朴槿恵をはじめとする連中の統一論議は金正恩にとってはやっかいなところでしょうね。

【作曲者の故・安丙元(アン・ビョンウォン)さんの所蔵品】
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韓国ではだれでも知っている、北朝鮮で禁じられた2つの歌♪♪  ①「朝露(アチミスル)」

2016-10-04 16:56:56 | 韓国の音楽
 1つ前の記事で過去100年の日本・韓国・北朝鮮で主に時の政治権力によって禁止された歌について書かれた田月仙(チョン・ウォルソン)さんの著書「放送禁止歌」を紹介しました。

 その本の中に「朝露(アチミスル.아침이슬)」のことが書かれています。ご存知の方も多いと思いますが、1970年に当時大学生だった金敏基(キム・ミンギ)が作詞・作曲し、翌年レコード化された歌。1973年政府から健全歌謡に選定されますが翌74年には禁止されます。朴正熙大統領の軍事政権に抗する民主化闘争の中で学生たちの間に広がり、愛唱される歌になっていたから。「長い夜を明かし・・・」や「太陽墓地の上に、赤く昇り・・・」といった歌詞中の長い夜墓地は軍事政権下の韓国のことで赤く昇る太陽とは金日成を意味しているのだろうというのがその禁止理由でした。しかし、この歌はその後80年代の全斗煥政権下でも民主化闘争を象徴する歌として歌われ続け、そして1987年の盧泰愚の民主化宣言後ようやく解禁されました。

 この「朝露」について、本ブログでは2011年にけっこうくわしい3回連続の記事を書いたことがありました。その<その1>(→コチラ)で楊姫銀(ヤン・ヒウン)のファースト・アルバムの動画(といっても静止画像と歌だけ)を貼ったので、今回は金敏基の歌を貼っておきます。背景の動画は1987年7月9日李韓烈(催涙弾の直撃を受け死亡した延世大の学生)の<民主国民葬の時のようすです。

 ところで、上記過去記事の<その3>(→コチラ)の最後の方に、私ヌルボが1991年8月北朝鮮に行った時のエピソードを少し書きました。北朝鮮の対文協(対外文化連絡協会)(?)との交歓を兼ねたディナーの際の出し物で、当方の団体から1人の男性が持参したギターを弾きながら歌った歌がこの「朝露」でした。が、反応はゼロ。いや、マイナスと言った方がいいくらいかも。当時北朝鮮ではこの歌を知っていた人は、いたとしても職務で韓国を「注視」しているごく限られた人だけだったのではないでしょうか? また韓国の歌自体歌うことは厳禁だし・・・。そして日本からのこの旅行団の参加者100人中でも何人くらいの人が知っていたか?(10人くらい??) とにかく(たぶん)朝鮮総聯の人が歌って会場がすごく盛り上がった「朝鮮八景(조선팔경)」(1936年.→YouTube)とは対照的な雰囲気でした。
 ところが「禁じられた歌」には、この「朝露」が「北朝鮮版カラオケに登場する」と書かれています。田月仙さん自身の経験として次のように記されています。
 その映像は驚くべきものだった。数えきれないほどの北朝鮮の出演者たちが、韓国の学生や労働者に扮し、韓国で反体制デモを行っている様子を演出しているのだ。
 そして彼女は、このビデオを制作したディレクターにも直接話を聞いているのです。その彼の言。
 「当時、北朝鮮の金策(キムチェク)工業大学の学生を集めて撮影されたものです。北朝鮮で『朝露』はとても人気があるのですよ。」
 田月仙さんは、この映像をビデオに録画し、金敏基に手渡したとのことです。(金敏基と田月仙さんとのやりとり等々については省略。)
 「禁じられた歌」でこのような「朝露」にまつわる話を読み進んで、実は私ヌルボ、最後に肩すかしをくらった感じでした。なぜかというと、上述の北朝鮮でのエピソード(1995、6年?)の少し後の1998年にこの歌が北朝鮮で禁止曲になったことが書かれていないからです。ヌルボさえも先の過去記事(その3)で書いていたのに・・・。
 しかし、考えてみれば過去記事のネタ元の<DailyNK>の記事(→コチラ)の配信2008年4月ということは、禁止されたのが1998年でもそれが韓国に知られたのはその10年後ということなのでしょう。「禁じられた歌」刊行は2008年2月なので、わずかの差で田月仙さんはその情報を知りえなかったということになります

 上記の<DailyNK>の記事を読むと、北朝鮮でこの歌が1996年に初めて歌われた理由と、98年に禁止された理由をおよそ次のように次のように記しています。

 当時の北朝鮮は300万人(?)が飢え死にしたという<苦難の行軍>の時代。北朝鮮の宣伝当局はそれを政権の過ちではなくアメリカ帝国主義をはじめとする反動の反共和国策動のためとし、宣伝・教育活動を展開した。その一環として韓国国内の反米運動と関連づけて北朝鮮の歌手イ・キボクが歌うこの「朝露」のテープを作成した。
 ところが、この歌が広まるにつれ住民たちはこの歌の中に、社会に対する抵抗意識があることを感じるようになり、ますます歌われるようになった。北朝鮮政府はそれに気づき、1998年に「朝露」を歌うことを禁止し、テープもすべて回収した。「朝露」を歌って捕まった者は政治犯扱いされて労働鍛錬隊に送られた。ただ、その一方で政府は韓国の人と接触する海外の北朝鮮食堂や金剛山観光、開城観光の案内員にはこの歌を歌うように奨励した。そこには「わが民族同士力を合わせて米帝と戦おう」という意図があった


 いやー、北朝鮮当局の「苦慮」や「狡知」がうかがわれます。かなり「善意」に解釈すれば、取り締まる側も人々の心情がわかるからこそ取り締まることができるということでしょうか。韓国で「朝露」の含意を<邪推>した人たちと相通ずるものがあるかも・・・。

 私ヌルボ、今回の記事を書くにあたってまた韓国の記事をいろいろ漁ってみたところ、おー、その北朝鮮のビデオ動画と思しきものがYouTubeにあるではないですか! 歌手はたしかにリ・キボクです。(北朝鮮では李は「リ」と表記・発音する。)

 フォークよりも歌曲のような感じでずいぶん端正な雰囲気で歌ってますね。実際の韓国の街並みや人々のようすを用いていないのは、それを見て北朝鮮の住民が「ずいぶん車も多いしにぎやかじゃないか」とか「いい服を着ているな」等々と思う<危険性>があるためですね。
 2010年2月にアップロードされた動画ですが、この「朝露」が北朝鮮で禁止されたということはまだ韓国では周知のこととはなっていなかったのか、最近でもメディアで取り上げられたりしています。
 たとえば昨2015年8月の<TV朝鮮>。→コチラ(韓国語)によると、「耳慣れない発音、白いチョゴリに黒いチマを着た女性の行動も何となくぎこちないです」等々と語りつつこの動画を流し、禁止されるまでの経緯とともに、2011年に脱北した人の次のようなコメントも入れています。
 「南朝鮮で主体思想を信奉する人々が闘争しながら歌った歌だとのことで、その歌を歌えば南朝鮮の青年学徒のような感じなのでカッコよく見えて・・・

 そして今月(2016年9月)5日、「東亜日報(日本語版)」にも「北朝鮮の禁止曲「朝露」と題したコラム(→コチラ)が載っていました。やはり「南北当局がいずれも住民が相手に染まることを恐れて禁止したとは、実に数奇な歌だ」といったことが書かれています。そして北朝鮮で友人と「朝露」を歌ったという「金日成大学出身の本紙のチュ・ソンハ記者」の「歌の中に隠れている抵抗の精神が私たちの胸の中に眠っていた内在的な反抗意識を呼び起こしたのではないか」というこの歌に魅了された理由も紹介しています。記事末尾の「北朝鮮で「朝露」を密かに歌って新しい世の中を夢見る人々が最近増えたという」という一文は、どこまでが事実で、どこまでが「期待」なのか・・・。
 ※このコラム中のチュ・ソンハ記者による「我々は「朝露」を歌って平壌を守った」と題した記事(韓国語)は→コチラ

 以上、「禁じられた歌」をキッカケに私ヌルボが「朝露」について知っているor新たに知ったことをあれやこれや書きました。決して政治的主張が具体的に盛り込まれていないこの歌が、このように長い間人々に愛唱されるばかりでなく社会を変える大きな力を持ったのも、多くの人たちの言葉同様ヌルボも歌自体の力として納得できます。
 そしてこれまでさまざまな物語を生んだこの歌の物語はまだ終わっていないのだというのが今の実感です。

 この記事の続きは、もう1つヌルボにとっては思い出の、最近北朝鮮で禁止された歌についてのことです。(※これだけで何という歌かわかる人もいらっしゃるでしょう。)
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田月仙「禁じられた歌」 = さまざまな理由で禁止された韓国・朝鮮(+日本)の歌を、思いを込めて紹介した好著

2016-09-30 09:46:17 | 韓国の音楽

 <カリプソの女王>浜村美智子「黄色いシャツ」 (日本語版)のレコードを出していた(1972年)とは知らなかったなー。他にも知らなかったことが一杯。
 一応知っていたことはザ・フォーク・クルセダーズ「イムジン河」のレコードが発売中止になったおおよそのイキサツ(参照→ウィキペディア)及びその歌詞が「豊かな北から川の向こうの荒れ果てた南の故郷を眺めて嘆く」(2番)という内容ということ。(最近「当事者が「本当の舞台裏」を明らかにする」というキャッチコピーの喜多由浩「『イムジン河』物語 “封印された歌”の真実」(アルファベータブックス)が刊行されましたが未読。) 他には日本文化開放以前の韓国で五輪真弓「恋人よ」が人気だったということ。しかし、それ以前にいしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」が韓国でも不法コピーのカセットテープ等で広まり、韓国人がもっともよく知る日本の歌になったとは知りませんでした。

 この「禁じられた歌」(中公新書ラクレ.2008)という本は、在日コリアン2世のソプラノ歌手・田月仙(チョン・ウォルソン)さんが「いろんな事情」で歌うことやレコードの発売等を禁止された歌について多角的な観点から書いた好著です。

 「多角的な観点」というのは次のようなことです。
 まず「朝鮮半島 音楽百年史」と副題にあるように、1910年(韓国併合)から現代までの1世紀の韓国・朝鮮と日本の間の鳥瞰図的な歴史がおのずと見えてくる記述になっていること。
 また、田月仙さん自身がいろんな人に話を聞いたりして積極的に取材をしていること。公演等で訪れた所でたまたま会った人の話だけでなく、自らの興味・関心に沿って目的の場所や人を訪ねたり、本やレコード等の資料を求めたりもしているのです。
 たとえば「アリラン」にしても、映画「アリラン」(羅雲奎監督.1926)について2005年団成社(初めて上映した映画館)に行って映画研究家のチョン・ジョンファさんから説明を聞いたり、中国・延辺では朝鮮族の人の話を聞くだけでなく、北朝鮮レストランで歌を聴いたり、ロシア・ハバロフスクに招かれた時にはその地のカレイスキー(高麗人=韓国人)からロシア語の「アリラン」を聴いたり、ロサンゼルスのコリアタウンにある韓国人の雑貨店主からも話を聞いたり等々・・・。
 もう1つ、この本ならではの視点というのは、田月仙さん自身の歌手としての歩みが記されているるということ。この点については、小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞した前著の「海峡のアリア」(2006年)の方がまさに自伝なのですが、この「禁じられた歌」でもさまざまな思い出が記されています。中でも<歴史的体験>といえるのは、1985年に平壌の音楽祭に招かれて金日成主席の前で独唱したことや長く収容所生活を強いられていた兄たちと再会したこと、あるいは1998年の韓国・金大中政権の時、日本文化の段階的開放が進められている頃に東京都の親善大使としてソウルで公演をするになった彼女は「赤とんぼ」「浜千鳥」「夜明けのうた」の3曲を歌う予定だったのが「夜明けのうた」だけは(歌曲ではなく)大衆歌謡とみなされて許可が下りず、結局「♪あーあー」という声だけで歌ったこと等々。

 このように多彩な内容が、とても読みやすい文章で書かれていることも私ヌルボが良書という大きな理由で、高校生にもぜひ読んでほしいと思います。(「海峡のアリア」の方が<感動本>ですが、コチラは新書で入手しやすいので・・・。)

 私ヌルボ、これらの「禁じられた歌」を「禁じた」のは誰かということで分類・整理してみました。次の通りです。

[Ⅰ] 日本の統治期
 ・民族の独立・抵抗を内包した歌・・・「鳳仙花」
[Ⅱ] 戦後の韓国
 ・「倭色」歌謡=日本的歌謡は放送禁止に・・・「椿娘(トンベクアガシ)」
 ・日本の歌
 ・北朝鮮の歌、南から北朝鮮に渡った「越北作家」の歌
 ・「運動圏」の歌=軍事政権に反対する民主化運動の側の闘争の歌・・・「朝露(アチミスル)」
 ・「親日派」の作詞家・作曲家・歌手による歌・・・上記の「鳳仙花」「故郷の春」の作曲者・洪蘭坡(ホン・ナンパ)「哀愁の小夜曲」で知られる歌手南仁樹(ナム・インス)
[Ⅲ] 戦後の北朝鮮
 ・体制の<理念>に合わない歌等、多数
[Ⅳ] 戦後の日本
 ・本書では上記の「イムジン河」だけですが、森達也「放送禁止歌」(知恵の森文庫)(←オモシロイ!)には実にいろんな事例が集められています。多くは差別用語やワイセツな表現等による問題を避けたいメディア側の自主規制のようですね。

 これらの政治権力による歌への禁圧や「親日派狩り」等に対して、いうまでもなく田月仙さんは批判的に書いています。彼女が国境を越えて活動を通して国際的な視野を身につけているからということもあるでしょうし、もしかしたら日本で生まれ育った在日だからこその「ふつうの見方」なのかもしれません。

 ところで、この2008年刊行の新書を私ヌルボがなぜ今再読してこのブログ記事を書いたのかというと、実は北朝鮮での2つの「禁じられた歌」について韓国のニュース記事を読んだからです。その2つの歌については(またもや)次回に続くということにします。
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1950年代韓国のヒット歌謡「がんばれ、クムスン」と、映画「国際市場で逢いましょう」

2015-06-22 13:28:25 | 韓国の音楽
 今回の記事のきっかけは、4月大韓民国歴史博物館で見たこの展示物です。

 朝鮮戦争(1950~53)の直後に大ヒットした2つの歌のレコードです。
 上は「断腸의 미아리고개」。1955年李海燕(イ・ヘヨン)の歌で発売された「断腸のミアリ峠」です。フムフムこれは知ってるゾというわけで下に目を移すと、コチラの曲名は「굳세어라 今順아」です。今順の読みは금순(クムスン)。あれ、「がんばれ、クムスン」ではないの!?
 「がんばれ、クムスン」といえば、ペ・ドゥナ主演の映画「頑張れ!グムスン」(2002)や、ハン・ヘジン主演のドラマ「がんばれ!クムスン」(2005)を思い出す人が多いでしょう。実は私ヌルボもその1人でした。で、後で調べてみたら原題は同じでも内容はどれも関係がありません。というか、1953年玄仁(ヒョン・イン)の歌った大ヒット歌謡のタイトルだけを取って映画やドラマを作ったということ。(こんな例は他にも何かあったような・・・。)
 で、この歌の動画を探すといろいろヒットしましたが、玄仁(ヒョン・イン)の歌で、発表当時に近いバージョンのものを貼っておきます。

 歌詞は次の通りです。
  눈보라가 휘날리는 바람찬 흥남부두에
   吹雪が吹き荒れる 風の冷たい興南(フンナム)埠頭で
  목을 놓아 불러봤다 찾아를 봤다
   声をかぎりに呼んで捜した
  금순아 어디로 가고 길을 잃고 헤매었더냐
   クムスンよ どこへ行って 道を見失って迷ったのか
  피눈물을 흘리면서 일사이후 나홀로 왔다
   血の涙を流しながら 「1.4(イルサ)」以後自分一人で来た

  일가친척 없는 몸이 지금은 무엇을 하나
   一家親戚のいない身が 今は何をしているか
  이내 몸은 국제시장 장사치기다
   このわが身は国際市場で商売をしている
  금순아 보고 싶구나 고향꿈도 그리워진다
   クムスンよ 会いたいな 故郷の夢も 懐かしい
  영도다리 난간위에 초생달만 외로이 떴다
   影島(ヨンド)橋の欄干の上で 三日月だけがさびしく浮かぶ

  철의 장막 모진 설움 받고서 살아를 간들
   鉄のカーテン ひどい悲しみを被って生きてきた
  천지간에 너와 난데 변함 있으랴
   天地の間にお前と俺なのに 変わりがあろうか
  금순아 굳세어다오 북진통일 그날이 오면
   クムスンよがんばれ 北進統一その日が来れば
  손을 잡고 웃어나 보자 얼싸안고 춤도 춰보자
   手を取って笑ってもみよう 抱きしめて踊ってもみよう


 興南は、現在北朝鮮の日本海に面した咸興市に属する港湾都市で、朝鮮戦争中一時は韓国&国連軍が占領していたが、その後中国の人民解放軍参戦で戦局は逆転して中朝軍は再度南進して1950年12月24日には興南埠頭から最後の米軍の高速輸送船が多数の避難民を乗せて撤収しました。
 国際市場は、釜山の有名な市場、影島は釜山港の向かい側の、橋で繋がっている島。
 なお、歌詞中の「1.4(イルサ)」とは「1.4後退(일사후퇴)」のこと。これは1951年1月4日の中朝軍によるソウルの再占領に基づく言葉で、「興南撤収作戦が1.4後退の始まり」のように、連合軍側の大規模な退却の意味で用いられています。
 ※「北侵統一」は後に「南北統一」と変えて歌われるようになっています。

 ・・・と、韓国では900万人に迫る観客を動員した大ヒット映画で、日本でもこの5月から公開されている「国際市場で逢いましょう」を観た人なら、上述の歌詞をざっと目を通しただけで、「なんだ、映画そのまんまじゃん」(ヌルボは横浜人)と思うでしょう。まさにその通り。
 実は、日本では認知度が高くないようですが、Mnet「SUPER STAR K6」の優勝者のクァク・ジノンと準優勝のキム・ピルが「国際市場で逢いましょう」のOSTを歌っているのですが、その曲が上記の「がんばれ、クムスン」のリメイクなんですね。ずいぶんフンイキが違うので、最初聴いた時同じ歌とは思えませんでした。

 ↑これに映画冒頭の興南撤収のシーンが用いられていますが、この部分はCGが多用されています。
    
 左が当時撮影の写真で、右が映画のCG映像の一場面です。

 最初、<韓国歴史博物館の音楽関係の展示>の記事として書き始めたのが、たまたまこの歌の歌詞を見、たまたま観た「国際市場で逢いましょう」との関連を知ったのでこの記事を独立させました。こんなことやってるからなかなか記事更新が進みません。あーあ。

 おまけ。1956年にデビューしたウンパンウル(銀滴)姉妹の歌は→コチラ。「北侵統一」と歌っています。
 おまけ2。2008年KBSの「火曜舞台」でおなじみの周炫美(チュ・ヒョンミ)もこの歌を歌っています。→コチラ。ここでは「南北統一」です。また歌詞の最後の「笑ってみよう」は「泣いてもみよう」になっています。
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韓国語で歌うクリスマス・ソング

2013-12-05 21:37:36 | 韓国の音楽
 年を取って身体の動きや脳の働きが遅くなるためか、季節の移り変わりへの対応が鈍くなり、暑くなっても厚着のまま、寒くなっても薄着のままが続いたりします。(って、私ヌルボだけ?)
 そうでなくとも、なにかと取りかかるのが遅い性分で、夏休みの宿題は休み明け直前になるのが常で、そのため今もツクツクボウシの声を聞くと何かせきたてられるような気がします。
 そして暮れの街に流れるクリスマス・ソングも同様。暮れどころか12月の初めでも全然めずらしくはないようになってきました。しかし、11月というのはいくらなんでも早すぎます。

 以前過去記事(→コチラ)で、私ヌルボが初めて西洋の歌の韓国語版を聞いたのが「サンタが町にやってくる(Santa Claus Is Coming to town)」だった、ということを書きました。
 たぶんKBSラジオでたまたま聴いたと思います。その時は<サンタハラボジ(サンタおじいさん)>という言葉以外は歌詞が聴き取れませんでした。

 今その過去記事を確認してみると、リンク先が消えていたりしていたので、この際他の代表的なクリスマス・ソングもまとめて動画リンクとセットで紹介しておきます。

①「サンタが町にやってくる」
 韓国では「울면 안돼(泣いちゃダメ)」 →動画
 ※「산타할아버지 우리마을에 오시네(サンタハラボジわが町にいらっしゃる)」というタイトルのものもあります。

   

 この<꾸러기 동요(クロギ・ドンヨ.いたずらっ子童謡)>という動画シリーズは私ヌルボ気に入りましたねー。クリスマス・ソングだけでなくたくさんの童謡のを、すべて歌詞字幕入りのアニメ動画で提供しているんですね。
 ということで、以下の歌もすべてこの<꾸러기 동요>とリンクを張っています。
 この歌でもバックにセリフが入ってます。②「きよしこの夜」のように、たまに間奏部分等でラップのような詞が入ったりしているのもあります。

  울면안돼 울면안돼 산타할아버지는 우는애들엔(에겐) 선물을 안주신대 
  산타할아버지는 알고계신대 누가 착한앤지 나쁜앤지 오늘밤에 다녀가신대

  잠잘때나 일어날 때 짜증낼때 장난 할 때도 산타할아버지는 모든것을 알고계신대
  울면안돼 울면안돼 산타할아버지는 우리마을을 오늘밤에 다녀가신대


②「きよしこの夜(聖夜)」
 韓国では「고요한 밤 거룩한 밤(静かな夜 聖なる夜)」 →動画

  고요한 밤 거룩한 밤 어둠에 묻힌 밤
  주의 부모 앉아서 감사 기도 드릴 때
  아기 잘도 잔다 아기 잘도 잔다

  고요한 밤 거룩한 밤 영광이 둘린 밤
  천군 천사 나타나 기뻐 노래 불렀네
  왕이 나셨도다 왕이 나셨도다

  고요한 밤 거룩한 밤 동방의 박사들
  별을 보고 찾아와 꿇어 경배 드렸네
  왕이 나셨도다 왕이 나셨도다

  고요한 밤 거룩한 밤 주 예수 나신 밤
  그의 얼굴 광채가 세상 빛이 되셨네
  왕이 나셨도다 왕이 나셨도다


③「ジングルベル」
 韓国では「징글벨」または「징글벨(鐘の音)」 →動画

  흰눈사이로 썰매를 타고 달리는 기분 상쾌도하다
  종이 울려서 장단 맞추니
  흥겨워서 소리 높여 노래 부르자

  종소리 울려라 종소리 울려
  우리 썰매 빨리 달려 종소리 울려라
  종소리 울려라 종소리 울려
  기쁜 노래 부르면서 빨리 달리다


 なかなか軽やかな歌い方でいいですね。 
 「♪ジングルベル ジングルベル 鈴が鳴る」のところが韓国版では「♪종소리 울려라 종소리 울려(チョンソリ ウリョラ チョンソリ ウリョ)」。とりあえずはこのあたりから覚えるかな。

④「もろびとこぞりて」
 韓国では「기쁘다 구주 오셨네(うれしい! 救い主がいらっしゃった)」 →動画

  기쁘다 구주 오셨네 만백성 맞으라
  온 교회여 다 일어나
  다 찬양하여라 다 찬양하여라
  다 찬∼양 찬∼양하여라

  구세주 탄생 했으니 다 찬양 하여라
  이 세상의 만물들아
  다 화답하여라 다 화답하여라
  다 화∼답 화∼답 하여라

  온 세상 죄를 사하러 주예수 오셨네
  죄와 슬픔 몰아내고
  다 구원하시네 다 구원하시네
  다 구∼원 구∼원하시네

  은혜와 진리 되신 주 다 주관하시니
  만국 백성 구주 앞에
  다 경배하여라 다 경배하여라
  다 경∼배 경배∼하여라


 鐘の音が調子っぱずれなのがちょっと気になります。

⑤「赤鼻のトナカイ」
 韓国では「루돌프 사슴 코(ルドルフトナカイの鼻)」 →動画
  루돌프 사슴코는 매우 반짝이는 코
  만일 네가 봤다면 불붙는다 했겠지
  다른 모든 사슴들 놀려대며 웃었네
  가엾은 저루돌프 외톨이가 되었네

  안개낀 성탄절날 산타 말하길
  루돌프코가 밝으니 썰매를 끌어주렴
  그후론 사슴들이 그를 매우 사랑했네
  루돌프 사슴코는 길이 길이 기억되리


 성탄절聖誕節です。

⑥「ザ・ファースト・ノエル」
 韓国では「노엘(ノエル)」 →動画

   

  저들밖에 한밤중에 양틈에 자던 목자들
  한 천사가 전하여준 주나신 소식 들었네
  노엘 노엘 노엘 노엘 이스라엘 왕이 나셨네

  저 동방에 별 하나가 이상한 빛을 빛추고
  이 땅위에 큰 영광이 나타날 징조 보였네
  노엘 노엘 노엘 노엘 이스라엘 왕이 나셨네
  노엘 노엘 노엘 노엘 이스라엘 왕이 나셨네


 この歌は大好きなので、動画を載せました。とくにケルティック・ウーマンの澄んだ歌声(→コチラ)は心が洗われるようで、ヌルボのような善良な人間も「俺が悪かった!」と突っ伏してざんげしたくなってしまいます。
 あ、東方神起もなかなかいいフンイキで歌ってますね。(→コチラ。)

 最後に、クリスマスとは関係ありませんが、<꾸러기 동요>の中にヌルボの好きな金大賢(キム・デヒョン.김대현.1917~85)作曲・キム・ヨンイル(김영일)作詞の「子守歌(자장가)」があったのでリンクを張っておきます。音楽の教科書にも載っていて、韓国人なら皆知っている名曲です。(→コチラ。)
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韓国のTVで見た元Sugar・アユミ(現ICONIQ)出演の番組で聴いた「チム・チム・チェリー」

2013-07-11 23:51:39 | 韓国の音楽
 1つ前の記事に続いて歌の話。
 これも先月の韓国旅行中のネタですが、前記事とは違って現地のTV番組で聴いた歌のことです。

 聞慶での2日目。午前中には聞慶セジェ道立公園から第2関門まで片道3kmの古道を往復し、午後は鎮南駅の廃線利用レールバイクで往復とも上り坂(てなわけないか)のコースで体力は尽きてしまいました。

 こうなったらモーテルに戻って飲むしかない。ま、こうならなくても飲むんですけど。
 モーテルでの夜、6月23日の記事で書いたように「聞慶の次はどこに行くか」検討会議から脱落した私ヌルボ、なんとなくTVを見ていました。

 このバラエティ番組は何だろな、と画面右上隅を見たら「해피투게더(ヘピトゥゲド)」。あー、「ハッピートゥゲザー」ね。しかし、どうも最近の同番組とずいぶん様子が違うみたい。(この点については後述。)
 女性3人と男性2人の楽しそうなトークの後のコーナーは、5人が並んで座って、思い出の学校唱歌と思しき歌を、各々が割り当てられた部分を間違いなく歌って、全曲をミスなく歌い通せるか? ・・・というもの、のようです。
 もし歌詞を間違えたりつかえたりしたら、上から吊るされた大きなトレーのような板が落ちてくるのです。
 後で下の画像を見つけました。出演者は違いますが同番組です。

        
  【皆、昔の高校の制服みたいな服を着ています。各人の上の板が落ちてくるのです。】

 「バラエティ番組は騒々しいだけだから見る気がせんよ」と口々に言う他の3人のオジサンたちと基本的には同感ではありますが、言葉はあまり聞き取れないもののけっこうおもしろく、またそれ以上にその「課題曲」に興味を持ちました。
 というのは、日本でもよく知られているあの「メリーポピンズ」の中の「チム・チム・チェリー」なのです。
 しかしメロディーは一緒でもなんだか歌詞が全然違うゾ・・・
 歌い出しからして
 ♪종소리가 은은하게 들려온다(チョンソリガ ウヌナゲ トゥルリョオンダ)  
   鐘の音がかすかに聞こえてくる

 ・・・というわけで、そのあともエントツ(韓国語で굴뚝)なんて全然出てこないし・・・。

 それはそれとしてTVを見ていると、左端の20歳くらいの女の子がけっこうトチッたりしてウケているのです。名前を見ると「아유미(アユミ)」 
 あら、日本人なのか。道理で最初の소리」の発音が소리」になってる!と厳しいチェックを入れられたりしてました。

     
        【歌い出しの「종소리」の発音は日本人が苦手なところ。】
ㅇ(ng)とㄴ(n)の区別は何年経ってもむずかしいですね。また「총소리」だと銃声になってしまいます。鐘の音とは大違いです。

     
        【「방긋이」と歌うべきところも「반드시」になっちゃった?】

 パングシもパンドゥシもたしかによく似てはいますが・・・。

     
        【懇切丁寧に教える隣りのシン・ドンヨプ。】

     
        【アユミだけで再度個人練習。】

     
        【そして6回目の挑戦です。】

 10回目までの挑戦で完璧に歌えれば合格ですが、結局歌えたのかな? 最後ちゃんと見てなかった・・・。

 以上が聞慶のホテルのTVで見て聴いた歌のこと。
 で、帰ってから調べてみたら、いろんなことがわかりました。

 まず、この「チムチムチェリー」のメロディで歌われている歌は、国定の頃の教科書で初等学校6年に載っていた「종소리(鐘の音)」という歌。歌詞は以下の通りです。

 종소리가 은은하게 들려온다  
 희망의 앞날을 알려주려
 딩동댕동 딩동댕 들려온다
 바람결 따~라 저 멀리서
 꿈결속에 울리는 맑은 소리
 나~의 단잠을 깨웠지만
 희망을 실어준 종소리에
 방긋이 미소를 지었지요
 희망의 종소리 들려온다


 動画あるいは音声だけでもあるかなと思って探したら、1つだけありました。→コチラ
 <NATE>の動画なのでここに載せることはできませんが、牙山(アサン)の道高温泉初等学校(道後温泉かと一瞬思ってしまった)の児童たちが歌っています。ただ1分33秒のうち最初の30秒はワイワイガヤガヤ状態です。(笑)
 ※→コチラは蔚山市立合唱団による本格的な合唱の「チム・チム・チェリー」ですが、歌詞は違います。

 それから、どうも最近の「ハッピー・トゥゲザー」と違うなー、と思っていたら、実は聞慶で見たのは2003年頃、つまり10年も前の「シーズン1」の再放映だったのです。(今はシーズン3。)
 そして<wikipedia韓国版>によるとこの「お盆カラオケ(쟁반 노래방)」というコーナーは、2001年に始まった「ハッピー・トゥゲザー」の歩みの中で一番人気があったということです。
 シーズン1では別に「幸福な対決 負けず劣らず(행복한 대결 막상막하)」というコーナーがあり、外国出身の韓国人歌手が韓国語を学んでクイズを解く内容のものなのですが、そこでは「元SUGARのアユミなどがクイズの常識を破る不正解で注目を集めた」なんて書かれちゃってます。(笑)

 また、当時の「ハッピー・トゥゲザー」がDVDセット(日本語字幕付き)になって発売されているんですね。しかし→コチラでも→コチラでも「アユミの天然ボケが炸裂」などと書かれています。まあ、ネイティブスピーカーじゃないからねー、同情いたします。(笑)

 さて、そのアユミ嬢についてですが、ウィキペディアを見てこれまたいろいろ驚きましたね。日本人かと思ったら、1984年鳥取生まれの在日3世。中2の時に母親と韓国旅行に行った際明洞でスカウトされましたが父親から「韓国語を話せない」等の理由で芸能界入りを反対されます。しかし2000年渡韓し、レッスンを受けたりした後2002年Sugarのメンバーとしてデビュー。アユミことイ・アユミ(李亞由美)として芸能活動を続けます。この番組出演もその頃ですね。その後帰国して伊藤ゆみという芸名で主に女優活動をしていましたが、2010年に「わたしが変わる」というキャッチコピーでICONIQという名に改めた上で再デビュー。
 そして今の彼女の画像を見て驚いてしまいました。コレですよコレ。

       
  【上のTV画像の女の子と比べて、同一人物と誰が見抜けるでしょうか?】

 いやあ、10年経って、こんな感じのおねーさんになって、資生堂のCM等にも出てるとはねー。コワいもんだねー・・・、って何が? 次の中から選べ。
 ①女 ②芸能界 ③芸能事務所 ④歳月の流れ ⑤世の中 ⑥ICONIQ(アユミ) ⑦整形

 さらにはこのICONIQ嬢、昨年にはGACKTとの熱愛が発覚して「フライデー」で暴露されたとか!(→コチラ。)
 (あ、オジサンはGACKTご存知ない? 学徒出陣じゃなくて、歌手の・・・。)
 しかし、リンク先の記事の見出し<ICONIQの「顔面大改造」と「ドス黒い過去」>というのはひどいなー。「顔面大改造」はいいとして(?)、本人も出自を隠してなくて、また何も悪いこともしてないのに「ドス黒い過去」とはねー。(「ドス黒い」のはアンタの心の方じゃい!)
 →コチラでも彼女をなぜか非難してますが、本人の言う通り「私だってデートぐらいするわ」。←そら正しいよ~! (と、ニワカに彼女の応援団になったりして・・・(笑))

 あら、この記事のテーマは何だったっけ?
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[韓国のわらべ歌] 「おさるのケツは赤い」は「さよなら三角」みたいなしりとり歌

2013-04-12 23:52:34 | 韓国の音楽
 1つ前の記事で韓国の絵本のことを書いた関係で、昨日横浜市立図書館1Fの外国の児童書コーナーを見てみました。

 その時にたまたま目にとまり、興味を持って一読したのが下の画像の本です。

          
   【キム・ウォンソク「わが国 伝来童謡 童詩」(2000年発行)の表紙。】

 内容は、自然や動植物、生活等々についての詩、カンガンスルレ等の遊び、子守唄や田植え唄等の伝承歌等々いろいろ。
 詩や歌詞だけでなく、1ページ分の説明もついています。

 その中で、私ヌルボがとくに注目したのが「言葉遊び(말놀이)」の部分。
 8つ紹介されている中で、2つ紹介します。

   부산 가서 붓 사고   釜山に行って筆買って  
  부산 가서 붓 사고   釜山に行って 筆(プッ)買って
  초량 가서 초 사고   草梁(チョリャン)に行って ローソク(チョ)買って
  섬에 가서 섬 사고   島(ソム)に行って 俵(ソム)買って
  통영 가서 통 사고   統営(トンヨン)に行って 樽(トン)買って
  마포 가서 말 사고   馬浦(マポ)に行って 馬(マル)買って
  밀양 가서 밀 사고   密陽(ミリャン)に行って麦(ミル)買って

   ※마포はソウル市の麻浦ではなく馬山の古称馬浦のこと。
   ※3行目は元来は「俵(ソム)買って」だと思うのですが、挿絵を見ると「島」を縄でくくって引っぱっている・・・。

 私ヌルボも2月23日の記事<大邱の人はタラのスープが好きかな?>で韓国の地名に因んだダジャレをまとめてみましたが、地名から何か連想するというのはよくある発想ですね。説明を読むと、釜山あたりの地名ばかりで、つまりはその地方に伝承されてきた言葉遊びとのことです。ハングルで検索してもヒット数は多くないので、そんなにポピュラーなものでもなさそうです。
 日本の「山があっても山梨県、お金を拾って徳島県・・・」という言葉遊びの方がたぶんよく知られているのでは?

 2つ目は、2010年9月28日の記事<[韓国のわらべ歌] アチムパラム チャンパラメ・・・・>を書いた時、少し韓国のわらべ歌を調べてみた時に知ったしりとり歌です。

     
        【絵入りで楽しく読めます。右ページはその説明。】

 しりとり歌といっても「こぶた、たぬき、きつね、ねこ・・・」と続くものではなくて、また「一番楽しいお正月、学校集まる四方拝、はいはいもしもし電話口・・・」と2文字とって続ける名作(!)(→コチラ参照)
でもありません。

   원숭이 똥구멍은 빨개   おさるのケツは赤い  
  원숭이 똥꾸멍은 빨개    おさるのケツは赤い
  빨가면 사과          赤いはリンゴ
  사과는 맛 좋아        リンゴはおいしい
  맛 좋으면 대추         おいしいはナツメ
  대추는 달어           ナツメはあまい
  달으면 바나나         あまいはバナナ
  바나나는 길어         バナナは長い
  길으면 기차           長いは汽車
  기차는 빨러           汽車ははやい
  빠르면 비행기         はやいは飛行機
  비행기는 높아         飛行機は高い
  높으면 백두산         高いは白頭山


 先に書きませんでしたが、皆さんたぶんご存知の「さよなら三角」のようなものですね。
 「さよなら三角また来て四角/四角は豆腐/豆腐は白い/白いはうさぎ/うさぎは跳ねる/跳ねるはカエル/カエルは青い/青いは葉っぱ/葉っぱはゆれる/ゆれるは幽霊/幽霊は消える/消えるは電気/電気は光る/光は親父のはげ頭」
 ・・・このあたりが一応標準的のようですが、いろんなバリエーションがあります。→コチラのブログ記事では、派生パターン表まで作ってくださってます。また、地方によっては「いろはにこんぺいとう」とか「デブデブ百貫デブ」で始まるものもあります。

 この「원숭이 똥구멍은 빨개」は、説明文によると「唐津(タンジン)地方(忠清南道)で歌われたもの」だが、「飛行機やバナナが出てくるところをみるとそんなに古いものではない」、だが「(児童文学者の)魚孝善(オヒョソン)先生が70年前にこれを歌って育ったというから、それでも古い」等と書かれています。

 しかし、ふつうに考えて、これはやはり日本の統治時代に「さよなら三角」が伝わって変化したものではないでしょうか?

 「원숭이 똥구멍은 빨개」には「さよなら三角」ほどの多くのバリエーションはないようですが、地方によって若干の違いがあったり、「빨가면 사과」が「빨간 것은 사과」という形式になっていたり、・・・という程度です。あ、タイトル&冒頭が「원숭이 똥꾸멍」でなく「원숭이 엉덩이」になっている例はたくさんあります。
 私ヌルボは「똥꾸멍」を多少上品に「ケツ」と訳しましたが、正確には「糞穴」つまり肛門のことです。この下品さが引っかかる人は「엉덩이」つまり「お尻」の方を選んでいるということでしょう。

 YouTubeで検索したところ、先の「アチムパラム」と同じく子煩悩の親がリードして幼児に唱えさせている動画がいくつもありました。
 1つだけ紹介します。→コチラ
 「パナナヌン キーロ」というのを、一瞬「バナナはきいろ」と聞いてしまいました。(もちろん、「長い」です。)

 オマケ。この「원숭이 엉덩이」を、ガールズグループViViDが歌っている動画もあったので、載せておきます。

  
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パチンコファンとT-ARAファンの幸福な出会い(笑) 「海物語with T-ARA」

2013-03-02 23:54:24 | 韓国の音楽
 私ヌルボ、最後にパチンコ屋に入った時のことはよく覚えています。今を去ること25年前、昭和→平成の境目。天皇重態の自粛ムードほぼ一色の中、そこだけは寒さにもめげない熱気いっぱい。ヌルボ自身の「昭和」をしめくくるにふさわしい人生の1コマでした。

 学生時代はわりとよくパチンコに行ってました。
 「パチンコ史年表」(←これはいい!)によると連発式パチンコの復活が1969年か。その頃の台のデザインはよく覚えています。(懐かしいなー。)
 駿河台下のポニーとか人生劇場には景品として本が置いてあったのは、学生街ならでは。私ヌルボもポニーで三島由紀夫「豊饒の海」全4巻をせしめ「遊びと学問のアウフヘーベン(←死語?)だ!」などと豪語(?)したりしてました。(笑)
 その後電動化が進み、ゲームというよりもほとんどギャンブルとなって、めったに行かなくなりました。「コンピューター相手じゃ勝てるわけない」という理由ですが、考えてみればコンピューター相手でなくても勝てるわけはないんですね。

 その後電動化からさらに先端技術の発達にともなって、まさにケータイ同様、この大衆娯楽分野でもパチンコがますます日本独自のガラパゴス的遊戯として進歩発展してきました。
 上記の「パチンコ史年表」を見ると、平成に入ってからの画期的な機種というのが1995年三洋が発売した「ギンギラパラダイス」と、それに続く同社の「海物語シリーズ」(1999年~)。「モデルチェンジを重ねながら、「海物語」は次第にその知名度、人気を確実なものとし、登場から10年が経過した平成21年になった今もなお、パチンコ店の看板、定番機種として不動の人気を確立し続けている」との説明がついています。
 また、ウィキペディアの<海物語>の項目には、このシリーズの系図等々、いろいろ詳しい説明があります。(どういう人が書いてるんだろう?)

 はてさて、ここまでが前おき。
 このパチンコの大人気機種「海物語シリーズ」で「CRA デラックス海物語with T-ARA」という新機種が登場します、というニュースが流されたのが昨年12月。しかし、その記事(→コチラ)を見ても、「大当たり確率約1/99。100%突入のST5回転+時短(20.45.95回転)という王道の甘デジST機種となっている」とか「「デラックスフラッシュ」や「カニばさみ保留予告」など、「CRデラックス海物語」での好評演出はもちろん丸ごと楽しめる」のような専門用語がずらずら出てきて、わからない人の方が多いと思います。

 この「CRA デラックス海物語with T-ARA」ですが、その後すぐに各地のパチンコ店に配備されたということでもないようで、ヌルボの行動範囲のパチンコ店では見かけず。天王町のパチンコ店の電光掲示板では一昨日たまたま下の写真のようなお知らせを見ました。

       

 そして今日。ハングルサークルに行ったら、仲間の一人お酒の好きなT兄(ヒョン)が真剣面持ちで何を見ているかと思ったらその「海物語with T-ARA」のオフィシャル・ガイドブック。パチンコ愛好家でもあるT兄、その研究熱心さには本当に頭が下がります。

        
           【機種の説明のほかに、T-ARAの紹介も入っています。】

 パチンコに全然詳しくない人でも、その「海物語with T-ARA」の製造元の三洋物産のサイト(→コチラ)を見ると、製品情報等々とても詳しくて、これだけでも十分に楽しめます。
 「海物語with T-ARA」の紹介は→コチラ

 開くまで、時間がかかります。まず下の画像が出てきますが、そのまましばらく待ってください。
      
  【「海物語」メインキャラクターのマリンちゃん(左)と、悪い(?)キャラクターのワリンちゃん(右)です。】

 そして待つことしばし「ポピポピポピ♪」という歌声とともにT-ARAの動画が出てきて、続いてあらわれるのが下の画面。

   

 ここでT-ARAの昨夏あたりからの事情に通じている人ならこの画像を見てすぐわかるはず。

 この画面の情報の「FEATURE」のところをクリックすると、あれれ? メンバーは計6人。そして「T-ARA INFO」をクリックすると下の画面。

     
      【下で名前入りで紹介されている6人と上の7人を照らし合わせてみると・・・。】

 ここでは上には7人写っているのに、下で紹介されているのは6人。つまり、昨年7月に「契約解除」となってグループを抜けたファヨンが入っているんですね。(1つ上の写真は後列右端。すぐ上の写真はどれでしょうか?)

 この画面の「OATARI」とか、いろんなとこをとにかくクリックしてみてください。T-ARAが歌っている動画とか、パチンコの大当たりの画面とか、いろいろ出てきて楽しいですよ。

     
      【マリンちゃんたちもT-ARAと一緒に「Roly-Poly」を踊っています。】

 大当りラウンドで出てくる「Bo Peep Bo Peep」のネコダンスの動画はYOU TUBEにもありました。
 
     【T-ARAは2分以上しないと出てきません。】

 パチンコファンとT-ARAファンがどれくらい重なるかは私ヌルボ、わくわかりません。たぶんあまり重なっていないのではないでしょうか? しかし、T-ARAの楽曲のノリのいいリズムはパチンコによく合っているのではないでしょうか?

 上記の三洋物産のサイトを教えてくれたのは同じサークル仲間のなんでも知ってるS氏。そしてさらに今日の授業ではT-ARAの熱烈な「ペン(팬)」=ファンのN先生が一昨日の越谷でのイベントでの抽選で入手したメッセージカードなんかも持って来ていて、いろいろ話が盛り上がりました。

          
    【アルムちゃんは先月高校を卒業したんですね。(韓国の学校年度は日本より1ヵ月早い。)】

     
  【「どれも同じ顔に見える」というT兄(手前の手)に、N先生(向こうの手)が教える。】

     
   【3月20日発売の新曲は「バニスタ!」。ネコの次はウサギダンスですか!?】

 いやー、今日の授業もいろいろ勉強になったなー!

※<「T-ARA、韓国の酒類広告は拒否して日本でパチンコモデル」韓国ネットユーザー非難>というニュースが昨年暮れの「中央日報」に載っていました。→コチラ。「T-ARAの酒類広告禁止を宣言した所属事務所に対し、「酒はダメでパチンコはいいのか」と一部ネチズンが非難したというもので、事務所側は「「パチンコは日本では一般的なレジャー娯楽文化」と強調した」とのことです。

※パチンコと韓国の関係では、2006年に京楽産業から発売された「CRぱちんこ冬のソナタ」がありますね。(→コチラ参照。)
 その他、韓国におけるパチンコのこととか、日本のパチンコ産業と在日韓国・朝鮮人のこととかいろいろありますが、それらについてはそのうち書くことがあるかもしれません。(ないかもしれません。)
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T-ARAの前に、ちょいと周美(.チュ・ヒョンミ)ファンのアジョシの皆さんへ

2012-08-06 23:45:57 | 韓国の音楽
 一昨日、熱烈K-POP女子のTさんから最近の情報を聞いたので、その関係のネタを、と思ったんですけど、ね。
 一応オジサンの私ヌルボもT-ARAについてのもろもろは、それなりに知ってはいるんですけど、ね。「自己管理の不足」という点では自分もピッタンコ当てはまってるなー、と思ったりして、ね。

 で、思い出したのが本ブログ今年4月29日の記事。辛ラーメンのテレビCMにメンバー7人が登場していたことを動画入りで書きました。→コチラ
 メンバーそれぞれが、7通りのレシピを紹介するというCMでした。その記事で私ヌルボ、「これはもしかして各メンバーの人気とか力関係とかに関わっているのではないか?」と書きましたが、いやー、今にして思えば、われながら鋭かったですね。(←自慢、ですね(笑)。)
 「一般的な見方によるところの人気順位」だと1位ジヨンが①正統ラーメン、2位ウンジョンが②飯盒ラーメン、3位ヒョミンは③冷ラーメン・・・と続き、そしてラスト7位ヒョミンが⑦緑茶牛乳カップラーメン!
 「う~む、これが一番問題だぞ~。を混ぜるなどとは言語道断横断歩道!」というのがヌルボの感想でしたが、これを食べさせるのは日本ならリッパないじめになる・・・かどうかはわかりませんが、まあ「正統」に対する「異端」という感じではあるわなー・・・。

 あ、のっけから脇道に入ってるゾ・・・。

 さて、熱烈K-POP女子Tさんの話を聞いていたアジョシ3人中、ヌルボ以外の2人は韓国音楽&映画については90年代前半で時が止まっていて(!?)、真っ先に出てくる歌手の名が周美(주현미.チュ・ヒョンミ)ですがな。
 ところが酒を飲みながらの会話の中で、ヌルボより22日年長のT兄(ヒョン)が「周美を知ってるか?」とのたまうので、「知らいでか!?」という強い気持ちを込めて、次のサイトを紹介します。
 それは<日韓歌謡架橋>という韓国トロット関係のサイト。この中に<周美日本応援サイト>が含まれていて、YouTubeにupされている彼女の動画が100曲以上収められています。
 毎度おなじみの「雨降る湖南線」や「木浦の涙」、「泣いて越える朴達嶺(サビの部分のみ)」等は<トロット名曲コーナー>の方にあります。歌詞(原語&日本語訳)が付いているのもいいですね。
 TOPページからのリンクでコチラのページを見てみると、このサイトの運営者の方の熱い思いが伝わってきます。周美さんからも直接感謝の色紙をいただいてるんですね。そして今日でアクセスが累計2637828かー、すごいなー。

 さて、そのサイトからもリンクが張られているのが周美さんの公式サイト。(→コチラ。)
 そのSCHEDULEのところを開いてみるとわかるように、彼女はなんと毎晩20:05~22:00、KBS2ラジオの「周美のラブレター(주현미의 러브레터)」という番組でDJをやっているのです。内容は→コチラ(韓国語)参照。
<ハッピーFM>でも聴けるようてすね。ヌルボは利用していませんが・・・。

 ラジオといえば、この頃ヌルボは、お気に入りの「シン・ソンウォンの文化を読む」(KBS1ラジオ)もあまり聴いていないことに思い至りました。あれはいい番組だから聴かなければ・・・。(この頃ちょっと本を読む方に偏りがちのようです。)

 あ、周美さんの公式サイトの情報だと、9月14・15日龍山の戦争記念館平和の広場野外特設ステージで周美南珍(ナム・ジン)のビッグショーがあるぞ! これに行くのは無理っぽいけど、早くから情報をゲットして、1度は直接見て来なくては・・・。アジョシたち、どーですか?
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T-araの1stアルバムの宣伝トラックを見たよ。 (at新宿)

2012-06-11 23:39:01 | 韓国の音楽
 昨日新宿を歩いていて宣伝トラック(アド・トラック)を見かけました。薄暗くなり始めていた時間なので、ずいぶん目立つんですよ。

    

 それがT-araの日本初アルバムの宣伝。発売初日(6月6日)のオリコンデイリー2位だったそうで・・・。

 帰ってから、ちょっと検索してみると、<ad-car’s~ラッピングデス>というブログで先週同じデザインのT-araの宣伝トラックが大阪・梅田を走っていたことを確認。よく見ると、同じ車ではないんですけどね。ま、当然か。
 しかし、デザイン費・ドライバー人件費・燃料費・道路使用許可申請費等々全部ひっくるめて、4t車1台1週間(1日7時間)だと百数十万円はかかるそうだから、それで売上upの見込みが立つということでしょうね。これも、ま、当然か。
 ※この記事はタダで宣伝してるみたいですね。

 YouTubeに、1年前の少女時代の宣伝トラックが走ってる動画があったので、載せておきます。
 これは4t車2台で、2台目の方はバスの窓かと思ったら、たくさんのディスプレイで映像を流してるんですね。
 こういう車のアイディアをよく考案したものです。どこの誰かは知らないけれど。

    

 この宣伝トラック、近頃は(横浜・東京では)しばしばというほどではないにしても、ときたま見るようになりました。ウィキの「広告宣伝車」の項目によると、それに伴って問題点も指摘されるようになり、法的な規制も加えられるようになっているとか。

 日本でこのテの宣伝トラックが登場したのはいつからなのか、少しネット検索しましたがわかりません。2006~07年頃?
 で、私ヌルボが最初に見たのは、思い起こせば何年か前のソウルでした。2tの宣伝トラックがソウル駅前に停まっていて、側面に何の映像だか、ちゃんと動いていました。これはめずらしい、と思って写真を撮ったのですが、今画像データはみつからず。したがって何年かも不明。
 韓国語では「선전트럭(宣伝トラック)」とか「홍보트럭(弘報トラック)」というようです。しかしこれで検索してもわからないままです。うーむ・・・。

 T-araのことがメインの記事かと思ってここまで読んで下さったファンの皆さんゴメンナサイね。
 ことのついでに過去記事の「辛ラーメンのレシピの考察(?)と、T-araのメンバーのこと等々」も読んでいって下さいませ。
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韓国のフュージョン国楽・カヤグム弾き語りの「バードランドの子守歌」を聴く

2012-02-20 15:24:15 | 韓国の音楽
 一昨日(2月18日)土曜の夜、定例のハングルサークルを欠席したのは、藤沢で久しぶりに昔の山登りの仲間が集まった飲み会があったからです。
 サークルの皆さんに連絡をしなかったのは、最近ケータイを失くしてしまって、一昨日やむなく新しいケータイを買ったため、電話番号がわからなかったからです。
 つきましてはサークルの皆さん、そして私ヌルボとこれまでケータイで通話&メールのやり取りをしていた皆さん、あらためてご連絡方よろしくお願いします。

 さて、その藤沢での飲み会の場所・萬福酒楼では、チリでレストランを経営しているT氏はじめ諸氏の話もおもしろく、初めて食べた西安刀削麺の辛さに顔面うっすら発汗したりしたのもよかったですが、二次会で行った久々のカラオケもいろいろ発見がありましたねー。
 中で、意外だったのがT氏が英語で歌ったスタンダード・ナンバーの数々。「慕情」「酒とバラの日々」等々。意外というのは、彼の高校時代の英語の成績を思えば、という意味と、1962年生まれという彼の世代を思えば、という二重の意味でなのですが・・・。

 英語の成績はおくとして、彼よりも一回り(以上?)も上の世代の私ヌルボにとっても懐かしい歌を、彼がいくつも知っているとはねー。H.マンシーニの名曲「酒とバラの日々」を知っているからには、と思って水を向けたら案の定「思い出のサンフランシスコ」も歌うし、ジョージ・シアリングの傑作「バードランドの子守唄」までも・・・。
 まあ時代を越える魅力があるからこそスタンダード・ナンバーなんでしょうが・・・。

 懐メロといえば彼は「旅姿三人男」なんてのも歌ってたなー。ヌルボもディック・ミネがらみで「人生の並木路」。うーむ、泣ける歌だ(涙)。他の面々が歌った歌も実に多様多彩。たぶん、われわれオジサンたちの世代が歌のレパートリーが一番広いんじゃないですかねー。あ、時代の幅のことですよ。

 さて「バードランドの子守唄」といえば、以前韓国で仕入れてきたチョン・ミナ(정민아)という歌手がカヤグム弾き語りで歌っているフュージョン国楽というジャンルのCD「想思夢(상사몽)」にこの歌が収録されていました。
 YouTubeを探したら、実演の録画がありました。まあ聴いてみてください。


 【歌も演奏も、CDの方がはるかに上、という感じではありますが・・・。】

 飲みながら交わした話も、カラオケでとび出した歌も、時代を越え、国境を越え、といった感じで、とても心地よい一晩でした。
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