ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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韓国では、大勢の人が大晦日の日の入りを見に行く

2018-01-06 23:53:39 | 韓国の街ネタ、観光ポイント、店・施設等
 先日の12月31日、つまり大晦日の午後。スマホでなんとなく韓国のラジオ放送を聴いていたら、「ヘノミの名所、忠南(忠清南道)の舒川(ソチョン)のようすをお伝えします」というDJの声が耳に入ってきました。
 <ヘノミ>(해넘이)とは<日の入り>のことです。
 韓国にも<初日の出>を見に行く風習があるのは周知のこと(?)だと思います。
 このブログでも、日の出については2009年から→
<☆韓国の初日の出の名所 やっぱり正東津でしょ>、→<朝鮮半島 西海岸の日の出の名所>、→<[韓国の観光地]テーマ別ベスト10 ③滝&渓谷・民俗村&遺跡地・日の出&日没の名所>と3度関係記事を載せてきました。
 しかし、日の入りについてはとくに取り上げたことはありませんでした。
 ただ、上記2つ目の記事で<朝鮮半島の西海岸から日の出が見られる所>として次の3ヵ所があると書きました。
 全羅南道・務安(ムアン.무안)の導里浦(トリポ.도리포)
 忠清南道・唐津(タンジン.당진)のウェモク(왜목)村(マウル)
 忠清南道・舒川(ソチョン.서천)の馬梁浦口(マリャンポグ.마량포구)


 西海岸ということは、ふつうに日の入りが見られるということ。つまり、これらの所は日の出も日の入りも見られるということで、それが観光のポイントとなるわけですね。

 ・・・ということで、舒川も日の入りの名所としてふつうに冒頭に書いたような実況中継の場所になるということです。
 ネット検索すると、2013年の舒川郡馬梁浦口の大晦日の動画がありました。(→コチラ)
 下の画像はその1場面です。


 なるほど、たしかに多くの人が集まってます。

 →コチラの韓国記事では、韓国の日の出の名所とともに日の入りの名所を次のように10ヵ所ずつ挙げています。

《日の出の10大名所》
 タンクッマウル[全羅南道海南郡]/唐津(タンジン)ウェモクマウル[全羅南道唐津郡]/虎尾串(ホミゴッ)[慶尚南道浦項市]/錦山(クムサン)菩提庵(ポリアム)[慶尚南道南海郡]/正東津(チョンドンジン)[江原道江陵市]/湫岩燭台岩(チュアムチョッテパウィ)[江原道東海市]/艮絶岬(カンジョルゴッ)燈台[蔚山広域市]/城山日出峰(ソンサンイルチュルボン)[済州島西帰浦市]/向日庵(ヒャンイラム)[全羅南道麗水市]/河趙台(ハジョデ)[江原道襄陽郡]

《日の入りの10大名所》
 細方(セバン)マウル[全羅南道珍島郡]/大阜島(テブド)[全羅南道安山市]/コッチ海水浴場[忠清南道泰安郡]/席毛島(ソンモド)[仁川広域市江華郡]/烏耳島(オイド)[京畿道始興市]/彩石江((チェソッカン)[全羅北道扶安郡]/白岫(ペクス)海岸道路[全羅南道霊光郡]/武昌浦(ムチャンポ)[忠清南道保寧市]/多大浦(タデポ)[釜山広域市沙下区]/松溪(ソンゲ)マウル[全羅南道務安郡]

 このような日の入りの名所では、大晦日を期して日の入り祝祭&新年の日の出祝祭といった行事が開かれています。そんな行事が昔からの習俗の延長線上にあるのか、近年観光用に新しく始まったものかはよくわかりません。(私ヌルボの知るところでは、他の多くの地方都市の祝祭の多くはこの20年の間に新たに始まったものと思われますが・・・。)
 日本では、初日の出は全国的に多くの人が見に出かけても、大晦日の日の入り(<終(つい)の日の入り>と一部で(?)いうそうですが)を見に行く風習は一般的にはないと思いますが・・・。「だんだん、暗くなってくるねー」とか、「沈んでいくねー」とか、なんか気持ちも落ち込んでいくようではないですか。

 しかしこの17年の暮れ~18年正月、このような韓国各地の日の入り&日の出行事の多くは、前年に続いて鳥インフルエンザ(略称AI)の蔓延を防ぐため取りやめになったそうです。保寧とか、上述の舒川なども・・・。そうした中で、忠清南道で唯一催し(第16回安眠島夕焼け祭り)が開かれた所が泰安郡安眠島(アンミョンド)のコッチ海水浴場でした。→コチラの記事によると、大晦日には日没の2~3時間前から人が集まり、また道路のあちこちで交通渋滞が起きたりもし、そして現地では人々が希望の風船やハガキに家族の幸せと健康を祈る文を書き、主催側が用意した雑煮も分けて食べたりして日の入りを待ったとか。しかし、だんだん雲が多くなって、<お婆さん岩>と<おじいさん岩>の間に沈むはずの日の入りははっきりとは見られなかったものの、雲間の夕焼けに染まる空と岩をなんとか見たとのこと。(下画像)

 考えてみれば早起きが大きなハードルである初日の出に比べると、終の日の入りは無理なく見に行けそうではありますね。
 また、日本では日の入りを見に行く習慣はないのでは?と先に書きましたが、宗谷岬では日の出も日の入りも見られるし、能登半島の能登ロイヤルホテルでは両方見られることを売りにしているようだし、ほかにも探してみれば日の出・日の入りが共に見られる所、あるいは美しい日の入りが見られる所はいろいろありそうです。
 ただ、なんで韓国ではニュースで取り上げるほど日の入りの名所に人が集まるのか、肝心なことはちょっと調べただけではわかりませんでした。

※<日の出>はふつう<해돋이(ヘドジ)>ですが、とくに初日の出のように日の出を見ることは<해맞이(ヘマジ)>といいます。

    
【ソウルの中心部から地下鉄+バス(orタクシー)で行ける始興(シフン)市の烏耳山(オイド)も日の入りの名所。昨年12月初めに行った時撮った写真です。】
 
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韓国地下鉄・良才駅の近く 一般人でも見学できる外交史料館は小中学生の学習の場。展示資料の一部を紹介します。

2017-04-24 22:07:59 | 韓国の街ネタ、観光ポイント、店・施設等

 昨年(2016年)3月26日ソウルの地下鉄・良才(ヤンジェ)駅近くにある国立外交院という施設(上画像)に行ったことは→コチラの過去記事でも書きました。私ヌルボ、実はその時まで知らなかった所です。たまたま一緒に行った元同僚のNさんが用があって行くというのでついて行ったというわけです。
 国立外交院は外交官の養成・訓練や研究・学術交流等のための、外交部(日本の外務省に相当)所管の施設です。門衛室があって、ちょっとシキイが高そうですが、一言声をかければOKです。
 ※国立外交院の公式サイトは→コチラ(韓国語)。


 そこの敷地内に李藝(イ・イェ.1373~1445年.「最初の朝鮮通信使」といわれる世宗の頃の外交官)の銅像(下左)があり、その背後に外交史料館(下右)があります。
      

 全然予備知識もなく入ったら、見学者の姿も見え、ある部屋では多数の中学生だかが団体で来ていました。この日は土曜日。韓国では土日でも民間の組織等の引率で見学に来ている生徒たちをよく見かけます。
 入口で館員さんに見学したい旨を伝えると、とても親切に対応してくれました。

      
 上は展示室のようすです。

 外交史料館は、主要な外交記録の保存・管理とその活用のため、外交部が2006年に建設・開館した施設です。
 公式サイトは→コチラ(韓国語)。史料館の沿革、館内の案内図等々の他、史料の検索ページや館内を紹介する動画もあります。

 館内には、1876年の開港以来現在までの外交関係の諸資料が展示されていて、一般に公開されており、とくに小・中学校の児童・生徒の学習の場としても活用されています。

 韓国の外交史料だと、当然日本関連のものが数多くあります。一般の日本人の中でも(私ヌルボのように)興味を持つ人もいるのでは、と思いますが、<ソウルナビ>や<コネスト>等々にも紹介されていないので、そのあらましを書くことにしました。(といっても1年遅れとはナサケナイ。)
      

 日本関係の史料では、たとえば上の2つ。左は1905年11月17日に大日本帝国と大韓帝国が締結した第2次日韓協約特命全権公使・林権助の署名があります。4月9日の記事(→コチラ)で書いた南山北麓の統監官邸跡に、2015年8月彼の銅像の台座が逆さまに建てられたことが一部で報じられました。(→画像付関連記事。)
 なお、画像左下隅に注目すると、この史料名が<第2次日韓協約><乙巳条約>ではなく<乙巳勒約(을사늑약)>となっていることに今気づきました。「勒約(늑약)」(ろくやく)とは、無理強いされた条約といった意味だそうです。以前<ナムウィキ>の「을사조약(乙巳条約)」の項目(→コチラ)には「乙巳条約=公式」「第2次韓日協約=学術的」の次に「乙巳勒約=非公式」となっていたので「なるほど」と思ったのに、非公式な用語を外交史料館が使うものですかねー?
 目立つ形で展示されている右の史料は1910年の韓国併合条約。初代の朝鮮総督・寺内正毅の署名があります。

     

 その後半世紀以上すっ飛ばして、時代は戦後。
 上左は、この画像では全然解読できませんが、1965年の日韓基本条約、・・・の批准書かな? 椎名悦三郎外相李東元外務部長官の署名があります。右は(たぶん)1983年11月中曽根康弘首相による全斗煥大統領宛の親書、かな? これも解読がむずかしいですが、「不幸中の幸い」という文言から判断すると前月のラングーン事件関係の内容?(見た時ちゃんと確認してませんでした、はい。)
 

 上は、2000年の6.15南北共同宣言。ヌルボ、この末尾の署名を見てムムーッと唸りましたがな。


 どうですか? この김대중(金大中)のおとなしめに書かれたハングルと対照的な김정일(金正日)奔放な(ムチャクチャな)書きっぷりは・・・。

 文書史料以外の展示物もあります。たとえば・・・。

      

 上左は「韓国の外交を率いた人物」の大きなパネル。歴代の外務部長官の写真がずらっと並んでいます。初代の張澤相(チャン・テクサン)に始まって・・・、あ、丁一権の写真だ。彼は上記の第12代長官・李東元の前後の第11代と13代長官になっていたんですね。当時のニュースでたまに彼の名を聞いた記憶があります。(その頃は「てい・いっけん」と日本読みしていたなー。その彼に関係するスキャンダラスな事実を知ったのはわりと最近のこと。)

 このようにざっと展示物を見たあと、私ヌルボ、この時開かれていた<独島>をテーマにした特別展示コーナーでタッチパネル方式の<独島クイズ>というのに挑戦してみました。

 実はこの記事、その<独島クイズ>の前書きとして書き始めたのですけどね。
 どうもこの頃、本論に入らないまま何となくまとまっちゃう(?)記事が多いような・・・。
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明洞からほど近い、ソウル・南山北麓の歴史記憶エリア ②韓国統監官邸跡にできた「慰安婦記憶の場」の象徴物とその意味

2017-04-21 23:58:35 | 韓国の街ネタ、観光ポイント、店・施設等
 → <明洞からほど近い、ソウル・南山北麓の歴史記憶エリア ①韓国統監府と、KCIAと、そして・・・>


 4月9日の記事の末尾で、2016年8月29日統監官邸跡に新たに造られた「慰安婦記憶の場」(上画像)の除幕式が行われたことを続く記事の予告の意味合いで書きました。
 その後10日以上も経ってしまったのは、慰安婦関係という厄介な問題に対して、私ヌルボとしてはどう考えているのかを前提として書いておこうなどと思ったからです。ところが結局長くなりすぎ収拾がつかなくなって断念。で、とりあえずは「いわゆる「反日」でも「嫌韓」でもない」こと、また「どちらに対しても批判点、あるいは疑問に思っていることがいろいろある」ことだけを記しておきます。

 さて、「慰安婦記憶の場」ですが、除幕式のニュース記事(聯合ニュース)は→コチラで読めます。
 また、準備段階だった2015年11月に早くも青さんがすでにブログ記事(→コチラ)で取り上げているのはさすがです。また2016年6月29日の起工式のことも→コチラで取り上げていますが、そこで「その場所に象徴的な意味を込めることに、どちらかと言えば計画の主眼があるのでしょう」と記しているのは、完成後の説明記事等を見ればまさにその通りです。
 この記事の本論は見出しの通りですが、まずこの施設の概容を画像で紹介します。


 「世界のへそ」の意味は、上画像の説明を読むまでわかりませんでした。すくなくとも韓国の運動推進団体&個人にはこのようなイメージ(産婦と胎児)があることは注目すべきことだと思います。(後述の本論にも関わる。)

      
 上画像がその「世界のへそ」。韓・英・日・中4ヵ国語で「記憶されない歴史は繰り返される」と刻まれています。
 除幕式では、カリグラファー(書芸家)のカン・ビョンイン氏がこのフレーズを大きく書き、参席した人たちがそれを掲げるというパフォーマンスがありました。(右画像) ※カン・ビョンイン氏は、人気の韓国焼酎チャミスルのラベルの字を書いた人です。
 この言葉は、「畿湖(キホ)日報」の記事(→コチラ.韓国語)によると2016年「親日人名辞典」に掲載された4389人の行跡を筆写する汎国民運動を始めたソウル市議会が掲げたスローガンでもあります。そして元はというと、アウシュビッツ収容所の前に刻まれた言葉・・・といくつかの韓国記事にあるのをたよりに(かなりテマヒマかけて)探してみると、アウシュビッツ収容所第4棟の入り口に掲げられれているジョージ・サンタヤーナ(1863~1952.アメリカの哲学者)の言葉「The one who does not remember history is bound to live through it again.」であることが判明。(→コチラの記事中の画像参照。) しかし「世界のへそ」の英文は「History not remembered is repeated」だしなー。「世界のへそ」にこの言葉を刻んだ人たちは出典とかにはこだわらないということか。(わかるような気がします。) 
 ※2013年9月の「中央日報」(日本語版)のコラム<アウシュビッツの影=韓国>(→コチラ)「ポーランド語と英語で書かれたジョージ サンタヤーナの警句を見た瞬間、この名言を日本語でも記録しておけばという考えを浮かんだ。」とあるように、いろんなことが相互に結びついているように思えます。

      
 そしてこの部分が「大地の目」。なるほど、目のように見えます。
 碑面の左の方には慰安婦被害者247人の名前、中央部分には時期ごとの証言が刻まれています。

 そして右の方の絵は何かというと・・・。
      
 金順徳(1921~2004)さんが描いた「連れていかれる」という絵です。右が原画。で、この彼女の手を引っ張っているのは誰だと思いますか? いくつかの記事を比較してみると、「1937年17歳の時、日本の工場で働く女工を募集している朝鮮人の男にだまされ・・・」というのもあれば「職業紹介業者と称する日本人にだまされ」というのもあり、また「日本軍に連れられていく」というのもあります。順番に→コチラの「元慰安婦の証言の信憑性を検証する」と銘打ったブログ記事、次が「しんぶん赤旗」の記事、3つめはソウルの韓国歴史博物館で2014年に開かれた慰安婦特別展の説明文。それにしても、なんと「わかりやすい」のだろう! 「朝鮮人」で、「無理に手を引っ張って、ではない」にしても、だまして本人の意思を無視して非人間的な「仕事場」に押し込めれば十分すぎるほど問題だと思うのに・・・。(個別の「事実」を尊重しないから全体的にウソっぽく見えてしまう、ということを運動団体は考えないのだろうか?)

 さて、ここまできてやっと本論です。(ありゃりゃ)
 ・・・というのが当初の心づもりだったのですが、するとさらに延々と文章が続くし、ここまででもまあなんとか見出しを変えればそれなりにまとまっているかも、と思って方針変更。
 このシリーズの続きは(いつになるかわからない)中央情報部関係の記事にして、予定していた本論は続きは別立ての記事にします。
コメント (19)
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[ソウル]徳寿宮近辺の見逃しがちないろいろ ②世宗大路の道路元標

2016-03-13 16:50:52 | 韓国の街ネタ、観光ポイント、店・施設等
 →<徳寿宮近辺の見逃しがちないろいろ ①<広告の天才>イ・ジェソク製作のソウル市庁電光掲示板>

 このシリーズのスタートからもうひと月半。やっと2つ目の記事です。基本的に、徳寿宮から歩いて約10分以内のタダで行ける所、タダで見られるモノを紹介していこうというものです。
 近年何度かこの辺りをあちこち歩き回ることがあって、その時ガイドブック等にはほとんど載っていない、しかし一見の価値がありそうな(?)モノ(建造物その他)がいくつも目に留まったので、それを順次紹介していこうというのがシリーズの主旨です。

 今回は、最初の記事で予告として載せたこの画像についてです。


 先の記事徳寿宮から世宗大路の西側歩道を北に500mほど行くと、清渓川の起点の南西側筋向いの、通りに面した小公園内(交番前)に「도로원표」と刻まれた石がありました。
    
 左の地図。色のピンの所です。「도로」は道路でいいとして、「원표」は원=原・元・円、표=標・票・表といった漢字の組合せをいろいろ考えていると、その近くで目に留まったのが冒頭の画像の大きな石の造形物です。見ると、その中央に近い位置に「道路元標」と記された金属板がありました。つまりこの大きくて円い石が道路元標で、最初に見た「도로원표」と刻まれた石はここに道路元標がありますよ、という表示だったのですね。
 敷石の上に、韓・英・中・日の4ヵ国語の説明板がありました。不鮮明で読みづらいですが、次のように記されています。

道路元標について
 ここは光化門の美観広場で、道路元標のシンボルの造形物が設置されています。この元標を囲んで東、西、南、北の4方位とともに、鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪の12干支の象徴物をもって、それぞれの12方位を標示しています。そして道路元標と12干支の間の地面には、ソウルを中心に全国53都市までの高速道路と国道を利用した実際の距離を、また64の海外都(ママ)までの直線距離をそれぞれ表示しています。


 ・・・ということで、北側と東側を見てみると・・・。
    
 北(左画像)は子(ネズミ)の絵。평양(平壌)まで193㎞、개성(開城.ケソン)までは58㎞です。そして東北東(右画像)は寅(トラ)。속초(束草.ソクチョ)まで204㎞ということは、平壌より遠いのか。춘천(春川.チュンチョン)までは80キロメートル。

 次は西と南の方角。
    
 西(左画像)は、テヘラン(6554㎞)、バグダッド(7242㎞)等西アジアから、アテネ(8522㎞)からリスボン(10423㎞)までのヨーロッパの諸都市。そして南南東方向(右画像)には、やっぱり독도(独島.トクト)435㎞。それと東京(1158㎞)の金属板が隣接しています。

 ・・・え? 独島が記されているということは、この石造物ができたのはそんな昔のことではないゾ、と思ったら、別に<도로 원표의 연혁(道路元標の沿革)>が石板に刻まれていました。
   
道路元標の沿革
 ここはソウルと全国主要都市間の道路上の距離を表示する基準点です。
 1914年道路元標が設けられた当時の設置点は世宗路広場中央でしたが、1935年に新しく造られて世宗路の両側に移されたものを、再び1997年12月ここに変更しました。
 この広場中央の標石は道路元標の位置を変更してソウル特別市で新しく製作・設置したものです。

 以上が旅行中の記録。その後帰国してから日韓の関連サイト等を見てみました。たとえば→日本ウィキペディア、→韓国ウィキペディアの他、→<TTS 道路元標の広場>というサイトには道路元標についての実に細かな説明・資料が載っています。そこに韓国の道路元標の資料もあり、その中に京城市道路元標についての詳しい記事もありました。(→コチラ。) 読んでみると、上記の沿革の文中にある「1935年に移された」という道路元標が、教保文庫前にある高宗即位40年紀念称慶碑殿に今もあるのですね。(下の画像はNAVER地図を加工したものです。)
    
 人通りの多い世宗路交差点(サゴリ)の角ですが、観光客にもあまり見向きもされない建造物ですね。
 ここに下画像のような道路元標があるのです。
         
 上右画像の道路元標(東面)には京城以南の9都市への距離が、その裏面には京城以北の9都市への距離が刻まれています。・・・と、ここで気づいたのが先の1997年の大きな造形物の数値と違うこと。釜山や光州までのキロ数はこの昔の道路元標の方が20㎞あまり長くなっています。平壌の場合は上述のように今は「193㎞」となっていますが、1935年の方は「二七0粁」。この大きな違いは高速道路開設による道のりの短縮? よくわかりません。
 まだわからないことや新たに生じた疑問等々もありますが、とりあえずわかったことを書きとめておきます。
 ・日本にはけっこう<道路元標マニア>といった人たちがいて、関連ホームページもけっこうあります。自身各地の道路元標の写真を撮ったりもしています。(中には盗んできちゃったりする不届き者もいたって!?)
 ・日本橋の中央に東京市道路元標が設置されたのが1911年。(旧)道路法が制定されて各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされたのが1919年。ということを考えると、日韓併合後まもない1914年に京城に設けられたのは朝鮮総督府の道路行政の手早さを示しているといえるかも。
 ・たとえば京都市の道路元標(→コチラ参照)が烏丸三条交差点に設けられたように、京城の場合も太平通(世宗大路)と鍾路という南北と東西に走る主要道路の交点に設置されたわけです。
 ・1996年の韓国誌「時事ジャーナル」の記事(→コチラ)によると、1997年現在の道路元標が造られる前に、いろいろ議論があったようです。記事の見出しからして「日本製の道路元標、文化財たりうるか?」。副題は「ソウル市、日本が設置した道路元標をめぐり遺物かどうか悩み中」です。この記事によると、ソウル市が道路元標の記念を企画したのが1995年春。 しかし道路元標の歴史的価値を確認することができず、諸専門家に意見を求めたり外国の事例を調べたりもしたようである。この「時事ジャーナル」の記事は相当部分韓国文化歴史地理学会の地図研究者イ・オヒョン氏の所論に依拠していますが、彼は「道路元標が日本の不純な底意により誕生した「陰謀的標識」であることを立証するのは、これが事実上の道路の基準点のみ「象徴」するだけで、実際に使用される距離を示すにはほとんど寄与をしていなかったという点である」としています。また記事は「道路元標は、朝鮮総督府が自分たちが飲み込んだ地の距離を表示したものであるにすぎない。このようなものを記念するということは狂気に違いないという彼の言葉で結んでいます。つまり「時事ジャーナル」も保存には批判的ということです。
 また、→コチラの記事(韓国語)は詩人キム・ジョンスさんが知的好奇心旺盛な息子さんを連れての世宗大路の道路元標の実地教育の記事で、なかなかいい記事だとは思いますが、最後に次のような父子の会話が記されています。
 (父)「今まで見た道路元標は日本植民地時代に作られたものだが、そこに保存しておいてもいいかな?」(子)「それはダメだよ。日帝が作ったものをなぜ保存するの? なくさなくちゃ。」
 ・・・私ヌルボ思うに、このような歴史の実物教育ができるのも実物がそこにあるからで、いくら憎くてもそれをなくし、記憶の手がかりを消してしまってはまずいと思うのですが・・・。その記事には申采浩(シン・チェホ)の「領土を失った民族は再生できても歴史を失った民族は再生できない」という言葉が引用さけていますが、この言葉は現在の韓国・朝鮮にもあてはまるのではないでしょうか? (日本の側、特に現政権の「歴史認識」にも大いに問題はありますが。)
 ・日本同様、韓国内にも各地に道路元標があります。「도로원표」で画像検索するとたくさんヒットしますが(→コチラ)、多くは戦後造られたものです。→コチラの表にある1924(大正13)年7月時点で朝鮮半島にあった計20(南12・北8)の道路元標が現在どこかに残っているかどうかはよくわかりません。

 あー、今回も調べたこと知ったことの8割くらい書いてしまいました。長すぎですね。もっと要点を精選して書かなければ、と毎度思うのですが・・・。
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道行く人の目を引く「波打つ」建物 ★韓国文化院と、ソウルのGTタワー等

2014-12-31 22:13:38 | 韓国の街ネタ、観光ポイント、店・施設等
 私ヌルボが四谷三丁目にある今の韓国文化院に初めて行ったのは2010年2月。→コチラの記事でも書いたように、その建物の前面が波打っていることに目を引かれました。

      

 少し遠くからでも、すぐわかりますね。

 しばらく前まではおよそビルの形といえば、曲面があるとしても垂直方向では直線で造られているものと相場が決まっていました。ところがこの建物は前面が曲面なのです。
 日本設計と韓国の三友綜合建築士事務所の共同設計によるもので、2009年5月竣工したものです。
 夜この建物を見ると、下の写真のように曲線部分が青→紫→赤→橙→黄→緑と徐々に変わっていきます。
      

      


 この建物のことも含めて韓国文化院のもろもろを記事にするつもりだったのが、今年3回の韓国旅行の中で、同じように人の目を引くような外観の建物をいくつか目にしたので、まずそれらを画像中心に紹介します。

 まず、光化門から東数百mの所にツインツリータワー(2010年11月竣工)。8月、景福宮の東側出入口から遠目に見て、あのビルは何だ!?と思いました。


 次に、今月夜のソウルを街歩きしていて気づいたのがソウル中央郵便局・ポストタワー(2007年11月竣工)。これは今まで何度か見ているはずなのですが、以前の建物への哀惜の念が先行してか、新しい建物の形態には注意を払ったことがありませんでした。


 そして、実は次がこの記事の目玉!
 江南駅の交差点すぐ。三星電子本社向かいのGTタワー(2011年2月竣工)です。
 これも今月偶然見つけました。いやー、韓国文化院を上回るS字曲線ではないですか。

 前面だけでなく、側面も曲面になっています。よくこういうものを設計し、造ったものです。

 ここから北に少し歩いて新論峴(シンノニョン)駅の交差点までいくと、そこにもいろいろユニークなビルがいくつもある中で、曲線を強調したものが下写真のPOSCO SS&CC TOWER(2009年10月竣工)。

 しかし、先のGTタワーを見た後ではインパクトに欠ける感は否めません。

 今いろいろ調べてみると、どれも造られたのは比較的最近といっても、最新のGTタワーが2011年。つまり毎年2~3回くらいソウルに行っているにしては私ヌルボ、その間気づきませんでした。とくに観光ポイントでもないとまあそんなものでしょうか。

 さて、上述のような建物、とくに韓国文化院やGTタワーのような波うつ建物は日本では何か造られているのかな?などと考えつつ、今月のある夜コーヒー店を出ると、まさに目の前に小さいながらも波うつビルが立っているではないですか!
 新宿3丁目・小守ビルというビルです。後で調べてみると黒川紀章設計事務所の設計で2002年に建てられたものとのことです。

 上記の各建物の竣工年を見てみると、ユニークなデザインを可能にした建築技術の発展といったものが読み取れるように思えます。12年前の小守ビルの場合、横から見ると次の写真のようにちょっと興ざめな仕かけになっているのは、アイディアの方が当時の技術より先行していたということかも、と素人ながら思いました。


 今まで何度か記事にした韓国のオドロキ路上オブジェ同様、建築物でも「韓国らしさ」といったものが表われているとみてよさそう、かな?
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ソウルの中心部に巨大な本の山が出現!

2014-12-03 23:48:29 | 韓国の街ネタ、観光ポイント、店・施設等
 まずは下の画像をご覧下さい。11月26日の<inews24>の記事(→コチラ)
に載っていたソウル中心部の写真です。

 トリック写真ではなく、実際にこんなビルがあるんですよ!

 ・・・なんちゃって、その1ヵ月前はこんな姿でした。10月29日の<ハヌリ経済>掲載の写真です。(→コチラ。)


 つまり、本物のでかい本の山ではなくて(当たり前だ)、ビルの新築工事中の現場を覆っている板(幕?)に描かれた絵なのです。
 しかし、分厚い本の立体感を上手く描いていますね。


 本のタイトルは、「경복궁(景福宮)」とか「선유도공원(仙遊島公園)」のようなソウルの代表的観光ポイントになっていて、「浄水場はいかにして公園になったか?」といったキャッチコピーも記されています。

 さて、この工事中の建物は何かというとハナ銀行本店。場所は乙支路入口の交差点の北西角。つまりロッテホテルの道路を挟んで北側向かいですね。
 私ヌルボ愛用の<DAUMロードビュー>では、まだ以前の建物のままです。
  ※韓国内では<GoogleEarth>より優れものの<DAUMロードビュー>をご存じない方は→コチラの過去記事を参照されたし。 


 正面が西で、左側がロッテホテル、右の白い建物が(前の)ハナ銀行です。

 ハナ銀行はすでに6月から清進洞グランソウルビルに本店業務を移したそうで、この工事により新しい地下6階地上26階の社屋が完成するのは2017年それまでこの巨大な本の山が見られるとのことです。

 ところで、このハナ銀行本店の画像検索をしていたら、これまでも何度かこの(前の)建物は大胆なというかケッタイな(?)というか芸術的な試みを敢行しているのです。


 これは2007年12月。ビルが大きくくびれているように見えます。

 拡大して見てみると・・・。

 作業をしている人がずいぶん小さく見えます。すごい手間ヒマと、費用がかかったのでは?


 これは2006年12月(~07年2月)。建物を26万本の緑のリボンで包んだインスタレーションとのことです。
 

 これは2006年3月ドイツでのWカップに向けて1.3mのTシャツを850枚つなげて作ったもの。しかし上の方の画像を見た後ではあまり驚くほどのものではないような・・・。

 いったいこうした企画はどこの誰が考えるものなのか? だんだんエスカレートしているようにも思えます。
 2017年完成の新社屋はどんな建物になるのでしょうか?
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ソウル・楽園洞のモーテル屋上からの眺めにビックリ!

2014-08-17 11:47:03 | 韓国の街ネタ、観光ポイント、店・施設等
 この2週間、いろいろやるべきこともあって記事が滞りがちになっています。韓国関係書等は読んでいるのでネタは溜まる一方なんですが・・・。
 2ヵ月前の韓国旅行でもいろいろあったのですが、例の銃乱射事件で注目された高城統一展望台方面の記事くらいしか書いていませんでした。
 今回は、その時ソウルでたまたま見たちょっと衝撃的な光景の写真を紹介します。

 6月20日、ヌルボ一行4人が旅行最後に泊まった所はソウル市鍾路区楽園洞のモーテルでした。



 鍾路三街駅近くの便利な所で、肝心のお値段もリーズナブルなモーテルです。

 部屋に落ち着いた後、T兄(ヒョン)が「ちょっと来てみなよ」と声をかけるので出て行った所はモーテルの屋上。
 大体こういった安モーテルの階段や踊り場等は物置同然になっているのが常で、ここの屋上に通じる階段や屋上にもいろんな物やガラクタの類が雑然と置かれていました。



 T兄のイデタチが周囲の雰囲気とマッチしていますね。

 そして四方を見渡すと・・・。



 おー、何だ!? この猥雑な眺めは・・・。
 この辺りは、表通りから入った路地に庶民的な店や小さな民家等が密集した所です。今までこの高さからソウルの街を見下ろしたことがないので、この眺めがソウルの繁華街の裏町の一般的なものなのか否かはよくわかりません。



 雨漏り除けの大きなビニールシートを瓦や甕等で押さえています。
 真ん中に見える緑色のものは物置かなんかでしょうか? 



 洗濯物が干してあったり、プランターらしきものも見えます。
 
 「いやー、驚いたなー」と言いながら部屋に戻るとフロントから電話が・・・。「屋上に上がらないでください」とのこと。そもそも、この屋上に出る階段はドアでふさがれていて、モーテルの人がそのキーを隠すのを見たT兄が持前の好奇心を発揮して拝借しちゃったというわけ。それを赤外線センサーで感知されてしまったようです。
 やっぱり禁断の場所に行くと貴重な経験ができますね。
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韓国観光公社選定<韓国100景>(2014年版)を全部紹介(下)第51~100位

2014-07-29 17:57:41 | 韓国の街ネタ、観光ポイント、店・施設等
 →1つ前の記事の続きです。

 <韓国100景>の後半、第51~100位はけっこうよく知られた観光地が多いようです。
 ①行ったことのある所、②行ったことはないがそれなりに知識として知っている所、③このリストで初めて見た所 ・・・と分けると、私ヌルボ、①は53位、54位、61位、65位、76位、80位、86位、89位、98位、99位、100位の11ヵ所。ほとんどは定番の観光地ですけどね。①以外の39ヵ所は②と③がほぼ半々。定番といってよさそうな河回マウル、南怡島、南漢山城、正東津、北漢山等々は行ってないしねー・・・。(南怡島なんていつか行くことがあるのだろうか?)

 前回と同じ動画を貼っておきます。



第51位=全羅北道茂朱郡・徳裕山香積峰 무주 덕유산 향적봉
 ・・・全羅北道と慶尚南道の境界上の山で最高峰が香積峰の1614m。これは漢拏山(1950m)、智異山(1915m)、雪岳山(1708m)に次いで韓国で4番目。

第52位=忠清北道忠州市・忠州湖 충주 충주호
 ・・・忠州ダム建設によりできた韓国で最も大きな湖。

第53位=ソウル特別市・5大故宮 서울 5대 궁궐
 ・・・5大故宮とは景福宮・昌徳宮・徳寿宮・慶煕宮・昌慶宮の5つ。

第54位=慶尚北道慶州市・仏国寺 경주 불국사
 ・・・日本でいえば姉妹都市の奈良に相当する歴史都市慶州の、超有名なお寺。石窟庵まではシャトルバスがある。

第55位=京畿道抱川市・山井湖 포천 산정호수
 ・・・ソウル近郊だが周囲を山に囲まれた自然豊かな湖。遊園地、公園等さまざまな施設がある。

第56位=済州特別自治道済州市・拒文(コムン)オルム 제주 거문오름
 ・・・「オルム」とは済州島に約360もある小高い丘状の寄生火山。拒文オルムは城山日の出峰、漢拏(ハルラ)山とともに<済州火山と溶岩洞窟>という名称で2007年韓国初の世界自然遺産に指定された。ここの探訪は1日の人数制限があるので予約が必要。

第57位=慶尚北道奉化郡・清涼山  봉화 청량산
 ・・・清涼山は眺望が良く、とくに紅葉は美しい。800mの高さの稜線上にハヌルタリ(空の橋)という吊り橋が架けられています。→コチラの記事の写真見てみて! この地の清涼寺はドラマ「トンイ」や「善徳女王」のロケ地とのこと。→参考記事

第58位=江原道太白市・太白山天祭壇 태백 태백산 천제단
 ・・・太白山は江原道と慶尚北道の境にある山で、その最高峰は将軍峰(1567m)ですが、3mを超える大きな山名碑が立つメインピークが天祭壇(1560m)。

第59位=全羅南道珍島郡・雲林山房 진도 운림산방
 ・・・朝鮮後期の有名な書画家・許維(号は小痴)が1856年に師の金正喜(号は秋史)が世を去った後に帰郷して晩年を過ごした所。長く放置されていたが1982年復元された。小痴記念館も建てられている。

第60位=全羅南道谷城・汽車マウル 곡성 기차마을
 ・・・韓国の公共鉄道KORAILが経営する汽車のテーマパーク。昔の汽車や機関車、昔利用されていた谷城駅舎等の他、レールバイクも人気。植物園やミニ動物園もある。

第61位=忠清南道天安市・独立記念館 천안 독립기념관
 ・・・1982年日本の教科書問題を契機に、国民の募金運動も行われて1987年8月15日(光復節)に開館。天安は三一独立運動の象徴的存在の柳寛順の故郷で、彼女の記念館もある。

第62位=慶尚北道慶州市・良洞(ヤンドン)マウル 경주 양동마을
 ・・・慶州の市街地から約25km離れた所に位置する伝統民俗村。約150世帯が生活する村全体が重要民俗文化財に指定されていて、2010年には河回マウルとともにユネスコ世界遺産に登載された。

第63位=慶尚北道浦項市・虎尾岬(ホミコッ) 포항 호미곶
 ・・・代表的な日の出の名所。ここにミレニアムを期して1999年12月に完工した<相生の手(상생의 손)>は歴史が浅いわりには有名なのでは? 私ヌルボ、最初にTVで見た時にはちょっとビックリ! →参考過去記事

第64位=江原道束草市・雪岳山権金城 속초 설악산 권금성
 ・・・雪岳山の玄関口でとくに多くの観光客が来る場所が国立公園入口と千仏洞渓谷。その公園入口の正面にそびえる岩山が権金城(クォンクムソン)。その昔モンゴルからの侵攻に備え権さんと金さんが築いた城壁・・・なんて、こんな岩山築けるわけないでしょ。伝説ね。歩くと1時間の道だが途中まではロープウェーで上れる。

第65位=京畿道坡州市・臨津閣 파주 임진각
 ・・・正面に見える北朝鮮側の建物は板門閣。私ヌルボが最初行ったのは板門閣の方で、臨津閣は1年後。外国人だから可能なわけで、北朝鮮や韓国のフツーの人だと行けないという理不尽。北からの旅行記はたとえば→コチラ

第66位=忠清北道槐山郡・華陽九曲 괴산 화양구곡
 ・・・俗離山国立公園にある渓谷。華陽洞渓谷とも。大きな岩と豊かな水量と森の調和した渓谷美で、オートキャンプ場もある。

第67位=江原道鉄原郡・鉄原DMZ 철원 DMZ
 ・・・北朝鮮との軍事分界線沿いには秘密トンネルや展望台等々の国境観光のポイントがいくつもあります。(正確には国境ではないですが。) その詳細については<DMZを横断する旅>という→コチラから始まるシリーズ記事がありますが、何といってもおもしろく読めるのが<ワッタカッタ!さんのBLOG>中の<DMZ非武装地帯を巡る旅>という一連の記事。たくさんありますが、最近目次(→コチラ)を作ってくださいました。鉄原に行った時の記録ももちろんあります。DMZに直接関係ない記事もありますが、どれもホントにおもしろくてハマってしまいます。

第68位=京畿道驪州郡・英陵(世宗大王陵) 여주 영릉
 ・・・陵の周囲には祭礼を行う丁字閣等があり、ここにも世宗大王像が置かれ、自撃漏(水時計)や測雨器等々のレプリカもある。ここは車で行くしかない? 利川からだと車で約30分か・・・。

第69位=忠清北道報恩郡・俗離山法住寺 속리산 법주사
 ・・・俗離山は忠清北道報恩と慶尚北道尚州の境にある山。法住寺は、6世紀の新羅時代に創建。金色に輝く高さ33mの青銅弥勒仏が目を引くが、これは1990年建立と新しい。国宝の捌相殿(パルサンジョン)は1624年に再建されたものだが、現存する韓国唯一の木造五重塔。

第70位=江原道東海市・望祥(マンサン)オートキャンプ場 동해 망상 오토캠핑장
 ・・・韓国最初のオートキャンプ場。目の前は望祥(マンサン)海水浴場です。

第71位=全羅北道完州郡・大屯山 완주 대둔산
 ・・・忠清南道の論山市と錦山郡にもまたがっている山。878mとそれほど高くないが、奇岩の景勝と秋の紅葉の美しさで観光客が多く、ケーブルカーもあります。あ、ここのクルムタリ(雲の橋)もすごい! →コチラの写真参照。この橋の名前、多くのブログ等では金剛クルムタリとなってますが、<VisitKorea>の記事では錦江と表記。大屯山は「湖南の金剛山」ともいわれたりしていますが、山から流れ出る水はたしか錦江に注ぐのではないかな? スペルはどちらも금강(クムガン)。まぎらわしいなー。で、正解はわからず。

第72位=全羅北道群山市・仙遊島 군산 선유도
 ・・・数多くの島が点在する古群山群島の中心ともいうべき島。群山の中心部から50㎞ほど離れているが、人気の高い避暑地で各種施設が整っており、夏には行楽客が多く訪れる。

第73位=慶尚南道昌原市・鎮海軍艦祭 창원 진해 군항제
 ・・・韓国随一の桜の名所・鎮海は2010年の合併で現在は昌原市鎮海区に。鎮海の町全体で桜の本数は約34万4千本! 吉野山の桜の10倍もあるとはオドロキ。4月の軍港祭には200万人以上の観光客が訪れるそうです。鎮海も含め、韓国の桜事情については→過去記事参照。

第74位=慶尚北道安東市・河回マウル 안동 하회마을
 ・・・民俗村の代表格。

第75位=大田広域市・ファントッキル(黄土の道) 대전 계족산 황톳길
 ・・・大田市内の鶏足山にある約13kmの健康トレッキングコース。「黄土は身体に良いと言って韓国人が多く訪れる」と<VisitKorea>の記事には書いてあるんだけどなー・・・。

第76位=ソウル特別市・仁寺洞 서울 인사동
 ・・・今さら何をいわんや。あ、アナタが知ってる「仁寺洞」の店は実際の住所は「寛勲洞」であるかもしれません。古書店の通文館もそうでした。

第77位=京畿道春川市・南怡島(ナミソム) 춘천 남이섬
 ・・・今さら何をいわんや。「冬ソナ」の聖地というか、韓流ブームの原点というか・・・。

第78位=京畿道楊平郡・トゥムルモリ 양평 두물머리・・・北漢江と南漢江が合流する所。
 直接関係はありませんが、私ヌルボが初めてこの地名を知ったのは「茶山(タサン)の父に」というジュニア歴史小説でした。(→関係過去記事。)

第79位=慶尚北道慶州市・慶州南山 경주 남산
 ・・・500m弱の山だが、南北約8km、東西約4kmの範囲に100ヵ所という寺跡、80の石仏、60の石塔が点在し、眺望も良い。

第80位=仁川広域市・仁川チャイナタウン 인천 차이나타운
 ・・・1883年の仁川の開港以来の歴史のある街。チャジャンミョンの発祥の地とか。

第81位=忠清南道保寧市・大川(テチョン)海水浴場 보령 대천해수욕장
 ・・・マッド・フェスティバルで有名。madじゃなくてmud、つまり「泥んこ祭り」ですよ。

第82位=慶尚南道南海郡・タレンイマウル 남해 다랭이마을
 ・・・다랭이(タレンイ)は棚田のこと。日本では信州・千曲市の姨捨の棚田が「田毎の月」で有名ですが、コチラの棚田村は海に面していてかなり雰囲気は違います。→コチラの写真参照。しかし、世界遺産になっているフィリピン・コルディリェーラの棚田や、中国等の棚田の写真を見るともっとすごいんですよ。→コチラコチラ参照。

第83位=全羅南道康津郡・茶山草堂 강진 다산초당
 ・・・正祖の死後迫害された丁若鏞(チョン・ヤギョン)の配流先。ここで数々の書籍を著した。

第84位=京畿道広州市・南漢山城 광주 남한산성
 ・・・今年富岡製糸場等とともに世界遺産にも登録・・・ということで、説明省略。

第85位=慶尚南道咸陽郡・智異山トゥルレギル 함양 지리산 둘레길  ・・・トゥルレギルという新語については以前書きましたが(→コチラ)、山の頂上をめざすのではなく、眺望を楽しみながら歩く山の周縁コースのこと。智異山は漢拏(ハルラ)山に次ぐ韓国第2の高峰なので、このコースは総延長300㎞にもなるとのこと。

第86位=京畿道水原市・水原華城 수원 수원화성
 ・・・イサン(正祖)の時代に(以下略)、丁若鏞(チョン・ヤギョン)が(以下略)。

第87位=忠清南道瑞山市・磨崖如来三尊像 서산 마애여래삼존상
 ・・・瑞山郊外の山の中腹の岩壁に彫られた高さ2.8mの磨崖仏で、1958年に発見されその後国宝に指定。7世紀前半のものと推定されている。

第88位=江原道江陵市・正東津 강릉 정동진
 ・・・正東津という地名はソウルから真東に位置するという意味。代表的な初日の出の名所。→関連過去記事

第89位=全羅南道順天市・楽安邑城 순천 낙안읍성
 ・・・昔の姿をよく残している民俗村。朝鮮時代の邑城の中の伝統家屋100数戸に住民がそのまま生活している。

第90位=全羅北道井邑市・内蔵山・内蔵寺 정읍 내장산 내장사
 ・・・紅葉の名所内蔵山には、シーズン中最多の観光客が訪れるとか。内蔵寺は7世紀前半の百済の時代に創建されたがその後何度も焼失、現在の寺は1970年代に再建されたもの。

第91位=江原道江陵市・大関嶺古道 강릉 대관령 옛길
 ・・・平昌郡の最東部大関嶺面から江陵に抜ける古道のトレッキングコース。大関嶺ヤンテ牧場駐車場から大関嶺博物館まで10数㎞の緩い下り道は眺望もよく気持ちよさそう。→コチラのブログの写真を順に見ていくと仮想散策ができる。

第92位=忠清南道泰安郡・安眠島・コッチ海水浴場 태안 안면도 꽃지해변
 ・・・安眠島は橋で本土とつながっているけっこう大きな島。(第6位の広さ。) コッチ海水浴場は白い砂浜が続く遠浅のビーチ。

第93位=ソウル特別市・北漢山 서울 북한산
 ・・・ソウルに行けばいつも目にするが、登ったことはナシ。いつかは、と思いつつ20年。

第94位=全羅北道扶安郡・彩石江 부안 채석강
 ・・・「江」といっても川ではなく、辺山半島格浦港一帯1.5キロの層岩絶壁と海の総称で、とくに夕焼けが美しいとのこと。

第95位=慶尚北道永川市・タルビンマウル(星の光村) 영천 별빛마을
 ・・・普賢山天文台がある永川市は<星の都市>として売り出していて、毎年5月頃には星の光祭りを開催。星の光村は天文台の入口近くにあり、観測等の催しの他、山菜や農作物の収穫等の行事も行っている。

第96位=全羅北道高敞郡・禅雲寺 고창 선운사
 ・・・6世紀に創建された古刹。(現在の寺は17世紀初めに再建。) 四季折々の花や秋の紅葉もさることながら、春先にはとくに天然記念物にも指定されているツバキがきれいに咲き誇るとか。

第97位=全羅南道求礼郡・華厳寺 구례 화엄사
 ・・・智異山の麓に位置する寺で、6世紀に創建され、文禄・慶長の役で焼失後17世紀初めに再建された点も禅雲寺と同じ。韓国で一番大きい約6mの石灯籠(国宝)等がある。

第98位=江原道高城郡・高城統一展望台 고성 통일전망대
 ・・・韓国の日本海側最北端にあり、北朝鮮が目の前に。実は私ヌルボ6月に行ってきたばかり。2日後には兵士の銃乱射事件が! その記事は→コチラ

第99位=忠清南道扶余郡・扶蘇山城 부여 부소산성
 ・・・百済の古都扶余観光のメイン。1992年ヌルボの最初の韓国旅行で「地球の歩き方」を携えて行った所。ずっと後で行った慶州より素朴な感じでヨロシ。

第100位=全羅北道南原市・広寒楼苑 남원 광한루원
 ・・・あの「春香伝」の舞台。

 51~100位を通してみると、山のお寺が多いのは順当なところでしょうが、散策コースもけっこうありますね。1位の聞慶セジェからしてそうだし・・・。ここにも今世紀に入って以来の健康ブーム、自然・環境ブームが如実に反映されていますね。

★韓国旅行関係情報を探していてこの記事にたどり着いた方、過去記事で<[韓国の観光地] テーマ別ベスト10>という5回シリーズもあります。その初回の<①山・島・散策コース>は→コチラ
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韓国観光公社選定<韓国100景>(2014年版)を全部紹介(上)第1~50位

2014-07-28 10:15:26 | 韓国の街ネタ、観光ポイント、店・施設等
 最近たまたま韓国サイトで韓国観光公社が選定した<韓国100景(한국100경)>があるということを知りました。どうもこの春(4月?)に公開されたもののようです。
 探してみたら、画像つきで第1位から100位まで全部紹介しているブログ(→コチラなど)があったばかりでなく、やはり全部を10分間の動画(正確には動く画像)にまとめたものもYouTube等で見つけました。

 そのすべてを2回に分けて紹介します。

 動画は、それが何かを示すテロップ入りのものが1つだけあったのでそれを貼っておきます。もちろんハングル書きなので、とくに興味をもった画像があれば、その順位(画像ではBEST○という形で表記されている)と下記の説明文を照らし合わせて確認してください。

 100ヵ所の景勝地を見てみると、①行ったことのある所②行ったことはないがそれなりに知識として知っている所もあれば、③このリストで初めて見た所もあります。
 私ヌルボの場合は、前半の第1~50位の中で、①は1位、6位、9位、16位、18位・・・、アラ、たった5ヵ所だけか!? (でも1位と9位は去年行ったもんね^^。) 残り45ヵ所の中で②と③はおよそ半々といったところです。

 なお、同様の<韓国100景>は2012年にも行われました。その順位は→コチラの記事で見ることができます。このブログ主さんは7割方行ったことがあるようです。



第1位=慶尚北道聞慶市・聞慶セジェ(峠) 문경 문경새재
 ・・・慶尚道と漢城を結ぶ昔からの幹線ルートで、今も古道歩きの観光客が多い。古道博物館がある。

第2位=慶尚南道昌寧郡・牛浦沼 창녕 우포늪 ・・・洛東江近くの韓国最大の自然沼地で、自然生態観光地。

第3位=慶尚南道晋州市・晋州城 진주 진주성
 ・・・高麗時代末期に築かれた石造りの城。文禄の役の時の戦場。(→参考記事)

第4位=全羅南道新安郡・紅島 신안 홍도
 ・・・木浦港の南西97kmにある黒山島からさらに22km西に位置する総面積6.5㎢の小さな島。風光明媚で年間20万人もの観光客が訪れるという。(2012年の<韓国100景>では第1位でした。)

第5位=全羅南道麗水市・巨文島 여수 거문도
 ・・・麗水のはるか沖の多島海にある島。

第6位=ソウル特別市・Nソウルタワー 서울 N서울타워
 ・・・ソウルの代表的観光ポイント。

第7位=全羅南道新安郡・曽島 신안증도
 ・・・美しい干潟、広大な塩田で知られる。生態観光地。

第8位=慶尚北道鬱陵郡・独島 울릉군 독도
 ・・・「韓国」の「観光地」か!?

第 9位=全羅南道莞島郡・青山島 완도 청산도
 ・・・莞島の先の小さな島。映画「風の丘を越えて~西便制」の名場面の撮影地。関係過去記事は→コチラと→コチラ

第10位=済州道・済州島オルレキル 제주 올레길
 ・・・15kmの散策路。

第11位=慶尚北道青松郡・周王山 청송 주왕산
 ・・・雪岳山、月出山とともに韓国3大岩山とされているとか。

第12位=慶尚南道巨済市・巨済島・海金剛  거제도 해금강
 ・・・韓国で済州島の次に大きい島。半島と橋でつながっている。海金剛は約500m離れた景勝地の岩島。

第13位=全羅北道金堤市・金堤・地平線 김제 지평선
 ・・・韓国で唯一地平線が見られるという広大な平野があり、地平線祭りが催されている。

第14位=大邱広域市・クンデコルモク(近代路地) 대구 근대골목
 ・・・大邱近代歴史館(日本統治時代に建てられた朝鮮殖産銀行大邱支店の建物)等、近代の建造物が今も残る道を歩く。

第15位=慶尚北道蔚珍郡・仏影渓谷 울진 불영계곡
 ・・・長さ15kmにも及ぶ渓谷美。

第16位=京畿道龍仁市・韓国民俗村 용인 한국민속촌
 ・・・水原民俗村とよくいわれていますが、正確には龍仁市。

第17位=釜山広域市・太宗台 부산 태종대
 ・・・海岸の絶壁や奇岩怪石、クロマツ林の景勝で知られる釜山の代表的観光ポイントの1つ。

第18位=全羅北道全州市・全州韓屋マウル 전주 한옥마을
 ・・・古くからの伝統がある都市の歴史的街並み。

第19位=慶尚南道河東郡・十里桜通り 하동 십리벚꽃길
 ・・・毎年4月初に3日間桜祭りが開かれる。男女が手をつないで歩くと恋が実るといわれ、「婚礼通り」ともよばれる道とのこと。

第20位=全羅南道順天市・順天湾 순천 순천만
 ・・・丈の高い葦が生い茂る沿岸湿地で、ナベヅル等の飛来地でもある。
 ※孔枝泳の小説「トガニ」(同名映画の原作)の舞台の架空の都市霧津は順天を想定したもので、この湾の印象的描写がある。

第21位=江原道旌善・五日市(オイルジャン) 정선 5일장
 ・・・2と7のつく日に開かれる大規模な露店市。→参考記事

第22位=仁川広域市甕津郡・白翎島(ペンニョンド) 옹진 백령도
 ・・・黄海上にあり、一番北朝鮮に近く、軍事的にも重要な島。

第23位=忠清南道公州市・宋山里古墳群 공주 송산리 고분군
 ・・・武寧王陵等がある百済の考古遺跡。

第24位=釜山広域市・海雲台 부산 해운대
 ・・・韓国の代表的なリゾートビーチ。映画「TSUNAMI」の舞台。

第25位=全羅南道霊岩郡・月出山 영암 월출산
 ・・・「小さい金剛山」と呼ばれるほど奇岩怪石が特徴的な山。(昨年光州~莞島間のバスの車窓から遠望しました。)

第26位=慶尚北道盈徳郡・ブルーロード 영덕 블루로드
 ・・・半島東海岸の釜山から江原道の高城に至るヘパランギル(太陽と波の道)の一部で、盈徳(ヨンドク)ズワイガニ公園からコレブル海水浴場に至る徒歩旅行用の約65kmの海岸道路。

第27位=慶尚北道栄州市・紹修書院 영주 소수서원
 ・・・1543年に当時の郡守により建てられた韓国最初の書院。

第28位=全羅南道順天市・仙岩寺 순천 선암사
 ・・・曹渓宗に次ぐ韓国仏教の第2勢力である太古宗の総本山。

第29位=済州特別自治道・漢拏山白鹿潭 제주 한라산 백록담
 ・・・韓国の最高峰漢拏(ハルラ)山(1950m)の山頂近くにある湖が白鹿潭(ペンノクタム)。

第30位=仁川広域市・江華島・長花里海岸 인천 강화도 장화리갯벌
 ・・・江華島の南端。干潟が美しい。

第31位=慶尚南道統営市・統営港 통영 통영항
 ・・・眺望が美しく「韓国のナポリ」とも呼ばれる。(え、「東洋のナポリ」??) 李舜臣の亀甲船もあります。

第32位=江原道平昌郡・月精寺・モミの森の道 평창 월정사 전나무 숲길
 ・・・モミの森の道が新羅時代からの古刹・月精寺から数百m続く。

第 33位=慶尚北道安東市・陶山書院 안동 도산서원
 ・・・16世紀の有名な儒学者李退渓(李滉)により建てられた書院。

第34位=江原道寧越郡・東江 영월 동강
 ・・・東江はラフティングが楽しめる川として知られる。

第35位=慶尚南道鬱陵郡・鬱陵島・待風坎(テプンガム) 울릉도 대풍감
 ・・・待風坎は鬱陵島西南の景勝地。灯台のある頂上部からの眺望良好。
 ※<DAUM地図>のロードビューがここまで行ってるとはオドロキ! google地図に明らかに勝っている。

第36位=済州特別自治道・牛島(ウド) 제주우도
 ・・・牛島は済州島の東側にある小さな島。「連理の枝」等の映画や、ドラマのロケ地にもなっいる。

第37位=慶尚南道咸陽郡・上林 함양 상림
 ・・・渭川という川の護岸林として新羅時代に造成された、人の力で作られた森としては韓国最古の林。

第38位=慶尚南道南海郡・錦山 남해 금산
 ・・・681mとあまり高くない山だが、奇岩怪石の絶景と、南海を一目で見下ろすことができる。

第39位=慶尚南道陜川郡・海印寺 합천 해인사
 ・・・高麗八萬大蔵経の版木が保管されていることであまりにもよく知られている。

第40位=忠清北道丹陽郡・嶋潭三峰(トダムサムボン) 단양 도담삼봉
 ・・・丹陽を流れる南漢江の真中にそびえる3つの岩。

第41位=蔚山広域市蔚州郡・盤亀台岩刻画 울산 반구대 암각화
 ・・・1971年発見された大谷川の下流にある巨大な岩に彫られた先史時代の絵。横約10m縦約3mの垂直の岩の上に人や動物、捕鯨のようす等約300点の絵が描かれている。→参考記事

第42位=忠清北道忠州市・ハヌル峠(ジェ) 충주 하늘재
 ・・・聞慶セジェとは別ルートで忠州方面から布岩山近くの弥勒寺址を経て慶尚北道に抜ける峠。「三国史記」によると156年に開かれた最古の峠道とか。※この峠について書かれた日本語のサイトはほとんどない中で、→コチラのブログ記事は説明が詳しい上現地で撮った写真も多く貴重。

第43位=忠清北道清原郡・青南台 청원 청남대
 ・・・1983年6月全斗煥大統領の時に建てられた広大な大統領専用の別荘。

第44位=慶尚北道栄州市・浮石寺 영주 부석사
 ・・・676年に創建された韓国10大名刹の中の1つとされる寺。無量寿殿(国宝)は韓国最古の木造建物の1つ。例の対馬の寺の仏像盗難事件関係で出てくる浮石寺はここではなく、忠清南道瑞山市にある浮石寺。

第45位=全羅南道莞島郡・甫吉島・洗然亭 완도 보길도 세연정
 ・・・甫吉島(ポギルド)は莞島(ワンド)から船で1時間余の島。洗然亭は、丙子胡乱(1636~37)で国王・仁祖が清に降伏したことを知った文臣で詩人の尹善道が済州島に向かう途中この地が気に入って留まることになり、そして造るに至った庭園。

第46位=全羅南道光陽市・蟾津江の梅林 광양 섬진강 매화
 ・・・光陽市内に<梅花(メファ)マウル>があり、毎年3月には梅花祭りが開かれています。光陽には、あのヨン様が自著「韓国の美をたどる旅」で紹介している青梅農園もあります。→関連過去記事

第47位=全羅南道潭陽郡・瀟灑園(ソセウォン) 담양 소쇄원
 ・・・16世紀朝鮮王朝の高官だった梁山甫(ヤン・サンボ)が恩師の死を契機に出世の道を自ら捨てて造った庭園。

第48位=江原道東海市・湫岩(チュアム)海水浴場 동해 추암해변
 ・・・正東津同様日の出の名所。湫岩燭台岩はその名の通り海から突き出たロウソクのような形の奇岩。

第49位=全羅南道高興郡・羅老島(ナロド) 고흥 나로도
 ・・・内羅老島と外羅老島の2島があるが、2つの橋で半島と陸続きになっている。ロケット羅老(ナロ)号打ち上げで注目された宇宙センターがあるのは外羅老島。海水浴場、奇岩絶景を鑑賞する遊覧船、釣り場等もあり、当然海の幸も豊富。

第50位=全羅南道宝城郡・宝城茶畑 보성 보성차밭
 ・・・韓国一の茶の生産地。そしてドラマ「夏の香り」のロケ地。

 この順位づけは一応参考程度に受けとめた方がよさそう。51~100位にも、定番の有名観光ポイントがいくつもあります。

 → 韓国観光公社選定<韓国100景>(2014年版)を全部紹介(下)第51~100位
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[韓国旅行]円~ウォン、両替する場所によって1食分トクする!

2013-10-17 13:35:11 | 韓国の街ネタ、観光ポイント、店・施設等
 9月の韓国旅行。ロッテ百貨店本店に買い物に行った時、仲間の1人の物識りS氏が明洞に両替に行くというのでついていきました。

 ロッテ百貨店東側に、両替所がありましたが・・・

       
            【レートは「107,000」と表示されています。】

 S氏、見向きもしないでスタスタ通り過ぎて行きます。

 明洞の路次に入ります。その入口にも両替所が・・・。

      
     【「$¥€元」の表示があるので一目で両替所とわかる。】

 しかし、ここもスルー。

 この先、道の左手は2010年から改築工事中の中国大使館。9月29日付「朝鮮日報」のコラム「萬物相」によると、工事は今年末を目標に最終段階に入っているそうです。(→コチラ。会員制。)
 その記事によると、清が公館として使用したこの場所の家には、事実上の朝鮮公使として赴任した袁世凱も1885年から10年にわたって滞在したとのことです。

      
     【中国大使館付近では、中国関係の建物が見受けられます。】

 少し先の右側に中国系の両替所が並んでいました。

      
        【テシン両替・トンア両替(左写真)と、大使館前換銭。(右写真)】

 レートは「108,500」。つまり、1万円を両替すると10万8500ウォンになります。(並んだ店は同レート。)
 結局、S氏はここで両替。大体ここがレートが良いので数年前から利用しているそうです。

 数日前金浦空港に着いた時に、空港内の新韓銀行で両替した時のレートは「104,000」でした。この明洞で両替した日も同じか、「103,000」だったと思います。

         
  【今年2月には「112,500」くらいだったのに・・・。街の両替所では「115,800」だったのか、とほほ。(悲) 】

 つまり、空港内の両替よりも1万円につき4千~5千ウォンもお得。数万円両替すると食事1回分以上浮くことになります。

 実は、<コネスト>に両替についての詳しい記事がありました。(→コチラ。)
 コネストでは、毎年日韓の各銀行や街の両替所、南大門市場の両替おばさんも含めて20数ヵ所で<1万円同時両替企画>というのを実施しているのですね。レートの良い順からランキングを公表しています。
 そのまとめとして、次のような「両替の公式」を提示しています。

 [レート悪] 日本の金融機関<ホテル<空港<デパート内<都市銀行<公認両替所 [レート良]

 なお、<コネスト>には観光スポットの両替所についての説明と詳しい地図の載った記事もあります(→コチラ。)

 私ヌルボ、これまで漫然と空港内で両替していましたが、きちんと数字を比べてみると、ロッテ百貨店から10分歩く労に十分値する違いがあるものですね。
 ヌルボ同様無頓着だった皆さんも、今後は所持金や回る場所を考えながら両替所をうまく利用するといいと思いますよ。
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つくば市まで原付で来て考えてみた韓国バイク・ツーリングのこと等

2013-10-11 23:52:11 | 韓国の街ネタ、観光ポイント、店・施設等
 所用のため、初めてつくば市に来ました。
 街でみかけた横断幕に「筑波研究学園都市50周年」とありました。筑波研究学園都市50周年の建設が閣議で了解されたのが1963年だったそうです。

 私ヌルボ、このような景観の街は初めてです。「シムシティの、初期の発展段階で停まったまま何十年も経ったような街」というような印象。
 ・・・と言ったら、筑波大学2期生の知人が笑っていました。ちなみに筑波大学の開学は1973年。ついこの前の10月1日に<筑波大学開学40+101周年>の式典が催されたそうです。101年というのは、1872年に師範学校して発足して東京教育大が終止符を打った1973年までの年数です。
 その約40年前の寮生生活を送っていた知人は、当時と比べて「樹がずいぶん太くなった」と語っていました。今でも夜10時には人口20万を超える都市にしてはずいぶん暗い感じの市街地ですが、ましてや1987年のつくば市成立よりずっと前の学生生活は「勉強」とか「恋愛」とか以外の選択肢はないということを雑誌等で読んだ記憶があります。ところが今でもそんな事情はさほど変わってもいないようです。(→参考。「恋人アリの33%は同棲」)

 ところで、韓国にはこのような計画都市があったかな?と考えてみると、大田広域市にある韓国科学技術院(KAIST)を中心とした一帯。大徳(テドク)研究団地はまさに筑波研究学園都市をモデルにつくられたということで、KAISTの他にも原子力研究所、電子通信研究院、生命工学研究院等、17の政府関連研究機関と国立忠南大学等のほか、LG等企業の研究所など100余の機関が2,777万㎡に集積し、約1万7千人の研究者が研究に従事しているということですが、私ヌルボはその近くを素通りして儒城温泉に行ったのでよくわかりません。

 さてと、個人的には「つくば市に初めて来た」ということよりも「ここまで横浜から50ccバイクで来た」ことが特筆すべきことかも。

 たまたま昨日は牛久の東日本入国管理センターに見学に行ってきたのです。1月の東京拘置所(小菅)、8月の東京入管(品川)に続き、法務省所管の施設の3度目の見学。その内容は省くとして、筑波大学での所用とセットで移動の便を考えると、バイクがよかろうと考えた次第です。
片道約100㎞、走行時間は正味4時間だったので、正直なところかなり疲れはしましたが、10年ほど前の「和歌山→横浜を2日で走行」のことを思えばそんなに驚き呆れられるほどのレベルでもないでしょう、ね。

 そういえば、と何につけても「韓国の場合は・・・」と考えるのが習い性となっているヌルボ、韓国では日本からのマイカーの持ち込みはOKだがバイクはだめだったな、と思いつつネット検索で確認してみると、アレレ、→<バイク(車)でフェリーに乗って韓国へ行くページ>というサイトに「2005年7月、日韓の規制緩和により日本のナンバーそのままで、お隣の国、韓国を走れるようになった」と書いてあるでないの! いやー、もう8年も前にそういうことになってたんですね。

 上記のサイト以外にも<いざ韓国へ バイクで気楽に楽しくツーリングしましょ(^^)><サラリーマン自由人のツーリング日誌><【の】BLOG><徒然なるままに>等を読むと、手続きの段階から韓国での自身のツーリングの記録、韓国のバイクや道路事情等々がいろいろ書かれていておもしろいのです。

 これらを読んで再確認したのは「やっぱり韓国でバイクには決して乗らないゾ!」ということです。その理由は今晩は疲れていて眠たいので略しますが、多少なりとも韓国の交通事情に通じている人ならわかると思います。詳しくは<徒然なるままに>あたりを読んでみて下さい。
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堤川駅前の石像のカップルは漫画のキャラクターかと思ったら、歌謡曲で有名な朴達でした

2013-07-10 23:50:06 | 韓国の街ネタ、観光ポイント、店・施設等
 7月6日の記事の続きです。一応。

 6月20日の店村→清州遠回り汽車の旅。堤川駅で約20分乗り換えの時間待ちの間に、ちょっと駅前に出てみました。

 やっぱり閑散とした駅前広場で目に触れたのが下の写真の石像。

          
    【どう見てもユーモラスな顔。(左) 往年の人気漫画コボンイ(&妹のコシリ)を連想しました。(右) 】

 像の台座には「박달이와 금봉이(パクタリとクムボンイ)」とあるだけで、ソモソモどういう2人なのかわからず。往年の人気漫画「コボンイとコシリ(꺼벙이와 꺼실이)」のようなギョロ目なので、これも漫画のキャラクターなのかなと、とりあえず写真だけ撮っておきました。

 ところが帰ってからちょっと調べてみたら、韓国のナツメロ歌謡「울고넘는 박달재(泣いて越える朴達嶺)」のモチーフとなった伝説の男女ではないですか。
 私ヌルボも周美(주현미.チュ・ヒョンミ)等の歌で知ってました。(参考過去記事は→コチラ。)
 しかし、歌は知っていても、その背景等は知りませんでした。
 およそ次のようなお話なのだそうです。

 科挙のために漢陽に向かっていたパクタルという青年が(現・堤川市の)平洞里で一晩泊まった時、その家の娘クムボンと出会って恋に落ちるのです。二人は再会を誓い、パクタルは再び漢陽へ・・・。しかし月日が経ってもパクタルからは何の便りもなく、クムボンは恋わずらいのため死んでいまいます。パクタルは彼女への募る想いで勉強に身が入らず科挙に落ちてしまい、平洞里に戻ってきたものの時すでに遅く、クムボンの死を知った彼は崖から身を投げてしまいます。
 ・・・うーむ、物語としては単純だなー。恋わずらいで死ぬ女性は昔はいたのかなー。
 ※クムボンの漢字表記は金鳳のようでもあるが、今鳳とか錦鳳もあって不明。

 地図で物語の舞台の朴達嶺(박달재)の位置を確認したところ、堤川駅からはずーっと離れた山奥です。
 
  【①が朴達峠。聞慶セジェ峠同様、山また山といった所です。】

 今朴達嶺[峠](海抜453m)はちょっとした観光ポイントになっているようで、(もっとマトモな?)2人の像や、この歌謡曲の歌詞碑などがあります。

 ※朴達재の「재」は聞慶セジェ(새재)の재と同じで、嶺or峠。アリラン峠の峠はコゲ(고개)ですが、どう違うのかなと思ったら→コチラには次のように書かれていました。

 朝鮮半島の背骨を形成する山脈「白頭大幹」の山脈上のくびれた峠は령(嶺.リョン)と呼ばれています。そして中級山岳などの峠で재(ジェ)と呼ばれることが多いようです。そして고개(コゲ)は里山などの低山などで呼ばれる峠の呼び名と思われます。

 この歌の歌詞とその訳(ヌルボ試訳)は次の通りです。

천둥산 박달재를 울고 넘는 우리 님아 
 天燈山朴達嶺を 泣いて越えるあなた
물항라 저고리가 궂은 비에 젖는구려
 柄のチョゴリが いとわしい雨に濡れています
왕거미 집을 짓는 고개마다 구비마다  ※구비の現在の表記は굽이です。
 蜘蛛の巣が張る 峠ごと谷ごと
울었소 소리쳤소 이 가슴이 터지도록
 泣きました 叫びました 胸が張り裂けるほど

부엉이 우는 산골 나를 두고 가는 님아
 フクロウが鳴く山里 私をおいて行くあなた
돌아올 기약이나 성황님께 빌고 가소
 帰るという約束も 神様に祈って行きます
도토리묵을 싸서 허리춤에 달아주며
 どんぐりムクを包んで 腰紐に下げてあげて
한사코 우는구나 박달재의 금봉이야
 必死の思いで泣いているのか 朴達峠の金鳳よ

박달재 하늘고개 울고 넘는 눈물고개
 朴達嶺は天の峠 泣いて越える涙の峠
돌뿌리 걷어차며 돌아서는 이별길아
 石の根を蹴って背を向ける 別れの道よ
도라지 꽃이 피는 고개마다 구비마다
 キキョウの花咲く 峠ごと谷ごと
금봉아 불러보면 산울림만 외롭구나
 金鳳よ 呼んではみても 山びこばかり ものさびし


 この歌は実に多くの歌手が歌っています。日本では大川栄策が「涙のパクダル峠」のタイトルで。

 オリジナルは朴載弘(박재홍.パク・ジェホン.1924~89)が1950年レコード録音。
 その原盤の音声は→コチラで聞くことができます。彼が世を去る前年(1988年)の動画は→コチラ

 YouTubeにupされているこの歌の中で、現地の映像を背景に、歌詞テロップ付きの次の動画を載せます。歌手は1985年33の若さで病死したキム・ジョンホです。

  

 時代を感じさせる歌ではありますが、哀調漂う佳曲です。

 韓国サイトの記事の中で、この歌の誕生秘話(?)を詳細に記した記事が見つかりました。→「泣いて越える朴達嶺 上編」「同 下編」です。

 その記事で、韓国人がこの歌を好きな理由としているのが"柄のチョゴリ""フクロウの鳴く山里""城隍様(土地の守り神)""どんぐりムク""鬼蜘蛛の巣"のような土俗的な香りをぷんぷんと漂う作詞家半夜月による歌詞の魅力。
 ・・・ふむふむ。
 この歌は1948年秋、南大門楽劇団の地方巡回公演中に誕生した。今はトンネルもでき、車でスイスイ行ける道があるが、当時はデコボコした未舗装の道路で、故障する車が多く、彼ら楽劇団を乗せたバスもパンクし立ち往生。運転手と助手が修理している間、仲間とバスから降りた半夜月は、偶然その近くで抱き合ってすすり泣く若いカップルの別れシーンを見る。夫の腰にどんぐりムクを包んであげて嗚咽する若い女性の姿を見てインスピレーションを感じ、朴達嶺で別れた後宿泊施設に一人残り、この切ない歌詞を書いた。
 ・・・ふむふむ。
 このように大衆歌謡の歌詞が伝説を作ったのは、「泣いて越える朴逹嶺」が初めてだ。
 ・・・えーっっ、ぬわんだって!?
 作詞の半夜月は、生前「この曲の歌詞を作った時、パクタルやクムボンの物語は知るはずもなかった。クムボンという女性の名前は李光洙の小説「その女の一生」の女主人公の名前がとてもかわいいので歌詞に書いた」"と歌にまつわる物語は事実ではないことを証言した
 ・・・アララ、伝説に基づいて歌が作られたんじゃなくて、この歌から伝説ができたのかー!

 てなわけで、1950年朝鮮戦争勃発の1ヵ月前にレコード発売してヒット。1968年には同じタイトルで映画化されました。
 2005年KBSテレビの番組「歌謡舞台」が放送20周年を迎えた際に「放送で最も多く歌われた歌」を調査集計したところ、この歌が1位だったそうです。
 そして今も韓国国民の愛唱歌の1つとして歌い継がれています。

 いやー、それにしても、そういうことだったのかー・・・。
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[韓国の旅館事情] 洗面台からの水でバスルームが水浸しになるよ~(泣)

2013-06-25 16:36:45 | 韓国の街ネタ、観光ポイント、店・施設等
 5月23日の記事で旅行家ハン・ビヤさんの本に載っていた韓国の旅館事情を紹介しました。
 1999年の記録なので、その後TVが大画面になる等の変化はありますが、今の韓国の安宿(モーテル、荘旅館レベル)でもほぼ同じようなことが言えるのでは、と私ヌルボも本を読みながら思いました。

 ハン・ビヤさんがなかなかシビアにいろいろと指摘していたその文中で、なぜか書かれていなかった問題点で、私ヌルボが気になっていることを、声を大にして言いたい・・・といってもここはブログなので、文字を大にして書きます。それは・・・
    洗面台の水が下からジャジャ漏れだっ!
ということ。

 どこのモーテルでもそうだというわけではありませんが、今回の旅で利用した4つのモーテルでは2つが問題あり、でしたね。

        

 これはソウル・江辺(カンビョン)のモーテルの洗面台です。この写真でははっきりわかりませんが、矢印の部分、つまり洗面台の排水管と床の隙間から水が漏れてくるのです。いや、流れ出てくるといった方がいいかも。洗面台の前に立っている人の足下は確実に水浸しになります。

 過去泊まったことのあるホテル等では、広めのバスルームの半分以上水浸しになたこともありました。ヌルボよりはるかに多く韓国を旅してきた同行の「酔人」H氏によれば「韓国はどこでもそうだよ」とのことです。

 次の写真は清州のモーテルのもの。

        

 コチラの漏れ具合はさほどでもありませんでした。
 ・・・と下を見ると、次のような工夫(?)が施されていました。

        

 洗面台からの水を排水管に繋げて流すのではなくて、排水口に真上から落とし込むんですねー。
 うーむ、なんで直接きちんと繋がないのかなー?
 この方式でも水をイッキに出すと床面に少し溢れ出すんだけどなー。これもフツーだとみんなが思っていたら改善しようという考えも出てこないのかなー?
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[韓国語] 「モクシドンナ」という店の名前はどういう意味?

2013-06-24 20:31:42 | 韓国の街ネタ、観光ポイント、店・施設等
 韓国に行く旅に痛感するのが聞き取り能力の未熟なこと。今回も、清州国立博物館で本館、ホール(特別展)と見学した後、館員さんがわれわれに「キジュンシレ カセヨ」というようなことを言うのですが、その意味がすぐにはわかりませんでした。
 「基準(기준.キジュン)」では意味不明だし、「規定(규정.キュジョン)」でもないし・・・。しかたなくノートを出して書いてもらったら기증실(キジュンシル)」。なんだ「寄贈室」かと、やっとわかった次第。つまり、寄贈された文化財等を展示している第3館のこと。うーむ、何年経ってもnとngの区別が聞いてすぐわからないまま、ってことです。

 聞き取りに比べると文字を読む方はまだマシ・・・とは言っても、街を歩いていて「これは何だ?」と首をひねることはこれまた何度もあります。

 今回の旅行で最後に泊まった所はソウルの新村。前に1度だけ延世大をちょっとのぞいてみたのが最初の韓国旅行の時、つまり1992年だったから、おっ、21年も昔じゃあないですか!?
 やっぱり学生の街たけあって、道行く人たちの平均年齢は相当に若く、私ヌルボ、浦島太郎みたいな気分。帰ってみればこはいかに(恐い蟹)です。

 そこの現代百貨店の脇にあったのが下の画像の店。入ったわけではないのですが、看板の4文字を見て意味がわからなかったというか、それとともに韓国語としてフシギな文字列なので目にとまったのです。

       

 먹쉬돈나。「シドンナ」です。最初の먹は「먹다(モタ.食べる)」の먹だから、・・・とは考えてみたのですが、そのまま続けて考えなかったのがダメでしたね。
 われわれオジサン4人組の知り合いの韓国人女性Nさんに尋ねると、「食べて休んで金を出して出ていけ、という意味です」とのこと。
 つまり내가 가!」。知ってみればな~んだ、です。

 帰ってからちょっとネット検索してみると、一昨年頃から人気のトッポッキのチェーン店だそうで、ソウルナビ等でも紹介されています。

 ところが、韓国サイトを見ると、韓国の人でも「どういう意味ですか?」と質問をしている人もいるんですね。
 で、上記の「먹고 쉬고 돈내가 나가!」という回答が寄せられているのですが、中には「먹고 쉬지말고 돈내고 나가!」つまり「食べて休まないで金を出して出ていけ!」というのもあったりして・・・。この店のサイトを見ても、店名の説明はありませんでた。

 ついでにメニューを見てみると、一番人気というチーズの他に海鮮、プルゴギ等5種類のトッポッキに、ギョーザ・ゆでたまご・おでん・春雨・天ぷら等々11種類ものトッピングがあるみたいです。行って食べてみた人のブログ記事(→コチラや、→コチラ)では「美味しい〜!」とすこぶる好評。
 しかし、元々あれこれ混ぜて食べるのが苦手なヌルボとしては、写真を見ても食欲をそそられるどころか、一昨年→コチラの記事で書いた済州島の(恐怖の)モダクチギを思い出してしまいました。
 
 韓国語といい韓国料理といい、ヌルボにとってなかなか超えられない壁が立ちはだかっています。
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オジサン4人組の無計画・結果オーライ韓国旅行の総括と反省 ~聞慶(ムンギョン)・清州(チョンジュ)編~

2013-06-23 23:27:50 | 韓国の街ネタ、観光ポイント、店・施設等
 6月17日(月)~22日(土)、私ヌルボにとっては、昨年12月以来ちょうど半年ぶりの韓国旅行でした。
 しかし、今回の旅は前回とは全然、まるっきり違う旅。中身の濃ゆ~い旅という点だけは同じでしたが・・・。
 
 何が違うかというと、前回は1人旅でしたが、今回は4人連れ。
 4人という利点は、何と言っても宿代だのタクシー代だのが安く済むこと。
 現地の宿泊は、全然予約なしで着いてから安モーテルで広いオンドルパン1部屋で5~6万ウォンだから、1人1泊あたり千円ちょっと。5泊でも5千ナンボ。タクシーもちょうど1台に乗れるので、アタマ割りにすれば元々低料金の韓国では好都合。
 ・・・ということで、現地で(つまり飛行機代以外)いくらくらいお金を使ったというと、約3万円てとこでしょうか。
 内訳を大雑把に計算すると、宿泊代5千円、食堂での食事代(8回分)8千円、交通費(バス・鉄道・タクシー)5千円、T-moneyカード充電2千円、雑費(温泉・レールバイク・入館料・みやげ等)4千円、酒&つまみ等6千円。
 ※航空券も、燃油サーチャージ等々ひっくるめて1人約2万8千円でした。つまり、5泊6日の旅行費用総額が約6万円だったということになります。

 われわれの旅の特徴は、ほとんど予定を立てないこと。私ヌルボの場合は、それでも「○○方面に行こうかな」という程度は決めて行くのですが、他の皆さんはもっとテキトー。以前私ヌルボが行かなかった時ですが、金浦だか仁川だかについてから「済州島に行こう!」ということになって即国内線で行ったということがありました。その話を聞いた私ヌルボ、率直に言って呆れました。(とは言っても、今は売っていない時刻表を持っていく等々、何の準備もないというわけではないのです。)
 そのような「ゼロからの選択」という事態を避けるため、本来は控えめな私ヌルボですが、今回は聞慶(ムンギョン)に行くことを提案しました。ちょい前の記事で紹介したドキュメンタリー映画「李藝 最初の通信使」を観たりハン・ビヤさんの本で読んだりして気になっていたからです。幸い聞慶は誰も行ったことがない所なので、とくに反対もなく行くことになりました。
 ただ、聞慶についた日は雨がザーザー降っていて、「この時期に行こうと言ったTヒョンの責任だ」とか、なぜか「ヌルボが悪い!」となじりあったりもしたり、今回は仕事等で来られなかったサークル仲間がうれしげに笑う顔が思い浮かんだりもしましたが、その日はモーテルで酒を飲みなから市川雷蔵や勝新の話等で盛り上がった後は聞慶温泉に入るだけにして、あとはやっぱり酒を飲んで就寝。そしたら翌日はうってかわって好い天気! その後も暑いながらも雨にはたたられず、やっぱり日頃の行いだなということで収まりがつきました。(??)

 聞慶の次の行く先については、個人的にはそこから近い水安堡(スアンボ)温泉とか忠州方面を考えて、事前に多少調べてはいたのです。ところが、ヌルボの場合、韓国旅行の回数はたぶんまだ30回にはとどいていないのに対して、他の3人はその倍以上の場数を踏んで韓国の全土を行き来してきている人たちばかり。レジャーセンターみたいだったという水安堡温泉とか、忠州のスンデ通りとかの話を3人から聞いて、ヌルボは次の目的地選定会議から下りました。「どこでもいいよ」とTヒョンは仰ってましたが、遠くには行けないし、近くはよく知らないし・・・。
 会議は結局たまたま皆さんが行ってないという清州への鉄道の旅ということでなぜかまとまりました。(よく決まったものです。)
 ただ、そういう経緯で訪れた清州の街中を翌々日歩いていて、偶然われわれの目の前に現れた龍頭寺址鉄幢竿(国宝第41号)を見たYハラボジ、突然「あっ、ここは前に来たことがある!」と叫んでましたけどねー。(大笑)

 さて、先に「濃ゆ~い」旅だったと書きましたが、何が「濃ゆ~い」かというと、まず第1にアルコール漬けという点。
 前回は、私ヌルボが3泊4日の旅で飲んだ酒といえば、帰りのアシアナの機内で飲んだ缶ビール1杯だけ。
 とこが今回はその正反対でした。つまり、飲まなかったのは帰りのアシアナの機内だけですからねー(笑)。他の3人は当然のごとく機内サービスでウィスキーを飲んでましたけど・・・。

 ヌルボ以外の顔ぶれをみると、「お酒の好きな」Tヒョン(兄)は文字通りの酒好きだし、ハラボジY氏(といってもカツカツ戦後生まれ)は見かけによらない酒豪で、ともに米はご飯でなく酒でもって摂取するのを常態としている人たちだし、もう1人の粋人H氏も実のところは粋人というより酔人の用字が妥当では、という御仁だからなー・・・。
 ということで、いつもは誘われたらおおよそは拒まないヌルボも、今回は「マイペースで飲むからねっ!」と事前にTヒョンに宣言していたのですが、それでも他の3人の6~7割くらいの分量は飲んだかもしれません。(これはすごいことなんですよ!)
 基本的に、まず朝起きたら飲む、食事時(日に2~3回)は飲む、列車内で飲む、宿を決めて部屋に入ったらまず飲む、夜は寝るまで飲む、ということですから、6日間で24回前後はコンベー(乾杯)やりました。酒は主にマッコリ。そしてビール、ウィスキー、焼酎。
 とくに今回はマッコリを11種類(たぶん)飲み、その成分をイチイチ見てみたりしたので、その点結果的にはちょっとベンキョーになりました。(おって記事にします。)

 「濃ゆ~い」2つ目は、韓国の人の情を感じた点です。具体的には店のアジュマ(おばさん)ですけどね。聞慶温泉すぐ近くのエイスモーテルの若くて元気なアジュマは、帰り際フロントにいなかったのでそこの子供に言って先に出たわれわれを走って追いかけてきて、「ちょっと待って」と言って車を回してきてバスターミナルまで送ってくれたし、その近くの高麗サムゲタンのアジュマは一家で日光や東京等に行った時の写真集を出してきて見せてくれたし(國神社に行って、(韓国人の?)特攻隊兵士の遺書のコピー(?)を持っている!)、清州の古印刷博物館では本業は銀行勤めというボランティアのガイドのアジュマがそれはもう熱心に説明してくれたし・・・。あ、鄭銀淑「マッコルリの旅」に載ってる清州の「ナムドゥルカルビ(남들가비)」のアジュマも忘れがたいなー。その本を見せたらとても喜んで、유미(YOOMI)というトゥロット(演歌)歌手でもある彼女自身のCD(→コチラ)を皆にくれたりなんかして・・・。(笑)

 「濃ゆ~い」3つ目は、聞慶セジェの古道を第2関門まで歩いたり、すぐ上で書いたように清州で古印刷博物館や国立博物館に行って韓国の歴史文化についてベンキョーしたこと。・・・と最後にちょいと書いても、なんだか言いわけっぽいですよね、はい。
 いや、まあそんなちゃんとしたベンキョーでなくても、いろいろ見たり聞いたり拙くても話したりしただけでもベンキョーですから、・・・ってやっぱり言いわけっぽいですね。(汗笑)
 あ、タイトルで「総括と反省」と書きましたが、「反省」を全然書いてないことに今気がついたゾ。うーん、ここは「反省をしないのが反省点」としておこう。いつものことですけどね。

 なんのかの言いながらも、またここにあれやこれや書きながらも、楽しい旅を共にした3人の先輩方にはどーもアリガトー!です。また行きましょうねー。次は懸案の黒山島あたりですかねー・・・。

 さてと、案の定ブログ記事のネタもいろいろ仕入れてきたので、これから2週間かそれ以上かけてちょこちょこと書いていくことにします。
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