ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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雑談・韓国旅行(2019年2~3月) [その2]弘大(ホンデ)の和食店、トゥムルモリ等々のこと

2019-08-18 16:46:14 | 韓国旅行の記録
 → 雑談・韓国旅行(2019年2~3月) [その1]「パイノパイノパイ」のことなど

 翌日2日はF氏と弘大(ホンデ)前で待ち合わせて昼飯を食べに行きましたよ。弘大一帯は若者の街で、観光客も多い所で・・・。
 F氏が「あれ、わかります?」と指さす方を見るとあるビルの前のウサギのオブジェ、じゃなくて、その後ろのビルの壁面に描かれた動物(?)の絵。あの防弾少年団のメンバー個々のキャラなんですと。わかるわけないよね。この近くで経営に携わってた会社の社員に教わったんですと。「まあ知らなくたっていいんですけど」とF氏、そりゃそうかもしれん、ウチらオジサンには苦手なジャンル。

 この弘大近辺どは近頃ずいぶん日式(イルシク)チプつまり日本料理店が目につくようになってるんですよ。韓国でラーメンといえばふつうインスタントラーメンのことなんだけど、日本風の本格的なラーメン店も何軒かできて行列ができる店もあるし、丸亀製麺のような日本のチェーン店も進出してるし・・・。
 そしてボクら2人が行ったのは博田中という定食がメインの店で、前から知ってて気にはなってたんだけど、入るのは初めて。これで「はかたなか」と読ませるのはちょっとムリっぽい感じだけど、店長さんが福岡の定食店の中田中(なかたなか)のオーナーの田中さんに日本料理を学んだり、博田中のオープンの際もいろいろ協力してもらったから、というイキサツがあったからなんだって。
 開店時刻は11時30分で、ウチらが入ったのは35分。そしたら、席がもうほとんど埋まってるでないの! あと数分遅かったら行列に並ぶとこだったね。0
 で、メニューの写真を見ると、安い方からスタミナ定食(生卵と野菜サラダね)1万800ウォン、チキン南蛮定食と唐揚げ定食が1万2000ウォン、味噌ナス定食1万3500ウォン・・・と続いて、一番高いのがMr.田中定食(サバ焼・唐揚げ・豚汁等)で1万6800ウォン。けっこう「いいお値段」でしょ? ウーム・・・と熟考して決めたのが味噌ナス定食ね。あ、日本円で約1,350円ですよ。
   
【味噌ナス定食。[左] 見渡せば日本人はウチら2人だけ![右] 】
 ちょっと経って運ばれてきた料理を見たら、思ってた通り分量は多めで・・・。韓国人が大食というより、日本人の胃袋が世界標準より小さいんだと思うよ。
 ところで、店内には30人くらい客がいたかな。食べ始めて、周りをざーっと見渡して、すぐ気がついたんですよ。
 「ねー、日本人はウチら2人だけだよ!」
 さあ、ここで質問です。
 なんで「日本人は自分たちだけだ!」と気がついたのでしょう?

 え、スッカラ(スプーン)を使ってるから? ブー。でも当たらずと言えども遠からず。箸とスプーンは最初から付いてます。木製というところが和食の店らしいところかもね。たしかに韓国人はスプーンをよく使うけど箸も使うんで、「一目でわかる」とはいかないでしょ。スプーンについては「昔日本人には箸しか教えてやらなかった」という俗説?があったり、また以前見た韓国人のブログだと、日本旅行の時、味噌汁を見て「スプーン下さい」と当然のように頼んだら、店員さんも一緒に行った日本人も戸惑って、結局出されたのは小さなティースプーンで、「大きな食堂なのになぜろくなスプーン1つないのよ!」とアタマに来たという記事も憶えてますよ。これだけとっても文化的ギャップの大きさがうかがわれる・・・、って、そうそう、正解ね。
 それは「お茶碗を置いたままご飯を食べる」ということ。手に持って食べてるのはウチら2人だけ。これはほぼ一目でわかりますよね。で、他の客は今言ったように基本的にスプーンを使って、お箸は味噌汁の具とか小皿の漬物なんかをたまにつまむ時くらい。
 こういった食事作法の違いは、3年くらい前に読んだ「絵本 世界の食事」という子供向きのシリーズにいろいろ書いてありましたよ。
 それによると箸を日常的に使っているのは中国・台湾・朝鮮半島・日本・ベトナム。つまり漢字文化圏=東アジア世界。そういえば、学生時代にベトナムは他の東南味と違って東アジア世界なのだと教わったなー。そしてこの中で箸だけを使って食べるのは、ベトナムと日本だけなんですと。またベトナムでは、日本と同じように汁物も器を持ち上げて直接口をつけて飲むんですと。
 またまた話がそれるけど、旧正月も韓国の場合は中国と同じだけど、日本とベトナムは自国の地理上の位置に合った暦に基づいててるので、年によっては中国とは1日ずれることがあるそうですよ。韓国は李氏朝鮮時代も中国の元号をそのまま使ってたし、やっぱり中国の政治的文化的影響というか束縛はちょっとやそっとで抜け出せないよねー・・・。

 あっ、話がどんどん授業みたいになってきちゃったか。ミアネヨ~。
 この日は「仕事があるんで」というF氏と別れて、前にも行ったことがある想像(サンサン)マダンというミニシアターに行って「カペナウム」という映画を観たりして。今「存在のない子供たち」という邦題で上映されてるよね。レバノン映画で言葉はアラビア語。韓国語字幕に集中するしかなくて、ほとんど語学の試験。ははは(^^;) 疲れちゃってそのまま安ホテルに帰りましたよ。

 3日は朝からF氏と目的その2のトゥムルモリをめざします! 中央線に乗って両水(ヤンス)まで、清涼里からだと1時間くらいかな?

 歩いた時間も距離も長いし、話しても長いけど、一言で言えば、なるほど風光明媚なところでした。はい。
 そこにナルト(나루터)の碑という石碑があったんだけど、船着場という意味なんだね。もしかしたら、鳴門と関係ありそうじゃない?
   
【トウムルモリの景観[左]とナルトの碑[右] 】


 このトゥムルモリは日本のガイドブックにはほとんど載ってないけど、韓国ではフツーに知られた行楽地ね。しかーし。最初に言った夢陽(モンヤン)紀念館はあまり知られてなさそう。この前たまたま会った韓国の高校生と話したら知らなかったね。夢陽呂運亨(ヨ・ウニョン)のことは知ってたけど。
 両水駅の1つ先(東)の新院(シヌォン)駅から15分くらい(?)上り坂を歩いた所にあるんですよ。
 中にはいると夢陽先生がいらっしゃったので、ちょっと教えを乞うたりしてきましたがな。
 ここは観光ポイントといったところじゃないから人はマバラ。まじめそうな学生さんが資料を熱心に見てましたね。
 暗殺された時の血のついた着衣とか、デスマスクなんてちょっとおぞましいものも展示されたりしてて・・・。
   

 紀念館の屋上には生家があって、夢陽先生がヒゲを剃っていらっしゃいました・・・。
   
 それから、Y氏が「庭に拷問道具(!)が・・・」などと言うので確認しに行ったら、なあんだ臼じゃないの。足で踏むやつ。唐臼(からうす)とか踏み臼っていうんですよ。
 なんでトゥムルモリとか夢陽紀念館とか日本じゃそんなに知られていないところを知ってるかっていうと、モトはジュニア向けの本なんですよ。1つ目は「茶山(タサン)の父に」といって、実学派の丁若鏞(チョン・ヤギョン)が正祖の死後全羅南道の康津(カンジン)に流されちゃうんだけど、彼の次男がそこを訪ねる話。2つ目は「夢陽呂運亨物語」という本で、現代の少年が公園で遊んでて、偶然タイムスリップした先が呂運亨の少年時代の村で、彼の家に寄宿してその成長をたどるという構成なんだけど、一番知りたい光復前後から殺されちゃうまでのことは全然書いてなくて期待外れ。これから佳境に入る前に現代に戻っちゃうなんてねー・・・。でも彼の出身地とかその他にも初めて知ったことも多くて、読んでよかったけどね。
     

 アラ、あと2日分あるのか・・・。
 いろいろおしゃべりしてるうちにずいぶん時間が経っちゃったねー。残りは東大門デザインプラザでキース・ヘリング展を見たとか、CGVピカデリー1958で「抗拒 柳寛順物語」を観たとか、チョコチョコとあるけど、それは全部はしょっちゃいましょ。
 ところで、韓国から帰ったらちょっとノドの具合が悪くなって、考えてみたら例のミセモンジですよ、きっと。帰ってきた日の5日朝はTVで「ミセモンジ非常措置発令5日目です」なんてニュース流してたんで、ホテルの窓から外を見たらたしかに!

 いやー、韓国の話、ホントにネタが尽きないよねー。年内にまた2回は行ってきたいな。「こんな時期」だからとくに、ね。
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雑談・韓国旅行(2019年2~3月) [その1]「パイノパイノパイ」のことなど

2019-08-18 16:21:17 | 韓国旅行の記録
 行きましたよ。行って来ましたがな、ソウル! と言ってもごく最近じゃなくて、2月から3月にかけてのことだから鮮度は落ちるけどね。
 そう、例の三一運動百周年の記念式典に合わせてですよ。韓国旅行は通算33回目、かな? 今回はほとんどソウルだけ。それでも初めて行った所がいくつもあって、ずいぶん収穫がありましたよ。なんせ7泊8日の旅だから話のネタはいっぱい。いや、ありすぎだね。
 目的その1は記念式典で、その2は南漢江(ハンガン)と北漢江の合流点のトゥムルモリという景勝地と、その近くの夢陽(モンヤン)紀念館探訪。夢陽というのは独立運動家の呂運亨(ヨ・ウニョン)の号ね。戦後は南北の統一政府をめざしたんだけど、大韓民国が成立した1948年の1年前に右翼のテロ集団に殺されちゃった人。その3は朴正熙が殺された場所に行く。たいていの韓国人も知らないんですよ。景福宮の裏手の方というか青瓦台の近くの安家(アンガ)つまり隠れ家っぽい建物がその現場だけど、それは事件後すぐ壊されて、今は「ムグンファ トンサン」つまり「ムクゲの園」っていう公園になってるのよ。だけど石碑も何もなくて・・・。何か事情があるんだろうね。記念式典の前日市庁前からタクシーで行ったんだけど、韓国語で行く先言ったらすごく喜んでくれて、「政治家たちはいろいろ言い合ってるけどウチら庶民は庶民同士仲良くしなくちゃねー」とか言ってたなー。だけどすぐ日本人の韓国語ってすぐわかっちゃうってのはまだまだ発音が未熟ってことだよねー。それで得することもあるっちゃあるけど・・・。
    
【ムグンファ トンサン】

 2月26日に韓国に着いて何日か後で知ったんだけど、2月28日に「外務省が3月1日を前に、韓国への日本人渡航者に注意を喚起するスポット情報を出した」という日本のニュースがあったんだね。直前に出してもしょうがないのに、トンチンカン。それに過去20年間、韓国で身の危険を感じるどころか議論をふっかけられたことも全然なかったですよ。なんでこんな警告(?)を出したかというと、政治家連中の思惑もあるだろうけど、外務省の担当部署のアリバイ作りというのが一番本当っぽいね。万一何かあった時の言い逃れに備えて・・・。この件について法政の山口二郎センセイはハンギョレへの寄稿で「韓国に対する恐怖心をあおる政治的な宣伝だ」というような主張をしてたけど、これは読み筋というか、ちゃんとご自身の使命だか役回りだかに沿ったご発言だよね。だけどフツーの議員レベルの「韓国はキケン!」というのは支持者とかお仲間の間の<結集効果>ってやつじゃないかねー。

 「韓国に来たんだなあ・・・」と着いてすぐ実感したのは地下鉄車内のディスプレイ。<独島>つまり竹島の画像なんだけど、島の姿だけじゃなくて、昔の写真とか歴史の資料までいくつもあるのよ。一体誰が興味を持って見るのかねー、・・・って自分か。まあ韓国人には常識なんだろうから主に外国人向けなんだろうね。いずれにしても、宣伝とか教育の面では日本は完全に負けてるよね。韓国じゃ「独島は韓国の領土イムニダ!」って教え込んでるのに、日本じゃ「国家の3要素はナンタラで、近代国家の成立以前は領土だとか国境なんてものはイーカゲンで・・・」なんてやってるわけだから、・・・って自分の教員時代の話ね。おっと。

 翌日はDMCつまりデジタルメディアシティに行って無謀にも韓国映画を観て・・・。うーん、その件については語りたくないな。トホホですよ。
 アレレと思ったのは腹が減ったのでバーガーキングに入ったら、でかいタッチパネルで注文するようになってるのよ。それだけならまだいいのに、決済がカードだけのようであせっちゃって・・・。店員さんに訊いたら現金でOKで助かったんだけど。どうもケッタッキーとか他のチェーン店でもシネコンのチケット購入でもそれがフツーになってるみたいだね。

 あ、そうそう、この日は書店に行って目当ての本も買ってきましたよ。「抗日音楽 330曲集」という分厚い本。いや、1月にソウル市の教育庁が市内の小・中・高全校に配布したという記事を読んでおもしろそうかなと思って・・・。ところがお値段がぬわんと7万5千ウォン! 約7千5百円もするんですよ。昼飯10回分だよっっ! オタクもいいところだよね、ハハハ。有名な(?)東学党の乱の時の「♪セヤセヤ(鳥よ鳥よ) パランセヤ~」とかの19世紀後期から光復(1945年8月の終戦)までの抗日の歌を楽譜付きで収めてるんだけど、たとえばこれ知ってます? ♪ミーレドレミソソソ・・・って、そう、♪ラーメチャンタラギッチョンチョンノ・・・。この「パイノパイノパイ」のメロディが「独立軍歌」に使われてるワケですよ。あ、式典の場でも演奏されてたんじゃないかな?
 だから日本人なら奇異な感じというか、この曲をバックにムンムンが登場したりしたら笑っちゃうよね。だけど元はアメリカの南北戦争当時のジョージアの軍歌らしいですよ。それ以外の歌でも、愛国歌のメロディーに日本でもおなじみの「もみの木」とか「アニーローリー」なんかも使われたりしてて・・・。独立軍の歴史もさることながら、西洋音楽の伝播とか音楽史の資料になるんじゃないの? どこかの専門家が研究してるかもねー。
 3日目の28日は市街地を散策したり、中央博物館に行ったり・・・。二村駅の反対側までずっと歩いて漢江の岸まで行ったら、案の定大きなオブジェがありましたよ。

 さて翌日の三一運動式典なんだけど、なんせ人がいっぱいで、大きなスクリーンで見るのがやっとだったですよ。ムンムン大統領の演説とかも後で詳しく知ればツッコミどころいっぱい。そこらへんを語るとコーフンしてきちゃいそーなので(笑)全部すっ飛ばすね。

 そのあと、なんとなくソウル広場に行ったら「100年大合唱」という催しをやってて、例の「ラメチャン・・・」じゃなくて「独立軍歌」を演奏してましたよ。配られてた曲集をチャッカリいただいたら、楽譜が載ってましたね。
 演奏してる子供たちを見るとみんな、って管楽器以外だけどマスクしてるの。ミセモンジ(미세 먼지.微細ホコリ)が連日ひどかったからねー。
   
【遠くの景色がかすんで見える。[左] 「独立軍歌」の冒頭部分。[右] 】

 この日は旅行前から打ち合わせてあった知り合いのF氏とタプコル公園で落ち合って、「行ったことがない」というから日本大使館前の慰安婦像の前を通って、また光化門広場方面に行って世宗大通りを南下すると、デモ隊の人の数がすごいの! いや、進歩系>じゃなくて右派の方。それも議会内最右派の自由韓国党よりもっと右の、大韓愛国党っていうんだけどね。あ、最近ウリ共和党に変わったか。保守の地盤の釜山とか慶尚道(キョンサンド)方面から大挙して団体バスでやってきて「文在寅退陣!」とか気勢上げてるのよ。横断幕を見ると「文人(문인)を処刑しろ!」なんてのもあったりね。スペルは違うけど発音は似てるからねー。バスの横には党首と朴槿恵が握手してる絵が描かれてるし、まあこんなに反文在寅の側も盛り上がってる(?)とは思わなかったですよ。ほとんど日韓の新聞でも報じられてないじゃないですか。
   
【威圧感がある(?)反文在寅デモ。[左] 「私たちはきっと再び会えるでしょう」[右] 】

 一方ソウル市庁舎には「ソウルとピョンヤンが手に手を取って」と書かれた大きな垂れ幕が懸ってるのよ。「2032年南北平和オリンピック誘致のための開催候補都市としてソウル選定!」というわけで、絵をよく見るとトーチの光ってる部分が朝鮮半島のカタチになってたりしてるのよ。
 それにしても進歩系の朴元淳(パク・ウォンスン)市長も大統領共々北朝鮮への思いはハンパないよね。片思いってことに気づいてないのかなあ? それとも「10回オノをふるって倒れない木はない」という一途な信念なのかな?

 → 雑談・韓国旅行(2019年2~3月) [その2]弘大(ホンデ)の和食店、トゥムルモリ等々のこと
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2018年11月13~16日 ソウル旅行の記録 S氏の日記と、ヌルボの写真&補足 [その3]独立門・モレネ市場・延世大など

2019-08-02 23:49:58 | 韓国旅行の記録
 → 2018年11月13~16日 ソウル旅行の記録 S氏の日記と、ヌルボの写真&補足 [その1]トドク焼きを初めて食べる
 → 2018年11月13~16日 ソウル旅行の記録 S氏の日記と、ヌルボの写真&補足 [その2]池錫永家址・校洞小学校・雲峴宮など

 以下、紺色の部分が元のS氏の日記部分、黒字の部分が私ヌルボの補足等です。

◎11月14日(水)・後半

 地下鉄に乗り西大門で降り独立門を見学。時刻は12時頃、ヌルボさんはゆったりと観光モードに入っている。そして近くにある旧刑務所に足を運ぶ。時刻は12時半。ヌルボさんはここを見学しようと言い出した。どうもおかしいと思い、「1時に新村駅で友人と待ち合わせですよ」と伝えると、時間を間違えていたようだ。ここから新村までは距離的に遠くはないが1時に待ち合わせとなると余裕はない。バスなら便利と思い目の前の大通りに面するバス停に行って見たが路線が違う。独立門にあるバス停に向かい、待ってる人に「新村行きはありますか?」と聞いたところ延世大学に行くバスはあるとのこと。延世大学から新村までは目と鼻の先だ。うまい具合にバスが来た。さあ乗ろうとしたところで何とドアが閉まってしまった。あっ、と思ったらバスは走りだしてしまった。地下鉄で行くとしても乗換えを考えると1時到着は不可能だ。後はタクシーしかない。こうなるとなか捕まらない。実車のタクシーが無情に通り過ぎて行く。やっとのことでヌルボさんが捕まえ乗り込むことができた。
 あと十数分しかない。少し混雑に巻き込まれやきもきしていると駅前がみえた。残りあと2、3分。残り1分でタクシーを降り地下道に入り約束の8番出口に辿りついたらSさんの顔が見えた。時計はジャスト1時。
 ここから3人でタクシーでモレネ市場へ向かう。所要時間は12、3分程だろうか。
 モレネ市場はかなりレトロな雰囲気が漂い、狭い通路に露天が密集している。果物、野菜、肉、魚介類、乾物、雑貨類。最近は日本人観光客も増えている。
 この通路を3、40メートルくらい歩くと目指す焼肉屋がある。この店は精肉店が経営する店で鮮度は良く安い。日本の和牛に相当する韓牛とビールを頼む。アメリカ牛もあるが味は格段に韓牛が勝る。この店は肉を注文する以外に店員は来ない。客は私ら3人のみ。飲み物やおかずの類は店の冷蔵庫から勝手に取り出すセルフ方式。分厚いステーキ肉を焼き挟みで切り分け野菜と共に頬張る。
 贅沢な昼餐を堪能。と、そこへ日本語を話す中年女性3人組が入ってきた。「この店をよくご存知でしたね」と声をかけるとそのうちの一人はソウル在住で、もう一人は観光ガイドさん、まあ詳しいわけがわかった。この人たちの話によると、この市場は来年開発計画があり、この店も立ち退いてしまうらしい、なんとも残念だ。このお三方は結構飲んで食べてそそと帰って行った。
 お腹を満たした後、タクシーを拾い近くの望遠(マンウォン)市場を見物に行く。この市場は地下鉄6号線望遠駅近くにあり、アーケードが整備されていることで地元では人気があるらしい。とは言えアーケードの長さは200メートル位だろうか、そんなに長くはない。生鮮食料や惣菜店が多い。ソウルの商店街と言うと必ずと行っていいほど飲食店が混在しているがそれがない。なんとなく大阪の下町の商店街の風情が漂っている。
 トイレタイムを兼ね喫茶店でひと休み。そのあとタクシーで新村方面へ。Sさんを宿の側で降ろしたあと、ヌルボさんと見学予定に入っていた延世大学に向かう。着いた頃は陽がすっかり落ちていた。ヌルボさんのここでの目当ては1987年、民主化を求める学生の抗議行動に対し当局が打ち込んだ催涙弾の直撃を受けて死亡した今や英雄となっている当時学生のイ・ハニョルの記念碑を訪ねることともう一つこれも韓国民が愛するユン・ドンジュの詩碑を訪ねることだ。ドンジュは日本に留学していて日本にもファンが多い。治安維持法違反で逮捕され福岡で若くして獄死した人物だ。ここまで訪ね歩く外国人は余りいないと思われるがここがヌルボさんのオタクと言われる由縁だ。
 まず最初に、正門前にあるハニョルが催涙弾により倒れた場所に埋め込まれたプレートを見つけること。事前にヌルボさんはネットにより大体の場所は調べてはいたが、暗闇迫る中即座に発見。長年の恋人に巡りあったように感激し、プレートの写真を撮りまくる。
 校内に入ると実に規模の大きく立派な建物が点在している。日本人の留学生も多いことで有名だ。この時間学生の数はまだ大勢いる。正門に向かう学生たちと逆方句に進む。
 と、まるでこの学校を知り尽くしているかのようにヌルボさんがハニョルの記念碑を見つける。ここでも暗闇の中感激にひたり写真撮影。最後はドンジュの詩碑だ。数分ほど歩き発見。街路灯のお陰で何とか刻字は読み取れた。これでヌルボさんは訪韓の大きな目的を果たしたことになる。こちらもそれなりに勉強になる。書物くらいでしか知らないことが目の前に現れると、歴史が身近に感じるものだ。
 大学を後にして私は人と会うためヌルボさんと別行動をとる。ヌルボさんは古本屋へ。
 私は地下鉄でひと駅隣の弘大駅へ向かう。
 相手は短期留学したときお世話になったリジンさん。今でもバイトと学業で忙しそうだ。ソウルに着いたときカカオトークで連絡していたら今日なら時間が取れるとのことだった。7時に落ち合いリジンさんの知っているという焼肉屋さんへ行く。昼も焼肉だったがここでも同じ肉を食べることになった。少し閉口したがここの肉も見た目は綺麗でなかなか美味い。店の名前は忘れたが人気はあるようで店内は混みあっていてやっと入れた。
 リジンさんの専攻は視覚デザインで課題は多いらしい。作品集を見せてもらったがなかなかの出来栄え、成績もいいらしい。
 彼女と食事をするといつも支払いするのは彼女だ。こちらも何とか払おうとするが絶対に受け取らない。なぜかと聞くとお客さんだからという。韓国は年上の人が払うのが文化であなたのお父さんより年上の私がご馳走になるのはおかしい、と何度も説得を試みたが聞く耳を持たない。以前も彼女がトイレに立った隙に支払いを済ませたところ、気づいた彼女はレジに走り現金を取り戻しカードで払ったこともあった。一度だけお酒を飲んだとき酔ったのを見計らい今日は絶対私が払うから、と言ったところしぶしぶ同意したことがあった。今回もそうしようと考えたが彼女は一切飲まなかった。もう初老の粋に達している親父が娘より若い女性にご馳走になるのは余り格好のいいものではない。12月には卒業試験があるらしい。合格したら日本に行くのでその時にはご馳走になるという、楽しみに待つしかない。それにしてもリジンさんはだいぶ痩せていた。バイトと宿題が大変で1日4時間くらいしか寝ていないと言う。国の両親がみたらさぞ心配するだろう。
 11時頃宿に戻る。ヌルボさんは相変わらずパソコンをいじっている。明日の主な計画はソウルを取り囲む城壁の一部分を歩く予定だ。テレビでは明日のスヌン(修能)試験に関するニュースを放送している。この試験は大学進学する生徒にとっては将来を決定づけするような大事な試験だ。この日は交通の混乱を裂けるため企業の始業時間を1時間遅くしたり、遅刻しそうな生徒がいるとパトカーが出動して会場まで送り届けることまでする。まさに国の一大イベントだ。テレビでは昨年の試験会場前で太鼓を打ち鳴らし受験生を激励するシーンが映し出され、試験開始は8時40分で、8時10分には会場入りするよう伝えていた。ヌルボさんは興味深々で、明日朝、会場となっている校洞小学校に様子を見に行きたいと言う。何かハプニングが起きないか期待しているようだ。


〇西大門駅の前(南西側)がすぐ西大門独立公園で、独立門の他いろんなモニュメント等があります。
 独立門[下左]は公園の南東の端にあります。画像の右端に写っているのは、独立門の生みの親ともいうべき徐載弼(ソ・ジェピル)の銅像です。<独立門>と聞くと、朝鮮史に疎い大方の日本人は「日本からの独立を記念して建てた?」と思うかもしれません。まあ、それも無理ないところでしょうか。実は「宗主国だった中国(清)からの独立」を念頭に置いたもので、1896年11月に着工し翌97年11月に完工したものです。その前提となるのが1895年4月に結ばれた下関条約。日清戦争に勝利した日本がその第一条に「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス・・・」という条文を入れたことが朝鮮の置かれた状況を大きく変えました。
 ・・・ということを、韓国人の中でも誤解している人はずいぶん多い(半数以上てか!?)そうだし・・・。そして後ろ(北西)を見ると、3.1独立宣言記念塔[下右]が見えます。最初1963年にタプコル公園に建てられましたが公園整備のため79年に撤去され、その後92年にこの独立公園内に建て直されました。壁面に3.1独立宣言文と民族の代表33人の名前が刻まれています。
 1919年の3.1独立運動の時には、この地も運動の拠点の1つになったそうなので、あながちトンチンカンでもなさそうですが、誤解を助長させているように思います。

   
 昨年(2018年)3月1日の<三一節>には、文在寅大統領はここで「独立万歳」を叫びました[下左]が、これには韓国人の間でも「不適切だ」との意見があったそうです。(大統領の背後には金九・柳寛順・姜宇奎(カン・ウギュ)等の大きな肖像画や「独立万歳」等々と書かれた幟が多数掲げられています。)

   
 [上右]は、反対側から見た独立門です。手前にかなり大きい石柱が2本立っています。これは何かというと・・・。

   
 <迎恩門柱礎>と刻まれています。[上左] <迎恩門>とは中国の皇帝の使者を迎えるための門で、往時はこの脊柱の上に木製で緑色の屋根付きの門が載っていました。(→コチラの画像参照。)  次に、独立門の扁額について。[上右]は右からハングルで<독립문>(独立門)、そして反対側には漢字で<独立門>とありますが、これは当時独立協会の委員長だった李完用の書だという有力な説があります。後に大韓帝国の内閣総理大臣となり、韓国植民地化の元凶として今も<売国奴>の代名詞ともなっている人物です。その彼が書いた(といわれる)扁額の下で独立万歳を叫んだ文在寅大統領はそのことを知っていたかどうか?
※独立門についての日本語記事では→コチラコチラがなかなか詳しく書かれています。学問的なものでは→コチラ
 しかし、ウィキペディアの説明文も日本版と韓国版で違いがあり、たまたま私ヌルボが以前仁寺洞の古書店・通文館で購入していた金道泰「徐載弼博士自叙伝」(乙酉文庫.1972)の記述も必ずしも正しいとはされていないようだし・・・と、「いつ」「どういう立場」の人が書いたかによってかなりバイアスがあるようで、史実の確定は実にムズカシイと痛感した次第。


○私ヌルボ、モレネ市場[下左]は知りませんでした。もちろんそこの焼肉屋さんも。後でネット検索したら、モレネ精肉食堂というんですね。・・・って、今はもうこの店ないみたいですけど。韓牛[下中]とユッケを注文。[下右]

    
 この店については、→コチラの今年2月のブログ記事と、→コチラの2014年のなかなかディープな姉妹グルメ旅の記事に詳しく書かれています。ユッケの他に、육사시미(肉さしみ)というメニュー(100g7千ウォン)があるとは知らなかった!

望遠(マンウォン)市場も全然知らなかった。それにしても、S氏はどこからこういった情報を仕入れてくるんだろう? 耳コミ侮りがたし!

    
 マンウォン市場の入口[上左]とアーケード街[上中]。好物なのにこの頃日本では高くて買えないイチジクが安かったので買いました。[上右]。「今年最後よ」と店のアジュマ(おばさん)。

○昨年公開の韓国映画「1987、ある闘いの真実」をご覧になった方は多かろうと思います。全斗煥の軍事独裁政権を打倒した1987年の<6月民主抗争>を背景としたこの作品については、→コチラの記事で紹介しましたが、ただしこれはネタバレなし編。その中で「観た人のコメントに韓流ファンなら誰でも知ってるレベルの人気スターの<彼>がメイン・ビジュアルに入っていないのはなぜ?」とありましたが、それにはちょっとワケが・・・」と書いたものの、その後ネタバレ編を書いてないので、その「ワケ」もペンディング状態になっていました。
 で、今書きます。<彼>とはカン・ドンウォンのこと。主役ともいうべき彼が演じた人物が延世大生の李韓烈(イ・ハニョル)でした。それを事前に明かしてしまうと(李韓烈が有名なだけに)ネタバレになってしまうのでメイン・ビジュアルから外したということだと思います。
 さて、その李韓烈君が1987年6月9日催涙弾の直撃を受けて倒れた場所は・・・。
    
 延世大正門の真ん前。[上左]。銅板が埋め込まれています[上右]がもう薄暗くなっていたので、この画像では文字まで読み取れませんね。この銅板は2016年の6月9日に設置されました。その除幕式の記事は→コチラ。また→コチラの記事の画像だと文字が読み取れます。

    
 正門からキャンパス内に入って少し先、右手の学生会館の建物の前あたりに小高い築山(?)のような<韓烈の園(한열동산)>があり、その上に2015年6月9日に建てられたというモニュメントがありました。[上左]の大きな石は李韓烈追悼碑で「198769757922」という数字が刻まれています。6月9日に催涙弾を頭に受け7月5日死亡し、7月9日に民主国民葬が行われ、その時22歳だった、という意味です。[上右]はよく知られた報道写真を形象化したもの。※かなり暗い中で撮った写真を明るさを調整してなんとか読めるようにしました。
    
 明るい時だと[上左]のように見えるようです。また[上右]は、当時ロイター通信の記者だったチョン・テウォン(정태원)さんが撮影した写真です。この写真は翌6月10日の中央日報に大きく掲載され、運動に大きな影響を及ぼしました。またチョン・テウォンさんや、李韓烈君を抱きかかえている学友の李鐘昌さんの人生にとっても大きな1枚となりました。※李鐘昌さんについては→コチラの過去記事参照。
 ※「1987、ある闘いの真実」では、この写真の李韓烈君の顔をカン・ドンウォンの顔に「手直し」してありましたね。

    
 キャンパス内には他にもいろんなモニュメント等があります。<李韓烈の園>の下あたりに照明が当てられている造形物がありました。[上左] 文字の書かれた碑石[上中]を見ると노수석(魯秀碩.ノ・スソク)とあります。彼は延世大2年になったばかりの1996年3月、金泳三政権に対して授業料引上げ反対等を叫ぶデモに参加した際、強硬な弾圧により死亡したとのこと。その後1999年に名誉卒業証書を受け、2003年には国家民主化運動有功者と認定されたとか。このあたりの評価は、やはり当時進歩系政権だったから?と思ってしまいます。
 [上右]は少し離れた所にある尹東柱の詩碑。ここは以前来たことがあります。代表作とも言える「序詞」が刻まれていますが、この暗さではとても読めません。

     
 S氏がイソイソと弘大方面に向かった後、私ヌルボが行った古本屋というのは<アラディン中古書店 新村店>[上左]。この画期的な古書チェーン店については→コチラと→コチラの過去記事で書きました。その地下店舗に降りる階段の壁の一番上に尹東柱の絵がありました。[上右] 彼と縁のある延世大の近くだから?? その下はヴァージニア・ウルフか。

   
 いろいろあったこの1日。ようやく1人でホテルに帰ります。・・・と5号線鍾路駅に降り立つとまだ(!)午後8時ではないの。ちょっと最近話題の益善洞(イクソンドン)のようすを見てくるか、と思って行ってみればなるほど平日なのにすごい人出! まずは以前案内されて行った味カルメギサル専門(←店名)の場所の確認。(カルメギ(カモメ)の肉じゃなくて豚のハラミですよ。) しかしこれがなかなか見つからず一苦労。やっと見つけました。[上左] そしてたまたま見つけたのが最近開店したというパンの人気店ミルトースト[上右]
 ・・・これらの店はただ見るだけ。9時前にはホテルに戻って、結局マンウォン洞で買ったイチヂクを何個かムシャムシャ食べただけでした。

 この日の午後のことについて、見聞きしたこと、知っていたこと、後で調べたこと等を字数を気にせず書いて行ったらやっぱり長くなりすぎました。最後まで読んで下さった方、ホントにご苦労さまでした。
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2018年11月13~16日 ソウル旅行の記録 S氏の日記と、ヌルボの写真&補足 [その2]池錫永家址・校洞小学校・雲峴宮など

2019-06-24 23:48:30 | 韓国旅行の記録
 → 2018年11月13~16日 ソウル旅行の記録 S氏の日記と、ヌルボの写真&補足 [その1]トドク焼きを初めて食べる

 以下、紺色の部分が元のS氏の日記部分、黒字の部分が私ヌルボの補足等です。

◎11月14日(水)・前半

 疲れたせいか8時過ぎに目が醒める。隣のベッドのヌルボさんは死んだように静かに眠っていたがそのうち目が醒めたようでベットの中でパソコンをいじりだした。今日の行き先の情報でも仕入れているのだろう。
 今日は先ず西大門駅に行き独立門を見学。その後1時に私がバイト先で知り合ったSさんと新村駅で合流し市内を回った後7時ごろ自由行動ぼ予定。
 とりあえずは朝食から。ヌルボさんが、楽園市場ビルの地下に食堂があるのでそこに行って見ようと提案。人気のない階段を降りると先ず肉屋さんと米などを売っている店が目に入る。
 その奥に食堂が数軒並んでいる。広い居ぬきの倉庫のようなところに椅子とテーブルを並べただけの店だ。古い建物なので昭和の光景を思い出す。壁の両脇にそれぞれの店舗の厨房がありその前が通路。通路に挟まれた中央に椅子とテーブルが置いてある。どの店も数種類のメニューを店先に掲げている。どれも似たり寄ったりなのでとりあえず腰を掛ける。
 代表的なメニューはチャンチ麵。チャンチは宴の意味。1杯250円。それぞれ同じ物を注文。配達のためなのだろうか、席の隣の通路はバイクが往来している。暖かいにゅう麵の上に刻んだ油揚げ、金糸卵、葱等が乗っかった物が出てきた。塩加減はほど良く量も多い。それなりに満足できる朝食にありついた。
 一旦ホテルに戻り出発。
 天気は上々。ポプラ並木からはらはらと落ち葉。乾いた涼気と相俟って気持ちがいい。ヌルボさんの雨男の称号も返上だ。
 ソウルには至るところに功績のあった人を紹介する石碑がある。早速ヌルボさんが石碑を見つける。種痘法を普及させた人の住居があったところらしい。ヌルボさんが韓国語のチョンドゥを即座に種痘と判断してしまうのは流石だ。
 その前には校洞小学校がある。歴史と由緒があるらしい。ここでは明日行われる修能(スヌン)試験、日本でいういわゆるセンター試験のようなものの会場となっている。
 ここから安国駅へ行く途中に雲峴宮(ウニョングン)という王族の邸宅が公開されている。朝鮮王朝末期の国王、高宗、その父大院君が暮らした建物で多くの政争、政変、権謀術数が渦巻いた場所でもある。今では観光名所の一つとなり修学旅行生も訪れる静かな場所となっている。敷地は広くはないが、奥に入ると赤く色づいた柿が青空を背景にたわわに実っているのが印象的だ。


〇楽園市場ビルの地下の食堂と、チャンチ麵については→コチラの記事で書きました。写真あり。

〇「種痘法(종두법)を普及させた人」とは池錫永(チ・ソギョン.지석영)という人物です。
   
 楽園商街から安国駅方面に北上する三一大路(上左)の東側歩道脇に「池錫永家址」の小さな石碑がありました。(上右) 読んでみると、「種痘法普及と西洋医学導入、国文研究に大きな業績を残した池錫永(1855~1935)の家址」と刻まれていす。私ヌルボ、この碑を見た時には彼の名を知りませんでしたが、その後調べていろんなことがわかりました。
 ところが、わかったことを書き始めたらそれだけで分量が多くなり過ぎることに気づいたので、別記事を立てることにしました。要は、韓国では種痘法を始めた近代医学史上の偉人として、あるいは漢字の意味をハングルで解析した「字典釈要」刊行等国語学の面でもよく知られた人物ということです。

校洞(キョドン. 교동)初等学校の前は、これまでも何度か歩いたことはありますが、大体は夜酒に酔って通り過ぎるだけだったためかとくに注意を払ったことはありませんでした。
   
 この日は朝10時40分頃。4、5人の人たちが校門周辺の掃除をしていました(上左)が、児童たちの姿は見えず。校門脇に上の池錫永のものよりずっと大きな石碑がありました。「官立校洞小学校 この学校は1894年(高宗31年)9月18日開校した韓国最初の初等学校である」とあります。私ヌルボ、その時で<キョドン>といえば2012年暮れに初めて行った<キョドンジョンソンセン>というジョン(チヂミ)専門のチェーン店を知るだけでした。(→過去記事) その漢字もなんとなく<教洞>かなと思っていたのが、<校洞>が正しいことを知りました。※なぜか日本の韓国グルメサイト等にはなぜか<橋洞銭先生>などと非常に疑わしい表記が広まっています。<ジョン>も<銭>ではなく<煎>なのに。高麗時代にこの近くに郷校があったため郷校洞あるいは校洞と呼ばれるようになったということです。

 学校のセメント塀には、学校の長い歴史を説明するパネルがいくつも掲げられています。

   
 1894~2015年の略年表(上左はその最初の部分)。開校時は王族や貴族の子弟のみの学校だったそうです。上右は木造校舎を背にした1918年の卒業生たち。校名は「校洞公立普通学校」とあります。(※日本人が通う<小学校>に対し、朝鮮人の子供が通ったのが<普通学校>です。)

 
 上左は1920年代の校舎全景。煉瓦造のずいぶん立派な建物です。上右は、北側の出入り口。横断幕に「2019学年度大学修学能力試験 ソウル特別市教育庁第15地区第21試験場」とあります・・・が、アレッ!? その下の学校名が「서울경운학교(ソウルキョンウン(慶雲)学校)」となっているではないですか! 門の左の看板にもそう記されています。別棟のようですが、同じ敷地内で同じ校庭に面しているし・・・。後で調べたら2002年に開校した特別支援校(幼稚園~高校の児童・生徒対象)なのですね。
 ますます細かい話になりますが、この校洞初等学校(と慶雲学校)の所在地は現在は慶雲洞となっています。校洞は現在はなく、慶雲洞の南に隣接する楽園洞の一部になっています。
 2段上左の正門上の横断幕を見ると「ソウル特別市教育庁指定研究・モデル学校 「ソウル型小さな学校モデル校」運営」と記されています。
 ソウルの中心地の歴史ある学校ということで、かつては大勢の生徒が通った学校で、有名人も多数輩出してきました。韓国第4代大統領・尹潽善(ユン・ポソン)、映画にもなった「常緑樹」で知られる作家・沈薫(シム・フン)、「シバジ」等で有名な女優カン・スヨン等々。
 1963年には在学生数が5320人(!)にも及び、中学校入試があった当時京畿中学校(1971年廃校)をはじめ名門校に多数進学したといいます。ところがソウルもドーナツ化現象が進み、100周年の1994年には在学生数が600人以下にまで減少。そしてこの10年の新入生数をみると2011年には9人まで落ち込みました。となると当然廃校の話も出てくるところですが、ソウル市は2016年に市内の全校生徒が200人以下の初等学校の中から所在地や歴史的象徴性などを考慮して7校及び200人を超える斎洞初等学校(安国駅の北側)も含め8校を<小さな学校>として指定し、予算をつけてスクールバスのサポート等をしたり、地区住民でなくても学校の近くに職場がある親の子弟なら入学できるようにしたそうです。その成果か(?)2016年からは新入生が27→28→29人と若干増えてきています。
 ・・・ということで、慶雲学校も児童減で空いた校舎(それも本館)の活用を図ったということなのでしょう。

〇校洞初等学校の北が徳成女子大学校、そしてその北隣りが雲峴宮(운현궁.ウニョングン)です。
 昔の朝鮮時代の王宮、・・・といっても景福宮・徳寿宮・昌徳宮等に比べると全然知られていないのでは? それらに比べるとずっと狭いし、大きくて目を引くような建造物もないし・・・。(いいのは無料という点。) 実は私ヌルボも初めて知ったのは5年前にジュニア向け歴史小説「갑신년의 세 친구(甲申年の3人の友)」(→感想等の記事)を読んだ時でした。つまり甲申事変(1884)頃の大院君の私邸だった関係で・・・(以下略)。

   
 こぢんまりとした建物ですが、いろいろ資料が展示されています。

   
 人形がけっこうリアル。 塀越しに見た紅葉が色鮮やかで、とてもキレイでした。

 → 2018年11月13~16日 ソウル旅行の記録 S氏の日記と、ヌルボの写真&補足 [その3]独立門・モレネ市場・延世大など
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2018年11月13~16日 ソウル旅行の記録 S氏の日記と、ヌルボの写真&補足 [その1]トドク焼きを初めて食べる

2019-06-10 14:43:14 | 韓国旅行の記録
 今年に入って、当ブログは週1度の韓国映画情報(&自身の鑑賞記録)だけになってしまいました。その間も、以前と同じように韓国・朝鮮関係の本を読んだり、イベント等に行ったり、また韓国旅行も2回行きました。つまり、ネタはいろいろあるどころか溜まる一方です。
 週5回はブログを更新していた頃のようにはいかないと思いますが、ボチボチ今日から復活を期して再スタートします!
 さし当たっては例の3・1独立運動記念式典を含む2月26日~3月5日のソウル旅行の記録を・・・と思ったものの、実は昨年11月のソウル旅行の記事も中途半端なままになっているのでそれから片づけなければ・・・。
 その旅行については、昨年12月に<無計画→結果オーライ! ソウル3泊4日の旅>と題して次の3本の記事をアップしました。

 → ①ホテルは鍾路3街至近。すぐ近くにあの楽園商街とか、いろいろ便利な立地
 → ②楽園商街の地下市場で激安の朝食(チャンチククス)を食べる
 → ③楽園商街の近くの店では2千ウォン(約200円)で朝食が食べられる

 ところが、これで当初の予定の2割程度といったところ。
 実は12月後半に、一緒に旅行したS氏が実に詳細な旅行記録をメールで送ってくれました。左横カテゴリー欄最下段のの筆者です。
 「これを利用しない手はない!」とイージーに考えて、ほとんどそのままコピペすることにしました。それに私ヌルボが補足説明等を加え、写真を入れるという方式で順次公開していく、という方針です。

 以下、紺色の部分が元のS氏の日記部分、黒字の部分が私ヌルボの補足等です。

◎11月13日(火)

 今日は前夜に少し降った雨で少し道が濡れていたがよい天気に恵まれた。
 14時成田発16時50分仁川着に乗るため、同行のヌルボさんと10時に東京駅で待ち合わせ。電車で戸塚を過ぎたころヌルボさんから横浜で乗車したとのラインがある。私より1本前の電車で東京に向かっているようだ。東京駅の成田行きバス乗り場で9時50分にヌルボさんと落ち合うことができた。何かあるといけないと思い、余裕を持ってのスケジュールを組んでいた。
 10時発のバスに乗車。車内は空席もあり、途中軽い渋滞があったものの、予定通り第1ターミナルに到着。時間があるので必要なものを買うことにした。ヌルボさんはまず薬局で目薬を購入、次にルーターを借りようかと思案していたが、向こうではWiFi環境が良いので必要ないと言うことになった。私はソウルの友人Kさんに頼まれた納豆を探すことにした。前日買ってはいたが、少し買い足そうとターミナル内のコンビニを3ヵ所探しても取り揃えは無いようだ。ヌルボ氏が土産物屋にあるかもしれないとアドバイスしてくれたが、国際線ターミナルには売っているところはなさそうだ。出発前の腹ごしらえにフードコートでラーメンを食べる。
 出発時間も迫ってきたので出国審査に向かう。自動ゲートを利用するため指紋登録(←初めて)を済ませ出国審査完了。ゲートに向かう途中セブンイレブンを見つけた。外国人観光客が意外に多くレジに並んでいる。店員がいたため、もしやと思いつつ「納豆はありますか?」と聞いてみたところ、なんと「ありますよ」との返事。棚の奥から最後の1個となっていた3箱入りのパックをゲット。まさか国際線の乗り口に売っているとは!と感動を覚えつつ2人で驚く。
 ヌルボさんもKさんにと、近くのみやげ物店でお菓子を購入していたが、外国人の爆買いには驚かされる。これだけの土産を機内のどこに持ち込むのだろうかと余分な心配をしてしまった。
 やっとレジを通過し搭乗ゲートに向かう。飛行機は満員の乗客を乗せて定刻通り出発し、日の落ちかけた頃仁川空港に到着。
 到着ゲートから入国審査まではけっこう距離がある。少し並んで入国審査を終え、荷物受け取りのターンテーブルに向かうと目の前に荷物がある。タイミングの良さに感心。ヌルボさんの荷物も受け取り完了したところ、韓国人の老夫婦が「手荷物の受け取り場所が分からない様で、どこで受けとればいいのか?」と韓国語で聞いてきた。チケットはあるかと聞き便名を確認。どうもニューヨークから来たようだ。ターンテーブルの場所を掲示表で確認し、そちらに行くよう伝えた。(←私ヌルボ、「日本人なので・・・」と逃げようとしたが、S氏は常に親切。)
 ソウル市内までは空港鉄道で行くことにしたが、案内所で聞いたところ次の直行の特急列車はしばらく待たなくてはならないため約1時間かかるとのことで、各駅停車で行くことにした。ちなみに特急は800円、各停は415円。地下鉄5号線の鍾路3街駅がホテル至近なので、ソウル駅までは行かず手前の忠正路駅で降りて5号線に乗り換え、ホテルのある仁寺洞に向かう。
 鍾路3街駅に到着し、ホテルに一番近い5番出口から地上に出る。何度も見慣れた楽園市場の大きな建物が目の前にある。ホテルは近いはずだが陽はどっぷり落ちていて、不覚にも方向感がつかめない。2人でしばらく街灯と店の灯りを頼りにガイドブックの地図で方角を確認したが思うように行かない。
 路地を入ったりしてヌルボさんが馴染みのある名画劇場の入口の位置から方角をつかみ、ホテルに到着。クラウンホテルといい、古い建物だがロケーションは良く、部屋はけっこう広い。ただしトイレはウオッシュレットではなく少々ガッカリ。
 今夜はKさんと夕食をとる約束をしていた。時間が迫ってきているので、休むまもなくKさんの店のある明洞の地下商街へ徒歩で向かう。地下鉄で乗り換えて市庁駅へ行くのと大して時間は変わらないのだ。明洞の中国大使館前でヌルボさんが両替をする。一番レートが良いという店は少し行列ができていた。隣の店は空いていて店頭の換金率表示は同じだったためそこで換金。1万円が10万ウオンにちょっと欠ける位で両替を済ます。
 8時15分頃Kさんの店に到着。待ちわびていたようで、急いで店じまいをして3人で食事に向かう。近所にあるKさんの馴染みのサムギョプサルの店に到着。
 文字通りサムギョプサルを注文。肉が出てくる前にメニューを見ていると、トドクという見慣れない料理名があった。これは何かとKさんに聞くとツルニンジン(蔓人参)という植物で、季節に収穫され、スライスした物を焼いて食べる。大変香ばしくて食感もよく、高級食材で天然ものは非常に高い。ここのは栽培したものだろうとのこと。せっかくなので話の種に一つ注文する。
 料理が出てくるまでヌルボさんがソウルを取り囲む城壁とその跡を少しずつ歩いていて前回は北大門に行って来た話をした。Kさんは「東、西、南に大門があるのは知っていたが、北に門があるとは知らなかった。おそらくソウルの多くの人も北大門の事は知らないはず」と言う。Kさんはどうしてそんなことまで知っているのかと驚嘆したようす。ここでも韓国の歴史と実情を必要以上に(笑)知っていることから「密偵」とあだ名されるヌルボさんの面目躍如。
 厚切りのサムギョプサルを焼いているとトドクがでてきた。一口大よりやや大きめにスライスしたツルニンジンの上にヤンニョムジャンを塗って赤くし、火に炙ったようなのもがA4サイズの木の箱に並べられている。さっそく食して見ると、しゃきしゃきした食感が心地よい。香りは特段感じなかったが、この季節の風物詩の一つなのだろう。
 Kさんは以前ほどに酒を飲まなくなっていた。酒で体調を崩す友人が増えてきたので酒量を減らし運動をして体調管理に気を付けているとのことだった。食後も運動を兼ねてかホテルまで20分程度の道のりを歩いて送ってくれた。
 ホテルに隣接するコンビニで飲み物とつまみを買い、部屋で明日の行動計画を練る。


〇それにしても、S氏の記憶力には舌を巻きます。私ヌルボ、自分に関することで忘れたどころか最初からアタマに入っていないことまでも書かれているとは! それも別にメモをとったりすることもなく・・・。
 ただ、サークル仲間の飲み会での話では、この件について「ヌルボさんが憶えていないのがおかしい。いつも自分の世界にこもっているから他の人の行動が目に入らないのだ」といった非難めいた(?)物言いが相次ぎました。うーむ、言われてみればそうかもしれん、といつもケンキョなヌルボは思ったわけでありました。

〇横浜から成田空港に行くにはJRで横浜→東京、そして東京駅八重洲口から高速バスという経路が安くて便利ということを、一昨年台湾に行った時にS氏から教わりました。※京成特急より20分くらい遅いが、乗り換え等がずっとラク。

〇納豆の機内持ち込みはできるのか? はい、できます。→コチラの記事参照。キムチができないのは、臭いのためではなく水気があるから。この記事には、機内持ち込みの留意事項や、日韓の納豆の味や値段の違い等についても書かれています。
 なお、KさんがS氏に納豆を頼むのは健康のため。ノンフィクションライターの菅野朋子さんの<韓国で日本の「納豆」がブームになった理由>という2年前の記事(→コチラ)によると、韓国の食品メーカーも2005年納豆の発売を開始して、市場規模は直近の10年間で「10倍」に拡大したそうです。ただ、日本と比べると値段は高めで2個入り1パックで日本円換算で約440円。(1パックの分量は多いようですが。) ※参考→1年前のあるブログ記事<納豆が恋しい!納豆ロス!韓国に納豆はある?値段は?>

〇おみやげについて。韓国人の知り合いと会う場合、手土産を持参する人はどれほどいますかねー? 私ヌルボの場合わりと持っていく方。主に和菓子。相手がオジサンの場合はとくに奥様お子様用に。夜遅く酔っ払ったお父さんが帰宅して・・・だけだったら愚痴や小言がなくてもいい顔されるワケがないでしょ? そこで相手方のご家族の和合(と日本文化の紹介)のために。

〇「馴染みのある名画劇場」とは、シルバー映画館(실버영화관)のこと。→公式サイト

〇「近所にあるKさんの馴染みのサムギョプサルの店」というのは北倉洞(북창동)のビル内のトバギ(또박이)という店。
   

トドク(더덕.ツルニンジン)というのは私ヌルボも初めて知りました。あとでウィキペディア等を見ると、韓国では代表的な山菜だそうで、根をキムチや揚げ物、和え物にし、若芽も食べる。野生品は少ないので栽培もするとのことです。日本ではあまり食べない。
 ※長野県などでは同じキキョウ科で代表的な山菜であるツリガネニンジンのことをトトキともいうのは「(トドクと)関係があるともいわれるが、確証はない」とのこと。
 トドク焼き(더덕구이)は上の料金表を見ると1万5千ウォンだったのですね。
 食べてみると、ゴボウでもなし、タケノコでもなし、「〇〇みたいな味」と言えそうな〇〇が思いつきません。硬くも軟らかくもなく、辛くも苦くも甘くもなし・・・。

 上の写真を見ても何だかわからないですよね。そこで、拾い集めた画像でトドク焼きのできるまでをごく簡単に説明します。
  
 この植物の根っ子を掘り出して → 葉っぱを取って → 棒で叩いて軟らかくしてからスライスして、ヤンニョムを塗って → 網焼きまたはフライパンで焼く。

 (以下続く)

 → 2018年11月13~16日 ソウル旅行の記録 S氏の日記と、ヌルボの写真&補足 [その2]池錫永家址・校洞小学校・雲峴宮など
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無計画→結果オーライ! ソウル3泊4日の旅 ①ホテルは鍾路3街至近。すぐ近くにあの楽園商街とか、いろいろ便利な立地

2018-12-06 22:53:14 | 韓国旅行の記録
 11月13日(火)~16日(金)のソウル旅行から帰ってからもう3週間。あれれという間にもう今年は残りわずかになってきました。いちだんと時の流れが早く感じられます。今世紀に入って以来「時間が滝になって、どうどうと流れ落ちている」(筒井康隆「急流」)状態になっているのでしょう。

 今回の旅行は今年に入り初めての海外旅行です。
 実は3月、サークル仲間計3人で台湾に行くはずが、成田空港でパンチ穴のあいた期限切れのパスポートを間違えて持ってきたことに気づくというドジをやらかしちゃったので行けなかったんですよ。ハハハ。(これは忘れることにしよう)

 しかし、年に1度は日本脱出しなくちゃ、ということで、その3人組の1人S氏のソウル旅行計画に乗っかって2人で行くことにしたのです。※S氏は、当ブログ内の<S氏の慶熙大学校10週間留学記>の筆者です。

 現地で何人かの知り合いと会うというS氏の予定以外にはこれといった計画もないまま出かけましたが、行き当たりばったりの旅にしては意外と収穫があり、充実した4日間でした。
その記録をテーマごとに紹介していくことにします。

 今回の宿泊は仁寺洞クラウンホテル。2人とも初めてです。仁寺洞と言っても、正しい住所は楽園洞ですが。場所は地下鉄5号線(1号線・3号線でなく)鍾路3街駅の近くで、至極便利。
 ただ、部屋に入ったら、テレゴの前に「以下の物を破損した場合は実費をいただきます」ということで「コップ ₩10,000」等々のリストが置いてありました。「高いな」と、ちょっとカチンときました・・・が、まさか、その高価なコップを自分が割ってしまうとは・・・。何も言わず1万ウォン払いましたがな、トホホ。(これも忘れることにしよう(泣))

 ホテルからほんの少し西の大通り、つまり三一大路(サミルテロ)に出て南を見ると楽園商街(낙원상가.ナグォンサンガ)が見えます。
 下左の画像のように1階の真ん中を道路が貫通している、ずでんとした存在感のある(ちょっと異様な?)建物です。

    
 その楽園商街を南から見たのが上右の画像。(今年4月のNAVER地図の画像を加工したので季節感は異なります。)
 すぐ右(東)はタプコル公園、左(西)は仁寺洞のメインストリートの南側入口なので、初めてソウルに来た人でも見覚えがある人は多いかもしれません。

 この楽園商街は1965年再開発で作られた住商複合商街としては第1世代の代表的な建物で、約半世紀を経て老朽化が進んでいます。今参考に見ている<ナムウィキ>(→コチラ.韓国語)にも、説明文の冒頭に낙원던전 우리들의 낙원상가(楽園地下牢 われわれの楽園商街)」などとと書かれちゃってます。
 楽園商街同様60年代以来の長い歴史のあった世運商街(セウンサンガ)は最近大きく様変わりしました。(→コチラや→コチラのブログ記事参照。)
 楽園商街も10年ほど前に一度は撤去・再開発の計画が公表されましたが、楽器専門店として保存価値を認められ、2013年にソウルの未来遺産に登録されたとのことです。
 先の上右の画像を見ると、建物の真ん中に青地に白で「낙원악기상가(楽園楽器商街)」とありますね。70年代末からの再開発で近隣の楽器店がここに集められ、それが80年代以降のバンドブームに乗って繁盛したという歴史があるそうです。
 今この建物の2・3階に行くと、広いフロアにピアノやギター、ドラム等の楽器が所狭しと陳列されています。左の画像は、私ヌルボが2009年に行った時に撮ったものです。(関連記事→コチラ。)

 また、南から見た画像で「낙원악기상가」の看板の上に3つ横に並んでいるのは、ここの4階にあるシルバー映画館浪漫劇場という主に中高年向けの名画座の広告板。オードリー・ヘプバーンやマリリン・モンローの時代の洋画や、60~80年頃の韓国映画を上映しています。
 下の建物入口近くに、下左のようなボスター等が貼られていました。

    
 上右は、行った時にシルバー映画館で上映していた作品。(→公式サイトから。三浦綾子原作の「氷点」の映画化作品の韓国版の1つ「氷点81」(1981)で、昨年亡くなったキム・ヨンエさんが出演した作品です。うーん、時間的余裕があれば観たかったなー。
 ※この映画館についての<ソウルナビ>の記事は→コチラ。 

 そして、「낙원악기상가」の下の小さめの文字は「지하 시장(地下市場)」です。

 やっとここから本論に入ります・・・ということでここまで書いたのですが、もうすでにけっこうたくさん書いたので、以下は続きで。(次からはグルメ関係の話です。たぶん。)
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[充実の4泊5日ソウル旅行記] いきなり総集編(笑) ③清涼里のフリで入った貝焼き店はボリューム満点 同地の<例の一角>は大変貌の真っただ中!

2017-09-25 23:44:39 | 韓国旅行の記録
 →<[充実の4泊5日ソウル旅行記] いきなり総集編(笑) ①忘憂里共同墓地など>
 →<[充実の4泊5日ソウル旅行記] いきなり総集編(笑) ②念願の(?)ヌタウナギ、どでかいパジョン等々にオドロキと感動!(ちょっと大げさ?)>

【いろんな料理を堪能 オドロキもあり、感動もあり[後編]】
 ③明洞ヘムルポチャと70'S PUB フリで入った店でもアタリだった!
      
 サークル仲間S氏の長所は、誰とでも自然と親しくなれるところ。それもその時だけでなくずっと後までも。今回の旅でも、2年前のわずか10週間の慶熙大短期留学中に知り合った人たちの何人とも再会しました。当時生活していた回基のコンビニのおばさんの店にも手土産を持っていったり(ホントにいいおばさん)、そして<トウミ>(留学生のアシスタントの学生)のHさんとはロッテ百貨店で待ち合わせて明洞に食べに行きました。
 Hさんは中学校の社会科の先生になったという好青年。とくに目的の店があるということでもないので、明洞の街を歩き客引きのお兄さんたちとあれこれ話しながら、結局入ったのは1Fに日本式カレー店あびこがあるビルの2Fにある明洞ヘムルポチャ(명동해물포차)という店。メニューにはいろいろありますがヘムル(海物)というからには海鮮が売りなんだろうとヘムルチャンポンタン1万8千ウォンを注文[写真上左]。(ヘムルタン(海鮮鍋)とどこが違うんだろ?) これが意外と正解で、私ヌルボ、コチュジャンどっさりの鍋物で抵抗感なく美味しいと思って食べたのは初めてかもしれません。
 次の店はそこから近い70'S PUBという、これまたなんとなく入った店。(→ソウルナビ。) 基本ビアバーなのでいろんなビールがあります。そこでツマミとして注文したのがハンチ(한치)のスルメ[写真上右]。これがとても軟らかく、甘みがあって美味! ハンチはヤリイカかなと思ったらケンサキイカ(厳密にはヒラケンサキイカ?)。

 ④ロッテ百貨店九里店B1Fのクムビ デパ地下フードコートでも侮るなかれ! 記憶に残る水冷麺の味
      
 東九陵に行く途中、「その中には食べる所がない」ということで入ったのがロッテ百貨店九里店。地階だと安く食べられそうという予測通りB1にはいろんな韓国料理に和洋中華等々の店が20店くらい(?)出店しているフードコートがあり、日曜ということもあってか大勢の客でにぎわっていました[写真上左]。トンカツオムライス等、例によってコテコテとしたものが多い中で入ったのはクムビという麺類の店で、ヌルボが食べたのは一番単純な水冷麺[写真上左]。いやあ、これはホントにうまかった! 極細の白い麺はコシがあり、麵つゆの酢の味は強すぎず薄すぎず。これも思わぬ拾い物の昼食でした。(この店、ロッテ百貨店でもこの九里店にしかありません。残念。)

 ⑤清涼チョゲクイ・チム ボリューム満点! たらふく貝焼き三昧
      
 そして今回、フリで入って一番よかった!というのが東九陵からの帰りに清涼里でチョゲクイ(貝焼き)という看板を見て衝動的に入った店[写真上左]。(「フリ」という言葉、今フツーにわかるのかな?) 店名は清涼チョゲクイ・チム。ホントにポジャンマチャみたいな庶民的なフンイキの店です。中のようすは→コチラコチラや→コチラの写真を参照されたし。基本メニューは、貝を焼く(クイ)のと蒸す(チム)の2通り。貝は、いろんな貝かカキ(この店では굴ではなく석화になっている)の2通り。量は大(3万ウォン)と小(2万ウォン)の2択。
 ヌルボ&S氏は、2人で「チョゲクイの大」を1つとソジュ(焼酎)を注文、・・・と、これが先の巨大パジョンの経験が生かされてませんでした(笑)。アジュマがザルから貝をドサッと火の上に乗っけてくれるのですが[写真上左]、とにかくすごいすごいボリューム! この写真に写っている分量は全体の3分の1か4分の1程度です。隣のテーブルを見ると、4人だかで「中」を食べてました。
 また上の写真にはない手のひらよりでかい三角の貝[右画像]があり、訊くとキジョゲ(키조개)とノートに書いてくれました。後で調べると日本ではタイラギというそうです。(周りの知人に尋ねると物知りの人2人が知ってました。) これは焼かずにぶつ切りにして、最後にチゲの具にしていただきました。それにしても、貝だけで満腹したのは初めてです。

【街を歩いて目に留まったオブジェ、そして・・・】
 ①やっぱり目に留まる奇抜な(ヘンな?)オブジェの数々
      
 今回も街を歩いていると目を引くものがいろいろありました。オブジェ関係では、清渓川の広橋の南すぐのビルで見たのが[写真上左]の白雪姫。この手のはまあよくありますが、ビルの角を回り込むと小人たちが何やら担いでます。[写真上右]の2人はトンカチと材木。その前方の小人はスパナを運んでいます。なんで?と思って何のビルかと見ると大宇朝鮮海洋ビル。裏手には大きないかりのオブジェがありました。トンカチや材木で船を造るということ?

 ②どんどん様変わりしていく清涼里駅とその近辺 え、あの<588(オーパルパル)>が!
       
 上述の貝焼きの店に入る前。清涼里の駅周辺のようすがずいぶん変わっていて、たとえば駅前広場に[写真上左]のような樹々がこんな所に?・・・と見れば樹にあらず。ステンレス製の造形物なんですね。2010年に設置されたとのことなので、その間ヌルボは気が付かなかったってことか? さて清涼里といえば造形物よりもなによりもアララッと驚いたのは、あの有名な風俗街(と→ウィキペディア)の<588(オーパルパル)>。清涼里駅の高い所から見たのが[写真上右]。昨年からの再開発で跡形もなくなくなっちゃったじゃないの! 龍山駅近くにも以前あった<青少年通行禁止区域>一帯がやはり姿を消しましたが・・・。実はこの後その付近を歩いてみると、工事中の区域と隣接してピンクの明かりに照らされた飾り窓の店が1つだけ残っていましたけどね・・・。(最後の1店か?)

 今回の旅は、とくにハズレなしの食事に恵まれたヌルボとしてはこれまでにない旅でした。2回で終わるつもりだった<総集編>も、(B級)グルメ関係につい力が入って3回になってしまいました。
 忘憂里共同墓地等についての<個別編>については(常套句の)そのうちに、ということにします。
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[充実の4泊5日ソウル旅行記] いきなり総集編(笑) ②念願の(?)ヌタウナギ、どでかいパジョン等々にオドロキと感動!(ちょっと大げさ?)

2017-09-20 18:14:10 | 韓国旅行の記録
 →<[充実の4泊5日ソウル旅行記] いきなり総集編(笑) ①忘憂里共同墓地など>

【いろんな料理を堪能 オドロキもあり、感動もあり[前編]】
 ①公平洞コムジャンオ 雌伏(?)6年、やっと味わったヌタウナギの味は・・・
      
 私ヌルボがコムジャンオのことを知ったのは2011年読んだ平松洋子「韓国むかしの味」(新潮社)を読んだのが最初。この本については→コチラの記事で書きました。平松さんはその中でコムジャンオの本場・釜山の機張郡「奇天烈な味に遭遇した」と記しています。[写真右]は火をつけたワラでソイツを黒焼きにしているところ。(うーむ・・・。) 
 ソウルの鐘閣駅の近くにその専門店公平洞コムジャンオがあります。行列のできる人気店で昨年(2016年)11月にたまたまその前を通った時にも大勢の人が店の前にいました。[写真上右]はその時に撮った写真。見えにくいですが店の前で店員さんが焼いているところです。その時(昨年11月25日)の関連記事は→コチラ。またその翌日には別の所(大林洞)の専門店の店頭の水槽で生きてるコムジャンオを見たので写真だけ撮りました。(→コチラの記事に載せました。)
 ・・・というわけで、長い間気になっていたコイツをできれば今回食べてみるかな?などとS氏にも話したりしていました。
 今回の旅の初日(7日)夕方、小公地下道商街のエースメガネに行ってS氏の親しい友人ともいうべき店主Kさんと再会すると、はからずも「今日は公平洞コムジャンオに行きましょう」。なんという偶然! Kさんによると本店の他に1号~3号店まであるとのこと。(※あとで確認すると鐘閣~鍾路5街に3店ありました。) 「たぶん満席でしょうが・・・」と言いつつも歩いて本店に行ってみると、奇跡のように入ってすぐのテーブルが1つ空いてました! 少し待って出てきたのが[写真上左]。店頭でまず1度焼いたのをここで2度焼きするのです。日本人としてはあのおぞましいヤツをナマから焼くのはちょっと抵抗感があるからねー、・・・といっても、出てきた時からこんなほぼ出来上がりだと何がなんだかわかりません。→<ソウルナビ>も→<コネスト>もこの店のことを詳しく紹介していますが、生きてる姿を載せていないのは<見識>というもの? それでいいと思います(笑)。
 食べてみてすぐの感想は「弾力性がある」です。イカゲソにかなり似ています。
 日本では<ヌタウナギ>というくらいだから、多少はウナギに似ているかなと思ったら全然。ウィキペディアによると、いわゆる「生きた化石」というべき「円口類」としてはヤツメウナギとヌタウナギだけが現生しているが、これらはウナギどころか「狭義の魚類」からも外れていて、脊椎動物としても非常に原始的である、・・・と彼らからすれば差別的な(?)説明がついています。なるほど、たしかに魚類らしからぬ歯ごたえ&味でした。
 「ま、とくに美味いというものでもないですねー」と店を出てからKさんは言ってましたが、私ヌルボとしては長年の宿願が果たせて大満足でした。(※→1つ前の記事に店内の写真がちょっとだけあります。)

 ②元祖ナグネパジョン 回基パジョンマウルの有名店 パジョン1枚の大きさと厚さにビックリ!
      
 先の記事に書いたように、忘憂里共同墓地は意外に広くて時間がかかってしまい、回基で昼食という目算が大幅に遅れて目当てのこの店に着いたのは午後3時頃。ヌルボ&S氏の2人組以外には客はなく、店の人が準備をしていました。
 この店、つまり元祖ナグネパジョンの場所は、回基駅の北口から西側すぐの<パジョンマウル>にあります。私ヌルボが知ったのは、たぶん一昨年くらいだったか、ネットサーフィンしててたまたま記憶に残りました。とくに印象的だったのは、(どの記事を読んでもおもしろい)<ワッタカッタ!さんのBLOG>中の記事。(→コチラ。) この店の歴史やらメニューやら、実に念入りに書かれています。写真もいっぱい、回基駅からの地図も入っています。これ以上私ヌルボがつけ加えるようなことがありましょうや?(反語)
 で、2人が最初に元祖パジョンとキムチジョンを注文したら、元祖パジョンはすごく大きいから、2人だとこれ1枚で十分です」と言われたのでその言葉に従いました。そして出てきたのが[写真上左]。なるほど、たしかにでかい! 直径30㎝あるかも。その上厚い! イカ等々の具がいっぱい入っていて、2㎝以上あります。
 トンドンジュを飲みながら、パジョンをほとんど平らげ、次に注文したのがこれも人気メニューのコチュティギム[写真上右]。青唐辛子の中に豚肉等を詰めて揚げたものですが、全然辛くはなく、これまたでかい! 一般に韓国人は日本人よりはるかに大食ですが、それにしても・・・。時間をかけてあらかた食べ終えて店を出る頃はすでに夕方で、他のテーブルには何組かの客が来ていました。
 ※この元祖ナグネパジョンについては、→<コネスト>や→<ソウル情報局>、→コチラのブログ等にも詳しく書かれています。

 コムジャンオのことだけでたくさん書きすぎた(笑)ので、今回はここまでにして、食べ物関係の残りも含めて<いきなり総集編(笑)>はあと1回延長することにしました。
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[充実の4泊5日ソウル旅行記] いきなり総集編(笑) ①忘憂里共同墓地など

2017-09-17 23:49:41 | 韓国旅行の記録
 9月7~11日、ソウルだけで4泊5日の旅行。8月後半サークル仲間のS氏から「初秋のソウルに1人で行ってきます」とのメールがありました。(※2年前慶熙大学に短期留学した時、日記(→コチラ以下全15回)を送ってくれたS氏です。) 「いいなあ」と思って、なんとなく自分の予定表を見ると、ラッキーなことにその期間は空いているではないですか! ということで、急遽私ヌルボも便乗することに決定。期日が迫っていたので飛行機は往路だけ同じ便(成田発13:50アシアナ)で、復路はヌルボが数時間早い仁川10:10発。ホテルも初日のみ同じ所を予約しました。(2日目からは現地を歩いていてたまたま空いていた仁寺洞の世林ホテルに連泊。)
 そんなわけで、現地でも全体の3分の1程度はS氏と別行動でしたが、見学地と、ここぞ!という食堂は一緒に行きました。

 今回の旅行記は、ソウル市内(一部隣接市を含む)ということもあって行程はそれほど重要でもなさそうなので、観光ポイント、博物館等の施設、食堂と食べ物等のジャンルに分け、原則的に1記事につき1ヵ所に限定してガイドブック風(?)に、「これからそこに行ってみようかな」という人に役立つようなことを書いていく心づもりでしたが、個別の記事をチマチマ書いていくといつ全部書き終えるか自分でもわからないので、<いきなり総集編(笑)>から書き始めることにしました。忘憂里共同墓地等々、書くネタが多いものについては追々個別に書く予定です。

【歩きに歩いて、歴史を学ぶ】
 ①忘憂里(マンウリ)共同墓地 上野の山より広く、10倍以上高かった!
      
 映画「道~白磁の人~」(2012)等によってかなり知られるようになってきた浅川巧(→ウィキペディア)が、遺言通り「朝鮮の土」となって今眠る場所が忘憂里共同墓地です。なんとなく見晴らしの良い小高い丘程度に甘く考えていました。言っときますが、かなりキツイですよ。面積は約83万㎡で、上野公園の1.6倍強。それよりも、上野の山の標高24mに比べ、忘憂山は281m(!)ですからね。散策レベではなく、ほとんどハイキングに近いかも・・・。[写真上左]はルート上の最高地点からはかなり下った地点で撮ったものです。墓地の周回路はただ歩くだけで約1時間とか。しかしいろんな墓の写真を撮ったりしていて、2時間40分ほどもかかってしまいました。 この墓地には、浅川巧のほか<もう1人の日本人>の墓があることは、旅行に発つ直前知りました。行ってみると、「なんだ!? この弾痕のような傷は?」・・・というのが[写真上右]の(斎藤音作の墓)。
 ヌルボたち2人が話す以前に、「浅川巧の墓は・・・」と話し始める事務所の方。それだけここを訪れる日本人が増えているのでしょう。
 ちなみに、「浅川巧の墓はココ」とすぐわかるような日本語地図は現地にもネット上にもありません。わずかな手掛かりをたよりに歩き始めましたが歩いても歩いても辿り着けず「道を間違ったか?」と思った時やっと見つけたのは入口から歩き始めて約40分後でした。(ヌルボ特製のわかりやすい(?)地図はのちほど個別の記事で載せます。)
 ☆ヌルボの提言「浅川巧のことを韓国の人たちに広く知ってもらうことを願うなら、ここに眠る韓国人のことも知るようにしましょう」

 ②東九陵 朝鮮王朝を開いた太祖(李成桂)の陵もある、最大規模の朝鮮王陵
      
 2年前S氏が行った時は運悪く月曜日で閉園だったので、今回は執念の再挑戦。場所はソウルの東隣の九里市。忘憂里共同墓地最寄り駅の養源駅のひとつ先の九里からバスorタクシーで10分くらい。私ヌルボは、以前大勢で2番目に広い西五陵(約180万㎡)には行ったことがありました。その時はアルコール抜きだったものの、芝生にレジャーシートを敷いてジュース等を飲んだ記憶があるなー。しかし東九陵で注意書きを見ると飲食物の持ち込みはダメ。西五陵もそうなんでしょう、たぶん。日曜日の午後行きましたが、シートを敷いてジュースを飲んでるような人たちはぜーんぜん見なかったぞ。
 したがって、午後1時半から3時間、約190万㎡をただひたすら歩くだけでした(トホホ)。とにかく広いです。[写真上左]が太祖(李成桂)の陵の健元陵。[写真上右]は16代仁祖の継妃・荘烈王妃の陵である徽陵で、朱塗りの鳥居のような門が紅箭(ホンサル)門です。

【マイナーな博物館・資料館】
 ①洪蘭坡家屋 「故郷の春」や「鳳仙花」で知られる作曲家
      
 洪蘭坡(ホン・ナンパ)のことはそれなりに知ってはいましたが、とくに→コチラの記事を読んでぜひ行きたくなり、今回1人で行ってきました。場所は慶熙宮の西側で、西大門駅、独立門駅、光化門駅から歩いて行けます。(慶熙宮の東側には1つ前の記事に書いたエムシネマというミニシアターがあります。そこで映画を観てから行きました。)
 行ってみると、金曜午後は開いているはずなのに閉まっていました。しかしドアホンを押して来意を告げると上記記事にあるおじさん(お孫さんの女性の姻戚の方)が開けてくれて、いろいろ説明して下さいました。

 ②警察博物館 たまたま入ったら、子ども連れの家族が大勢
        
 洪蘭坡家屋を出た後、慶熙宮の入口方面に戻る途中たまたま目に入ったのが警察博物館です。間口が狭く、入口正面に婦人警官っぽい(?)係員が座っているので、ちょっと抵抗感がありましたが(「警察」という言葉だけでもなぜかビビるヌルボ)、入ってすぐ右の部屋が[写真上左]で、子ども連れの家族が何組も来ていてホッとしました(笑)。パパがパトカー(本物じゃないけど)に乗った子どもの写真を撮ったりしています。
 案内板を見ると5階まであるので、まず5階まで上がって順次下って見ていくことにしました。
 その5階は<歴史>関係の展示で、その中に殉職警官のコーナーがあったのですが、[写真上右]の人物を見ると、アラ、1968年の北朝鮮武装ゲリラによる青瓦台襲撃事件(→ウィキペディア)の時に戦死した崔圭植(チェ・ギュシク)鍾路警察署長ではないですか! 昨年(2016年)11月に行った紫霞門峠(チャハムンコゲ)のバス停前の銅像の人物です。(→コチラの記事参照。)
 私ヌルボ、その銅像を見たのもたまたまでしたが、今回も同様。上の画像の横には、彼が殉職した時に着ていた衣服も展示されていました。
 この階のその他の展示物もなかなか興味深いものがいろいろありました。また他の階にも。後で<ソウルナビ>にこの博物館のけっこう詳しい紹介記事があることを知りました。(→コチラ。)
 なお、この西大門駅近辺には、ここ以外にも農業博物館のような穴場的(?)博物館がありますね。4.19革命記念図書館というのもちょっと行ってみたいです。もちろんソウル歴史博物館という大きくて内容も充実した博物館に行ってからの話ですよ。

 この<いきなり総集編(笑)>の②は、【食べ物】【街歩きで見たものいろいろ】と続きます。

 総集編なので<略述>のつもりだったのが、それでも長くなってしまいました。
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中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行⑧ 3日目(後半のつづき)=南大門、三角地の焼き肉店(鳳山家)→城北洞のミュージックカフェ(Rheehall)

2017-07-25 14:02:36 | 韓国旅行の記録
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行① 1日目(前半)=閑散としていた朴正熙記念図書館>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行② 1日目(後半)=安倍首相とのかすかな接点(??)>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行③ 2日目(前半)=市庁の地下にある遺跡→九老工団生活体験館>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行④ 2日目(前半のつづき)=大林洞の中華街は、中華料理というより中国朝鮮族料理の街>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行⑤ 2日目(後半)=清渓川文化館と板子家見学後、例の大デモ。直に見たら緊迫感ナシのお祭りムード!>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行⑥ 3日目(前半)=ソウル城郭道(恵化門~駱山公園)→大学路>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行⑦ 3日目(後半)=大学路→彰義門・尹東柱文学館>

 この20年のPCやインターネット、スマホ、デジカメ等々の発達は旅行記録だけでなく旅行自体をも大きく変えてきました。
 私ヌルボ、旅行の際は目についたものはなんでもデジカメに撮っておきます。石碑や案内板等の文章も後で拡大すれば読めるのはホントに便利。あるいは、たまたま入った店や諸施設等の情報を帰国後ググって「そうだったのか!」と驚いたり、時には重大な見落としに気づいたりしたこともあります。この昨年11月の旅行記録もそんな事例が多々ありました。それが記事がやたら長くなったり半年以上も遅れたりしている大きな理由です。・・・って、結局は言い訳(笑)。
 それにつけても、そんなベンリなツールがなかった昔の人の旅行等とか記録のなんとすごいことか! 日本の戦前の、たとえば公的な記録・調査の資料を見ただけでもただ驚くばかりです。

○11月27日(日) (後半のつづき)

 何といってもこの日一番最優先かつ期待の予定は畏友Y氏の知り合いSさん(韓国人ジャーナリスト)との会食。しかしホテルでの待ち合わせ時間まで十分余裕があったので、2013年復元・公開以降ヌルボもY氏も行っていない崇礼門(南大門)に行くことにしました。停紫霞門峠(チャハムンコゲ)のバス停からバスで市庁前まで行き、そこから歩きです。

        
 上左の画像は東側から。このように外側から見たことは何度かありますが・・・。中に入ったのは初めて。思ったよりずっと広々としています。(右画像)

           
 私ヌルボ、とくに関心を持って見たのが虹霓門(虹模様の中央通路)の天井画(上左)の丹青(단청.タンチョン)です。復元作業の過程で日本製の顔料や膠(にかわ)の使用をめぐっていろいろスッタモンダがあったことは→ウィキペディアにも書かれ、→2ちゃんねるのネタにもされました。また、その竜の絵(上中)が焼失前の絵(上右)と違い過ぎるとの声も出ていました。(※細かな比較は→コチラ参照。) 「目がアニメっぽくてかわいい」(笑)とか。なるほど。ヒゲもツノもなんだかフニャッとしてます。
 なお、この丹青の復元騒動については、その後2016年5月「悪い化学顔料で修復した男に実刑判決」とのニュースまで報じられました。(→コチラ参照。) 民族的自尊心の発露から始まったような論議が、むしろそれを損なうことになってしまった(?)のはなんともご愁傷様なことでした。
 以前この天井画を見たサークル仲間のアジョシX氏は「丹青の赤い色の部分がひどい」と言ってましたが、その点は確認できませんでした。
        
 南大門見学は15時30分頃から20分足らず。再び前の通りに出てなんとなく南の方、つまりソウル駅の方を見て目に入ったのが長~い歩道橋のような陸橋でした。(上画像。) その向こうに旧ソウル駅の建物が見えています。
 「お、これはもしかして・・・」と思ってとりあえず撮っておきました。少し前に「こういうモノを今造っている」というニュースを何かで読んでいたので・・・。
 つまりは、2017年5月20日に完成・オープンした<ソウル路7017>という空中公園の、建設途中の姿です。
 1970年に開通し老朽化が進んだ高架道路を論議の末撤去しないで歩行者用の公園にしたもので、<7017>という数字は上記の2つの年の下2桁を単につなげただけです。※詳しくは→ソウルナビや→コネスト
参照。→トラベルjpの記事もとくに写真が良い。
 右は上の画像とほぼ同じアングルの2017年5月時点の画像。(NAVER地図のコリビューを加工したものです。) 比べてみると、側面の歩行者の足&クツの絵はなくなり、樹木等が植えられたことがわかります。
 地図を見ればわかるように、ソウル駅の北側の線路を東西に横断しています。今度ソウル駅あたりに行ったらここを歩いてみるのもまた一興かなと思います。

 ホテルに戻りしばし休息。18時の待ち合わせ時刻にSさんがロビーにやってきました。
 あとはすべてSさん任せ。タクシーに乗り込んで行った先は三角地です。

       
 鳳山家(ポンサンチプ)という焼肉、正確にはチャドルバギ(차돌박이)というアバラ部分の肉(トモバラ肉)の専門店。アラ、店の看板ではチャドルギ(차돌백이)になってて、メニュー板と違うゾ。そのメニュー中の양(ミノ)とか사태(すね肉)という単語は初めて知ったな。テンァンチゲといったカタカナの誤表記は毎度おなじみです。(笑)
          
 出て来ました、チャドルバギ。うん、美味しい!(←語彙貧困。) Sさんの若い頃からのなじみの店だそうで、ということは40年来? 店の雰囲気はごく庶民的ですが有名店のようで、tvNで毎週水曜夜放送の<水曜美食室>というユニークな美食トークショー番組でもチャドルバギをテーマにした回(2016年5月4日)で取り上げられていました。(→コチラの韓国記事参照。)
その番組でも説明されているのが上記のテンァンチゲ(右画像)。しかしメニューには차돌막장찌개(チャドルマクチャンチゲ)と書かれています。막장(マクチャン)は辞書には<速成味噌>とあり、北朝鮮では大麦やもち米を混ぜて作るのだとか。この店の自家製マクチャンもたぶんそうではないかとのこと。
 ※<水曜美食室>は、タレントが店に行って食べて「オイシイッ!」と言ったりせず、テーマの料理について室内で数人が説明したりいろいろ語り合うという点がユニーク。
 この店については→ソウルナビや、その他いろんなブログに記事があります。

 19時45分頃に店を出て、タクシーで一気に北上して向かった所は景福宮の北の城北(ソンブク)洞。私ヌルボがこれまで行ったことがない高級住宅地です。
 大使館邸というのがいくつか目に入りました。あのヨン様のマイホームはこのあたりかな?
     
 車を下りた所も閑静な住宅地で、人影もまばら。ところが建物の外階段を上って3Fのその店に入ると思わず「おーっ」と声を上げました。
 広い室内の両壁面の棚にLPがぎっしり並べられています。その数は数万枚? いや50万枚と言ってたような・・・。店の名は「Rhee hall」。店内全体の雰囲気も上画像のようにまるで映画の一場面のようです。
 LPのジャンルはクラシック、ジャズ、ポップス等さまざま。客のリクエストに応じて奥の(これもすごそうな)プレーヤーでレコードをかけてくれます。

 客はヌルボたち3人だけ。(あとでもう1グループ来ました。) Sさんから「日本人の客」と聞いて店の女主人がかけてくれたのは五輪真弓「恋人よ」日本の歌が禁止されていた時代にも韓国人の間で広く愛好された代表的な歌です。
 そして次に流されたのはジョーン・バエズ「ドナドナ」でした。おお、なんと! ジョーン・バエズといえば1964年日本最初(?)のLP(右画像)を徳島のデパートで買ったことを覚えています。学生時代はその中の「ドナドナ」や、「ヘンリー・マーティン」、「かわいいひわ」等をコピーしてギターの弾き語りをしたものです。(←ヌルボの恥自分史(笑))
 その時、よもや半世紀も後に同じ曲をソウルのこんな店で聴くことになろうとは思ってもみませんでした。いやあ・・・。(と感慨にふけるヌルボ。)
 ・・・そんなわけで、Sさんがこの店に案内してくれてホントにラッキー。今回の旅行の中でもとくに思い出に残るひと時でした。
 ※このLPの中の「Mary Hamilton」という歌を楊姫銀(ヤン・ヒウン)が「美しいものたち(아름다운 것들)」というタイトルで歌っていることは→コチラの過去記事で書きました。

 「Rhee hall」のことは帰国後いろいろ日本語サイトを検索しても何もヒットせず。韓国語では→コチラや→コチラの記事が見つかりました。これらに記されている住所を手がかりに場所等を確認すると、その建物の1Fはヌルンジペクスクという鶏の水炊きの専門店。→ソウルナビでも紹介されている店です。もしいかれる方がいらっしゃったら3Fで食後のドリンクなどよろしいのでは?
 また<DAUM地図>のロードビューで見てみると、その建物の外観がわかりました。(下画像)
      
 一見して「これ、何?」と目が行くのが上に載っている造形物。拡大してみるとヴァイオリンを弾いている男です。こんなところにまで凝るとは、このRheehallの創業者とその発想についてちょっと気になるところです。

 1時間ほどで店を出て、(待たせてあった?)タクシーに乗り21時半頃ホテルに戻りました。
 この1日も盛りだくさんの充実した1日でした。案内して下さったSさんには、<韓国式>ということで当然のようにワリカンは一切ナシ。どうもごちそうさまでした。

 この旅行記もあと1回分という予定でしたが、この調子だと2回になってしまいそう・・・。
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中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行⑦ 3日目(後半)=大学路→彰義門・尹東柱文学館

2017-07-07 16:11:24 | 韓国旅行の記録
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行① 1日目(前半)=閑散としていた朴正熙記念図書館>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行② 1日目(後半)=安倍首相とのかすかな接点(??)>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行③ 2日目(前半)=市庁の地下にある遺跡→九老工団生活体験館>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行④ 2日目(前半のつづき)=大林洞の中華街は、中華料理というより中国朝鮮族料理の街>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行⑤ 2日目(後半)=清渓川文化館と板子家見学後、例の大デモ。直に見たら緊迫感ナシのお祭りムード!>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行⑥ 3日目(前半)=ソウル城郭道(恵化門~駱山公園)→大学路>

 たかだか3泊4日の旅の記録なのに、長々と、そしてこまごまと書きすぎ。いやいや、それ以前に、旅行から帰って半年経っているのに、まだ完結していないというのが最大の問題です。前の記事が3月、そして今回もそれから3ヵ月以上経ってしまいました。
 その間、新たに知ったこと。前回の記事では「駱山展示館を見た後、路上美術館を経て梨花荘(李承晩邸)へと下って行ったのですが、その辺りは→コチラの過去記事に書いた2014年8月の旅行記録とダブりますのでバサッと省略します」などと書いてしまいました。ところが、実は気になっていたことを書ませんでした。それは2014年8月に行った時に見たあの<花の階段>の絵が消されていたのです。私ヌルボ、内心「場所を間違えた?」「どこかの方針にしたがって消した?」等々考えましたが、その時も前回の記事を書いた時もスルーしてしまいました。ところがその後「ソウルの人気観光地「壁画の村」から絵が消えたワケ」という2016年4月の記事(→コチラ)を発見。つまり押し寄せる観光客に不満を募らせた住民によってあの「花の階段」や「魚の階段」等の絵が消されたということだったのですね。うーむ・・・。

○11月27日(日) (後半)

 梨花荘(李承晩邸)の裏手を回ってタラタラ恵化駅方面に向かいます。
 恵化駅まで10分あまりで着きましたが、時間はもう12時頃。この近辺で昼食にしようということになりました。と、その前に・・・。
      
 マロニエ公園にあるソウル大学校遺趾記念碑。1975年冠岳区に移転するまでこの地にあったソウル大学校のかなり精巧な立体模型が付いています。移転後も表通りはずっと大学路のままというのはいかがなものか、・・・ってソウル大病院はまだあるし目くじら立てるほどのこともないか。小金井に移転してから半世紀以上経つのに学芸大前の駅名はそのままだしなー。(関係ない?)

 マロニエ公園の北の道を東に行くと食堂がいろいろ。軽いものをたべようということでテキトーに入ったのが下左画像の店。
      
 菊秀家(ククスガ)という店名通り麺(ククス)の専門店です。私ヌルボが食べたのはアサリきしめん(바지락 칼국수)。(右画像)6千ウォン。いやあ、すなおなヌルボがすなおに美味しいと言える味で大正解でしたね。後でネット検索してみると→コネストでも→ソウルナビでも写真満載で詳細に紹介しているではないですか。おまけにアサリきしめんは三色エゴマ入りすいとんと共にイチオシメニューになってます。(フフフ、やったね!) なお、→コチラのブログ記事によればキム・スヒョンのサインが貼ってあったとか。そういえば、いちいち確認はしませんでしたが壁にたくさんサインが貼られてましたね。

 恵化駅から地下鉄で光化門駅に移動。そこからタクシーに乗って次の目的地彰義門・尹東柱文学館に向かいます。景福宮の正面(光化門)から北西方向に約3㎞の道のりです。バスではなくタクシーにしたのは途中立ち寄りたい所があったため。景福宮北西隅から至近のムクゲの丘(무궁화동산)という公園で、1979年朴正煕大統領が金載圭中央情報部部長に射殺された場所です。→コチラの過去記事に書いたように、その家(宮井洞の安家)は1980年取り壊されましたが、方向も同じだし、ちょっと行ってみたかったというわけです。
 ところが景福宮の西側に入ると、道路のここかしこで警官が検問をしていて、なんだか物々しい雰囲気。われわれが乗ったタクシーも止められてしまいました。運転手さんは「日本から来たお客さんが・・・」等々フントーしてくれましたが結局ダメ。つまりは「青瓦台に近いから」で、とくに昨晩の大デモの翌日ということで厳重な規制が行われていたようです。関連で、つい先々週「半世紀ぶり大統領府前の道を全面開放」というニュース(→コチラ)が報じられました。1968年の北朝鮮武装ゲリラによる青瓦台襲撃事件(韓国では1.21事態あるいは金新朝事件)以来夜間通行禁止になっていたのが夜間も通行が自由になって検問も廃止され、検問所のバリケードも撤去されるようになったとの内容。ということは今度行く時は大丈夫ということか。

 そんなわけでムクゲの丘には行けず、そのまま尹東柱文学館へ。紫霞門峠(チャハムンコゲ)というバス停の真ん前なのですが、タクシーを降りてすぐ目に入ったのは道路脇の大きな銅像(下左)です。
      
 説明文を読むと、上述の青瓦台襲撃事件(→ウィキペディア)の時に戦死した崔圭植(チェ・ギュシク)鍾路警察署長の像とのこと。すぐ近くには、同じ戦闘で犠牲となった鄭鐘寿(チョン・ジョンス)警査の殉職碑(上右)もありました。あとで→ナムウィキ等を見てみると、ここより南(現・景福高校裏手の青雲シルバーセンター辺)にあった紫霞門哨所(検問所)に服装等を偽装したゲリラ部隊が差し掛かり、報告を受けていなかった崔圭植所長が待ったをかけたちょうどその時、道路を上がってきたバス2台を見たゲリラ隊員はそれを韓国軍の支援部隊と誤認して警察に銃を乱射し、バスには手榴弾を投げたりして戦闘が始まったそうです。実はバスは一般のバスで、乗客も多数犠牲になったとか・・・。

 銅像の近くから少し登ると彰義門(北小門)。1741年に再建されたものだそうです。朝行った恵化門と一目見てどこが違うかというと・・・・・・わかりません。
 ただ明らかに違うのは、この辺りが上記のように青瓦台の治安・防衛上の要地であるということ。ソウル城郭案内地図(下)にも記されているように、ここから粛靖門(北大門)までは「身分証持参区間」です。
 そして、そのルートの入口付近。
          
 空いてはいますが、緊張感漂うゲートには「彰義門案内所 確認、申請書作成」という文字があり(左)、真ん中の第3033部隊長名の警告文には「北岳山探訪は軍事作戦地域なので探訪時間以外には出入りが禁止されています」とあります。そして右は「ドローン飛行禁止」という掲示。
 いやあ、来る前は全然意識はありませんでしたが、この一帯はそういう所だったのですね。そういえば前日、大規模デモに際してこの北岳山方面から青瓦台への接近を図って捕まった人たちがいたとのTVニュースがあったなー。

 そんなこんなで、ようやく尹東柱文学館に入りました。
 え、ここは館内撮影禁止だって!? 韓国では大体OKなのに・・・。(後から思い起こせば、撮ってた人がいたなー。) 映画「東柱」のヒットでここの入場者もずいぶん増えたのでは? この日も日曜ということもあって多数の観覧者がいました。あまり広くはないものの、東柱が読んでいた本とかの興味深い展示資料もあり、別棟の第3展示室では映像を流したりもしていました。詳細は→公式サイト(韓国語)、→<ソウルナビ>参照。

 ここを出た後ちょっと近辺を散策。時計を見ると午後3時頃。この日の夕食は畏友Y氏の仕事上の知り合いという韓国人ジャーナリストSさんの案内でどこかに行くという予定。まだ時間に余裕があるぞ、どこに行くか?ということで、なぜか2人とも盲点のようにまだ行っていない再建後の南大門に、今度はバスに乗って向かいました。

 さあ、これでこのシリーズあと2回だぞ。
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中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行⑥ 3日目(前半)=ソウル城郭道(恵化門~駱山公園)→大学路

2017-03-17 23:48:57 | 韓国旅行の記録
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行① 1日目(前半)=閑散としていた朴正熙記念図書館>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行② 1日目(後半)=安倍首相とのかすかな接点(??)>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行③ 2日目(前半)=市庁の地下にある遺跡→九老工団生活体験館>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行④ 2日目(前半のつづき)=大林洞の中華街は、中華料理というより中国朝鮮族料理の街>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行⑤ 2日目(後半)=清渓川文化館と板子家見学後、例の大デモ。直に見たら緊迫感ナシのお祭りムード!>

 前回から3ヵ月も間が空いてしまいましたが、昨年11月25~28日の3泊4日のソウル旅行の記録の続きです。昨年3月の旅行記録はまだ止まったまま。どうも手間暇がかかる記事になるとつい滞ってしまいます。

○11月27日(日) (前半)

 前夜の大デモの疲れもなんのその。・・・って見物しただけなんですが。しかし連日がんばって長距離(&長時間)歩いてるのはたしか。
でもって、この日も朝8時半頃から行動開始。
 まずは明洞で朝食だ!ということで、ホテル(ベストウェスタンプレミア国都)最寄りの乙支路4街から乙支路入口まで地下鉄で移動。
                 
 一昨日までは、その日朴正熙記念館に行ったこともあって、「李承晩・朴正熙以来、歴代大統領の御用達で有名になった」というコムタンの有名店・河東館(ハドゥングァン)(上左画像)に行こうかなという心づもりでした。私ヌルボ、行ったことないし・・・。ところが、その日の夜会った畏友Y氏の職場の後輩(ソウル勤務)X氏は「えっ、そんな豪勢な云々」という反応。そう言えば、だいぶ前に、ネイティブの韓国人女性にコムタン(格上)>>ソルロンンタン(格下)ということを言ってたな。というわけで、簡単に予定変更。お粥を食べようということになりました。
 明洞のお粥の店といえば、関連サイトでたぶん人気№1なのが味加本(ミカボン)。行ってみると、この時間(9時頃)そんなに人も多くない明洞なのに、数十m先からも見える長い行列で、これはパスするしかない。(あとから考えると、同じ建物1Fの人気店・神仙ソルロンタンとの見極めをちゃんとしてなかったですが。) で、そのすぐ先のお粥専門店・コンジハウスまで行くと、これまた行列。見れば大半は游客(요우커.ヨウコ)すなわち中国人観光客で、やはり中国の人たちは朝食はお粥ってことか。
 しかたなくヌルボ&畏友Y氏、他に適当な店はないかと歩き回るうち、スタバのビルの上階にお粥の店があるのを発見。(上・中画像。) 4Fということもあってか、ここは空席あり。やれやれ。論峴(ノニョン)参鶏湯という店名の示すように、参鶏湯の店として(一部では?)知られた店のようです。そしてヌルボが食べたのが野菜粥(ヤチェグク)9千ウォン。(上・右画像)。どこまでもお粥にこだわって正解、というか、(よくある)結果オーライの朝食でした。

 腹ごしらえを済ませたところで、この日前半の主目的である<ソウル城郭道>(の一部)ウォーキングに向かいます。
城郭都市ソウルの城郭は、当初(14世紀末太祖・李成桂の時代)は土製だったのが15世紀に石城に改修されたそうです。ところが次第に荒廃していき、20世紀とくに日本の統治下では都市の近代化が進む中で平地の城壁は撤去されてしまいました。
 その後1975年になって、韓国政府は本格的に城壁の補修を進めてきて、近年分断箇所はあるものの全周18㎞あまりの城郭道が整備され、観光メニューの1つにもなってきています。
 そのあらましは→コチラや→コチラの記事参照。
 ※前者は総距離18.6㎞・所要時間約9時間30分、後者は18.2km約12時間と、違う数字になっています。

 下左画像はこの<ソウル城郭道>(日本語版)の案内図。これはなかなか便利。ウォーキングの予定がない人も見る価値あり。細かなところまで見たい方は→コチラのブログ記事からコピペするといいでしょう。なお、韓国語版は→コチラ等にあります。なお、私ヌルボ、前日朝ソウル市庁地下の市民廰のインフォメーションでたまたまこの地図の現物があったのでもらってきました。たぶん市内各所の観光案内所にもあるのでは?
          
 そして上右が今回歩く部分。つまり恵化門~駱山(ナクサン)公園の拡大図です。

 ということで、ヌルボと畏友Y氏は明洞から地下鉄4号線に乗りました。
 恵化門(ヘファムン)は、5つ目の駅・漢城大入口で降り、徒歩で3分という近い所にあります。
          
 恵化門は、朝鮮王朝成立直後の1396年に建設されましたが1592年門楼が燃え、1744年に再建したものが近代まで残っていました。しかし日本統治期の1938年、恵化洞が終点だった電車路線を敦岩洞まで延長するにあたって取り壊されました。(→ナムウィキによる。)
 そんなわけで、現在の恵化門は戦後、それもわりと最近の1994年に再建されたものです。上右の画像を見ればわかるように、道路の横(北側)のかなり高い所(道路から約17m)にあります。しかし元の恵化門があった所は現在の道路上で、またその道路自体も恵化門が建っていた辺りの土を電車通行のために7mほど崩して造成したとのことです。したがって、恵化門を間近にみた後駱山公園・東大門方面に行くには画像の下の方に見えている横断歩道を渡って、反対側(南側)の登り口(下左画像)からまた坂道を登っていかなければなりません。、
      
 上右は登り始めてすぐの城壁。古い積み石の部分と新しく修復された部分が一目でわかります。

 駱山公園までは30分くらいだったかな? いくつか広場・施設等があって、どこに行くかにもよりますが・・・。
 駱山展示館を見た後、路上美術館を経て梨花荘(李承晩邸)へと下って行ったのですが、その辺りは→コチラの過去記事に書いた2014年8月の旅行記録とダブりますのでバサッと省略します。ただ、駱山展示館のある中央広場の場所をほとんど忘れていて20分くらいムダに歩いたのは情けなかったなー・・・。

 さあ、次は大学路方面で昼飯だー。 
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蔚山に、馬耳山に、朴正熙大統領記念館に・・・ 2016年の3度の韓国旅行の総まとめ

2017-01-08 23:58:15 | 韓国旅行の記録
 元日に、5年ぶりで前年の総括と新年の抱負を書きはじめたものの、最初の韓国旅行関係の総まとめだけでも分量が多くなりすぎ、結局独立の記事にするこしにしました。
 それというのも、3回で計17泊したということだけでなく、それぞれ共に旅をした人たちの顔ぶれが違い、また旅の目的・趣向といったものも相当に違うので、訪れた所も実に多様。
 1回目の旅の記録は→コチラを皮切りに7回連載したものの、メインの蔚山の記録を前にストップしたまま。
 2回目の旅は記事にさえしていません。
 そして3回目は→コチラから5回連載し、やはり半分を少し越えたところで停滞中。
 そこでこの際、私ヌルボの備忘録ということも意図して3回分の全記録をとりまとめてみました。
 ただ行った施設や史跡等の名称を並べるだけでは味も素っ気もないので、博物館や資料館等の施設史跡や文化財街並や景勝地、その他の観光ポイント食堂やカフェ等飲食関係と色分けし、評価を=個人的な感動度と、🌟=一般的なオススメ度の数で示しました。それぞれ2つが最高点です。

  《1回目》3月25日~4月1日(7泊8日) ソウル(5泊)・釜山(2泊)  ※1992年以来通算29回目の韓国旅行
 蔚山現地踏査が主目的の歴史研究者氏を含む3人組。ソウルでも、国立外交史料院、ソウル大学校奎章閣(古文書館)といった所を初めて訪れました。その蔚山では、たまたま鶴城李氏の祭祀(チェサ)にゲストとして参席。(例の)ブタの頭を前にしての儀式を見学させていただきました。
 その他、江華島や、個人行動で行った国立ソウル顕忠院も初めて訪れました。
 【3月25日】
   [ソウル・光化門駅から徒歩] ・ソウル歴史博物館
 【3月26日】
   [ソウル・良才] ・韓国外交史料館
   [ソウル・徳寿宮近辺] ・全州豊南会館・聖公会ソウル聖堂(祭壇の裏手の方の部屋も) ・重明殿・旧ロシア公使館塔・貞洞展望台🌟
   [龍山] ・CGV 龍山(映画「東柱」鑑賞)
 【3月27日】
   [江華島] ・高麗宮址・外奎章閣・江華郷校・江華山城・江華支石墓🌟・江華歴史博物館・江華平和展望台・李奎報墓・伝灯寺・草芝鎮🌟・徳津鎮・広城堡🌟
   [ソウル・仁寺洞] ・ガス灯(裏道のマッコリ酒場。歴史ある「学生酒店」)🌟
 【3月28日】
   [ソウル・ソウル大入口] ・ソウル大学校(奎章閣等)
   [銅雀] ・国立ソウル顕忠院(朴正熙・金大中・李承晩の墓等)
   [光化門] ・平家屋光化門店
 【3月29日】
   [釜山] ・50階段🌟・臨時首都記念館🌟・朝鮮通信使博物館・釜山博物館・古宮参鶏湯
 【3月30日】
   [蔚山] ・石渓書院・謹斎公古宅・西生浦倭城・トミナル食堂・蔚山郷校・鷗江書院・蔚山倭城🌟・東華精舎
 【3月31日】
   [蔚山] ・クジラ博物館🌟・龍淵書院(鶴城李氏の祭祀に参席)❤❤・蔚山博物館
   [ソウル・仁寺洞]・元祖仁寺洞スジェビ
 【4月1日】
   [ソウル・デジタルメディアシティ] ・韓国映像資料院

    
【左は貞洞展望台からの徳寿宮方面の眺望。右は釜山・臨時首都記念館内の李承晩大統領執務室。】

     
【左は蔚山・長生浦のクジラ博物館の売店。行く前はこれが博物館かと思っていました。中と右は龍淵書院の鶴城李氏の祭祀。例のプタの頭が膳の中央に置かれています。】


  《2回目》6月14日~18日(4泊5日)   ソウル(2泊)・全州(2泊)
 いつものサークルの仲間(計6人)と。私ヌルボ、最初は行く予定ではなかったのが、馬耳山(マイサン)に行くと聞いて急遽参加。全州では8年ぶりにお会いしたBさんと職場の同僚の方お二方とマッコリを飲み(あの)エイの刺身を食べたりしたのも良い思い出に。
 【6月14日】
   [ソウル・龍山] ・ドラゴンヒルズスパ
 【6月15日】
   [ソウル・龍山] ・秋風嶺カムジャタン
   [ソウル・孝昌公園] ・孝昌公園(白凡記念館等)🌟
   [全州・三川洞マッコリタウン] ・サランチェ(マッコリ酒場)
 【6月16日】
   [鎮安←全州からバス] ・1番地食堂(タスルギ(カワニナ)タンを初めて食べる)
   [鎮南からタクシー] ・馬耳山(マイサン)と塔寺(タプサ)❤❤🌟🌟
   [全州・韓屋マウル] ・東学革命記念館
   [全州・完山区ヨンソン路] ・タルピッソリ(国楽ライブ&マッコリ)🌟
 【6月17日】
   [ソウル・鍾路3街~仁寺洞] ・味カルメギサル専門🌟・伝統茶院・ガス灯
     
【左はソウル・孝昌(ヒョチャン)公園内の白凡(金九)記念館。右は全羅北道・塔寺。背後に馬の耳の1つが見えています。】 

     
【左は全州の韓屋マウル。店で借りた韓服を着て歩いている人が多数。流行っているようです。右はパンソリ等を聴きながらマッコリが飲める全州市内の店・タルピッソリ。前夜のサランチェ同様注文しなくてもいろんな料理が次々に出される。あの刺激臭が強烈なホンオフェも・・・。】


  《3回目》3回目=11月25日~28日(3泊4日)  ソウル(3泊)
 大学時代のクラスメートの元マスコミ関係者と2人。短い日程ながら、ソウル市内でこれまで個人的に行ってみたかった施設をまとめて見学。また何といってもあの「朴槿恵大統領退陣」の大デモの現場に行けたのは2016年の自分史中の特筆事項でした。
 【11月25日】
   [デジタル・メディア・シティ] ・朴正熙大統領記念館
   [世宗大路] ・新聞博物館🌟
   [寛勲洞] ・景福宮寛勲店(2015年安倍首相が訪れた高級焼肉店)
 【11月26日】
   [乙支路入口] ・プゴククチプ(武橋洞の干タラスープの店。朝食の定番)🌟🌟
   [市庁] ・軍器寺遺跡展示室(市庁舎の地下の市民廰内)🌟
   [加山デジタル団地] ・九老工団労働者生活体験館
   [大林] ・中華街(中国朝鮮族集住地)🌟
   [龍頭] ・清渓川文化館・清渓川板子家体験館🌟
   [市庁] ・朴槿恵大統領退陣要求大デモ
   [鐘閣] ・ムハンリピル(食べ放題サムギョプサル)
 【11月27日】
   [明洞] ・論峴(ノニョン)参鶏湯
   [漢城大入口] ・恵化門・駱山公園に向かう城郭道🌟・駱山路上美術館・梨花荘(李承晩邸.非公開なので外から見ただけ)
   [恵化(大学路)] ・ソウル大学校旧趾・菊秀家(ククスガ)
   [紫霞門峠(バス停.チャハムンコゲ)] ・尹東柱文学館
   [市庁から徒歩] ・南大門
   [三角地] ・鳳山家(ポンサンチプ)🌟
   [城北洞] ・Rhee hall(数十万枚(?)のLPがあるミュージックカフェ)❤❤🌟
 【11月28日】
   [南営] ・警察庁人権センター(朴鍾哲記念館)
   [乙支路3街] ・乙支冷麺🌟
   [新村] ・李韓烈記念館・延世大学校尹東柱記念室
   [弘大前] ・弘益大学校(正門を見てきただけ)・駐車場通り
      
【左は大林洞(テリムドン)の中華街。と言っても観光的雰囲気はなく、この付近に多い中国朝鮮族向きの店が並ぶ。羊肉の串焼き(ヤンコチ)と犬肉料理店が目につきます。右は例の土曜の大規模デモ。「朴槿恵退陣」等と印刷された紙は野党(共に民主党や国民の党等)が配っていました。】

      
【左はソウル城郭道。右は城北洞のRhee hall。両側の棚にはLPがぎっしり! 日本から来たと聞いて五輪真弓の「恋人よ」をかけてくれました。そしてジョーン・バエズのドナ・ドナ。10代の頃ギターの弾き語りをしたりしていた私ヌルボ、まさか半世紀後にソウルで聴くとは思いもよらなかった! この建物の1階の食堂ヌルンジベクスクは人気店のようですが、3階のRhee hallの紹介記事は日本語サイトにはありません。】

 とても収穫の多かった2016年の韓国旅行。で、今年の計画はというと、しばらく前から行こうと思いながらも実現していなかった台湾に行こうと思っています。
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中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行⑤ 2日目(後半)=清渓川文化館と板子家見学後、例の大デモ。直に見たら緊迫感ナシのお祭りムード!

2016-12-21 17:25:29 | 韓国旅行の記録
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行① 1日目(前半)=閑散としていた朴正熙記念図書館>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行② 1日目(後半)=安倍首相とのかすかな接点(??)>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行③ 2日目(前半)=市庁の地下にある遺跡→九老工団生活体験館>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行④ 2日目(前半のつづき)=大林洞の中華街は、中華料理というより中国朝鮮族料理の街>

○11月26日(土) 後半

 しばし教大駅近くのピジュンで餅菓子を食べながら午後3時頃までマッタリ。雪の降りは積もるほどではないものの、ふつうの革靴ではぬかるんでいる坂道は危険があぶないし・・・、本日のメーンイベント(?)の大デモまでは時間があるし、じゃあどこ行くか?ということでふと思いついたのが清渓川文化館。ここもまた、行くにしても1人で行くしかないな、と思っていた観光ポイントでもない諸施設を口にすると全然難色を示すことなく「そこ、行こう」となるのが畏友Y氏です。

 地下鉄2号線龍頭(ヨンドゥ)を出るとすぐ清渓川の橋(古山子橋というのか)。
 ここまでくると、起点の世宗大路近くの「都心のオアシス」といった雰囲気とは全然違った相貌です。
 ※右画像は、古山子橋から西の方の眺望。

 雪はもうほとんど止んでいます。川沿いの道を少し歩いて文化館に到着(下左)。道路を挟んで向かいに付属施設の復元した清渓川板子家(パンジャッチプ)体験館があります(下右)。
 ※板子家(반잣집)とは、かつて川沿いに密集していたバラックのこと。→関係過去記事

     

 館内の展示物は清渓川復元工事関係のものが比較的多い感じ。概容は→ソウルナビの記事を参照されたし。
 で、私ヌルボの関心はというと、清渓川自体よりも、近代以降現代に至るまでこの川辺で暮らしていた人々の生活史です。
 展示物の中に、かつての川辺の家々のとても精緻な模型がありました。
       
 よく見ると、川辺で洗濯をしている女性、屋根の補修をしている(?)人、遊んでいる子供たち等々いろんな人たちがいて、また唐辛子が干してあったり甕が置いてあったりと、実に手が込んでいます。

 そして、各時期の多くの写真が展示されています。(左の写真は1903年のもの。)
  その中にあったのが野村基之さんという人の撮った写真(右)。私ヌルボ、この人の名前を知りませんでした。→コチラの記事によると職業はカメラマンではなく牧師で、1970~80年代に清渓川等で貧民救済活動を行い、「清渓川貧民の聖者」と呼ばれている人で、2013年にソウル市の名誉市民証を受賞したとのことです。また→コチラの記事には、写真10数枚とともに彼自身の証言等が掲載されています。



 なお、日本の統治時代この清渓川の川辺に生きる庶民の哀歓を綴った小説が戦後越北した作家・朴泰遠(パク・テウォン)「川辺の風景」(作品社)です。(これはざっと流し読みした程度なので読み直さなければ・・・。) ※ついでながら、映画監督のポン・ジュノは南側に残った朴泰遠の次女の息子。




 約30分駆け足で館内を観て回った後、向かいの清渓川板子家体験館へ。右画像のように川の方に張り出した、かなり危なっかしい建物です。が、昔の板子家と比べるとはるかに頑丈そうなつっかい棒です。(昔は崩壊事故はなかったのかな?)

 中に入ると、意外なほど大勢の人が来ていました。
 70年代頃の日用品や教科書、漫画本等々が展示されています。
 愛想の好さそうな案内のアジュマがいて、ちょこっと昔の話を聞いたりしました。

         
 漫画本がたくさん!(ピンボケですみません。) 時間があれば読んでみたかったな。その本棚の前には昔の教科書。
            
 思い出の教室。横には時間割。算数が週5回で最多、次が国語の4回。道徳が3回というのは多いですね。日本の理科に相当する科目は韓国では「自然」です。その右の画像は朴正熙記念館にもあった「国民教育憲章」(1968)です。
 ※この清渓川板子家体験館の展示品の写真は→コチラの韓国記事に多数載っています。
 
 午後5時過ぎに出て、西側の橋を渡って対岸の道から龍頭駅に戻りました。

 さあ、次はいよいよ大デモだぞっ、と私ヌルボがとくに入れ込むこともないのですが・・・(笑)。
新設洞で1号線に乗り換えたのは5時半頃。案の定の混みようで東大門からはすし詰め状態。出で立ちで一目瞭然の人もそうじゃない人も、乗客ほとんどはデモ参加者。鐘閣で降りた人も大勢、またヌルボたちのように市庁で降りた人も大勢。改札を出ると人の波。
 地上に出るとやっぱり人、人、人。
     
 ソウル広場で座り込んでいる人たち(上左)。演説よりもまず耳に飛び込んできたのは歌声。いろんな方向から聞こえてきます。
 人の流れにしたがって景福宮方向に歩いて行くと、目についたのは子連れの家族の多さ。手をつないだり(上右)、中には肩車をしているお父さんもいます。
      
 私ヌルボ、来る前から気になっていたり、知人から「現地で確かめてよ」と言われていたこと等がいくつかありました。その1はニュースでもよく見るあの人たつが手に持っている主張・要求が記された紙。昨年の安保関連法案反対デモの時の「アベ政治を許さない」は金子兜太さんの書いたものを各自がプリントアウト(&コピー)したりして持参したのですが、今回の韓国の大デモはやっぱり野党側が大量に用意して現地で配布していました。
 上左は第1野党の共に民主党のビラ配布所。赤色と青色がありますが、同じ紙の裏表です。
 それから、あの大量のローソクはどこで買うかというと、ここかしこで売っていました(上右)。1本千ウォン(約100円)。団体によってはまとめてメンバーに配ったりもしているのかな? また火を点けるローソクではなく、ローソクのような形のペンライト(?)も売られていました。(2千ウォン。)
 ※ローソクデモは2008年の狂牛病関連の米国産牛肉輸入再開反対デモが最初と思っていましたが、→コチラ
の記事によると2002年楊州で起こった米軍装甲車により女子中学生2人がひき殺された事件に対する非難・抗議デモが最初とのことです。

 また、「こんなに大勢の人たちのトイレ事情はどうなってるの?」という調査依頼(?)がありましたが、これは直接には未確認のまま。ただ、→コチラの記事(韓国語)によるとスマホでいろんな便利情報が出回っているようですね。集会場所の他、トイレ、コンビニ、緊急施設等々。とくにスマホがキャンドルになるというアプリはすごく利用されているようですよ。左画像はソウル広場周辺のトイレ地図。右のリストには各トイレの開放時間帯も記されています。常時使用可能のトイレは5ヵ所。これは旅行者も活用できますね。※この地図の出所は→コチラです。
 要するに、大勢の人たちの心配事や要望があれば、ちゃんとそれに応えるようになっているということです。
 それにしても、緊迫感ナシのデモで雰囲気はむしろお祭り。韓国メディアは保守紙も含めて自讃していて、それはわからないでもありませんが、何か別の問題もありそうな・・・。

 タラタラと歩いて、やっと前方に李舜臣像が見えてくるあたり(右)まで来て、これ以上やじ馬的に歩いてもなんだかなー、腹も減ったし・・・ということで集団から離れます。といっても道路脇も、少し離れた道も人が多いのは同じ。どこまでがデモ参加者に算定されるのか本人でさえわかってないという人も多かったと思います。

 というわけで、教保ビルの手前から東、つまり鍾路の通りに出てみると・・・。
        
 おおっ、車が通ってない! ・・・考えてみれば世宗大路は横切れないから当然ではあるんですけどね。鐘閣方面、YMCAの前あたりも車道に人が大勢。デモ参加の集団もいます。
 
 別に戦をするわけじゃなくても腹が減っては何もできません。何か食べよう、・・・とサムギョプサルの食堂を物色するもどこも客がいっぱい。
何とかムハンリプル(무한리필)という店に入ったところ、9900ウォンで肉だのキムチだの野菜だのが2時間内で무한리필=おかわり自由とあって若い人たちが大半の店でした。
 この2階の店に上がる階段の踊り場に昔の写真が満載されているパネルがありました(右)。説明等はナシ。ちょっと気になって撮ったものをそのまま貼っておきます。

 さあ、これであとはホテルに帰って寝るだけだ~! この日も長い1日だったなー・・・。



             
左から、共に民主党「朴槿恵大統領 退陣せよ!」、同「朴槿恵大統領 厳重捜査!」、国民の党「朴槿恵 退陣」、同「朴槿恵 弾劾」


           
 上はソウルの声(서울의 소리)という進歩系メディアのチラシ。「親日反逆者清算は歴史的義務」という言葉があったり、裏面には「高木正雄(朴正熙の日本名)の実体」という大きな見出しに、昔の日本軍によるおぞましい写真が・・・。(今回の事態とどんな関係があると?)
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中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行④ 2日目(前半のつづき)=大林洞の中華街は、中華料理というより中国朝鮮族料理の街

2016-12-15 16:00:02 | 韓国旅行の記録
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行① 1日目(前半)=閑散としていた朴正熙記念図書館>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行② 1日目(後半)=安倍首相とのかすかな接点(??)>
 →<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行③ 2日目(前半)=市庁の地下にある遺跡→九老工団生活体験館>

○11月26日(土) 後半

 12時過ぎに九老工団生活体験館を出ると、少し雪がちらついていましたが、次の目的地大林洞(テリムドン)方面はそんなに遠くはなさそうなので歩いて行くことにしました。
 その大林洞一帯は、近年増えている中国朝鮮族の集住地域です。
 今年(2016年)の日本と韓国のメディアでは、両国とも外国人労働者が年内に100万人に達する見通しとなったと報じられました。コチラの中央日報の記事によると、うち中国朝鮮族が約45%と圧倒的多数を占めています。彼らがとくに多く従事するのは、日本の3K(きつい・汚い・危険)と同義の3D(difficult・dirty・dangerous)の職種。その場所の多くは(日本同様)以前から中小工場の密集地だったところで、それがすなわちこの加山洞・加里峰洞・大林洞一帯、あるいはソウル近郊の安山市というわけです。

 右画像は加山デジタル団地からあまり離れていない加里峰洞の表通り。もうこの辺りから中国語の看板が目につきます。

 地図ではわからなかったのですが緩い上り坂で、雪も降り続けていたので途中の南九老駅から大林駅まで1駅ですが地下鉄で行くことに。

 チャイナタウンは大林駅の南東方向。歩き始めてすぐ目にとまったのは(朝鮮族とは関係なさそうですが)2つ前の記事で書いたコムジャンオ(ヌタウナギ)の店。水槽にそのオゾマシイ魚(魚じゃないって?)がたくさん。
    
 「今度きっと食べにくるからね」と自分から言ったのがコレか、うーむ・・・。店の名は機張(キジャン)コムジャンオでした。(※機張は釜山市内で、コムジャンオの店がたくさんある所として知られる。)
 
 勘を頼りに歩いて、遠回りながら中華街に入り込みました。
    
 赤い色が目立ちます。意外に長い通り(500m近く?)の両側に食堂がたくさん並んでいます。両替店、旅行会社等もあります。食堂のメニューは火鍋や餃子等の他、とくにこの街らしいのはヤンコチ(양꼬치)。羊肉の串焼きで、コチュカル(唐辛子粉)等につけて食べます。<羊肉串>と中国語で書かれた看板がここかしこに見られます。・・・が、腹ペコというほどでもない畏友Y氏&ヌルボは結局パス。実際ここの店に入って食べた方のブログ記事(→コチラ)を見ると、串1本でもけっこうボリュームがありそうで、日本人の中でも胃袋が小さめなヌルボは食べきれない感じ。(※リンク先の記事が消えていたので20年4月差し替えました。なお→コチラも参照されたし。)
 そしてもうひとつ目についた店がコレ。
      
 狗肉、つまり犬肉料理店がホントにたくさんあります。上右は、抵抗感がある方もいらっしゃると思ってあえてボンヤリとした画像にしました。
 中華街といっても、横浜のそれとは全然違って観光的要素はなく、中国朝鮮族の生活圏の中の通りで、料理も中華料理というより朝鮮族料理と言った方がいいですね。そうした街の雰囲気や食文化に触れてみたいという人はぜひ行ってみてください。

 予定では2号線で宣陵駅まで行って繁華街の中のオアシス三陵公園を散策するつもりでしたが、この天気ではしょうがなく断念。(大林駅→)教大駅で降りて餅菓子チェーン店ピジュン(빚은)で一休み。

 おっと、このペースだととてもこの日の終わりまで書ききれないよ。ということでここで一区切り。
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