私ヌルボ、今月12日~15日長崎に行って来ました。ほとんどは公務なので自由時間はあまりなかったのですが、14日(日)午後にふつうのガイドブックには載っていない<岡まさはる記念長崎平和資料館について>というマイナーな資料館に行って来ました。地元の高校の先生の強いお薦めで、また長崎駅から近くて行くのに便利ということもあって行ったというわけです。
この資料館のサイトにもあるように、ここの展示の趣旨は「日本の過去の加害行為と戦後の無責任性を明らかにし、日本政府に真摯な謝罪と補償の実現を求めることを目指しています」ということで、「朝鮮人被爆者コ-ナ-」、「飯場コ-ナ-(強制連行・強制労働)、「日本の侵略・朝鮮編」、端島コ-ナ-、「慰安婦問題コ-ナ-」などを設けています。
たぶんこれだけで、「ネトウヨ」の人だけでなく相当数の人たちが拒絶感を持つだろうと思います。
しかし私ヌルボ、とりあえず虚心にすべての展示物を見、書籍販売コーナーの本もチェックしてきました。上記各コーナーの展示物には、既知の事柄、今まで見たことのある写真や資料も相当数ありましたが、とくに地元長崎については今まで知らなかった具体的な資料がいろいろ展示されていて、新たな知識を得ることができたのは収穫でした。
【炭鉱での朝鮮人労働者や、朝鮮人の原爆被爆者の資料がいろいろあります。】
資料館を開設した岡まさはるさんの「強い加害者意識」については、私ヌルボも正直なところ100%の共感を覚えるものではありません。首を傾げざるをえない部分もあります。しかし、そのような思いがあればこそ明らかにされた事実があります。また歴史の中で自分の努力・能力等と関わりなく不幸な人生を送ることになってしまった、たとえば朝鮮人徴用者たちのことも、(明治以来の日本人労働者等と同様に)決して記憶や記録から消し去ってはならないと思います。
この資料館は長崎駅から徒歩10分足らず。日本二十六聖人記念館からほんのすこし坂道を上がった所にあります。
自身の政治的・思想的立場はいったんおいといて、行って見てみて下さい。
【駅前の大通りから坂道をあがって・・・といっても、そんな長い距離でもありません。】
続きはその日本二十六聖人記念館について。ここが韓国・朝鮮と関連がある(?)とは、ヌルボも思ってもいませんでした。
この資料館のサイトにもあるように、ここの展示の趣旨は「日本の過去の加害行為と戦後の無責任性を明らかにし、日本政府に真摯な謝罪と補償の実現を求めることを目指しています」ということで、「朝鮮人被爆者コ-ナ-」、「飯場コ-ナ-(強制連行・強制労働)、「日本の侵略・朝鮮編」、端島コ-ナ-、「慰安婦問題コ-ナ-」などを設けています。
たぶんこれだけで、「ネトウヨ」の人だけでなく相当数の人たちが拒絶感を持つだろうと思います。
しかし私ヌルボ、とりあえず虚心にすべての展示物を見、書籍販売コーナーの本もチェックしてきました。上記各コーナーの展示物には、既知の事柄、今まで見たことのある写真や資料も相当数ありましたが、とくに地元長崎については今まで知らなかった具体的な資料がいろいろ展示されていて、新たな知識を得ることができたのは収穫でした。
【炭鉱での朝鮮人労働者や、朝鮮人の原爆被爆者の資料がいろいろあります。】
資料館を開設した岡まさはるさんの「強い加害者意識」については、私ヌルボも正直なところ100%の共感を覚えるものではありません。首を傾げざるをえない部分もあります。しかし、そのような思いがあればこそ明らかにされた事実があります。また歴史の中で自分の努力・能力等と関わりなく不幸な人生を送ることになってしまった、たとえば朝鮮人徴用者たちのことも、(明治以来の日本人労働者等と同様に)決して記憶や記録から消し去ってはならないと思います。
この資料館は長崎駅から徒歩10分足らず。日本二十六聖人記念館からほんのすこし坂道を上がった所にあります。
自身の政治的・思想的立場はいったんおいといて、行って見てみて下さい。
【駅前の大通りから坂道をあがって・・・といっても、そんな長い距離でもありません。】
続きはその日本二十六聖人記念館について。ここが韓国・朝鮮と関連がある(?)とは、ヌルボも思ってもいませんでした。
しかし彼らはなぜ「強制連行」というような政治的臭いが強すぎる用語を敢えて選んで、普通の立場で見学したい人の足まで遠のかせてしまうんでしょうか。
資料館に置かれている手記等を読むと、おそらく現地の(朝鮮人と思われる)担当者が、員数をそろえるために村内の有力者の息子等を除き、貧困層等社会的に弱い部分を中心に割り振った事例が記されたりしていました。あるいは、日本に(自由意思で)来ていた朝鮮人が、働き口を求めて自ら炭鉱労働者となった事例もあります。
すくなくとも、朝鮮で大勢の人たちを有無を言わさずまとめて連れてきて、炭鉱等で無給で過酷な労働を強制した、と一律に言えるものではありません。過酷だったのは事実ですが・・・。
最近では慰安婦のことを「性奴隷」といいかえる例が多くみられるようになりました。これも語感を「利用」したイメージ戦略でしょうが、「歴史に目を向けろ!」と主張する人たちが、逆に歴史を見る目を曇らせるような用語を多用するのは矛盾していると思います。
人権運動が展開されていく中で、政治と関わることになるのは必然なんでしょうが、その政治姿勢が鮮明になっていくと、本来の人権問題に対する見方が(たぶん対立する双方とも)歪められていくようです。そういう政治的宣伝が、実際には逆宣伝になってしまうことも多いということを、当の運動体の側はどう思っているのでしょうか? (自分が信じる)「正義」は、声を大にして叫び続ければ、いつか受け入れられると信じているのでしょうか?
かつての徴用労働者や慰安婦の人たちの過酷な人生の記録は歴史にきちんと留めるのは当然のことだし、同じようなことのないように反省し、未来に向けて努力すべきだと思います。
ただ、それらを生んだ原因を極端に単純化したり、政治の具とするような動きばかり広がってきているのが残念です。
それがつくり話だとわかった時には、本当に「騙された」という気持ちで、本当に何も信じられなくなりました。創氏改名等もイメージと実際の差が激しすぎて、「なぜこんなに騙されて来たんだろう。なんで彼らは嘘をつくんだろう」と驚くと共に、韓国に対する逆に興味が湧いて来ました。
慰安婦については「挺身隊対策協議会」という団体名も本当に歪曲ですよね。 直接メールして確かめてみましたが、彼らも慰安婦と挺身隊が違うことはよくわかってるんです。でも、敢えてイメージの強そうな物を選ぶ。
今後「性奴隷対策協議会」になるかもしれないですね。
でも、私のように騙される人は、このネット社会ではほとんどいなくなるでしょうね。
岡の議論は、永井隆のいわゆる「燔祭論」ほどではないにしても、生前から強い批判に晒されていたはずです(忠魂碑訴訟を提起した牧師さんなわけですから)。それでもなお、確信してそのような主張をしていたこと、1918年生まれの岡が抱き続けたその情熱とモチベーションに、個人的には関心が向きます。
このような施設があることは全く知りませんでした。今度何時になるか判りませんが訪れたいと思います。
御紹介有難うございました。
余計なことですが原爆関係の場所を訪れた後、諫早の野呂邦暢のお墓参りをしたのも良い思い出です。
広島へも去年訪れることができました。中曽根首相の碑も見てきました。
たしかに、ネット上で彼やこの資料館について書かれたブログ記事を読むと、毀誉褒貶さまざまですね。(さもありなん、です。)
箕面忠魂碑訴訟については、アウトラインだけ何かで読みましたが、長崎忠魂碑訴訟については岡正治という人とともに今回初めて知りました。
本島等元長崎市長についてのコチラ記事→
http://www.ne.jp/asahi/spain/freedom/national.html
にも少し彼のことが書かれていました。
西村明さん及び『戦後日本と戦争死者慰霊―シズメとフルイのダイナミズム』という本のことは知りませんでした。横浜市立図書館の蔵書、それも私の「定位置」の4Fの開架にあるようなので、読んでみようと思います。
私は戦争文学に関心があり、野呂邦暢の『戦争文学試論』という本を以前読んだことがあります。
今刊行中の集英社の「戦争と文学」シリーズを購読しているのもそんな興味関心からなのですが、その第1巻「朝鮮戦争」中に彼の『壁の絵』という小説が収録されていました。そこでは舞台が「伊佐里」と架空の地名になっていて、え、伊万里?と思いましたが、「N市の兵器工場へもS市への軍港にも通ずる鉄道の分岐点」とあるから諫早ですよね。
彼のお墓が諫早にあることは知りませんでした。お墓参りとは、それだけ思い入れが深いということでしょうか?
伊東静雄も諫早出身だそうで、今にして思えば事前学習をちゃんとした上で長崎に行って、さらに1、2泊していろいろ見学してくるべきでした。(後悔先に立たず。)