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[長崎と韓国・朝鮮③] 日本二十六聖人記念聖堂で、なぜか朝鮮三国時代の弥勒菩薩像が・・・

2012-10-28 20:20:47 | 韓国・朝鮮と日本の間のいろいろ
 10月20日の記事で紹介した岡まさはる平和資料館から坂道を少し下った所に日本二十六聖人記念聖堂聖フィリッポ教会があります。
 この聖堂は二十六聖人の列聖100年を記念して1962年に建てられたもので、自身カトリック信者であり、ガウディを初めて日本に紹介した今井兼次という建築家が建てたものだそうです。見るからにガウディを思わせる外観で、内部にも見るべきものがいろいろありました。(画像は→コチラ。)

 聖フィリッポ教会の道路向かい側に、日本二十六聖人殉教地(西坂公園)日本二十六聖人記念館があります。

    
      【西坂公園内の日本二十六聖人記念碑。日本二十六聖人記念館はこの背後。】

 「二十六聖人」とは、1596年のサン・フェリペ号事件をきっかけに、再び禁教令を公布した秀吉によって京都・大阪で捕縛され、長崎で処刑されたカトリック信者たち26人のことです。

 この1596年という年は、豊臣秀吉による2度にわたる朝鮮出兵の文禄の役(1592~93年)と慶長の役(1597~98年)の間の年で、この頃は日本でのキリスト教史だけでなく、朝鮮へのキリスト教伝来史についても重要な時期です。(この件については、今年7月刊行された浅見雅一・安廷苑「韓国とキリスト教」(中公新書)に記されています。近いうちに記事にします。)
 ・・・とはいっても、私ヌルボがこの二十六聖人記念館に入ったのは、岡まさはる平和資料館のすぐ近くにあったから、という理由で、とくに韓国・朝鮮関係でめあてがあったというわけではありません。

 ところが、展示物をいろいろ見て回っていると、「あれれ!?」という像が目に入りました。
 あの有名な広隆寺半跏思惟像、あるいは韓国の国立中央博物館にある国宝83号の半跏思惟像と同じような銅造半跏思惟像です。ただしこちらは高さ10数㎝と、ずいぶん小さいものですが。
 「ここになんで仏像が?」と思いつつ説明を見ると、朝鮮三国時代(6~7世紀)頃に造られたもので、隠れキリシタンがイエスの代わり仏として祈りに用いた経歴があり、1980年に子孫が教会に寄進したということだそうです。1982年には長崎県の県文化財に指定されたとか。

 ★この像の写真は二十六聖人記念館のサイト中の「記念館の宝物」のページにあります。(中浦ジュリアン自筆の書状等も。彼につては本ブログの過去記事でちょっと書きました。→コチラ。)

 さて、各地の弥勒菩薩を紹介している→コチラのサイトでは「対馬、壱岐の金銅仏と同様、中世の倭寇の往来によって請来されたと思われ、その後、隠れキリシタンの家で、イエズスを象徴するものとして、守り伝えられてきたものである」という長崎県文化財資料の説明を引用しつつ、「弥勒信仰には仏教では珍しい「メシア」思想があるといわれている。迫害されている隠れ切支丹の人々は、敏感にも、この仏像の温和な微笑のなかに、「メシア(救世主)」を感じ取っていたのであろうか」とコメントを付しています。

 また、→コチラのサイト等には「薬指と親指をくっつける弥勒菩薩の右手の形はキリスト教の壁画等にも同様のものがあって、三位一体を表している」とか、「敦煌にある景教の壁画の大主教の絵に同じポーズがある」とかの記事があります。もしこれがマトモな所説だとすると、隠れキリシタンが祈ったというのもそれなりの根拠があったのかもしれない、と思えないでもない、かな??

 千何百年もの長い年月を経て今に伝わるこの像の来歴を、この像の視点から、監視カメラの保存動画を再生するような形で見ることができたら、いったいどんな人たちの姿が写っているでしょうか? ・・・という発想で物語を書いてみるのもおもしろいと思います。

 このシリーズはあと1回。実はその最後の記事がメインです。

 → [長崎と韓国・朝鮮④] 軍艦島と、軍艦島ツアーの概要

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