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森茂暁氏「大塔宮護良親王令旨について」(その2)

2021-01-27 | 建武政権における足利尊氏の立場
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 1月27日(水)22時03分41秒

第二節から第四節までにも興味深い指摘が多いのですが、護良が正式に征夷大将軍に任じられる前に「将軍家」を「自称」していたか否か、に関係する部分に焦点を絞りたいと思います。
ということで、第五節を引用します。(p200以下)

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   五 征夷大将軍就任と失脚

 『増鏡』第一七(月草の花)に次のような記述がある。

(元弘三年六月)(尊雲=護良)
 十三日、大塔の法親王宮こに入給。この月比に、御髪おほして、えもいはずきよらかなる男になり給へり。唐の
 赤地の錦の御鎧直垂といふ物奉りて、御馬にてわたり給へば、御供にゆゝしげなる武士どもうち囲みて、御門の
 御供なりしにも、程々劣るまじかめり。すみやかに将軍の宣旨をかうぶり給ぬ。

 護良親王の意気揚々たる入京のさまをあますところなく伝えているが、ここでは護良が将軍、つまり征夷大将軍になったとしるされていることを確認さえすればよい。問題は将軍になった時期である。『大日本史料』第六編之一は、右にあげた『増鏡』や『太平記』などの記事によって、護良の入京と将軍任命を元弘三年六月一三日としている。
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いったん、ここで切ります。
護良が帰京したのは『増鏡』や古本系の『太平記』が記す六月十三日か、それとも流布本系の『太平記』が記す六月二十三日かについては、既に『大日本史料』第六編之一で詳細な検討がなされていて、田中義成は六月十三日が正しいと判断していますね。
しかし、佐藤進一『南北朝の動乱』(中央公論社、1965)や永原慶二『大系日本の歴史6 内乱と民衆の世紀』(小学館、1988)は、そのような議論があることすら示さずに六月二十三日としています。

護良親王は征夷大将軍を望んだのか?(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d5725c255cb83939edd326ee6250fe7a
永原慶二氏「尊氏は鎌倉に入り、その月のうちに直義を毒殺して葬り去った」(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8ca2ccc6f85cfed88d01dc069dfe90bd

さて、続きです。

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 しかしながら、護良の令旨を編年に並べてみれば、この日を待つまでもなく、すでに五月一〇日付の令旨で自ら「将軍宮」と称していることがわかる。ここで、一覧表にあげた39および40の連続する二通の令旨を示そう。

  度々合戦捨身命致軍忠之刻、去四月三日・同八日・廿七日等合戦之時、子息已下郎従討死之条、尤以不便次第、
  所有御感也、早可有恩賞者、大塔二品親王令旨如此、悉之、以状、
      元弘三年五月八日 左少将〔定恒〕(花押)
     備後国因嶋本主治部法橋幸賀館

  摂津国三ケ庄事、任貞観之宣旨、被管領可全所務、宜奉祈当今皇帝御願、且度々合戦軍忠之条、奉公異于他、云
  彼云惟、忠功異于他、向後弥可奉祈国家者、依 将軍宮仰、御下知如件、
      元弘三年五月十日 左少将<在判>
     勝尾寺住侶等中

 前者では「大塔二品親王令旨如此、悉之、以状」と、そして後者では「依 将軍宮仰、御下知如件」と書き止められている。両者の日付の間に、護良の地位に大きな変化があったことはほぼ疑いあるまい。また、その変化が五月七日の六波羅陥落と深く関係しているであろうことも推測にかたくない。
 この元弘三年五月一〇日令旨の次にくる同五月十二日令旨(「久遠寺文書」、一覧表の41)の書き止めは五月一〇日のそれと同様であるが、その次の同年五月一四日令旨(『師守記』紙背文書、一覧表の42)では従来の「二品親王令旨如此、仍執達如件」の形が顔の出しており、当初、書き止め文言は必ずしも一定してはいない(43も同様)。
 しかし、筆者の収集によれば、おそくとも元弘三年五月二一日令旨(『金剛寺文書』、一覧表の44)より以降は「依将軍家仰(令旨)、……」(50は「依 宮将軍令旨」)という表現に変わり、同年八月下旬まで続いている。
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ということで、元弘三年(1333)五月八日と五月十日の間にくっきりと線が引かれていて、「両者の日付の間に、護良の地位に大きな変化があったことはほぼ疑いあるまい」という結論になる訳ですね。
この後、森氏は「上の句に続く書き止め文言」、即ち「(仍)執達如件」「(御)下知如件」「(如此)、悉之、以状」という表現について若干の考察をされますが、省略します。
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