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森茂暁氏「大塔宮護良親王令旨について」(その1)

2021-01-27 | 建武政権における足利尊氏の立場
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 1月27日(水)18時18分26秒

ということで、小川信編『中世古文書の世界』(吉川弘文館、1991)所収の森茂暁氏の論文、「大塔宮護良親王令旨について」を少し検討してみます。
小川信氏の「序」によれば、

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 本書は中世史研究の大家から中堅にいたる十五氏による、中世古文書を主な対象とした最新の研究成果を収録した論集である。この論集は、私の古稀を記念して寄稿してくださった四十四編の論稿の中から、古文書に関わりの深い十五編を私の編集に委ねて『中世古文書の世界』として刊行し、他の二十九編は『日本中世政治社会の研究』と題して別に一書とするという、発起人諸氏の意向に添って実現したものである。
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とのことで、1949年生まれの森茂暁氏は1991年時点では四十二歳ですから、「大家」ではなく「中堅」の方に分類されるのでしょうね。

小川信(1920-2004)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E4%BF%A1

ウィキペディアで小川信氏の記事を見たら、暁星中学卒業後に国学院予科、次いで国学院大学史学科とのことで、ちょっと珍しいご経歴ですね。
カトリック系の暁星中学はフランス語教育で有名で、戦前に暁星中学卒といったら外交官などに多い相当お洒落な学歴ですが、それにしては何故に国学院のような、失礼ながら戦前でもかなり野暮ったい大学の予科に転じたのか。
ちょっと調べてみたくなりますね。
ま、それはともかく、森論文の構成は、

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一 はじめに
二 「綸旨ノ文章」の令旨
三 護良親王令旨の登場
四 六波羅探題の陥落まで
五 征夷大将軍就任と失脚
六 護良親王令旨の奉者
七 後醍醐天皇綸旨との関係
八 おわりに
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となっていますが、まずは「はじめに」で論文の趣旨を確認します。(p192以下)

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 護良親王はいうまでもなく後醍醐天皇の皇子であり、その皇子としての順について『太平記』巻一は「第三宮」とする。生年は延慶元年(一三〇八)と推定される。
 筆者はすでに、後醍醐天皇の皇子たちの動向を南北朝史に位置づける作業を行ったが、護良についてもそこであらかたの整理を済ませている。しかしながら、護良の動向を調べるための基本史料となる同親王の令旨については、そこでは書物の性格上これを詳述することができず、論証ぬきの結論のみを示すにとどまった。本稿はこの点を補うために執筆するものである。
 従って、本稿の主眼は護良親王令旨の古文書学的検討を通じて、同親王の動向の一端を概観し、もって、『太平記』巻一二が建武新政樹立について「抑〔そもそも〕今兵革一時ニ定〔しづまつ〕テ、廃帝(後醍醐天皇のこと)重祚ヲ践〔ふま〕セ給フ御事、偏〔ひとへ〕ニ此宮(護良親王のこと)ノ依武功事ナ」りと評する理由を考察することにある。
 そもそも、後醍醐天皇の皇子たちに関する研究文献は決して少なくないが、令旨の分析をとおしての考察は、ほんのわずかしかない。懐良親王に即してのものがその一つであるが、懐良の残した令旨は現在四五年間にわたる一五〇通あまりが確認されており、諸皇子のなかで懐良の令旨についての研究がなされる理由はある。
 一方、護良の令旨についてみれば、令旨発給の事実は六〇例ほどが知られ、令旨自体も四〇通あまりが正文や案文・写の形で現存している。しかもそれらは、元弘二年半ばから翌三年一〇月までの一年数ヵ月の間に出されたものであるから、発給の密度の点からみれば、懐良の場合を優にしのいでいる。つまり、護良の動向をその令旨を通じて考えることは充分可能なわけである。
 護良親王令旨の発給一覧表を本文末尾に付した。適宜参照頂きたい。
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「護良についてもそこであらかたの整理を済ませている」に付された注(1)を見ると、

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(1) 拙著『皇子たちの南北朝 後醍醐天皇の分身』(中公新書、昭和六三年七月刊)。なお、拙稿「護良親王─「不吉」の還俗将軍─」(『歴史読本』三四巻七号、平成元年四月刊)参照。
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とあります。
後者は未読ですが、『皇子たちの南北朝』は当掲示板でも二度ほど言及しています。

吉原弘道氏「建武政権における足利尊氏の立場」(その15)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/989850646f5823b76c039003fdb62205
帰京後の成良親王
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f9263c48e615c99949952173370ff559
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