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論文に社交辞令は不要。

2020-12-20 | 征夷大将軍はいつ重くなったのか
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月20日(日)13時00分11秒

谷口論文の内容には全然関係ありませんが、論旨の展開以外に非常に気になったことがあります。
それは、谷口氏が、

「呉座とともに現在の南北朝期研究をリードしている亀田俊和の意見」(p697)
「山田もまた、呉座・亀田とともに現在の南北朝期研究を主導している若手の一人」(同)
「市沢は南北朝期研究をリードしてきた学者の一人」(p701)
「国文学側の『太平記』研究の重鎮の一角たる小秋元段」(p705)
「現在の「太平記史観」研究をリードしている一人である和田琢磨」(p707)

といった具合に、妙な賛辞を連発する点ですね。
単調にならないように気を使っているためか、賛辞の内容も微妙に違っていますが、他の学者と比較されているような感じがして、書かれた方もそんなに喜ばないのではないですかね。
小秋元段氏など、「国文学側の『太平記』研究の重鎮」ならともかく「「国文学側の『太平記』研究の重鎮の一角」ですから、舐めとんのか、という話にもなりかねません。
歴史学界は国文学界と違って実務的というか、上品さに欠けるというか、殺伐としているというか、とにかく昔はあまりこうした社交辞令的、学界茶坊主的なおべんちゃら表現はあまり見かけなかったような印象があるのですが、そうでもないのでしょうか。
論文集のあとがきなどならともかく、論文のど真中にこうした表現が出てくるのは極めて鬱陶しいので、これが若い研究者世代の常識になっているのなら、断固やめてほしいですね。
ついでに昔、『中世足利氏の血統と権威』の「あとがき」についてツイートしたことがあるので、これも載せておきます。

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谷口雄太氏、大変な俊才だ、みたいな話を聞いたので『中世足利氏の血統と権威』を読んでみたけど、正直、あまり感心しなかった。
確かに珍しい史料を発掘しているのだろうけど、その材料でそこまで言うか、という叙述が多くて、何とも奇妙な読後感。
それと指導を受けた研究者や交流のある人々への謝辞に溢れた「あとがき」に違和感。
美辞麗句を駆使して多方面にお礼を言いまくっているのだが、「巧言令色鮮し仁」という印象。
博士論文の「審査では、主査の高橋典幸先生および副査の三枝暁子先生、小川剛生先生、末柄豊先生、桜井英治先生からご指導を賜った。今思い出してもこれ以上望むべくもない先生方で、ただひたすら恐縮するばかりだが、そうした先生方に厳正かつ丁寧に試問していただけたことは、私にとって最高の幸せだった。ご多忙の中、あの暑い八月に審査していただいた先生方には、改めて感謝申し上げる次第である」から始まって、「これ以上ない財産というほかはない」、「まことに幸運といわざるを得ない。本当に感謝の念に堪えない」、「同時に、優れた先輩・同期・後輩と巡り会えたことも、決定的な出来事であった。いうまでもなく全員からとてつもなくお世話になり」「とりわけ木下聡氏、呉座勇一氏からは、中世史研究に必要不可欠な実証・理論の両面で、言い尽くせないほどお世話になった」という具合いに延々と謝辞が続き、「このほか、研究員の制度や図書館の設備なども含めて、学内の環境なくして、今の私などあろうはずもない。この場を借りて厚く御礼申し上げたい」と図書館にまで謝辞。
そして学内に続いて、千葉歴史学会・関東足利氏研究会・歴史学研究会などの学外の団体等や地域の人々に対する感謝の嵐が吹き荒れて、「戦略において支えてくれた方々として、とりわけ榎本渉氏、佐藤雄基氏、辻浩和氏に深謝したい」と続き、出版社・研究費に感謝し、最後に家族・親族に感謝して「こうした人々とともに、私はこれからも生きていくのである」という感動的な一文で擱筆されるのである。
うーむ。
いくら何でもやりすぎではなかろうか。

https://twitter.com/IichiroJingu/status/1312525703661801473
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