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「瀬沼夏葉の露国漫遊」

2009-05-26 | 映画・演劇・美術・音楽
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 5月26日(火)00時55分45秒

「東山千栄子さんに聞く」に出てきた「たしか瀬沼さんという方」は瀬沼夏葉のようです。
ただ、東山千栄子氏の回想では、ご自身がモスクワに住み始めた1909年(明治42)の出来事のように書かれていますが、とすると、瀬沼夏葉の第一回目のロシア訪問時となります。
しかし、私が手元に集めた資料の中には、第一回目はウラジオストックにしか行っていないと書いているものもあるので(秋山勇造「瀬沼夏葉─生涯と業績─」神奈川大学人文学会『人文研究』131号、1997)、若干の疑問が残ります。

瀬沼夏葉は生後三ヶ月の乳児を背負ってロシア旅行をするような元気溢れる女性で、世間からは相当変わった人と思われたでしょうね。
瀬沼茂樹氏の「瀬沼夏葉の露国漫遊─日本文壇史第二百八回─」(『群像』1972年3月号)から、少し引用してみます。

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 明治四十四年四月二十九日の夜、瀬沼夏葉(郁子)は、新橋駅のプラットフォムで、暗い品川沖へ吹き抜ける寒い風の中を、一家眷族にとりかこまれて、立っていた。数え年三十七歳の夏葉には、この年一月十一日に産み落としたばかりの三女文代子のほか、十四歳の長女悦子を頭に、十二歳の長男道衛、十歳の次女忍子、七歳の次男勝彦、五歳の三男健と、三男三女があって、四十四歳の夫恪三郎とともに、皆見送りにきていた。長女は母の肩がはりはしないかと、乳児をうけとって抱き、八歳にしかみえぬ小柄な次女は赤いマントに包まれ、寒さにふるえる手で、母の傘と信玄袋をマントの下にさげて、上気した顔で見まもっている。右に左に子供らを見まわすと、みなで分けて旅行用の小荷物を携えている。夏葉はひとり乳児をつれて、和服姿で、八時四十分発、神戸行急行列車で、再度のロシア漫遊という長途の旅に上ろうとしていた。
 夏葉は、明治八年十二月十一日、上州高崎の蚕種商山田勘次郎の長女に生まれた。高崎藩士の出であった母内藤氏よかが評判の美人であったため、幼い時から人目をひく美貌に生れつき、周囲にきわだっていた。山田家は高崎正教会の草分であり、ニコライ大主教に見込まれて、夏葉は十一歳の秋に、駿河台のニコライ堂(日本ハリスト正教会)にある女子神学校に入学した。母は九歳の年に弟真次と二人を残して先立ち、父は再婚した。それで、全寮制の神学校に起居できるのは、むしろ夏葉にとっては幸であった。足掛け八年間を神学校に過し、明治二十五年七月に、十八歳で卒業すると、母校に残って、「教理」の教師として勤めた。ドイツ系ロシア人であるラファエル・フォン・ケエベルが神学校に訪ねてきて、ピアノをひいたのを機縁に、ケエベルについて、三年間、ピアノを学んだ。
 内田不知庵訳の『罪と罰』(明治二五・一一刊)や、二葉亭四迷訳の『片恋』(明治二九・一〇刊)を読んで、ロシア文学に心を傾けた。師の恩に報いるためにも、一生を独身ですごそうと決意していたので、ニコライ大主教にロシア文学の研究をして自立したいと、希望をうちあけた。主教はロシア語のアルファベットの本を、わざわざ図書館から探しだしてくれ、その日から、教師についてロシア語に励んだ。しかし、一生を独身で過す決意は一年足らずで捨てた。明治三十一年十二月一日に、数え年二十三歳で、ニコライ神学校校長であった瀬沼恪三郎と、大主教の薦めで、結婚した。恪三郎は八王子の出身で、このとき数え年三十一歳、親兄弟の反対を押し切って、ニコライ神学校に入り、モスクヴァ大学に留学した神学士である。この結婚は夏葉のロシア語の勉強に幸して、進境にいちじるしいものがあった。
 夏葉は、明治三十四年二月二十八日、夫恪三郎の薦めで、牛込区横寺町四十七の十千万堂に尾崎紅葉を訪ね、その門に入った。紅葉は喜んで入門を許し、三月八日に、「夏葉」の号を与えた。(後略)
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>筆綾丸さん
>『消されたヘッドライン』
原題は"State of Play "ですか。
私はラッセル・クロウが結構好きなので、この映画も見に行くつもりでした。
独特の風貌の人ですが、ウィキペディアでラッセル・クロウを引くと、

Crowe's maternal great-great grandmother was Māori, and as a result Crowe is registered on the Māori electoral roll in New Zealand;Crowe also has Welsh, Scottish, Norwegian, English and Irish ancestry.

とありますね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Russell_Crowe

>グリゴリ・ペレリマン
その番組、私もたまたま見ました。
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