生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

生育史上の「恥辱感と疑惑感」を処理する方法

2013年07月17日 | 第14章:奈良京都は何故私を幸福にするか
幼児期の思い出の中に「恥辱感」がやたらと多い人の場合は顔は、ニコニコしていても、心の奥深い根の部分では人を信用したり、信頼せず、程々に、まあ、まあ、という形で,どちらかというと玉虫色にしつつ、白黒が明確でなく、自分の人生での自律性に欠落している場合が多いようです。何故かといいますと相手を信頼して心を開くと、相手が横柄に、かつ、図々しくなってきて、言いたい放題、信じられないような暴言や行動を自分にしだし、こちらの心が傷つけられ、こちらは、どんどん自信を喪失されていきます。こうした幼児期を数年、継続すると、いつのまにか、自分が虐めの対象に祭り上げられているのに気付きます。人間には残虐な性格があり、その小さな友人グループやクラスに弱い人がいますと、いつも虐めの対象にする、いわゆる「スケープゴード:生贄の子羊」の存在を人は創り上げます。全ての欲求不満をそのスケープゴードにぶつけ、そのグループの平和が成り立つのです。スケープゴードが一人いると、その社会は平和なのです。ここに人類の不幸があるわけです。人間の社会を何とか平和にしたい天才が現れますと、その原因分析が始まります。古代から、この矛盾に悩み、何とか解決したいと考えた天才達が数世代かけて生まれたのが神話、民話、各種の宗教です。人間の業(ごう)、とか原罪と定義される範疇の哲学的問題です。このように人間の幼児期での疑惑感は必要悪みたいなところがあり、一概に悪い事、と断定出来ない領域の問題なので、私達は過去の恥辱感や習慣的な疑惑心の再解釈をする必要に迫られます。性格となった「恥辱感を敏感に感じやすい大人、疑惑感を著しく感じやすい大人」である自分に気付くと、人はどんどん、その傾向から解放されていくものです。フロイドは「無意識の意識化」という原理から、この哀しい自分を改善していく原理をひねり出しています。
<奈良京都は何故私を幸福にするのか? 87>


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