生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

「恥辱と疑惑だらけの幼児期」とはどんな事?

2013年07月14日 | 第14章:奈良京都は何故私を幸福にするか
エリクソンという学者の論文だけを見ると、ああ、何ともまあ残酷に、こんな理論を平然として述べているのか、と若い頃反感を感じたことがあります。といいますのは、その人格発達論の中で、2-4才の時の幼児期に、何らかの体験から、親、兄弟、または周囲の人々から恥辱と疑惑を感じざるを得ない生活や体験に追い込まれた場合、その子は、自律性を失い、意思力に欠落がうまれてくると論文を書いた事にたいして、私はとてもがっかりして、これでは、人々は自分の人生に対して希望を持てないではないか、こんな幼児期の体験が人の人生を本当に左右するのだろうか、とエリクソンを馬鹿にした事がありました。若い研究学徒が陥りやすい傲慢です。私の学習不測からきているのですが、今では、この理論のお陰で、私の仕事上、とても有難い理論だと感謝しています。暫く幼児期の思い出の中にこの恥辱と疑惑の原型をもたらす出来ごとが、いかに、その人の生涯を左右しているかを思索していきます。
<奈良京都は何故私を幸福にするのか? 84>


自分の生き甲斐を探究されている方々へ:
(1)テキスト「生き甲斐の心理学:ISBN 978-4-9903527-2-1」はアマゾンでもサンパウロ書店でも全国の書店で販売されています。

(2)気楽に広く理論だけを学習したい方は、この私のブログの左記の「カテゴリー」欄をご覧下さい。
その第1章「愛の領域」から11章(カリタス カウンセラーの基本とは)を見ながら思索すると楽しみながら勉強することが出来ます。

(3)この記事は6年間にわたり私が全力投球して系統的に理論を分かりやすく解説した2275回分の記事です。第1章から11章までを日常の言葉を使用ながら書いたものです。


いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする