生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

恥辱と疑惑の関係

2013年07月16日 | 第14章:奈良京都は何故私を幸福にするか
エリクソンが盛んに述べている「恥辱」とは、どんな意味か、エリクソン本人に聞かないと分かりませんが、私が大学等の心理療法で応用した事例とは、大人のくせにいつまでも意思力も無く、自律性の無い、いわゆるだらしの無い大人達が相手でした。世間でいうだらしのない大人、なのですが、生育史を傾聴していく内に、泣いてはならない心理療法家(原則論:泣くと感情に支配され冷静な対応が出来なくなる危険がありので、原則としては泣かない努力が必要なのです)なのですが、本当に辛くなり、その夜は帰宅しても、どうしてあのような環境で幼児時代を送らなければならないのか、人生、人間業、人類の姿に絶望した若い頃を思い出します。その患者さんに後日お会いする時は、相当緊張しているらしく、相手から、どうかそんなに哀しがらないで下さい、と激励された思い出があります。私は変な心理療法家でした。患者さんが私を激励するのです。しかし、相手は、どんどん心を開いて、色々と意識化し、言語化してくださるようになり、仕事が順調に流れました。さて子供の頃の「恥辱感」は本人の心構えが悪い場合もあれば、周囲が酷い場合もあります。どちらにしても本人の記憶の中に「恥辱感」があるかどうかの問題なので、その倫理道徳的な側面や考え方の善し悪しは後日の問題です。今後、生きていく時に、馬鹿馬鹿しい「恥辱感」を感じないようになれば、それでいいのです。問題は過去の記憶の中の激しい嫌悪感を伴う「恥辱感」をどう処理したら、これから明るく元気に爽やかに生き抜いていけるか、それを対処していきます。暫くこの恥辱感と疑惑の相対的な関連について思索します。
<奈良京都は何故私を幸福にするのか? 86>


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