生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

困った時の神頼み

2013年02月14日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
公式の文書や手紙は建前が理路整然と書かれていますが、それは当然のことでしょう。しかしその公文書を書いた人々の手紙や私文書が後年、発見されると、その困難の最中に、どんな祈りをささげて生き抜いていったか、その心の軌跡がとても人間的で暖かく好意が持てます。西郷頼母も松平容保も、その手紙や内々の文書には困った時に神仏に手を合わせて祈ります。どんな人間でも厳しい人生の場面に遭遇すると自然と頭を垂れて何か偉大なものに救いを求めますが、この姿はとても美しく感動します。この二人は自分だけが生き残った事をとても悔いながら生きていきますが、その心を想うと切なくなります。自死を選ばなかったこの二人は何とも偉大な人物だと私はほれぼれします。厳しい現実に遭遇しても生き残った以上は天命を全うし自然死を迎えるまで努力したいと思いました。困った時の神頼みを軽蔑する宗教家がもしいたら、如何なものかと思います。今回のローマ教皇の辞任も自然死を迎えるまで,さぞかし、お辛い想いもなさるのでは、と心配ですが、それを意識して辞任されたのでしょう。ベネディクト16世のこれからの人生を注目していきましょう。多分、相当の裏話が出てくると思いますが、それもこれも生き抜く為の神様の思惑があるのかもしれません。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:41>

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