生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

何故、富士山信仰は消されたのか?

2013年02月08日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
富士山への信仰は江戸時代に再燃しますが明治初期には「宮下文書」のように国家神道からも政府からも偽書として葬られていきます。古代富士王朝が存在したかどうかは、その筋の専門家におまかせするとしても、私達祖先が富士山や筑波山、大山、白山、磐梯山等への山岳宗教に平安感を感じ取り生きた歴史は消せません。邪教と言われた古代の宗教もある種の人々に幸福感を与えた事は事実です。「自己肯定・他者肯定」の思想がフランス革命の後、法律化されてきますが国連憲章でうたいあげる人類の基本的人権の思想を得るまでには長い歳月が必要でした。富士山信仰が時の政府を不安定にさせ、都合が悪かったからです。それほどに富士山信仰は日本人の背骨のような存在でした。富士山信仰を消滅させていく歴史の中でも一番面白いにが古事記、日本書紀の研究でしょう。何故、大和王朝が富士山信仰を撲滅すべく必死だったか、ご興味のある方は生き甲斐の一つとして研究なさいませ。ここでは今でも何故に日本人がこれほど富士山が好きなのか、生き甲斐の心理学が何故に、これほど富士山を愛しているのか、その理由を知って欲しいとおもい、ながながと書いてきました。深い魂と歴史、民話、伝説、大自然、そして火山という恐れ、この富士山をこれからも大いに楽しみつつ、そのエネルギーを頂きましょう。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:35>

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