嫌いない人を他者分析していくと、その性格の中に自分と良く似た性格を見出し、それがゆえに苦手だと感じる事例があります。相手を見ていると、あたかも自分とそっくり。であるがゆえに、嫌い、苦手、避けたい気分になるようです。つまり自分のシャドウを相手の中にも感じているわけです。言う事と行動が伴わない友達、例えば「あいつはケチだ」と悪口を言う人は案外、それ以上にけちん坊だったりします。この場合の未分化のシャドウには、意識として複数の考え方が未分化で混在しています。お金は大事、無駄は良くない、おごりたい、おごりたくない、どれが自己負担の領域か、どこが他者負担なのかという経済意識の違い、その他色々です。誘った人が負担すべきだ、という考え方があれいば、お別れする時、わりかんにしよう、と言われれば「なんだ、こいつはケチだ」と解釈するでしょう。私はこう考えています、こう感じています、この場合は、このように行動しますと明確な友達は実に気持ちが良いのですが、どの場合も煮え切らない態度の友達がいると、いらいらしてきます。好きか、嫌いかだけは明確に表現する生き方をしないと本人も周囲も困ります。「シャドウの領域を減らす方法」は「私はこう思います、こう感じています」という日常生活での訓練を楽しくしている内に消滅していきます。「影のある人間」と評価されると自己実現への道は厳しくなります。自己実現への道を常に明示しておきますと友人がさりげなく、そのチャンスを与えてくれますし、私も友人へ、そのチャンスを提供しています
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