五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

異文化から見えてくる魂

2011年06月19日 | 第2章 五感と体感


父の転勤で住んだ福井は、異文化の面白さを大いに体験した時期でした。

それは5歳から7歳の、二年半くらいの期間の話です。

もともと家系的には寺と神社の縁が深いのですが、両親は特にそれらに傾倒しているわけではありませんでした。

初めて通った幼稚園は、お寺が経営している幼稚園でした。毎朝、本堂の観音開きが開けられ、仏様に手を合わせて御詠歌を歌い、食事の時も手を合わせ、なにやら歌っていた記憶はあります。

福井県大野市は、水の美しい城下町で、至る所に水路がありました。お寺も多く、友達の家の仏壇の立派さも印象に残っています。
季節ごとのお祭りや、結婚式に新郎新婦が家からお餅を投げる風習があったり、托鉢のお坊さんが度々玄関先に訪れ、賽銭をあげるとお経を唱えてくれたり、それこそ、毎日がワンダーランドのように興味津々の日々を過ごしていました。

神社やお寺の境内を歩くと心が洗われる、ということを自ら学んだのもこの頃です。

気楽に遊べる友達がいなかったので、ふらふらと散歩をしては神社の銀杏を眺めてぼおっとしたり、寺の仏様に会いに行き、暇にまかせて境内のグルグルまわったり、織物工場の音に耳を澄ましてベンチに座っていたり、水路の水場に集まるおばさんたちの行動を観察したり、、、

つまり、異文化に関するフィールドワークを幼い頃から体験してたわけです。

転勤族の子供は、異文化に関するの情報収集と察知力は、多分長けていると思います。
なにしろ、子供なものですから、言語化もできず、身体で感じるしかありませんでしたから…(笑)

違和感なのか、興味の対象なのか、たぶん、そのどちらもあったのだと思います。

大人になってから、徐々にこれらを言語化したくなり、宗教心理学という学問を人生の学びとして選んだように解釈しています。

異文化に触れ、美術を学んだり、旅をしたり、本を読んだりしてきたことを学問の系統を通して整理している行為が、私の軸と成り出しています。

不可知論的議論することよりも、自分の体験したことから見えてくるものを言語化していくと「魂」に触れていくことになるのだと思います。

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