五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

今、自分が体験していること

2011年06月09日 | 第2章 五感と体感
目の前にしている現実をそのまま現実して捉えているでしょうか?

3月11日、大きな揺れの中でドアを開けると表参道界隈のビルが重なるように揺れているのが見えました。
事実を見ていることは意識できていても、自分がまさにその中で体験しているのだ、ということを意識できるまで時間が必要でした。

昨日のブログには「感情と個人的意味づけ」についてを私の言葉で書いてみました。
今日は、「体験過程」について書いています。
(テキストをお持ちの方はP136を参照・ロジャーズ全集をお持ちの方は第四巻)

体験していることに対して湧き出してくる感情が、体験そのものと繋がっていない、とか、体験していることがテレビや映画の映像を見ているに過ぎないように感じたり、今体験していることに何の感情も湧いてこなかったり…

もし、自分自身がそのような状態で日々を暮らしていたとしたら、自分の体験していることと自分の感情がどのような関係にあるのか、自らを考察してみると良いかもしれません。

私の人生の過程で体験した大きな悲しい出来事を思い返してみると、現実を現実として捉える事が出来ていても、それが受け容れられない状態で、ある意味。茫然自失が数日間続いたり、鬱的症状が数日間続いたりしていました。
鬱状態になると、もう何も考えることもできず、感情も湧いてきません。
身体が現状を受け容れようとすると、自分の感情に怒りとか恨みとか、どうにもならないことに対して怒りを爆発する対象が居ないため地団太踏んだりしていました。

でも、怒りの感情が出てくるということは、感情が表出されていることに変わりありません。

理想と現実のギャップの狭間で、嘆き悲しみ、怒り、地団太踏んだり、、八つ当たりしたりしながら、自己の感情に意味を感じだしてくると、不思議なことに、統合に向かって整理する情動が湧いてくるようです。

人からの励ましも、優しさも、ストレスの中に居る時には、正直言ってうざったいものでしかありませんでしたが、時間を経て自分自身が体験していることを受け容れている状態になると、段々と人との繋がりに感謝の気持ちが湧いてくるのが不思議です。

あくまでも自己事例で書いているので、人によって事例は違いますが、自分の事例を正直に言語化してみると、心の内にピタリとくる体感がやってくるようです。

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コメント
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