五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

関係の仕方

2011年06月14日 | 第2章 五感と体感
第7ストランズ・関係の仕方。今日が最終項目です。

7回、お付き合いくださり、ありがとうございました。

カウンセリングの現場では、この7つのストランズを傾聴側は、強く意識していきます。クライエント側のことだけではありません。聴く立場の自分自身のスケールをも測りながら傾聴していきます。

大きな悩みを抱えていても、本人が意識化している悩みの焦点は本当に的が絞られているのでしょうか?

焦点付けが違うのであれば、それは、意識化された防衛機制なのでしょうか?
又は意識化されていない防衛機制なのでしょうか?

毎回毎回、同じ悩み、同じような反応を繰り返している人の場合、第7のストランズ「関係の仕方」に着目してみると、自分が同じ悩みでグルグル回っている中心の部分が見えているのか、見えていないのか?それとも故意的に避けているのか?避けている自分を認識していていないのか?が、段々と見えてきます。

もし、中心部分に触れようとすると、さっと話題を変えてしまったり、八つ当たりしだしたり、または、まるで中心部分が無いかのようにスルーしてしまう場合、7つのストランズの「1・感情と個人的意味づけ」について自己分析してみると、「7・関係の仕方」についての「3.不一致」がだんだんと見えてくるのです。

ただ、今まで見えてこなかった自分の傾向が見えてくるのは、自分自身です。

言葉に出さずとも、身体と心で統御感を一瞬でも感じると、囚われていた何かからあっという間に解放されていく体感を感じます。

プロセススケールを使いながら、自分で自分を測っていく作業をしていくと、もやもやした自分の悩みの核に突き当たるやもしれません。

自分の悩みの的は外れていないか?という疑問を自分自身に投げかけることも「自分と自分の関係」を測るきっかけとなるようです。

★参考までに:プロセススケール1.感情と個人的意味づけ 2.体験過程 3.不一致 4.自己の伝達 5.体験の解釈 6.問題に対する関係 7.関係の仕方(1から7までのそれぞれの項目について「意識化されていない~意識化したくない~意識化されている」と自己分析しつつ「低から高」というスケールであてはめていきます。)

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自分の問題なのに・・・

2011年06月13日 | 第2章 五感と体感
自分を取り巻く人間関係、そして自分自身の事に「問題」を持っている、と解釈している人は、私自身を含め、大勢いらっしゃいます。

この場合の「問題」とは、「自分が抱えているストレスに対してのスタンス」についてと考えると解りやすいかもしれません。

「問題」として捉えてはいても、その問題を自分のこととして受容しているか、というと、どうでしょうか?

「問題」にすら気付かず、相手を振り回したり、または他が原因であるのに自分をいさめ続けたり、問題がいつも遠くにあるような感じだったり、目の前に問題が見えているにも関わらず完全にスルーしていたり・・・

でも、他者が気付いて相手の問題を指摘したとしても、たぶん迷惑なだけです。

本人が自分の問題に自らの心と身体で気付くことで、囚われから解放されしていく体感へと移行していくように思います。

常に「すべきこと」に過剰に囚われていると、これもまたストレスの基になるのでしょうが、何かの行動を起こすこと自体、即ち、ストレスなのです。つまり、「人の不安が本質である」という定義は、そこから由来しているのだと私は解釈しています。

自分自身の衣の色を見分けていく訓練として、まずは自分自身の「問題に対するの関係」から自己考察していくと、現象に対する反応のパターンも見えやすくなってくるかもしれません。

明日は七つ目、プロセススケールの最後の項目「関係の仕方」です。

人の話を傾聴していくには自分は透明にならねばならない、、、とか、真っ白になって聴かなくてはならない、と、おっしゃる方に多く出会いますが、真っ白とか透明であるとかという言葉について「人の成り」の印象を表す比喩的表現であれば納得しますが、実際には仏の道を目指す修行者であっても生きているうちに到達するのは難しいことだと思っています。
それよりも、自己を知る修業をしながらぶれている自分を感じ、自己の正中線を意識していくことのほうが人間的だ、と思います。

★参考までに:プロセススケール1.感情と個人的意味づけ 2.体験過程 3.不一致 4.自己の伝達 5.体験の解釈 6.問題に対する関係 7.関係の仕方(1から7までのそれぞれの項目について「意識化されていない~意識化したくない~意識化されている」と自己分析しつつ「低から高」というスケールであてはめていきます。)

本日の保護者勉強会がお天気の影響で中止となり、とてもとても残念です。今日の勉強は「ストレス曲線」がテーマでした。もし、おひまがあれば、そのあたりをテキスト開いて読んでくださるとうれしいです。
次回の勉強会でお会いするのを楽しみにしています。

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体験の解釈について

2011年06月12日 | 第2章 五感と体感
ロジャーズのプロセススケール第5番目「体験の解釈」

自分が今体験していることについて解釈していることは、自分だけが思いこんでいるものではないだろうか?
独りよがりの解釈で、自分を苦しめてはいないだろうか。。。

ロジャーズのパースナリティ理論命題1では、「自己はすべて、自分が中心であるところの絶え間なく変化している経験の世界に存在する」と書かれてあり、命題2では、「有機体は場に対してmその場が経験され知覚されるままのものに、反応する。この知覚の場は、個人にとって実在なのである」と書かれてあります。

つまり、私は私であって他の誰でもなく、自分自身が自分を通して変化する世界を経験し、そしてその経験している世界に自分自身が存在しているのです。そして、自分が見たり聞いたりしていることは自分にとってのリアリティなのです。

言葉で説明しようとすると、余計にまどろっこしくなりますが、お許しください。

色々な現象が身の回りに起こっても、その解釈の仕方は人それぞれです。それは、すべて個性を持った自分自身が感じ解釈していくものだからです。

でも、その解釈が著しく固いものだったらどうでしょう…

自分で自分の固さに気付けばしめたものですが、悩んだり、誰かに八つ当たりしていたり、妬んだり、自信喪失していたり、又は自信過剰だったり、、、

己を知ろうとすると、己の壁にぶつかりますが、壁にぶつかることも何かに気付くきっかけになります。

自己を受容していくうちに、自己概念の固さが次第にほぐれていくようです。

第一日目の「個人的感情の意味づけ」を意識化していくうちに、自分自身の「体験の解釈」が見えてくるように思います。

答えは自分の内にあるのです。

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自己伝達

2011年06月11日 | 第2章 五感と体感
カールロジャーズのプロセススケール、4日目です。

今日は「自己の伝達」についてです。

不満に思っていること、違和感を感じていることを長い期間、我慢し続けていると、与えられているストレスがそのうち意識化されなくなったりします。
身近な誰かに罵倒されていたり、なんでもかんでも否定されたり、過度に甘やかされたり、
何らかの理由で気遣いの必要な人と生活していたり、、、

委縮して生活する人もいれば、自分のストレスに気付かず、周りの人に当たり散らして生活している人もいます。

言いたい事を言えずにムラムラしている状態であると、自己の伝達が増大している状態であるようです。

攻撃する方も、される方も、自己の伝達がスムーズになされているか。。。ということに着目していくと、いろいろな防衛機制の種類が見えてきます。

つまり、「言いたい事を言えているか」ということが自己の伝達です。

「やめてよ」
「うるさい」
「うざい」
「好き」
「嫌い」
「もっと愛してよ」
「愛してる」

…きっと、それぞれの人がそれぞれの言いたくても言えないことを心に持っていると思います。

地球に住む人類はそろそろ70億人だそうです。

70億分の1である自分自身は、誰とも違う個性を持っています。自分の事を誰がどうしてくれるものでもありません。

でも、言いたい事を言いたい人に伝えると、自分は独りぼっちでは無い事に何となく気付いたりします。

AKB48のあっちゃんの言葉が、印象に残っています。「この一年間、応援してくれる人がたくさんいるのは解っていても、孤独を感じていました…」

彼女の素直な言葉は、まさに言いたい事を言いたい人に伝えた例の一つなわけです。

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自分の中から湧いている違和感

2011年06月10日 | 第2章 五感と体感
カールロジャーズのプロセススケールについて、三日目です。

今日は、「不一致」について

湧き出してくる感情を意識化できない状態であれば、自分の中から湧いてくる違和感を意識化するまでには、おそらく至らないと思います。
暮らす場所、家族、自己の持つ個性が、様々な環境の中で、身体の成長だけではなく「考え方」や「解釈の仕方」も育てられていきます。

父の仕事の関係で、高知で生まれ5歳までは海風を感じながら豪快な気候の中で育ちました。美味しい魚の味を覚え、深く濃い緑の山々や太平洋の大波は、私にとってごく当たり前の環境でした。
ところが、次に住んだ場所は、山に囲まれた福井の盆地です。美しい川が流れ、水田が広がり、風習を大切にする城下町です。見えてくるものの変化は明らかですが、見えないものの変化が、私の身体に変調をきたします。湿度の高さや豪雪による冬の閉塞感、心は変化に富んで楽しいのですが、身体がついていけず、しょっちゅう中耳炎になったり、ヘルペスになったり、と具合いの悪かった時の記憶が鮮明に蘇ってきます。

つまり、不一致による環境不適応です。

幼い頃だったので、言語化できず、違和感を解釈して意味づけする術はありません。
心に反応せず、身体が違和感に反応していたようです。
とはいえ、福井の二年半は、現在の私のモノの見かたに大きく影響しています。身体は不適応でも、嫌だと思ったことは無いのです。きっと、心のバランスを取るために、身体が助けてくれていたのかもしれません。

小学校に入り、神奈川県の茅ケ崎に住むようになると、水を得た魚のように、毎日がパラダイスでした。自分の統御感は小学生の頃に育まれていったように解釈しています。

心が違和感を感じ取り、それに対して何か行動に起こしたり、解釈をし直したりしていたら、きっとあそこまで身体で反応しなかったと思います。
多分、環境変化に適応できていなかったのは、私だけでなく、母も妹もだったのだと思います。

自分の中から湧き出す違和感を大切にしていくと、自分が「今、体験していること」に関して、何らかの気付きが生まれていくるようです。

自己の不一致を感じ取ることは、問題解決の入口のように思います。

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今、自分が体験していること

2011年06月09日 | 第2章 五感と体感
目の前にしている現実をそのまま現実して捉えているでしょうか?

3月11日、大きな揺れの中でドアを開けると表参道界隈のビルが重なるように揺れているのが見えました。
事実を見ていることは意識できていても、自分がまさにその中で体験しているのだ、ということを意識できるまで時間が必要でした。

昨日のブログには「感情と個人的意味づけ」についてを私の言葉で書いてみました。
今日は、「体験過程」について書いています。
(テキストをお持ちの方はP136を参照・ロジャーズ全集をお持ちの方は第四巻)

体験していることに対して湧き出してくる感情が、体験そのものと繋がっていない、とか、体験していることがテレビや映画の映像を見ているに過ぎないように感じたり、今体験していることに何の感情も湧いてこなかったり…

もし、自分自身がそのような状態で日々を暮らしていたとしたら、自分の体験していることと自分の感情がどのような関係にあるのか、自らを考察してみると良いかもしれません。

私の人生の過程で体験した大きな悲しい出来事を思い返してみると、現実を現実として捉える事が出来ていても、それが受け容れられない状態で、ある意味。茫然自失が数日間続いたり、鬱的症状が数日間続いたりしていました。
鬱状態になると、もう何も考えることもできず、感情も湧いてきません。
身体が現状を受け容れようとすると、自分の感情に怒りとか恨みとか、どうにもならないことに対して怒りを爆発する対象が居ないため地団太踏んだりしていました。

でも、怒りの感情が出てくるということは、感情が表出されていることに変わりありません。

理想と現実のギャップの狭間で、嘆き悲しみ、怒り、地団太踏んだり、、八つ当たりしたりしながら、自己の感情に意味を感じだしてくると、不思議なことに、統合に向かって整理する情動が湧いてくるようです。

人からの励ましも、優しさも、ストレスの中に居る時には、正直言ってうざったいものでしかありませんでしたが、時間を経て自分自身が体験していることを受け容れている状態になると、段々と人との繋がりに感謝の気持ちが湧いてくるのが不思議です。

あくまでも自己事例で書いているので、人によって事例は違いますが、自分の事例を正直に言語化してみると、心の内にピタリとくる体感がやってくるようです。

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湧き出す感情を意識している?

2011年06月08日 | 第2章 五感と体感
自分の気持ちを押し殺しながら、言いたい人に言いたい事も言えず、うつうつとしているうちに、段々と自分の鬱積した気持を自分で把握できなくなるケースに出合う事があります。

自分の気持ちを言いたい人に思いっきり言えないものだから、言いやすい人に八つ当たりしたりします。

「あーあ、自分でもやってるな、、、八つ当たり。。。」と反省することがあれば、まだ良い方かもしれません。でも、八つ当たりを正当化しているうちに、自分が抱えているストレスが、どこから出ているのか、解らなくなったりすることもあるようです。

自分が責任を持ってやるべきことだったり、自分自身が自分の問題を解決すべきなのに、家族の誰かや同僚や部下に責任転嫁していく人にも時々出会います。いや、時々ではないかもしれません。私自身の反省も含めて、誰もがやっていることのように思います。

逆に八つ当たりされている方は、段々と本当に自分が悪いのだ。。。と自責の念に駆られ、相手から追い込まれることに寄って自分自身を追い込んでいきます。

なんでもかんでも、自分が悪い、、、自分のせい、、、

家族や上司からすべてを自分のせいにされているうちに自分の感情を押し殺して、感情表出ができなくなっていくこともあるようです。こういったことも、多かれ少なかれ私自身も経験していることです。

朝、目が覚めて、お布団の中で、今の気分を意識してみることから始めて、湧き出してくる感情を否定も肯定もせず、そのまんまを捉えつつ、少しずつでも自分の感情を意識化していくように心がけていくと、湧き出している感情の意味が見えてくるはずです。

湧き出す感情を大切にしながら今日も一日健やかに過ごしたいものです。

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予測が立てられる安心感

2011年06月06日 | 第2章 五感と体感
生きていると色々なことを体験します。

人は、ある環境の中で、何かを習得し生業に繋げていくことや学校の勉強に励むことを現実に行動に起こしながら、こうやって生きていきたい、暮らしていきたいというイメージを持ち、自分の理想と現実のバランスを取っていくようです。

その理想と現実のギャップに一喜一憂しながら、「自己の個性」が生まれ、育まれていきます。

家庭のこと。
子育てのこと。
仕事のこと。
勉強のこと。
そして、将来のこと…

どれもこれも自分の予測通りにいかないことろが人生です。ひたすら思い続けるだけで自分の願いが叶う人がいたとしたら、お会いしてみたいものです。

将来のビジョンが立てられず、もやもやとしている不安感があるとしたら、予測が立てられるところまで自分を持っていく努力をしてみることが必要なようです。
モヤモヤしている中で、自分自身の暮らしの中でどこまでが将来の予測が可能でしょうか。

もしかしたら、明日の予測も立てられない方もいらっしゃるかもしれません。
でしたら、もっと近い将来をイメージしてみれば良いのだと思います。

笑っても泣いても着実に時間は経過し、時は流れていくのです。

容赦ないといえば、それまでですが、時は経過するものであることを意識してみると、数分間先の予測を立ててみるところから始めてみるのも良いかもしれません。

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能とギリシャ神話とシェークスピア

2011年06月05日 | 第2章 五感と体感
人の感情は、時空を超えて普遍的です。

能は、演劇です。

観阿弥、世阿弥から始まった、人の感情を主体としたサイコドラマは、独特な形式で表現されていきます。

一見、動きの無いような動きなのですが、抑えられた舞いの中に秘められた動きに、想像を絶するエネルギーが籠められている、ということを謡いと仕舞いの稽古を始めて初めて知りました。

そんなわけで、学生の頃から、見ていたはずの能の記憶は、きれいさっぱり無くなってしまいました。

謡曲は、諸々の古典が素材となっており、物語に登場する人物の心情は、時空を超えた文学の素材を繋ぎ合わせ、比喩的表現から一層表現を深くしていきます。そのようなわけで謡曲は、古典を知る人であれば、その知性をくすぐりつつ感受性と併せて堪らない面白さを感じていくはずです。

人の感情を開けっ広げ&おおっぴらに表しているのはギリシャ神話の神々。
恨み辛み、喜怒哀楽に感情を罪の意識を織り交ぜながら激しく引き込んでいくのはシェークスピア。
そして、感情の曼荼羅を秘めながらも喜怒哀楽を比喩の中からぐいぐいと表現を表出していき「私とあなた」という関係性に焦点を合わせ、最終的には起承転結麗しいサイコドラマとなっているのが能だと、私は勝手に解釈しています。

生きてきた時代が違っても、住んでいる場所が違っても、信じる宗教が違っても、王様であろうが庶民であろうが、人の感情は、分け隔てなく平等です。

嬉しい時は嬉しいし、悲しい時は悲しいのです。

生まれる以前の長い歴史の中で育まれた「私」の考え方、捉え方、感情についての見合った表現方法が能の中にあると云えるようです。

云いたい事を云いたい人に云えられない辛さ。
ああ、これは、私のことだ、、、と投影しながら、静かに自己受容していくのも能の観方の一つかもしれません。

能は、いと面白し…

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「幸せ」と「喜び」

2011年06月04日 | 第2章 五感と体感
ブータン王国は、「幸せ」を中心に据えている国です。

個人個人が、「幸せだなぁ~」と体感することを大事にしているわけで、お金持ちになり、便利な生活を目指しているわけではありません。

ブータンの首相が、子供にも解る言葉で「幸せ」と「喜び」の違いを説明していました。

↓↓
「喜び」は、身体的な感覚のことを云い、長続きするものではありません。(感情と体感だと言っているのだと思う)
でも「幸せ」は、一過性のものではなく、持続性のあるものなのです。(つまり、普遍的なものだと言っているのだと思う)
幸せになるには、まずは親を大事にすることです。親を大事にするところから、そのためには何が必要か、と考えると自ずと幸せが見えてくるのです。

一部分、私の解釈が入っていますが、総体的にこんなことを言われました。

確かに、美味しいものを食べて、親しい人と遊び、流行の服を着て、家を飾り立てる、、、それも私にとっては大切な幸せの条件ではありますが、それが魂から湧きあがる統御感であるか?といったら、そうではないようです。
東日本大震災の時の私の持ち物は、少しばかりの現金と水筒に入った水くらいです。
自分の命が助かり人の好意で温かい部屋が提供され、家族や親しい人々の安否を確認した時に、生きるための根本を「幸せ」の概念で捉えたように思います。

自然の中で生かされている無力で小さな自分を感じ、自分の幸せはもっともっと普遍的な統御感の中から湧きあがってくるものなのだな、ということを再確認したのです。

1.何のために生きているのか?
2.自分の生き甲斐とは何か?
3.自分は魂と心と身体を大切にしているか?

この三つの問いを自問自答しながら、幸せとは?を感じ取ることのできる感性を身につける修行を続けていきたいものです。同時に「幸せ」のためにやるべきことを実行できる勇気と覚悟も必要なのだと思います。

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児童憲章を読むと見えてくる

2011年06月03日 | 第2章 五感と体感
日本は法治国家です。

法に縛られて身動きが取れない!という話題も東日本大震災以降しばしば耳にします。

しかし、大抵の場合、法によって私達の生活は守られています。

子供の心身に関わる仕事をしている性質上、日本国憲法、教育基本法、学校教育法、児童福祉法、児童虐待防止法、少年法等に目を通す機会が多くあります。
そして「児童憲章」を何度も読み返します。

日本は八百万の神の国であり、同時に宗教に対して拒否反応を示す方も多くいらっしゃいます。
聖書や仏典もだいじですが、私達は法律のもとで安心を得ていることを忘れてはなりません。

生活をより良くしていくために「政治家を私達が選ぶ」のです。というか、そのはずなのです。

ヨーロッパでは、フリーメイソンが「自由・平等・博愛」という理念を掲げ、それが今では人々の血と肉となって「人間観の素地」として成り立っているように見受けられます。
実際、パリの裁判所の入口には大きく「自由・平等・博愛」の文字が刻み込まれ、革命の象徴であるルイ16世、マリーアントワネットが幽閉され場所が裁判所に隣接しています。
かつての貴族社会の差別を象徴するサンシャペル(教会)も裁判所の敷地から入ることができ、見事なステンドグラスに
息を呑みながら、過去の事実と向き合っているわけです。

過去の事実と向き合うことで、現実に起こっている問題対処の思索が否応なくできるのです。

現実に起こっていることと向き合う時に祈りも大切ですが、それと同時に、もう一度「日本国憲法」を読み、自分の軸を正していきたいと思います。

個人的には、児童憲章に目が離せません。なので、下記に一部を記します。

★われらは、日本国憲法の精神に従い、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この検証を定める。

★児童は人として尊ばれる。

★児童は社会の一員として重んぜられる。

★児童は良い環境のなかで育てられる。

以下、12ほどありますが、

1.すべての児童は、心身ともに、健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。

2.すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識をもって育てられ、家庭に恵まれない児童には、これに関わる環境が与えられる。

3.すべての児童は、適当な栄養と住居と被服を与えられ、また疾病と災害からまもられる。

~~

9.すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、わるい環境からまもられる。

~~

12.すべての児童は、愛とまことによって結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。

以上、児童憲章抜粋しました

どうか政治家の皆様、初心とは何かをもう一度見つめ直してください。
今一度、日本国憲法や、このような児童憲章を読みなおし、自己の哲学を再構築していただきたいと願います。

現実と向き合い、実行あるのみです。

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香りの記憶

2011年06月02日 | 第1章 意識と知覚


二、三日前に大切に使っていた胡椒が底付きました。

4年前にブラジル土産で頂いた白胡椒と黒胡椒の粒。
料理をするたびにその人との思い出を愉しんでいました。

日本に一時帰国し、赴任先のブラジルへ戻る途中、ニューヨークで亡くなった神父さんから頂いたものです。

あれから4年が経とうとしています。ヒロさん帰天後、彼と親しくお付き合いしていた方々との繋がりもでき、この世に居なくなってしまったことで湧き出してくる空虚感を持ちながらも、充実した日々を過ごしています。

一時帰国に持ち帰ったお土産を少しずつ皆に分けてくださり、胡椒の粒を馴れない手つきで小袋に詰める動作を想像するだけで、妙な愛おしさを感じさせる身近な存在でした。
兄という感じだったかな・・・

ヒロさんの訃報を受けた時、帰りの新幹線の待ち時間に新大阪でタコ焼きを買おうとお店に並んでいる最中でした。
この知らせと同時にタコ焼を買うために並んでい待っている私・・・というのもヒロさんらしいよ、と。。。思い、新幹線の中で黙々とタコ焼きを頂いたことが昨日のように思い出されるのです。ヒロさんとタコ焼きが今やセットとなっています。

香りは、様々な記憶を蘇らせます。

良くも悪くもです。

ヒロさんの胡椒は、物質的には無くなりましたが、お決まりの文句ではありますが血となり肉となり、私の中にも留まっているわけです。

そして、無くなった胡椒に代わる「お次の胡椒」は、パリのスーパーで買ったものです。胡椒の蓋を開けると、芳しい香辛料の香りが、香ってきました。

そうよね、本当は、こんな香りよね・・・

4年も経てば、香りも飛んじゃうんだなぁ~と、ケチッて使用していたことを少々悔みましたが、キッチンに一緒に立っていてくれたヒロさんに改めて感謝しています。飛んじゃった香りからしっかりとヒロさんとの記憶が蘇っていたのだから、それで良かったわけです。

今度からは、パリのマルシェの香りを蘇らせながら、キッチン仕事を愉しむことといたします(^^)

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お天気と体調の関係

2011年06月01日 | 第2章 五感と体感


5月が終わるというのに横浜の朝はヒーターを必要としています。

例年なら、お日様から元気を頂き、梅雨の覚悟に取り掛かる時期です。
その覚悟を決める準備もできず、あれよあれよといううちに梅雨になってしまいました。

朝の寒さを感じながら目覚めると、決して「はりきっていこーーー!」という気分にはなれません。

自分の身体の調子を気にしながら、いつもの生活をしていきたいものです。

気分の晴れる香りを焚き、湿気が無くなる音楽を聴いたりと、ちょっとした努力も必要かもしれません。

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