多くの識者やマスコミが日本語の乱れを指摘して久しいが,熊本市内でこんな広告を見た.
「店内でも70円で食べれます」
正しくは,「店内でも70円で食べられます」,あるいは「店内でも70円で食べることができます」
なのだろうが,最近はこの「食べれます」いわゆる「ら抜きことば」の方がメジャーな表現になりつつある.
こういう状況の中で日本語の乱れを声高に主張することが,逆に憚られる気がするのは僕だけだろうか?
うちの大学でも,リメディアル教育あるいはキャリア教育の一環として日本語教育を取り入れているが,広告媒体としてかくも堂々と「ら抜き言葉」がディスプレイされている状況で,これは間違いだと教育することのむなしさを覚えざるを得ない.
しかし,こうも思う.
彼らがこの「いい加減な広告」のために,入社試験で「ら抜き言葉」を使い,それが原因で不合格になったら,やはりそれは彼が受けてきた教育の責任だろう.
そういうことが無いように,例えむなしさを感じても,心を鬼にして彼らに正しい言葉を教えなくてはならない.
とね.
「店内でも70円で食べれます」
正しくは,「店内でも70円で食べられます」,あるいは「店内でも70円で食べることができます」
なのだろうが,最近はこの「食べれます」いわゆる「ら抜きことば」の方がメジャーな表現になりつつある.
こういう状況の中で日本語の乱れを声高に主張することが,逆に憚られる気がするのは僕だけだろうか?
うちの大学でも,リメディアル教育あるいはキャリア教育の一環として日本語教育を取り入れているが,広告媒体としてかくも堂々と「ら抜き言葉」がディスプレイされている状況で,これは間違いだと教育することのむなしさを覚えざるを得ない.
しかし,こうも思う.
彼らがこの「いい加減な広告」のために,入社試験で「ら抜き言葉」を使い,それが原因で不合格になったら,やはりそれは彼が受けてきた教育の責任だろう.
そういうことが無いように,例えむなしさを感じても,心を鬼にして彼らに正しい言葉を教えなくてはならない.
とね.
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます