書く仕事

ご訪問ありがとう!!ミステリー小説の感想を中心に,読書,日々の雑感,映画の感想等を書き散らかしています.

「驚き」と「怒り」の違い

2011年11月06日 23時02分46秒 | 日記
どちらも,身の回りにおきた出来事に対する人間の感情という意味では,同じようなものなんでしょう.

でも,今日,自転車に乗っていて出くわした出来事に対する私の感情を分析してみると,両者は全く別のものであることに気がつきました.

その出来事とは,次のようなもの.

熊本は,中心街から放射状に伸びる大きな道路の歩道は,自転車が走って良いということになっています.

で,私はその歩道を,通勤のため走っていたと思ってください.

するとわき道から突然自転車が飛び出してきたのです.
あわやぶつかる寸前まで行きましたが,ぎりぎりでかわすことができました.

こちらは時速10kmくらい.歩道に人はいなかったので,まあ,安全走行の範囲内でしょう.
わき道は幅2mくらいの小さな人道で,その自転車は,ブレーキをかけた様子もなく,突然飛び出してきました.

私の反応は,「わああ!」って感じで,驚くと同時に,避けるのに必死でした.

おそらく相手も,びっくりしたはず.

しかし,そんな小さな路地から,歩道へブレーキをかけることなく,定常走行状態で飛び出すのは危険極まりないわけですね.
で,難を逃れた後に,私の心に湧き上がってきたのは,相手に対する「怒り」です.

狭い道から歩道へブレーキもかけずに飛び出す行為は許せないという「怒り」でした.

結果的には,すぐに相手の人(中年の男性)が謝ってきましたし,怪我をしたわけでもないのでそのまま別れました.

で,後で考えたのです.
飛び出しがあって,最初に感じたのは「驚き」です.

これは,一種の反射のようなもので,体の防衛反応として自動的に生じるものです.

しかし,その後の「怒り」は,その場の状況とか自分や相手の立場とかを『総合的に』判断して,脳が出した結論によるものです.

前者つまり「驚き」は大脳旧皮質がやらせている動物的反射なので,私の意志では,制御できません.

しかし,後の「怒り」は脳(たぶん大脳新皮質)での『総合的判断』の結果によるものだから,そこに,介入すれば,自分の意思で制御できる可能性があるわけですね.

「怒り」というのは,もちろ必要な場合もあるけど,上記のような場合や,おそらく日常の些細なこと,例えば夫婦喧嘩とかね,では全くもって不要なもの,じゃまなものなわけですよ.
できれば怒りを感じずに生きていたい.

もしかしたら,ちょっとした心のコントロールで,心穏やかな人生を送れる可能性が出てくるかもと,期待を抱いてしまったのです.

夫婦喧嘩,兄弟げんか,あるいは仕事上のちょっとしたトラブル等等において,「怒り」を上手にコントロールできれば,安楽な日常生活を送ることができそうじゃないですか.

人生観が変わるかもしれません.

なんてことを,考えながら帰ってきました.