散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

大津

2012-06-01 | Weblog
大津の駅のホームの端っこに、青い球体がある。近づいてみると地球儀で、北緯35°線の上に駅があることを
示すためのもの。1989年7月1日に設置されたって金属板に書いてある。赤い線の上を東に進むと、千葉県の
千倉町で太平洋に出て、アメリカ大陸のオクラホマシティ、メンフィスなどの都市を通って……(中略)……また
ここに戻ってくるんだって。ふーん、どうしてそれを?


旧東海道を歩いて三井寺へ

品川のへんを歩いても、板橋のへんを歩いても、何日かかけて木曽路を歩いた時も思ったけど、旧街道の道幅
だいたいどこも同じ (測ったことはない)。……いいねーこの感じって歩いてたら、道端に石碑が。


此附近露国皇太子遭難之地

なんだこりゃ! 帝政ロシアのニコライ皇太子に、巡査の津田三蔵がサーベルで斬りつけた大津事件(1891)
の現場じゃないか……「このふきん、ろこくこうたいし、そうなんのち」……当時の内閣は大国ロシアを恐れて
巡査を死刑にしようとしたけど、当時の司法は圧力に屈しないで、無期懲役にしたんだっけ。うーん、いまなら
圧力に屈しそうなイメージ……。


うわっ! 路面電車、えらく長い~っ!

ぶらぶら歩いてるだけで、いろいろと珍しいもんに出くわす大津。わざとやってるわけじゃなく、ただ三井寺に
行こうとしてるだけなのに、おもしろい町だな。


雅楽(?)を鳴らす軽トラ…


ど派手な神社にぶつかった……長等神社?

立札を読むと、天智天皇が大津京に遷都したとき鎮護社として創建されたっていうから、ずいぶん古い……。
のちに三井寺の守護神になったってことは、この脇を登っていけば天台宗の寺門の総本山、園城寺(三井寺)
にたどりつくの? (天台宗の山門の総本山は比叡山延暦寺)

 
どっこらしょっと……結局また上り坂でハアハアいうはめに……着いたぁ!!

なるほど、これが三井寺か……と思ったら、その一部にすぎなかった。どちらかというと端っこに位置している
観音堂。ここからは琵琶湖がよく見える。


わ~っ、ヨットがいっぱい、ゴミみたいに!


園城寺(三井寺)の全貌はこんな感じ

さほど信仰心もないのに回りきれるんだろうか……かなり心もとなくなってきた。ポツポツ雨が降りそうだし、
考え込んでもしょうがないから、ぐるっと回ってみる。


かわいい観音様がいたり、おとなっぽい観音様がいたり


金堂

この桃山時代の建築の前に何やら石の灯籠が、意味ありげな場所を占めている。近づいていくと木の立札に
おそろしいことが書いてある。


天智天皇が大化の改新で蘇我氏一族を誅しその罪障消滅のため
天皇が自らの左薬指を切り、この
灯籠の台座下に収められた


謀殺とも、だまし討ちともいうべき行為で蘇我氏一族をほろぼしたわけだから、崇りをおそれて左薬指ぐらい
切断するかもしれない。中臣鎌足(藤原氏の祖)も罪障消滅のために、なにかしたのかな?


天智、天武、持統天皇が産湯に用いた閼伽井

金堂の脇の閼伽井(あかい)の水が、三天皇の産湯に用いられたということで、園城寺は別名「三井寺」として
有名なんだそうな。ゲコ ゲコ グワ グワ ひっきりなしにカエルの声がする。まるで録音テープを流している
みたい。閼伽井を覆う閼伽井屋には、左甚五郎作の龍の彫刻が。


生きて動き出さないように目玉に杭を打ってあるとか

さて、三井寺から下りてくると長等小学校のそばを琵琶湖疏水が流れている。疏水といったら京都まで水を運ぶ
ために明治に開削された水路で、京都の南禅寺の境内には煉瓦の水道橋が架かってるし、哲学の道のそばを
流れてるのも疏水。


ここから京都まで流れてるのか……


比叡山の下にトンネル通したり、インクラインを設けたり、たいしたもんだよ


琵琶湖に出ると子供が釣りしてた
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