散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

馬込

2013-01-03 | Weblog
大森駅で電車を下りて、お昼だけやってるカレーの店に久しぶり行く前に、ちょっと神社で絵馬を見て
お腹を空かせようと思ったのが間違いの元です。道に迷ってしまいました。


馬込のあたりは坂だらけ

あとで知ったことですが、このあたりは昔から九十九谷と呼ばれたそうで、谷と丘が複雑に入り組んだ
ややこしい土地です。道も曲がりくねって、どこにつながるか感覚的につかみにくい。ずんずん進むと、
あらぬところへ出てしまいます。


ここは萩原朔太郎が住んでいたところらしい

“私は今もそれを信じてゐる。坂の向うにある風景は、永遠の「錯誤」に過ぎないといふことを。”……
といった語句がある朔太郎の散文詩を、坂だらけの馬込で迷うと思い出します。


まさか当時とおなじ建物ではないだろうけど

昭和のはじめの住居がそのまま残っているとは思えませんが、場所はここなのだそうです。パリとかだと、
おなじ場所におなじ建物があっても不思議じゃないどころか、むしろ当然といえるかもしれないですけど、
東京ではそんなこと望むべくもない。文化の違いですね。


川端康成と石坂洋次郎はご近所さんだったのか

ごく普通の住宅地の路地に、ひょっこりプレートが出ているから、まさしく犬も歩けば棒にあたるように
馬込を歩くと文士の住居にあたる。“馬込文士村”っていう言葉もあるくらい。だけど、“村”と呼ぶには
まばらに点在していて、ひとかたまりになっていない。探せば迷う。迷えばあたる。


あやしい人を見たらすぐに110番……

このマンションがあった場所に、どんな建物かわからないが、川端康成と石坂洋次郎が住んでいたらしい。
たぶん同棲していたわけじゃなくて、きっと別々に。


しかし、ほんとに坂だらけ

関東大震災のあと、とてもじゃないけど都心に住めなくなって、大根畑と雑木林に囲まれたこの九十九谷に
だんだん大勢の人が住みだした……そのなかに文士も多かった、ということかな。


衣巻省三という人は知らないけど、裕福でダンスを文士に広めたらしい


ともだちの稲垣足穂も、ここに転がり込んでダンスを踊ったりしたそうな

バスが通ってる臼田坂という坂のまわりに、萩原朔太郎、川端康成、石坂洋次郎、稲垣足穂、衣巻省三らが
ぽつりぽつりと住んでいた。その先に尾崎士郎と宇野千代の夫婦が住んでいて、馬込に画家や作家や詩人が
集まりだしたのは、尾崎士郎の声がけもあったとか。


尾崎士郎と宇野千代がなかよく住んでいたところ


いまはこんなふうになっている

カレーを食べにきたはずが、なんで作家の住居跡めぐりに。馬込というのは、おそろしいところだ……。で、
たまたま小林古径という人と、室生犀星の家があったところも通りました。


小林古径の住居跡は公園と児童館になっている


室生犀星の住居跡はアパートになっていて、看板のところに猫がいる


猫アップぎみに写しておきました。 おわり
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