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尖石縄文考古館

2021-02-13 | Weblog
名刺を整理していたら、諏訪東京理科大学の先生の名刺の裏面に2体の国宝土偶が
印刷されていて、その下に「この名刺を持参した場合には、尖石縄文考古館、神長
官守先史資料館、八ヶ岳総合博物館に各1回限り、5名様まで無料で入館できます」
と印字してある。先生は、茅野市縄文ふるさと大使なのだった。



ちかごろ縄文づいているので、さっそく茅野へ……尖石縄文考古館、てっきり駅前
と思ったが山中にある。登山客ばかりのバスを1時間ほど待ち、20分ほど揺られて
ブザーを鳴らし、ひとりだけ降りる。縄文に興味のある客は他にいなかった。



受付で名刺を出したら確かに無料になった。入館料を横目で見ると500円だった。
小学校の教員をつとめながら考古学の研究を行い、尖石遺跡や与助尾根遺跡などの
発掘に功績のあった初代館長・宮坂英弌さんの偉業を讃える部屋がある。



諏訪湖周辺の立体地図に遺跡をピンで示す展示があった。綠は旧石器時代遺跡で、
赤が縄文時代遺跡、水色はd弥生時代遺跡だ。弥生時代は濃厚が盛んになるせいか
平らで水が得やすい場所に遺跡が多い。縄文より前の旧石器時代の遺跡は霧ヶ峰
山中に多い。黒曜石の入手のためでもあり、また動物を主な食料にしていたので
霧ヶ峰山中に暮らしたのだろうと解説があった。



縄文時代はそれに比べると温暖だったので、木の実を土器で煮炊きして食べたり、
マメやヒョウタンを育てて食べたりしていたという。狩猟メインに暮らすイメージ
は、どうやら新石器時代とまざっている。



衣服も動物の毛皮などではなく、植物性のものを用いていたらしい。全体的に、
弥生時代の暮らしのイメージに近いように思われる。今でいう雑穀を栽培して
食べていたようだし、後期には稲作をしていたという研究もある。



土偶はわざと一部を壊して、祭祀か呪術か何かに用いられたと考えられている
けれど、棚畑遺跡から発掘されたこの土偶はなぜか完全な形で見つかり、縄文
時代の遺物として初めて国宝に指定された。



横から見たその土偶。「縄文のビーナス」という愛称がついて、ビーナスライン
という観光道路の名称の元になった。だからこの道をドライブするときはミロの
ビーナスを思い浮かべてはいけない。土偶を思い浮かべないと。



後ろから見た土偶のビーナス。ぐるり360度から見ることができる。



中ッ原遺跡の墓と考えられる穴から副葬品らしい状態で出土した数少ない土偶。
脚を破壊した後、壊れた脚を元のように胴体に添えて埋められたという。これも
国宝で、「仮面の女神」という愛称がついている。



後ろから見たその土偶。「脚なんか飾りです、偉い人にはそれがわからんのです」
という某アニメの整備兵のセリフが思い出される。けれども存在感からいったら
この土偶は脚こそメインのようだ。



横から見たその土偶。これら2体はポスターになって茅野駅前などでも見かけた。
その他2000点余りの考古資料が展示してあり、勉強になった。



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