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神社めぐりの連載というかミニコーナーを雑誌ターザンでやっていたころ安曇野の穂高神社をネタにしたのは2013年だった。あっというまに約10年の歳月が流れ、うかうか上高地を散策していると明神池のまわりが穂高奥宮と称しているのを見かけて寄り道した。
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穂高神社をひらいた安曇族は九州からきた海の一族だから舟で祭を執り行う。だから今でも池に桟橋を架けて祭祀のために船をつないである。御神体はその上にそびえる明神岳でこれが元は穂高岳といった。
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近くの山小屋の主がいうには安曇族が神としたのはあの穂高岳なのだが明治以後このあたりの山々がどれも穂高と呼ばれるようになり、紛らわしいので御神体をもって明神岳と称することになった。現在は明神岳が正式名称で穂高岳とは呼ばないし、地図の記載も穂高岳ではなく明神岳になっている。
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御神体はいちばん手前に高く見える第5峰だが、これは遠近感による目の錯覚でより遠くにある主峰などのほうが標高は高い。近年はそれらを総称して明神岳と呼ぶ。穂を立てたような形状なので古くは「立て穂の峰」と呼ばれ、穂高の語源になったが、そんな穂高の山々の中でも明神はどちらかといえば忘れられがちな存在になっている。
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上高地のルーツは穂高奥宮のある明神一帯なのだが、あの奥宮が明神池として囲い込んで拝観料を取っているのは元々ただの池でとくに名前はついてなかった。昭和30年代までは誰でも憩うことができた池を神社が柵でエンクロージャーして拝観料を10円ほど徴収し始めたのは昭和40年頃のこと。観光客の増加と共に値上げして、近年まで300円だったのが現在500円につりあがっている。
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明神を中心に上高地は牧場地として明治以降ひらけたが、うまくいかなくて現在は観光地になっている。アクセスしやすいので手ぶらで遊びにくる客も多いが、標高1500m程度の山地であり、ここを起点にアルプスの山々をめざす登山客にも人気である。芥川龍之介が小説『河童』に書いた河童は上高地の沖積平野をなす梓川に棲む河童である。
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