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銭洗い

2020-07-04 | Weblog
銭洗いとは現代の言葉で表現すると資金洗浄=マネーロンダリング、つまり犯罪集団がトンネル会社を通して不正な金をふところに収めることで、参考までに最近のわかりやすい例を挙げるとすれば、こういうのがマネーロンダリング=資金洗浄=銭洗いに他ならない。



ぐずぐずした給付金事業はマネーロンダリングだったし、粗悪品のアベノマスクは資金洗浄だったし、金ばかりかけてボランティアをこき使うオリンピックは銭洗いだった。つまりアベノミクス=銭洗い=資金洗浄=マネーロンダリングだったと、トンネルの向こうの銭洗弁財天を眺めて悟った。



奥宮の湧水でお金を洗って使うと、2倍になって返ってくると昭和のガイドブックに書いてあるんだけど、平成のガイドブックを読むと10倍になって返ってくると記されている。バブルを経て日本人の金銭感覚がおかしくなってしまい、バブルに味をしめた世代が国政を牛耳るようになってから、吸い上げた税金をいかに銭洗い=資金洗浄=マネーロンダリングするか。それを経済政策とする犯罪集団になった。



それにくらべると、庶民の銭洗いなど慎ましい。鎌倉駅から1kmあまり歩いてきてはザルと線香をおとなしく買って祈りを捧げ、思い思いの銭をザルに入れて湧水で洗う。マネーロンダリングといっても恐らく働いて得た金を物理的に洗うだけで犯罪集団の資金洗浄とはわけが違う銭洗い。



銭というとコインを思い浮かべるのが日本語の正統だと思うし、バブル以前に小学校か中学校の遠足でここに来たとき生徒がみんな硬貨を洗って喜んでいたのを、昨日のように覚えている。金銭感覚というのは狂ったら戻らないものか。スマホのカメラを構えて見てると、誰も彼もザルに紙幣を入れて嬉しそうに洗う。洗浄する。ロンダリングする。



この銭洗弁財天、宇賀福神社は源頼朝が生きていた時代の創建だそうだけど、当時まだ貨幣があまり流通していないだろうから、ここで洗うと増えるとウワサになったのは米とかじゃないかなって、お札を洗う人の背中を眺めながら思った。わざわざザルで洗うものと言ったら穀物ぐらいしかない。



江戸時代になって江ノ島詣での人が鎌倉を通るようになったころ、ようやく庶民が銭を持ち歩く時代だから、ついでにここで銭を洗って穀物みたいに増えてくれと願ったんじゃないかな。現代の人々が紙幣を洗うのを眺めて、自分は銭洗いにも資金洗浄にもマネーロンダリングにも関心がないから祈りも願いもしないけど、そんなことを考えた。


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