散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

釧路

2014-08-16 | Weblog
高1だったか、高2だったか、夏休みに勝鬨から釧路までフェリーに自転車つんでいって、あとはひたすら
自転車こいで北海道の東の方をぐるっと回ったことがある。そのとき素通りした釧路へ四半世紀あまりの
時を越えて、ただ避暑にいく。


宿題させて監督

部活で忙しい子供は、全国大会だったか、関東大会だったか、出場できたら夏休み返上になるとこだった
みたいだけど、敗退したので避暑についてきた。宿題たまってるとかいうから、机に向かわせて監督する。
それから散歩にでる。


港のほうには煉瓦の倉庫がある

釧路は、涼しいのを通り越して肌寒い。夏に自転車こいでちょうどいいくらいだから、普通に歩いていると
朝夕は上着が欲しくなる。通りは閑散としているが、有線放送で「犬の散歩をするときは袋を持ち歩いて、
ふんを始末してね」とか「MDMAは危険だから使わないでね」とか、子供にアナウンスさせて録音したの
がスピーカーを通して延々と流れて、かえって淋しい。


たんぽぽの綿毛

涼しいからいまごろ綿毛になっているんだろうか? それとも、どんな土地でもこんなもの? 日頃あまり
気にしてないから、よくわからない。


鳥……「かもめが翔んだ日」?

渡辺真知子の「かもめが翔んだ日」は、そのとき一羽のかもめが翔んだ……だけれど、いっぱい翔びすぎ。
しかし考えてみると、かもめは群れで翔ぶんじゃないだろうか? たまには一羽でも翔ぶのか。


回文 : くしろよろしく

釧路は「946」って数字で書かれたり、「串炉」って居酒屋メニューみたいに書かれたり、いろいろあった
けど回文で「くしろよろしく」っていうのを結構よく見た。右から読んでも、左から読んでも9464649……。


覗いてみませんか?

ただいま工事中!! 壁のむこうを覗いてみませんか? 大人用見学窓 おこさまようけんがくまど……
そこまでするからには、きっと何か面白い仕掛けがあるにちがいない。よし、のぞくぞ!


べつに何もないじゃないか~!

そうじゃないかと思った。釧路の街は空き家も多いし、打ち捨てられたビルも多いし、更地も多い。だけど、
ホテルは林立してる。タクシーの運転手さんによると、いまでも北海道で4番目の大都市らしい。もっとも、
帯広にもうすぐ抜かれるのは明らかで、やがて苫小牧にも抜かれるのは確実という。


小高いところから眺めた釧路

近くに山がないから冬になってもスキーはしない。そのかわり、どこの小学校の校庭も木の柵をめぐらせて
水を張り、天然の氷でスケートリンクをつくるから、釧路市民はスケートが上手だ。岡崎朋美、住吉都など、
スピードスケートのオリンピック選手を釧路は輩出しているし、アイスホッケーも盛ん。


そのとき一羽のかもめが休んだ

漁業と、炭坑と、製紙のまち。だったのが、湿原と丹頂と観光のまちにシフトしてきている。だからホテルが
林立してるのか。自転車で通り過ぎた当時、ここまでじゃなかったような……?(何も覚えてない)


カニも名物っぽい

カニの店じゃ当たり前すぎて、とうとう「活」専門店っていう言葉まで編み出してしまった「カニ吉」、すごい。
地元の人の話だと、ここ「たんちょう市場」の魚醤ラーメンが釧路でいちばん。繁華街のラーメン屋さんは、
有名だけどおいしくないって、誰もが口をそろえて言う。


和商市場は昔きたことあるかも

四半世紀ちょい前に自転車で寄ったのでは? 駅前だし……フェリー発着港から何百mか離れてるけど、
自転車ならすぐだから。そのころコンビニはまだ併設されてなかったにちがいない。


昭和30年代は屋外だったのか

前回(昭和60年代)は屋内になっていた。これからツーリングしようってときだったし、お金もなかったので
何も買わなかったけど、今回はヒマだし子連れだからお昼ごはん食べよう。


勝手丼

ごはんを買って、魚介類をお好みで注文して合い盛りにしてもらう「勝手丼」……四半世紀前こんな楽しい
システムなかったのでは? 調子に乗ってネタ乗せても、親子2人で2000円しない。


左がわたくしで、右が子供のやつ


場所さがして食べる

さて、腹ごしらえしたところで阿寒バスに乗って釧路湿原の木道を歩きにいく。駅前のバス停留所の15番で
13:35発のバスに乗って14:08に温根内ビジターセンターについた。帰りのバスは16:26 (この日の最終便)
だから、2時間くらい湿原の木道を歩き回る。「尾瀬より立派で車イスで通れる」のが自慢らしい。


立派に整備された木道だな…

気温が低いから草木が枯れても土に還らず、泥炭になって積み重なり、スポンジ状に水を含んで踏むと沈む。
そういうところを湿原というみたい。泥炭ってモルトウイスキーつくるときのピート? スコットランドにも、こんな
湿原が広がっているのだろうか。


アゲハが出てきていただきます


木道はつづくよ~どこまでも~


トウヌマゼリをいただきます


木道はつづくよ~どこまでも~


Take me to the hanging tree~♪

ずっと同じリズムで歩いてると、どうしても歌が出てきちゃいます。今日は湿原を歩いたけど、明日は湿原を
車窓から眺めよう。そこまでブログに一続きに書こう……というわけで今回、いつもより長くなっていますが、
まだまだ続きます。


夜になりました・・・


釧路は炉端焼き発祥の地だとか


どこにでも炉端焼きがあります


岸壁でも炉端焼きやっています


蟹のUFOキャッチャー発祥の地とも

せっかくなので炉端焼きを食べて、活きた毛蟹のUFOキャッチャー(1回500円)はやらないで、眺めるだけ。
とれたらとれたで、毛蟹の扱いに困るし。


朝になりました・・・

釧路湿原ノロッコ号という展望列車に乗って、塘路まで。このノロッコ号は1989年にスタートしたというから、
たまたま今年で25周年。それでも自転車旅よりは最近……ちなみに自転車旅のときは、屈斜路湖から釧路
まで夜通し釧路湿原のあたり下ってきてフェリーで寝たので、真っ暗で湿原は見えなかった。


ところで、なにが「ノロッコ」なのかと思ったら……

トロッコのような列車で、見どころに差しかかるとノロノロ走るからノロッコ号というらしい。いい席がなかなか
とれない。自由席もあるから乗れないということはない。天候の影響で運休はよくある。


指定席はこんな感じ


車両はこういう感じ


こういう感じのところを走って…


カヌーなんかに出会ったりして…


塘路駅から塘路湖畔を歩いて小山にのぼって……


展望台からのどかな眺めを

こういうところを切り拓いて人が住めるようにするのは大変なんだろう。釧路には鳥取という地名があって、
鳥取から移住してきた人たちが住んだ土地にちがいないと思ったから、タクシーで鳥取神社を訪ねてみた。
移住100年を記念して昭和59年(1984)に建てられた鳥取百年館がある。


士族が移住したから城っぽい

明治17年、18年(1884~1885)に鳥取から、105戸513人の士族がやってきて開拓したのが鳥取村の始まり。
いまの釧路駅から海側は漁師町として早く開けた釧路市で、その反対側は戦後の合併まで鳥取村、鳥取町
だった。そのあと百年館を建てるんだから、結束が固い。


神主さんと目が合ってしまった


鳥取から運んだ家財類

帰りはタクシーがつかまらないからバスに乗って駅まで戻った。なんでも定期券をカラーコピーした人が
いるようで、再犯防止のために厳しい措置が取られている。


車内の貼り紙に…

バス降車の際には、必ず定期ケースから定期券を取り出し、運賃投入口上部に一度停止状態で見やすく
提示することになっている。ケースから出すのは徹底してる……と思った。
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