歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

想い出の「七ツ海」は?その2 柏戸にも大鵬にも勝っていたのが自慢の七つ海!

2007年07月03日 | 東京の風景

昨日の続きです。

3杯目の「生」を注文して、少し酔いが回ってきました。聞きたい事がいろいろあります。そろそろ大丈夫です。女性に向けて、

『七ツ海さんが、ここに店を出したのはどうしてです? 奥さんがこの辺の人とか?』

『はい。母が立石の生まれなんです。この場所ではないですが、この辺を3回ほど引っ越したと聞いてます・・・』

同意を求めるように、視線を男性に向けながら話した。男性は頷き、口元が動き、何かをしゃべったのですが、私には聞き取れませんでした。

『お二人はご夫婦ですか?』

『長男と、長女です』

『そうなんだ。どちらが上なんですか?』

『姉と弟です』

警戒心が和らいだのか、少しだけ姉が表情を崩した。弟の方は神経質そうな眼をして、こちらをじっと見つめるので、

『私、テレビで七ツ海の取り組みを見たことがあるんですよ、お二人は見ました?』

『私達、父が相撲をやめてから生まれたので・・・』



そうでした。見た目の年齢からしても、それはムリでした。七ツ海が廃業したのが1959年ですから、今から48年前です。

『あッ。そうか、そうだよね、弟さんはおいくつ何ですか?』

『42歳です』辿々しい言葉でした。ハッキリしゃべれないようです。

『それじゃ、厄年だね』

すると、姉の方が弟に替わって、去年、病気をして暫く店を休んでいたと、答えてくれました。ネットで見たときに「あるブログ」で、一時、休業していた話しが載っていたことを思い出しました。

病名は? 何処の病院? どの位の期間? お二人はご結婚は? 子供は何人? 男の子?、女の子? もう独立したの? 家族はこの上で一緒に暮らしているの? 

何て、余計なことを聞きたいのですが、じっと我慢。きっと「脳梗塞」と思われす。酒もタバコも好きなので困ると姉が云ってました。

『七ツ海さんは12人兄妹でしたよね、何番目の人か忘れたけど、七ツ海さんの弟で、「ヨシオさん」って云う人が、東京に働きに来た時に、家に暫く居たんですよ、その事もあって、お父さんは現役時代に家に遊びに来たのだと思います』

『そうなんですか、そうすると茨城の方ですか?』

始めて、こちらに質問してくれました。

『はい。おふくろがお父さんと同じ村です。ヨシオさんは印刷屋をやっていたって聞いたことがあるけど・・・』

姉と弟で、何やら話し始め、「あのおじさん?」、「小岩」、「早く亡くなった人」とかが、切れ切れに聞こえてきます。

『たぶん、小岩で印刷をやっていた叔父さんの事だと思います。若い時に亡くなったと聞いてますけど・・・』

あまり詳しくは知らないようです。何せ、兄妹が12人ですから無理もありません。

『私もそんな話しを聞いています。印刷屋の商売が順調で大分儲かったらしくて、お妾さんを囲ったいたそうで、亡くなったのはお妾さんの家だと聞いてます。何か脳梗塞で、腹上死なんて話しも・・・・・・』

と云って、笑いかけたのですが、二人を見ると冗談とは受け取っていない表情です。きっと去年、弟は脳梗塞を患い大変な思いをしたのでしょう。言葉だけではなく、身体も少し不自由でした。

痩せて小柄で、お父さんとは全く異なる体型です。お母さん似なのでしょう。

若くて美しい妾宅で、情事の果ての腹上死なんて、有る意味、男の願望、憧れに思えたのですが、チョット悪い冗談でした。

冷めた「鶏の唐揚げ」を頬張り、「生」を飲み干して、「酎ハイ」を注文しました。

この「鶏の唐揚げ」、柔らかくて、歯ごたえが無く、「ぱさつく」ので、胸肉のようです、間違いないです。身体には良いかも知れません。

酎ハイが来ました、かなり「小ぶりのグラス」です。一口飲むと3分の1が無くなります。

話題を変えました。

この日、ネットで調べて作った、七ツ海の十両以上の星取表を持っていったのです。

その紙を取り出し、昭和27年から34年まで、7年間も関取でいた事を褒め称えました。

そして、二人は知らないと思い、十両時代の昭和33年の夏場所に「柏戸」に勝ち、翌年の夏場所には大鵬に勝っていた事を話すと、残念ながら二人は知っていました。

七ツ海が廃業して、数年してから「柏戸と大鵬」の「柏鵬時代」の到来です。これはもう「自慢」しない訳にはいきません。

『俺は、柏戸、大鵬に勝ったんだ! 一度も負けていなんだ!』と店に来る客や、子供達に話したのでしょう。

お父さんは、そんな話しを聞かせてくれた? と聞くと、笑いながら頷いてくれました。しかし、それ以上の反応はありません。もう少しなんとか・・・・・・と思うのですが。

弟は、生真面目で、おとなしそうで、商売人向きではありませんが、料理を作るには問題ないでしょう。

姉の方も、口紅一つ塗らず、化粧気なしで素朴な感じの人でした。下町の居酒屋です。水商売を全面に出す必要も無いでしょう。

真面目な居酒屋として、しっかりした固定客を掴んでいるのでしょう。七ツ海が始めてから40数年続く店です。

それにしても、客は誰も入って来ません。

『ちゃんこ鍋屋さんは、やっぱり夏は客足が落ちますか?』

『夏だけ、ちゃんこを食べに来るお客さんも居ますが、やはり夏は落ちますねぇ。まぁ、いつも、暗くならないとお客さんは入らないですねェ』

そうなんです。未だ外は明るいのです。5時前に入って未だ6時を少し回ったところです。

その後、大した会話もなく、酎ハイを3杯お代わりしました。6時半を過ぎました、そろそろ退散です。

季節が替わり、寒くなった頃に、今度は「ちゃんこ鍋」を食べにくると告げ、店を後にしました。



ふり返ると、街灯にも、看板にも明かりが灯りました。

何となく物足りない思いでしたが、こんな時間に一人ほろ酔い気分で、昼間の暑さも和らいだ立石の街を歩いると、気持ちが「ゆったり」としてきました。

今日、一日がとても良かったと思えてきました。「ちゃんこ七ツ海」は良かったです。これからも姉弟で頑張って下さい。



それでは、赤羽、そして、立石の「七ツ海」を訪ねるシリーズを終わることにします。

ありがとう御座いました。


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コメント
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