歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

明治神宮の本殿屋根の銅板葺きで大相撲の行く末に思いを巡らしたり

2017年11月24日 | お寺・神社

前回の続きです。

明治神宮の境内で、ウロウロと、キョロキョロと、しています。

三つ目の鳥居です。

鳥居の先に見えていたのは、本殿ではなく楼門でした。お寺の門は山門で、神社の門は楼門と云うようです。

左に手水舎、

右には、何だか判らない建物、

海外の方達も、何処で覚えたのか? 左手を清め、右手を清め、口をすすぎ、柄杓を立て持ち手に水を流し、それなりの作法でした。私と云えば、左右の手の洗浄のみで後は省略。

近所の神社の手水舎には「顔を洗うな、足を洗うな、イヌに水を飲ませるなの注意書きあります。神を恐れぬそんな輩がいるのです。

お清めを済ませ、新たな気持ちで、暫し、正面より本殿に視線を向け、50数年ぶりの参拝にいろいろと思いを馳せたりしたのです。

なかなかの楼門。

こういう感じの木組みが好きです。

本殿です。何と、何と、改修中です知りませんでした。工事用の遮蔽幕?に本殿の写真が貼られていました。

ここで、横綱の奉納土俵入りが行われるのです。土俵が無いので「手数入り」なんて云ったりするみたい。

何か、町内会の交通安全週間とか、運動会とかで張られるテントが。

 改修中の屋根に張る銅板を奉納する受付でした。銅板に住所氏名を記入して3千円のようです。その時は、そうかそうかで通り過ぎたのですが、今となって、ちょっぴり後悔しております。

明治神宮の、本殿の、屋根の、銅板に、ひっそりと自分の名前が記されていると思うと、それなりに、何となく、イイ感じに思えてきたのです。たぶん、100年はそのままだと思います。

ありました!横綱も奉納しています。日馬富士、稀勢の里、白鵬、鶴竜はありません。

   

それにしても、貴の岩への暴行事件には困ったものです。当事者よりも、関係者の思惑が絡まって、訳の分からない事になっています。

テレビ関係者、週刊誌関係者にとっては、笑いが止まらないネタとなっています。面白可笑しく、いじくり回して、騒ぐだけ騒いで、商売繁盛なのです。

相撲界へのモンゴル勢の影響は、かなり、かなり、深刻になっているのです。一昨日の白鵬の土俵態度は、本来、絶対、あってはならない行為です。大横綱は何でもできると思っているのです。

云う事と、やることに違いがあるのが白鵬。千秋楽の優勝インタビューで、また、白々しく、偉そうな事を、偉そうな態度でしゃべるのです。

彼は、そして、彼らは、大相撲を変えようとしています。単なる、フツウの、格闘技にしたいようです。

彼は将来、協会の理事長職を狙っているとの噂がありますが、たぶん、間違いなくそう思っている筈です。

彼が理事長になって、彼の思い描く大相撲が実現したら、いったい、どうなることやら、私は見たくありません。

それにしても、稀勢の里は、もう、引退した方がいいです。

本日から、高安も休場です。

今場所も、12日目にして終わりました。

しかし、明治神宮のお話は、まだまだ続きます。

それでは、また。

 

 

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明治神宮の海外観光客を眺めつつ!日本国の雇用環境に!行く末に!思いを馳せたり巡らしたり!

2017年11月14日 | お寺・神社

前回の続きです。

まだ、ぶらぶら参道を歩いています。

二番目の鳥居の先では菊花展が催されています。それにしても、海外からの旅行者が眼につきます。日本人の参拝者は、とても、とても、少数派なのです。

平日に、ノンビリと、明治神宮にお参りするような余裕は、もう、平成の日本国民には、かなり、かなりの贅沢? 祀られている明治天皇はどんな想い出で見つめているのでしょう。

そういえば、何かで目にし、耳にしたのですが、都心の繁華街とか、主要な観光地での催し物とか、季節のお祭りとかで、海外の観光客が多く眼につき、日本人、特に若者の姿は見かけなくなってきたそうです。

多くの若者に時間の余裕も、金銭の余裕も無くなってきているのです。99%と1%の問題です。

40代以下の年齢層は、物心ついてから、ずっと、ずっと、経済の停滞局面しか知らずに生きてきたのです。給料は上がらず、労働時間は長く、休みも取れず、雇用は不安定。

でも、そんなそんな時代でも、現状維持しか望まない若者、どうしてそうなるの?と、もうすぐ68歳のオジサンは考え込むのです。

ホント!自民党政権が!経営者に!賃上げ!を要求する異常な時代なのです。これ以上、雇用条件の低下は、若者の働く意欲の低下を招き、労働力の再生産も不可能にし、社会が崩壊する危険な領域に、差し掛かっている?もう既に入っている?

自民党政権は、それなりに日本国の行く末に思いを馳せ、経営者は企業の行く末のみに思いを馳せ、日本国よりも海外に目を向けているのです。企業には国家の枠組みが邪魔になってきているのです。

政治家は国民に選ばれ、経営者は株主に選ばれるのです。

話しが、とても大きく、とても暗い方に向かってしまいました。参道は深い森の中で陽ざしは遮られ暗いのです。

兎に角、奉祝!明治神宮秋の大祭で菊花展です。

10月25日から11月23日迄の期間で催されています。この日は10月の27日で金曜日で開催されて2日目。

こちらの菊はまだまだです。

コチラの大輪は見事に咲き誇っています。

それにしても、菊花展ですが、何処で見ても、どう見ても、素人目にはみんな同じように見えて、あまり感動しなくなりました。

それにしても、こういう処に展示されている菊の花は、どこで、どう云うかたちで売っているの?タネで?苗で?これまで、一度も、ホームセンターの花売り場で見かけたことがありません。

参道の両側は深く高く生い茂っているのです。フツウに歩く目線では空は視界には入りません。

この突き当たりを右に折れると、やっと、正面に本殿です。

暗い、暗い、参道の先に、鳥居と本殿が輝いています。私のコンデジでは巧く撮れないのです。カメラの所為ではなく、腕の所為?

本殿に到着。思っていたよりも、ちょっと小ぶりです。

これからお参りです。

 

それでは、また。 

 

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明治神宮の参道は正しく屈曲していました

2017年11月06日 | お寺・神社

前回の続きです。

明治神宮の参道を歩いています。

因みに、こちらが地図となります。現在の地点は右側の下から上に「山の手線」書かれた「山」辺りを歩いています。 

いろいろな案内板が見えて来ました。右に入ると、展示施設とか、おみやげ屋とか、休憩所とか、トイレとか、レストランとか、いろいろな施設があるようです。

1700円のパスタは、写真で見るとサラダにスープにデザート風の小鉢が写っていますが、このセットで?この場所でこの価格ならばかなりリーズナブル。

秋の味覚御膳がこの価格ですから、たぶん、パスタはセット価格だと思われます。コーヒーは450円ぐらいですかね。750円のマロンケーキ、美味しそうですが食後血糖値が爆発します

こんなような施設があるようです。本日は先を急ぐので眺めるだけで素通りします。

こちらは神社の境内でフツウに見かける酒樽、日本全国から奉納されています。 

日本酒の酒樽の反対側には、神社ではフツウは見かけないワインの酒樽。ウィスキーと思って近づいたらワインだったのです。

本場フランスはブルゴーニュより奉納。樽をバックに記念撮影されている方は、もしかして、たぶん、フランスからの旅行者?

明治天皇は近代化、西洋化に頑張ったようです。でも、和魂洋才で。

日本酒とワインの酒樽の前を通過すると、直ぐに二つ目の鳥居が見えて来ました。地図にあるように、一の鳥居から本殿までは、直線では無く、正しく屈曲しているのです。

一の鳥居からほぼ直線で250メートルぐらい、そして左に折れて100メートルぐらいで右に折れ、正面に三の鳥居と本殿が見えて来ます。

二つめの鳥居を過ぎると、参道の右側では菊花展が開催されているようです。

この続きは次回。

それでは、また。

 

 

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明治天皇が祀られてる明治神宮の参道を歩きつつ権威と権力と中国を考えます

2017年10月31日 | お寺・神社

先日の金曜日に東京に行って来ました。

そして、そして、明治神宮に参拝して来ました。

遠い遠い昔なので、かなり、かなり、怪しいのですが、明治神宮に前回訪れたのは、たぶん中学生の頃だったと、お正月に友達数人で来たと記憶しています。

その頃、お正月に友達と連れだって明治神宮に行くのが「流行っていた」のです。と云う事で、かれこれ50数年ぶりの参拝となります。

今回の東京行きの主要目的は、可愛い双子ちゃんに会う事なのですが、折角だから、この際、近所の明治神宮も久しぶり参拝と相成ったのです。

当日は地下鉄千代田線の神宮前で降り、地上に出たところはJR原宿駅前で、明治神宮は目の前です。

神宮橋を渡ります。橋の下には山の手線。網代笠を被った旅装束の僧侶が橋の中央にす立っています

外国人観光客には絶好の被写体。

神宮橋を渡って右に折れると最初の鳥居が眼に入って来ます。

この日はカメラを向けると、画面の何処かに必ず外人さんが写り込みました。日本人と思っていたら聞こえてくる会話から、中国とか、台湾とか、韓国とか、の方々でした。ざっと見、8割以上は外国の方達のようです。 

 今時の明治神宮では鳥居の向かいに、こんなオープンカフェがあったりするのです。

鳥居をくぐって境内に脚を踏み入れます。ここで、アレぇ!と思ったのです。写真では分かり辛いのですが、参道がなだらかに下っているのです。何か、ちょっと、変な感じです。

神社は、やはり、一般的にと云うか、ふつうは高いところにあって、階段を登っていたその先に本殿があったりするのです。鳥居の先が下り坂は初めての経験。

参道の両脇は、まさに、まさに、鬱蒼とした森。100年前に創られた人工林とは驚きです。

 こんな処に川が流れ石橋が架かっていたのです。 

なかなかイイ感じの石橋です。

川というよりも、小川のせせらぎです。

それにしても、長い、長い参道。

左手に門が現れました。

明治神宮御苑とあります。新宿御苑知っていますが、明治神宮御苑は知りませんでした。

説明板を読むと、意外な事が書かれていました。(私以外は意外ではない事実?)わたし的には、明治神宮は何も無い原野に造られたと記憶していたからです。以前、NHKの自然番組で明治神宮の造営経緯もそう説明されていました。←私の記憶違い?

この説明では、間違いなく大名の加藤家、井伊家の下屋敷の庭園があったと記されています。何も無い原野に、明治神宮が造営された訳では無かったようです。明治天皇も生前訪れてこのような歌を詠まれているのですから、間違いないのです。

明治神宮の内苑の面積は70万平方メートルで、御苑が8万3千平方メートルと云うことは、1割以上は何も無い原野ではなく、整備された庭園があったと云う事になります。

NHKの自然番組でも、私の記憶では、間違いなく、何も無い原野に、明治神宮は造営されたと説明していました。まあ、何も無い原野が9割ですから、何も無かったでOK?

まあ、物語としては、何も無かった荒れ野に、全国から“献木”されたおよそ10万本で造り上げた人工林として、困難な大事業として、明治天皇の威光が、偉大さが、有り難みが、増すような気がします。

それで、中学の仲間と始めて参拝したあの頃、唯々、“お正月は明治神宮にみんなでお参り”とだけで、祀られている神様にはまったく関心はありませんでした。

明治神宮は明治天皇を神様として、お祀りしている事を知ったのは、いつの頃だったのか?

帝國憲法では天皇は神様でした。今では、統合の象徴で神様ではありません。いまは権威と権力は分離されています。

権威と権力を統合したほうが、国力は強化され秩序は安定し、国民は安心して暮らせる、と、考える方達が存在します。安倍首相の改憲の本音はそこにあり?まあ、そんな時代は明治憲法下の一時期だけでした。

現在、権威と権力の統合した代表国家は、あの中国と北朝鮮です。この二つの国は、やたらめったら、強国!強国!と叫ぶのです。

強い国になりたい願望が強いのです。確かに、侵略された経験のある国ですから、屈辱的経験がそう叫ばせる面は、それなりに理解できます。

しかし、特に習近平さんの中国ですが、経済、軍事で世界一の強国になると、最近叫んでいます。そんな中国像を世界はどう見ているのか、考えているの?

軍事や経済で一番になったとしても、たぶん、世界中の人々は、中国を尊敬したり、憧れたり、中国に住みたいとか、そんな想いを抱く人は、かなりの変わり者だけだと思います。

え~と、話しが、完全に逸れてしまいました。

兎に角、明治神宮を歩いています。

この先は次回。

それでは、また。

 

 

 

 

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⑤王子稲荷で稲荷寿司とお狐様を考える

2013年04月03日 | お寺・神社
一昨日の続きです。

「名主の滝公園」の次は“王子稲荷”に参拝します。

王子と云えば、落語“王子の狐”で、王子稲荷です。


おや、先ほど名主の滝公園で会った、ピカピカの一年生です、ママと妹の姿はありません。ひとりでお参りでしょうか?


なかなか立派、かなりの極彩色、これぞ日本、“ワビ・サビ”の枯れた色彩も日本、“キンキラキン”も日本。


“木鼻”の彫り物もナカナカです。


神社に桜は似合います。


こちらには枝垂れ桜。


上がって来た参道の階段をふり返ります。オジサンは何を指差しているの?


神社と云えば、狛犬です。口を開けた阿形(あぎょう)


こちら口を閉じた吽形(うんぎょう)阿吽の呼吸で、始まりと終わり。生と死。


王子稲荷ですから、お狐様が、あちら、こちら、居るのです。


それにしても、稲荷信仰から、稲荷寿司で、どうして狐に繋がったのか?


稲荷は、稲が生るで、稲生り、本来は穀物・農業の神だったそうで、それが、いつしか、産業全般の神として、商売繁盛の神として、花柳界、芸能界、小売り業界、製造業界、ありとあらゆる業界に、その信者を広げていったようです。

まあ、兎に角、神様は人間の都合ですから・・・・・・。


繁華街にも、工場の敷地にも、ビルの屋上にも、商店の裏庭にも、お稲荷さんが祀ってあるのを見かけます。何故?狐は神様になり、タヌキは神様になれなかったのか? 


タヌキは狸で、里の獣、人家に近い所に生息している為に身近な存在だったから? そして、その生態と外観から受ける印象の違いから?確かに、タヌキは滑稽感を漂わせています。 


でも、こちらの“お狐様は、とても、とても、滑稽と云うか、親しみ易いお顔と云うか、こちらも微笑んでしまいました。ところで、狐は肉食で油揚げは食べないそうです。それでも稲荷寿司なのです。


それにしても、“稲荷”と聞くと、直ぐに、思い出すのが、圓生の「江戸の名物は、伊勢屋、稲荷に、犬の糞と申しまして、大変多かったそうで・・・」の枕です。

江戸の頃は「お稲荷さん」と「犬の糞」を同列にしたりして?、兎に角、お稲荷さんは至る所に祀ってあったそうです。それにしても、いくら何でも“犬の糞”と同列とはねェ・・・罰当たり?

まあ、兎に角、王子稲荷を後にします。


“王子稲荷の坂”を登ります。


坂は、登りでも、下りでも、何故か途中で振り向くのです。


登切ったそこは王子第二小学校の正門前。


これより、音無橋に向かい、橋の上から桜を眺めます。


それでは、また。


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龍ヶ崎観音から“ニューイヤーランチ”へ

2013年01月08日 | お寺・神社
新しい年を迎え今年も、いつもの、龍ヶ崎観音に行って来ました。

何とも、のんびりで、温かい、田舎の観音様なのです。人でもそこそこで、それなりに華やいで、それなりにお正月の雰囲気。

本日は連れ合いと二人連れ。


ココの観音様は、何と云っても、この可愛い仏様です。


小首を傾げていたり、


ハ~イ!のポーズしていたり、


赤ちゃんの微笑みをしていたり、


幼稚園座りをしていたり、


もう、たまらなく、たまらなく、超!可愛い~!のです。抱きしめたくなるのです。寒くても、顔がほころぶのです。

お詣りをして、お守りを受け、連れは“おみくじ”を引き、“大吉”でした。このところ連続して大吉なのです。去年は“年末ジャンボ”が当たったのです。3千円ですが・・・。

ヨカッタ!ヨカッタ!でランチでもと、牛久シャトーに向かいました。

牛久シャトーは“3・11震災”で、古いレンガ造りの建物は被災し、復元工事中ですが、このレストランは古く無い、“レンガ造り風”なので無事でした。

店内には団体客が一組、客の入りもマアマアで、待つ事もなくテーブルにつきました。メニューを眺めていると、水を運んで来たウェイトレスが“ニューイヤーランチが本日までとなっております”と笑顔で告げて下がって行きました。

初詣の帰りです、“ニューイヤーで、ランチで、本日まで”の言葉に、“そうか!そうよ!それでは”と、なり、ニューイヤーランチをオーダー。


鰤のカルパッチョ、


綺麗な色、美味しそうな色で、ホント美味しかった!


ポタージュは適温で美味しかった。


サーロインは二段重ねの盛りつけで、見た目よりボリュームがあったけど、


でも固かった。最近では、記憶がないほど、二人で見つめ合い黙々と、噛んで、噛んで、よく噛んだのです。やっぱり年寄りには挽肉です、ハンバーグです。

白く丸いモノのは、お正月に因んで“クワイ”です。

デザートは“糖尿人”には危険なので、グレープフルーツとシャーベット一口、残りは連れが頂きました。


デザートはとても美味しかったそうです。


初詣でを済ませ、初の外での食事、とても、とても、お正月でした。

孫達は、今年は13日に遊びに来ます。楽しみです。

それでは、また。

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守谷市の西林寺と八坂神社

2012年07月05日 | お寺・神社

西林寺


















八坂神社












西林寺と八坂神社でした。


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柴又帝釈天あたり

2011年06月02日 | お寺・神社




























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印西市重文“光堂”を正しい経路で辿ります

2011年03月30日 | お寺・神社

先ずは、つくば市の、3月30日午前10時26分の“放射線量は0.18μSv/h” です。

それで、暫く中断していた千葉県は印西市の重文“光堂”の続きを再開します。

それで、その日、道路から案内板に従い光堂に辿り着いたのですが、そこは明らかに裏口と云うか、脇道と云うか、正しい参道ではなかったのでした。


正しい参道は、当然、光堂の正面の石畳です。


しかし、参道の真ん中で行く手を阻む、この木の柱は何て云うのでしょうか? 撮影にも、参拝するにも、ちょっと邪魔なのです。


この先が石段となっています。


かなり急で、かなりの段数があります。


下りて振り返って見ます。右が光堂への道。


したから見上げると、急勾配がわかります。


この急勾配で、少しねじれ気味の石段を登ると、こんな感じで光堂が現れるのです。


左を登ると、光堂の裏手の墓地に辿り着きます。


後ろを振り返った後は、180度身体を回転させて前方に眼を移すと、平らな道のその先はまた階段となっています。ここで、一旦引き返し、この階段の上に繫がる道を探し求めて、通りに戻ります。


戻る途中で見つけました。暗い山の中、苔むした石塔の前で、鮮やかに光る椿の花。


通りに戻り少し行くと「小倉青年館」の案内を発見。距離的にもこの辺りが怪しいと睨みました。


両側は住宅の小道。


右に折れ、


左に折れ、


青年館の前に到着。右側に石段、


水色に塗られた手摺りに見覚えがあります。


石段を下ります。


間違いありません。光堂への路です。


本来、こちらから入るのが正しいのですが、石段を下ったり、登ったり、かなり険しい参道なので、印西市の教育委員会としては“裏道コース”を“見学コース”としたのでしょう。

“参拝”するお方は、正規ルートをオススメします。石段を下りて、また石段を登る、険しい山道を辿った方が、御利益があり、有り難く、そして、“光堂”が輝いて見えるのです。

わたくしは、暗く湿った険しい山道を下り、そして登り、やっと辿り着いたその先の、開けた空間に佇むお堂が、とても、とても、輝いて見えたので“光堂”だと思ったのです。

でも、しかし、“宝珠院観音堂”が、光堂と呼ばれるのは、内部に金色に輝く厨子があるからだそうです。何か、アッタリ前で、身も蓋もないのでした。

これで、震災で一時中断していた“光堂シリーズ”を終わります。


※11時50分現在の放射線量は「0.21μSv/h」です。



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光堂で正一で山頭火?

2011年03月18日 | お寺・神社
こういう、ときですから・・・・・・。

印西の光堂を再開しました。
















“ふりし世代”字余り。正一? 種田正一? 種田“山頭火”?


“ふりし寂けさ 降る木の実”これだけだと、山頭火の匂いがします。 頭の”ふりし世代”が判らん?

“ふり”は、振り? 不離?、不理?










こちらが、表参道。


光堂でした。


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