歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

安倍晋三を笑うな!つまびらかにポツダム宣言を読みそれなりに否定します?そして新たなる脱却へ

2015年05月27日 | 世間話し
先日の国会での党首討論が話題になっています。

共産党の志位委員長のポツダム宣言に対しての質問。

安倍首相は『つまびらかに読んでおらず承知していない』として、宣言の内容について、自身の見解を明らかにしませんでした。

安倍首相が「詳しく、事細かに、承知していないので、答えられない」と、不誠実に、はぐらかし、逃げまわり、7分間をやり過ごしました。

醜態を晒しても、それでも、彼は政権の支持率が下がらないことだけは、しっかりと“つまびらかに承知している”のです。

安倍さんですから、「つまびらか」とは、云えないまでも、ポツダム宣言は、当然、それなりに承知している筈です。「戦後レジームからの脱却」こそが安倍政権の唯一の政権課題ですからね。

戦後レジームとは、ポツダム宣言であり、それによる東京裁判であり、そして戦後憲法で、第九条です。

いくらなんでも、あの安倍首相でも、ポツダム宣言の戦争解釈を、国会の場で、全世界に向かって、高らかに、否定すれば、「歴史修正主義者」として、国外的には政治生命が終わることは、つまびらかに承知しているのです。

でも、しかし、本音では、ポツダム宣言も、東京裁判も、戦後憲法も、否定しているのです。それが、解釈改憲であり、一連の安全保障法制の改定であり、そして、戦後70年談話でも語られることでしょう。

米国の世界一極支配は、米国の経済的後退と、中国の軍事的、外交的攻勢とにより、困難な状況となり、そして、日本の出番となった訳です。

そして、遠い海外での戦争で、アメリカ国民が戦死することは、国内世論的に受け入れ難くなりつつあり、そこに、飛んで火にいる夏の虫なのです。

安倍総理としては、戦後レジームからの脱却として、米国としては、米国のコントロール下での、便利な戦争の下請国として、互いに思惑は異なる表面的な一致なのです。

互いの思惑の違いを、知りつつも、知らんない振りの、田舎芝居的で、とても、とても、危険な政策判断です。

それで、前後しましたが、ポツダム宣言をつまびらかに読み、それなりのお勉強です。全文は13項からなり、安倍首相がもっとも否定したい箇所は第6項、

『日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである』

なのです。

“戦争は、軍国主義者が、国民を欺き、世界征服に、乗り出した”と、断定されているのです。

それで、です。私としても、誤解を恐れずに、率直に云って、あの戦争の時代は、国民は欺かれたのでしょうか? 欺かれたとすれば、国民には責任はなく、戦争の犠牲者となります。

そうなのです。悪いのは“軍国主義者”だけなのです。天皇にも国民にも、責任はないことで、“連合国と手打ち”にしたのです。

そして、あの戦争は、軍国主義者の、“世界征服”の野望から起こされた“侵略戦争”だったとされています。

いくら何でも、世界征服は言い過ぎだと思います。でも、しかし、欧米によるアジアの植民地政策に対抗する、解放戦争だったとの説にも、全面的に賛成しかねます。

確かに、そういう思想に基づいてと云うか、それを錦の御旗にしていたのは事実です、が、しかし、実態は、欧米の帝国主義クラブの末席を目指した戦争だったと考えます。結果として戦後、アジアの独立が加速されたのは事実です。

大国間の戦争は、覇権を争う闘いで、どちらにも正義は無く、政治の延長です。戦争が終わって、勝者が敗者を裁くのは茶番です。

大局的には、そう云うことになるのです、がァ、時の政権の、政策判断で、戦争に駆り出され、見ず知らずの土地で、見ず知らずの人達と、殺し合いをさせられる末端の兵士は、とても、とても、たまったものではありません。

そして、そして、武力では、何も解決せず、憎しみの連鎖を生むだけなのは、歴史が、そして、現在の中東情勢が証明しているのです。


“安倍さん的戦後レジームからの脱却路線”の延長線上には、日本の核武装が待っています。米国の、核の傘からの、脱却こそ、日本の真の独立要件だと、堅く信じている筈です。


それにしても、中国ですが、自分の姿がまったく見えていないのです。GDPが世界第二位となったからと云って、世界が、憧れ、尊敬する国になった訳ではありません。

世界の下請け工場として金を貯め込んでも、新しい、夢を、希望を、憧れを、未来を、世界に提示する、文化がまったく無いのです。

アメリカは、戦後、それなりに、夢を、希望を、憧れを、未来を、世界に提示しました。

中国も、それなりに、世界のリーダーとしての、尊敬と地位を獲得したいならば、軍事力だけでは、絶対に無理なのです。

核ミサイルや、原潜や、航空母艦を造るより、新しい文化を創って下さい・・・でも、無理か・・・・・・。

それにしても、野党は、“安倍的戦後レジームからの脱却”に対抗する、“平和的、未来的、希望的、戦後レジームからの脱却”的な、未来に向かった夢を、希望を、政策として掲げるべきです。

国民を欺く政策と、夢を与える政策は、ホントに、ホントに、紙一重です。

やはり、何と、云っても、最後には、政治家の人間性です。でも、これも、また、とても、とても、ムズカシイ判断を必要とされます。

と、云うことで、最後は、やっぱり、国民一人一人の、政策を見る目、政治家を見る目に行き着くのです。

もう一度、痛い目にあって、見る目を育てるしか・・・・・・。


何て、思う、今日、この頃でした。


それでは、また。




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照ノ富士の優勝!でも!しかし!二場所で大関は早い!そして稀勢の里一度でいいから優勝して!

2015年05月25日 | 相撲の話し
“終わってみれば照ノ富士”でした。

今場所は初日に白鵬が負けましたが、それでも、“終わってみれば白鵬”だと、諦めていたのです。

でも、しかし、二転三転で、13勝2敗で照ノ富士でした。

大関の、琴奨菊と云い、稀勢の里と云い、豪栄道と云い、弱い!だらしない! 照ノ富士との力の差は歴然!

照ノ富士は昇進スピードが速すぎる。前頭上位から、関脇へ、そして大関取り、そして、そして、横綱へ、もう少し、ゆっくり、楽しみたいのです。


横綱は“どんづまり”で、それより上は無いのです。人気も、上へ、上へ、と登って行くときが花なのです。横綱は頂点、人気も頂点、それで終わりです。

それにしても、またしても、モンゴル勢です。日本人の優勝も偶には見たいと思う、今日この頃なのです。

照ノ富士、大関を二場所か、三場所か、遅くても四場所で通過し、横綱を締めるでしょう。そうなると、日馬富士は勿論、白鵬も勿論、鶴龍は、もっと、もっと、勿論、引退となります。

そうなると、白鵬に変わって、照ノ富士の一人天下となり、


またも相撲は面白くなくなるのです。それでは、“興行”としては大問題。オジサンとしても大問題、一難去って、また一難です。照ノ富士の対抗馬が、是非とも必要です。

オジサンとしては、毎場所、毎場所、誰が優勝するか分からない、そんな混戦時代を待ち望んでいるのです。

でも、ねぇ~、ホント、番付表を見回しても、照ノ富士と互角に渡りあえるのは・・・・・・、見つからないのです。壱ノ城は動きの遅い単なるデブに終わりそうだし、遠藤は人気先行で、巧さも、強さも、ほどほどで、名関脇的な力士だし・・・・・・。

現役大関は、全員頂点をとっくに過ぎているし、もう、ホント、困ったものです。相撲が楽しいのも、照るノ富士が横綱になるまでの、ほんの一時。

こうなると、やっぱり、白鵬には暫く頑張ってもらって、照ノ富士と勝ったり負けたりで、優勝は、二人の間を行ったり来たりが、それなりに現実的で、それなりに面白いのかも・・・。

日本人の優勝とか、日本人の横綱は、十数年、いや、数十年、オジサンの生きている間には実現しないと思うのです。

でも、しかし、です! 兎に角、ホント!28歳!稀勢の里!引退する前に、一度だけ、一度だけ、優勝してくれ!たのむ!


それでは!


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東京都体育館は40数年の時が流れ四角から丸く変わっていました

2015年05月21日 | 東京の風景
前回の続きです。

新国立競技場の解体現場を後に周囲を彷徨きます。

何を隠そう、今回の彷徨きには目的があるのです。目的があって歩き廻るのは彷徨くとは云わんか?

目的とは、首都高の出入り口と、その付近の様子と、姪の住むマンションへの経路と、その付近の様子を探るのが、今回のミッション?の目的なのです。

双子ちゃんに会いに、93歳の母を車で連れて来る為の下見なのです。私も65歳の高齢者、寄る年波には勝てないのです。

中央高速に繋がる4号新宿線ですが、昔、勤め先の関係で、幡ヶ谷料金所を上がったり下りたりしていたのですが、外苑は通過するだけで、付近の状況が分からないので不安なのです。

知らない土地でも、地方の田舎道であれば、それは問題無いのですが、大都会東京のど真ん中で、ウロキョロは、とても、とても、危険なのです。

と、云う事で、先ずは、首都高の出入り口を目指します。

見えて来ました。


ここは、出入り口ではなく、入り口専門のようです。それにしてもです。この案内標識は、いったい、ぜんたい、どうなっているのか?知っている人には必要なし、でも、しかし、必要としている人には、一端車を道路脇に停車して、じっくり、しっかり、眺めないと、何のコッチャ?となります。 

※帰宅後に地図を改めてじっくり眺めたら、下り線の外苑出口は信濃町駅の側、外苑東通りに出口がありました。今回は、いろいろあって事前調査不足。

ゴチャゴチャ標識に文句を云いつつ、信濃町方面を目指します。駅らしき建物が見えて来ました。意外と近い。


信濃町駅です。線路は谷底?を走っていろので、何か駅舎ぽっく見えません。


首都高と中央線。彼方には新宿副都心。


右手、慶応病院の脇を歩きます。


緩やかな坂道、後ろをふり返ると、こんな風景。


下り坂を右にカーブして、付き当たった先に、新宿御苑の裏門?


この建物、何か、とても、宗教関係的な匂いを漂わせています。信濃町と云えば、あの関係の建物と思ったら、やっぱり、創価国際友好会館別館の看板を発見。ホント、独特のデザイン。


別館の先、中央線のガードをくぐります。


首都高の出入り口を発見。


それにしても、このお家、ツタが絡まり、周囲の景観とは、とても、とても、異質な空間、もしかして、だけど、異界への入り口?


隣は下り線専用の入り口。


“東京体育館”の裏側を歩いています。昔は“東京都体育館”と、云っていたような気がします。もしかして?私だけが云ってた? こちら、彼の有名なテニスの壁打ち場。


何か、昔は、この壁が、もっと、もっと高かった気がするのですが、もしかして、別の場所にもっと高い壁が? それにしても、テニス壁打ち練習場との表示がありました。昔は、勝手にやっていて、柵などありませんでした。


壁打ち施設の先を右に折れ、東京体育館の柵に沿って歩きます。


左手、マンションのベランダには洗濯物が、ひっそりと、隠れるように干されています。もっと、もっと高く掲げて陽の光を、いっぱい、いっぱい、浴びさせてやりたい!と、オジサンは思ったのです。都会では洗濯物も、それなりに苦労しているようです、


右手には体育館らしき建物。


そして、東京体育館の全景です。見た瞬間に違う!と叫び(こころの中で)ました。こう云うんじゃないのです。昔は、四角かったのです。見るからに体育館的な建物だったのです。


高速下の千駄ヶ谷の駅、これは昔と変わりません。


しかし、この体育館と云い、

※何か、新国立競技場とデザインが似ているような?気がしないでも無い。この手の施設はそれなりに、こう云うデザインになる時代的傾向があるの?

こちらの風景と云い、


昔とは、違うのです。そきほどから、むかし、むかし、を連発していますが、昔とは、今からたった40数年前のことです。

調べてみたら、体育館は今から29年前1986年(昭和61年12月)に工事が始まり、1990年(平成 2年)に新装開館していたのです。建て替えではなく、改築なのでした。

と、云うことで、むかしとは、いろいろ変わった、と、云う、お話でした。

こちら、本日の歩いたあたりの地図。


高速の出入り口確認はできませんでしたが、周囲の様子とか、昔との違いとか、それなりに確認することができました。


それでは、また。

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表参道から絵画館の銀杏並木そして国立競技場の解体工事現場を眺めます

2015年05月19日 | 東京の風景
きのう(18日)、双子ちゃんに会いに東京へ行って来ました。

久しぶりの東京、周辺を歩こうと東京メトロ表参道駅で降りたのです。

原宿です、表参道です。


月曜日、都会の中心地は、それなりに人は歩いているのでした。


絵画館の銀杏並木。11時ちょっと過ぎでしたが、レストランのオープンテラスは満席でした。


因みに、本日は、表参道、絵画館、“新”国立競技場の工事現場から、信濃町、千駄ヶ谷、そして、北参道方面を目指して、ブラブラと歩く予定です。


銀杏並木の遙か彼方に絵画館です。正式名称は“聖徳記念絵画館”なのです。


それにしても、気になる、この先端の尖り、黒塗りのハイヤーから降りてきた金髪の外国人観光客も、カメラのレンズを上に向けて、銀杏の先端を狙ってました。異国の方にも珍しい?


ついつい、見上げてしまうのです。


そして、見下ろすと、足下の、この幹、


この枝ぶりにも惹かれてしまうのです。やはり、佇まいに都会の匂いがする?のです。田舎の銀杏とは異なる?のです。兎に角、何でも、かんでも、お洒落に見えてしまう、都会マジック?


絵画館が見えて来ました。この日は月曜日、野球場には人影は皆無。月曜の昼間からのんびり草野球をやる人は居ないのです。でも、床屋さんのチームとかやらないの?


絵画館側からの眺め。逆から見ると遠近感に乏しいのです。実は、樹高を調整してあるのです。絵画館側の樹高を低くして、遠近感を強調しているので、逆からの眺めには奥行き感が乏しいのです。


絵画館の左手に回り込むと、神宮球場です。


そして、その先には、国立競技場が見えて来るのですが、今は、もう、見えないのです。


塀に囲まれた工事現場の遙か先には新宿の超高層ビル群が、見えてしまうのです。


いつの間にか、解体工事はほぼ終了し、これから新国立競技場が建設が始まります。あの評判の悪いデザイン、それでもあのデザインで建設されるのです。でも、しかし、いつの日にか、周囲の環境に溶けこむのです。人間の感覚は、そんなもんです、見慣れれば、そんなものなのです。


建設機械?ではなく、解体機械?の力強い雄姿、工事現場はイイです、特に、解体現場は、とても魅力的です。機械にはすべて“フジムラ”と書かれています。国立競技場の解体ですから、きっと、解体業界では、トップ企業なのでしょう。


“妻や子が一つの願い父の無事”やはり、解体工事は、それなりに危険なのでしょう。


“フジムラ”調べてみたら、江戸川区の従業員70名の中小企業でした。解体業界の企業規模は、これでも大手?

やはり、東京歩きは、それなりに、疲れるので、本日はこれまで。


それでは、また。




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筑波実験植物園はとても!とても!休憩施設が充実してお勉強でお弁当持参でピクニックは最高!

2015年05月12日 | つくば市の風景
前回からの続きです。

筑波実験植物園です。それにしても“つくば”ではなく、何故に漢字表記に拘って“筑波”なのでしょうか? 

つくば市は、1987年(昭和62年)に筑波郡谷田部町・大穂町・豊里町、新治郡桜村の3町1村が新設合併し誕生。

筑波実験植物園は1976年(昭和51年)、“つくば”が、まだ筑波だった頃に誕生したのでした。それでも、いちおう、2004年(平成16年5月)に、通称としては「つくば植物園」に決定したそうです。

そう云えば、筑波大学は、漢字表記でした。ひらがな表記の“つくば大学”では、とても、とても、簡単に入れそうで、お利口そうに見えませんからね。

兎に角、実験植物園を歩いているのです。

向こうに見えるのが、サバンナ温室、熱帯資源植物温室、熱帯雨林温室です。手前のテントは、臨時の休憩所。こう言う白テントを見ると、運動会とか、町内会の交通安全週間を思い出します。


温室群に行く前に眼に入ったのが、ツツジが咲く小高いお山です。


眼に染みます。


朱をバックに鮮やかな白。これも眼に染みます。


携帯の待ち受けにパチリ!


うす紫も、いいよ~~!


それでは、温室群に向かいます。


温室と云えばサボテン!


この日、外もそれなりの気温なので、温室との温度差はそれほどなく、以前来たとき(春先?)ほど、中に入った瞬間の“熱帯感”はありませんでした。温室は冬に訪れるべし!かも?


こちらにも、サボテン。


サボテンがいっばいのサバンナ。


てっぺんに咲く、可愛い花。


何か、ちょっと、作り物的なサボテン君。


こちら、熱帯雨林。


こちら、チョット、人口的着色感のあるお花。


お花の色は、白とか、黄色とか、赤とか、が、自然です。


舌を噛みそう名前です。


温室を出て、隣の研修展示館でトイレ休憩。入り口の屋根の下、日陰になっている処に、テープルとイスがあり、自動販売機もあり、それではと、水分を出した後、水分の補給がてら休憩。奥に見える建物は研究棟で入れません。


お茶を飲みつつ、左手に眼をやると、イスとテーブルのある温室風の建物、それでは、それではと、缶コヒーと缶ジュースを手に移動。

このスペースはなかなかです。


こんな鉢植えとか、


こんな鉢植えとか、


こんな鉢植えとか、


いろいろあって、テーブルにイス。ここで、ランチは、とても、とても、いいと思います。

でも、しかし、後でパンフレットを見たら、ここは飲食可にはなっていませんでした。でも、しかし、イスとテーブルがあれば、ほっと一息でお茶だと思うのです。


一息ついて、外に出ます。青い空、白い雲、緑の芝生です。樹の下には、日除けパラソルに、テーブルとイス。気持ちイイ~~~!


この芝生の広場、ここは、パンフレットで確認すると、飲食可能区域になってます。


ここでのランチは、絶対最高! 飲食可能と云っても、これは、間違い無くアルコール飲料は禁止です。書いて無いけど、それは常識! 

でも、しかし、こんな景色を眺めつつ、爽やかな風を頬に感じつつ、生ビールは、絶対、絶対、最高!だと思いました。


兎に角、前回(たぶん十年以上前)来た時には無かった、あちら、こちらに、イスとテーブルの休憩設備、そして、芝生広場のパラソル。実験植物園は、とても、とても、いい、おもてなしをしています。

孫とお弁当を持って、植物のお勉強には最高です。何たって、無料です。


それでは、また。


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筑波実験植物園でクレマチスと絶滅危惧植物に想いを巡らす

2015年05月08日 | つくば市の風景
前回の続きです。

国立の、博物館の、筑波実験植物園を二人で散策しています。

山桜と云うのか? 八重桜と云うのか、


濃いピンクは、染井吉野と比べて、賑やかで、慎ましさに欠けると云うか、野性的と云うか、野暮ったいと云うか・・・。やはり、何と云っても、櫻には、艶やかで、華やかで、そして儚い、そんな趣が望まれるのです。


こちら、クレマチス園です。


クレマチス、名前は聞いたことはあります。でも、しかし、どんな花か知りませんでした。


こんな花なのでした。咲いている花よりも、開き掛けた蕾の方が魅力的。人は、すべてが明らかになると、興味が薄らぐのです。見えないモノに想像を膨らまし、想いを巡らす、これなのです。


白いのとか、ウスムラサキとか、


アカムラサキとか、


それなりに、みな美しのです。


バッタの赤ちゃん。


こちらにも、バッタの赤ちゃん、今は赤ちゃんの季節?


何じゃコリャ?


クレマチス園に、こんな花も咲いています。


そうですか。


こんなのとか、


あんなのとか、


いろいろあるのです。因みに、この方、いろいろな処で出会いました。連れが“研究者みたい”と云ってました。花を楽しむと云う雰囲気ではなく、危惧の念を漂わせ、いろいろな植物にレンズを向けていました。


こちら、虫を捕るの?


こんなに可愛いのに食中植物ですか?


こんなのとか、


こんなのとか、


こんなのとか、あんなのとか、いろいろあった、絶滅危惧植物温室でした。


シャクナゲが見えます、中央広場?に戻って来ました。


まだ、続くのです、次は熱帯関係です。


それでは、また。


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筑波実験植物園は いろいろあってイイョ~~!

2015年05月06日 | つくば市の風景
前回の続きです。

国立博物館筑波実験植物園を歩いています。

二輪草、その存在を知ったのは“川中美幸”の歌でした。今回、初めて、現物を眼にしました。何故?二輪草なのか、


連れ合いが花の下の葉っぱをかき分け茎を辿り、一つの茎から二つの花が咲くからと、教えてくれました。私は、そうか、そうかと、頷いたのでした。


黄色い花もイイです。


黄色いエビネで“キエビネ”です。アカとか、シロとか、ムラサキとかもあるの?


何じゃコリャ? 特大ゼンマイ! ゼンマイは植物が先で、あのゼンマイは、ゼンマイに似ているからゼンマイなのでした。何じゃそりャ?

若い頃は“あのゼンマイ”しか知らず、ゼンマイと云う植物の存在を知りませんでした。 

特大ゼンマイ、気持ち悪りィ~~! 恐竜時代の生き残り?


イタドリと云う名前?言葉?は知っていました。でも、しかし、それが何なのか? 何処で、どうして、覚えたのか?記憶が無いのです。これは謎です。


何故か見上げる、山ツツジ? 


小川の縁のお花たち。


名前が隠れて読めません。


透き通って、冷たそうで、深山幽谷の渓流?


白い花です。


ヒメウツギの一種?一種だけか、どう云うコッチャ?名前は無いのか?


薄紫の山ツツジ?


落ち着があって、日陰っぽくて、薄幸そうで、地味そうなのに、されど華やか!薄紫のツツジは、イイョ~~。


こちら、本人が聞いたら気を悪くします。


何故か、どうしてか、バクチノキ。バクチの木?博打の木?


幹が折れ、その凹みに、


他の植物のタネが飛んできて発芽した?


どうも、そうらしいです。


いろいろと、いろんなことがある、国立の、実験の、植物園です。

本日はこれまで。

それでは、また。


※ゴールデンウィーク、最後まで見て頂いた方への超特別サービス“お手々つないだ双子ちゃん”です。超!超!超可愛い!!!で~~す。

※僕たち生まれてまだ一週間です。


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筑波実験植物園は気分爽快でリフレッシュで松尾スズキと田口トモロヲで本日4日はみどりの日で無料です。

2015年05月04日 | つくば市の風景
先月、26日の日曜日、行って来ました。

この日、お空は快晴で、青い空で、白い雲で、そして、そして、青葉、若葉で新緑の季節。

それでは、それでは、と、近所の「国立博物館筑波実験植物園」を目指したのです。

前回、植物園に行ったのは、思い起こせば、かれこれ・・・十数年も前の事だった・・・ような気がします。

我が家から車で数十分で到着。平地の駐車場の奥には鉄骨二階建て?三階建て?の駐車場が新設されていました。平地は満車で、鉄骨駐車場に車を入れます。これは正解でした。この日陽ざしが強くかんかん照りで、平地に置いたら車内はアッチチでした。

こちらが入り口の建物、案内図では教育棟となっています。入り口の自動券売機の前に立ち、入園料を確認していたら、65歳以上18歳未満は無料の文字を発見。大人310円は払わなくてオッケーなのです。この日は二人連れ、620円が浮き、スタートから気分は上々。


この日、それなりの入園者で、


“さくら草まつり”が開催されていて、直売もしていました。


この展示方法は、それなりの趣、これって“脇すだれ背障子ひな壇仕立て”なんて、その筋では云われている?


眺めていたら、おだやかで、ほっこりで、初夏の休日感が、じんわり、じんわり、と、こころに染みてくるのでした。


何か、どこからか『さくら草は、イイョ~~』と囁く、松尾スズキの声が、そして、田口トモロヲの顔が・・・。以前より“植物男子ベランダー”を密かに見ているのです。


見た目、圧倒的に無料入園者です。


順路に従って進みます。見えて来ました。


シャクナゲの大木?見事です。満開です。そろそろ散り始めます。


メダカ!メダカ!と、連れ合いの叫び声。


シャクナゲの足下、メダカが集団で泳いでいたのです。二人で、メダカだぁ!メダカだぁ!と叫んでしまいました。メダカを発見すると、何故か、興奮して声を出してしまうのです。


はい、順路に従い、池に向かいます。

水生植物です。若葉の緑が眼に染みます。


白い花が咲いてます。名前は何だっけ?忘れました。


水生植物と云えば、これです! カキツバタです。アヤメではありません。


初夏です。


一番人気です。


ミドリとムラサキ、眼に染みます。


『カキツバタも、イイョ~~!』


この景色も、イイョ~~。


この黄色い花も、イイョ~~!


イイョ~~!は、まだ、まだ、続きます。

今日は、ここまで。

それでは、また。

あっ!そうでした!本日、5月4日はみどりの日で、植物園は無料入園日です。


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4月30日に産まれました!男の双子ちゃん!見て来ました!触って来ました!

2015年05月02日 | 東京の風景
無事に産まれました!

きのう、常磐道、首都高をかっ飛ばして、病院に向かいました。

車を地下駐車場に入れ、病室に向かい、赤ちゃんとの、初の御対面。

さて、それでは、記念撮影と、思ったら、カメラを車に忘れたことに気付き、病棟を出て、エレベーターに乗り、廊下を走り、また、エレベーターに乗り、廊下を走り、係員に忘れモノを告げ、機械式駐車場から出庫。

そして、病室に戻ったのです。この間、往復計8回も「外来者面会証」を装置にかざしたのです。セキュリティーが、とても、とても、厳重なのです。

そして、パチリ。パパにも、ママにも似ています。


可愛いです! 名前はまだなので、①と②の表示がされています。①と②の違いが分かりません。同じ顔をしています。


お手々が、メチャクチャ可愛いのです!


あんよが、メチャクチャ可愛いのです!


産まれてから、まだ、28時間です。

時々、頭の方向を変えたり、顔をしかめたり、うっすら眼をあけたり、手を動かしたり、脚を動かしたり、息んで顔を赤くしたり、見ていて飽きないのです。

ママは身体を動かすと手術の痕が痛いと云ってました。

このお腹に二人も入っていたのです。


赤ちゃんも元気、ママも元気、ヨカッタ!ヨカッタ!

母はひ孫の顔を見て、感激していました。

ホント! バンザイ! バンザイ! バンザイ!

ホント! ヨカッタ! ヨカッタ! ヨカッタ!

ホント! おめでとう!でした。


それでは、また。

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