先日の国会での党首討論が話題になっています。
共産党の志位委員長のポツダム宣言に対しての質問。
安倍首相は『つまびらかに読んでおらず承知していない』として、宣言の内容について、自身の見解を明らかにしませんでした。
安倍首相が「詳しく、事細かに、承知していないので、答えられない」と、不誠実に、はぐらかし、逃げまわり、7分間をやり過ごしました。
醜態を晒しても、それでも、彼は政権の支持率が下がらないことだけは、しっかりと“つまびらかに承知している”のです。
安倍さんですから、「つまびらか」とは、云えないまでも、ポツダム宣言は、当然、それなりに承知している筈です。「戦後レジームからの脱却」こそが安倍政権の唯一の政権課題ですからね。
戦後レジームとは、ポツダム宣言であり、それによる東京裁判であり、そして戦後憲法で、第九条です。
いくらなんでも、あの安倍首相でも、ポツダム宣言の戦争解釈を、国会の場で、全世界に向かって、高らかに、否定すれば、「歴史修正主義者」として、国外的には政治生命が終わることは、つまびらかに承知しているのです。
でも、しかし、本音では、ポツダム宣言も、東京裁判も、戦後憲法も、否定しているのです。それが、解釈改憲であり、一連の安全保障法制の改定であり、そして、戦後70年談話でも語られることでしょう。
米国の世界一極支配は、米国の経済的後退と、中国の軍事的、外交的攻勢とにより、困難な状況となり、そして、日本の出番となった訳です。
そして、遠い海外での戦争で、アメリカ国民が戦死することは、国内世論的に受け入れ難くなりつつあり、そこに、飛んで火にいる夏の虫なのです。
安倍総理としては、戦後レジームからの脱却として、米国としては、米国のコントロール下での、便利な戦争の下請国として、互いに思惑は異なる表面的な一致なのです。
互いの思惑の違いを、知りつつも、知らんない振りの、田舎芝居的で、とても、とても、危険な政策判断です。
それで、前後しましたが、ポツダム宣言をつまびらかに読み、それなりのお勉強です。全文は13項からなり、安倍首相がもっとも否定したい箇所は第6項、
『日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである』
なのです。
“戦争は、軍国主義者が、国民を欺き、世界征服に、乗り出した”と、断定されているのです。
それで、です。私としても、誤解を恐れずに、率直に云って、あの戦争の時代は、国民は欺かれたのでしょうか? 欺かれたとすれば、国民には責任はなく、戦争の犠牲者となります。
そうなのです。悪いのは“軍国主義者”だけなのです。天皇にも国民にも、責任はないことで、“連合国と手打ち”にしたのです。
そして、あの戦争は、軍国主義者の、“世界征服”の野望から起こされた“侵略戦争”だったとされています。
いくら何でも、世界征服は言い過ぎだと思います。でも、しかし、欧米によるアジアの植民地政策に対抗する、解放戦争だったとの説にも、全面的に賛成しかねます。
確かに、そういう思想に基づいてと云うか、それを錦の御旗にしていたのは事実です、が、しかし、実態は、欧米の帝国主義クラブの末席を目指した戦争だったと考えます。結果として戦後、アジアの独立が加速されたのは事実です。
大国間の戦争は、覇権を争う闘いで、どちらにも正義は無く、政治の延長です。戦争が終わって、勝者が敗者を裁くのは茶番です。
大局的には、そう云うことになるのです、がァ、時の政権の、政策判断で、戦争に駆り出され、見ず知らずの土地で、見ず知らずの人達と、殺し合いをさせられる末端の兵士は、とても、とても、たまったものではありません。
そして、そして、武力では、何も解決せず、憎しみの連鎖を生むだけなのは、歴史が、そして、現在の中東情勢が証明しているのです。
“安倍さん的戦後レジームからの脱却路線”の延長線上には、日本の核武装が待っています。米国の、核の傘からの、脱却こそ、日本の真の独立要件だと、堅く信じている筈です。
それにしても、中国ですが、自分の姿がまったく見えていないのです。GDPが世界第二位となったからと云って、世界が、憧れ、尊敬する国になった訳ではありません。
世界の下請け工場として金を貯め込んでも、新しい、夢を、希望を、憧れを、未来を、世界に提示する、文化がまったく無いのです。
アメリカは、戦後、それなりに、夢を、希望を、憧れを、未来を、世界に提示しました。
中国も、それなりに、世界のリーダーとしての、尊敬と地位を獲得したいならば、軍事力だけでは、絶対に無理なのです。
核ミサイルや、原潜や、航空母艦を造るより、新しい文化を創って下さい・・・でも、無理か・・・・・・。
それにしても、野党は、“安倍的戦後レジームからの脱却”に対抗する、“平和的、未来的、希望的、戦後レジームからの脱却”的な、未来に向かった夢を、希望を、政策として掲げるべきです。
国民を欺く政策と、夢を与える政策は、ホントに、ホントに、紙一重です。
やはり、何と、云っても、最後には、政治家の人間性です。でも、これも、また、とても、とても、ムズカシイ判断を必要とされます。
と、云うことで、最後は、やっぱり、国民一人一人の、政策を見る目、政治家を見る目に行き着くのです。
もう一度、痛い目にあって、見る目を育てるしか・・・・・・。
何て、思う、今日、この頃でした。
それでは、また。
共産党の志位委員長のポツダム宣言に対しての質問。
安倍首相は『つまびらかに読んでおらず承知していない』として、宣言の内容について、自身の見解を明らかにしませんでした。
安倍首相が「詳しく、事細かに、承知していないので、答えられない」と、不誠実に、はぐらかし、逃げまわり、7分間をやり過ごしました。
醜態を晒しても、それでも、彼は政権の支持率が下がらないことだけは、しっかりと“つまびらかに承知している”のです。
安倍さんですから、「つまびらか」とは、云えないまでも、ポツダム宣言は、当然、それなりに承知している筈です。「戦後レジームからの脱却」こそが安倍政権の唯一の政権課題ですからね。
戦後レジームとは、ポツダム宣言であり、それによる東京裁判であり、そして戦後憲法で、第九条です。
いくらなんでも、あの安倍首相でも、ポツダム宣言の戦争解釈を、国会の場で、全世界に向かって、高らかに、否定すれば、「歴史修正主義者」として、国外的には政治生命が終わることは、つまびらかに承知しているのです。
でも、しかし、本音では、ポツダム宣言も、東京裁判も、戦後憲法も、否定しているのです。それが、解釈改憲であり、一連の安全保障法制の改定であり、そして、戦後70年談話でも語られることでしょう。
米国の世界一極支配は、米国の経済的後退と、中国の軍事的、外交的攻勢とにより、困難な状況となり、そして、日本の出番となった訳です。
そして、遠い海外での戦争で、アメリカ国民が戦死することは、国内世論的に受け入れ難くなりつつあり、そこに、飛んで火にいる夏の虫なのです。
安倍総理としては、戦後レジームからの脱却として、米国としては、米国のコントロール下での、便利な戦争の下請国として、互いに思惑は異なる表面的な一致なのです。
互いの思惑の違いを、知りつつも、知らんない振りの、田舎芝居的で、とても、とても、危険な政策判断です。
それで、前後しましたが、ポツダム宣言をつまびらかに読み、それなりのお勉強です。全文は13項からなり、安倍首相がもっとも否定したい箇所は第6項、
『日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである』
なのです。
“戦争は、軍国主義者が、国民を欺き、世界征服に、乗り出した”と、断定されているのです。
それで、です。私としても、誤解を恐れずに、率直に云って、あの戦争の時代は、国民は欺かれたのでしょうか? 欺かれたとすれば、国民には責任はなく、戦争の犠牲者となります。
そうなのです。悪いのは“軍国主義者”だけなのです。天皇にも国民にも、責任はないことで、“連合国と手打ち”にしたのです。
そして、あの戦争は、軍国主義者の、“世界征服”の野望から起こされた“侵略戦争”だったとされています。
いくら何でも、世界征服は言い過ぎだと思います。でも、しかし、欧米によるアジアの植民地政策に対抗する、解放戦争だったとの説にも、全面的に賛成しかねます。
確かに、そういう思想に基づいてと云うか、それを錦の御旗にしていたのは事実です、が、しかし、実態は、欧米の帝国主義クラブの末席を目指した戦争だったと考えます。結果として戦後、アジアの独立が加速されたのは事実です。
大国間の戦争は、覇権を争う闘いで、どちらにも正義は無く、政治の延長です。戦争が終わって、勝者が敗者を裁くのは茶番です。
大局的には、そう云うことになるのです、がァ、時の政権の、政策判断で、戦争に駆り出され、見ず知らずの土地で、見ず知らずの人達と、殺し合いをさせられる末端の兵士は、とても、とても、たまったものではありません。
そして、そして、武力では、何も解決せず、憎しみの連鎖を生むだけなのは、歴史が、そして、現在の中東情勢が証明しているのです。
“安倍さん的戦後レジームからの脱却路線”の延長線上には、日本の核武装が待っています。米国の、核の傘からの、脱却こそ、日本の真の独立要件だと、堅く信じている筈です。
それにしても、中国ですが、自分の姿がまったく見えていないのです。GDPが世界第二位となったからと云って、世界が、憧れ、尊敬する国になった訳ではありません。
世界の下請け工場として金を貯め込んでも、新しい、夢を、希望を、憧れを、未来を、世界に提示する、文化がまったく無いのです。
アメリカは、戦後、それなりに、夢を、希望を、憧れを、未来を、世界に提示しました。
中国も、それなりに、世界のリーダーとしての、尊敬と地位を獲得したいならば、軍事力だけでは、絶対に無理なのです。
核ミサイルや、原潜や、航空母艦を造るより、新しい文化を創って下さい・・・でも、無理か・・・・・・。
それにしても、野党は、“安倍的戦後レジームからの脱却”に対抗する、“平和的、未来的、希望的、戦後レジームからの脱却”的な、未来に向かった夢を、希望を、政策として掲げるべきです。
国民を欺く政策と、夢を与える政策は、ホントに、ホントに、紙一重です。
やはり、何と、云っても、最後には、政治家の人間性です。でも、これも、また、とても、とても、ムズカシイ判断を必要とされます。
と、云うことで、最後は、やっぱり、国民一人一人の、政策を見る目、政治家を見る目に行き着くのです。
もう一度、痛い目にあって、見る目を育てるしか・・・・・・。
何て、思う、今日、この頃でした。
それでは、また。