歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

赤い花は曼珠沙華!白い花は彼岸花と呼びたい!

2019年09月26日 | 季節の風景

彼岸花。

突然、茎が伸び蕾を付けて、地上に顔をだしていました。

気がついたのが三日前。

まあ、茎が伸びていたのは、たぶんもっと前から・・・。

 

 

本日は彼岸の明けで、26日で、大安。

例年よりも、かなり遅い開花。

 

 

去年は、もっと、赤い彼岸花が多かった気が・・・。

白い彼岸花の方が、少しだけ開花が早いようです。

 

 

白い花は、突然変異とか? 交雑種だとか?

♪白い花なら菊の花~ ♪赤い花なら曼珠沙華~ 

なんて歌が? 加藤登紀子? だったような?

 

 

赤い花は曼珠沙華、白い花は彼岸花、が、似合います。

 

 

白い彼岸花は、哀しく、寂しく、彼岸の地に咲き。

 

赤い曼珠沙華は、かなり妖しく艶やか。

 

 

季節の風景でした。

 

それでは、また。

 

 

 

 

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台風15号で停電で!母は避難所で!大変でした!

2019年09月11日 | 世間話し

台風で、停電、暑くて、寝不足で大変でした。

寝不足でボンヤリした頭で、台風騒動を思い出しております。

それで、今日は水曜日で11日で、停電だったのが9日の月曜日で、台風は8日の日曜の夜中から、9日の朝方まで雨風が強かったのです。

日曜の夜、いつもの時間、たぶん9時から10時頃に(最近は何時頃寝たのか記憶が曖昧なのです)寝床に入り、いつもの時間、1時過ぎにいつものように眼を覚ましたのです。

その頃から、風が強く、雨戸に打ち付ける雨と風、時より強風で家がミシミシと揺れるような状況で、二階から一階に移動。

一階は二階よりも、ずっと、ずっと静か、ソファーに横になりテレビで台風情報を眺め、4時頃まで過ごしたのでした。

ボンヤリした記憶なのですが、テレビで3時か4時頃に、台風の中心が、隣町の龍ケ崎市の上空を通過中との情報を、目にし、耳にした記憶が残っています。

9日のテレビは台風の被害情報一色。同じ話、同じ映像の繰り返しを各局がやっていました。

テレビの台風情報に飽きてきた10時頃、突然テレビが消え、冷房が消えたのでした。一回目の停電は数十秒?で回復、そして数分後に二回目の停電。

数分で回復するだろうと思ってのんびり構えていたら、10分経っても、1時間経っても、電気は止まったままでした。

午後になれば、いくら何でも、何とかなると思っていたら、午後になっても止まったままで、室温は31度ほどに上昇。

これは困ったと、東京電力に問い合わせをしようと、配電盤に貼られた「電気に関するお問い合わせ、相談」のシールに記載された電話番号に電話を入れると、

「現在、この電話番号は使われておりません、お確かめの上、お掛け直し下さい」との冷たい録音が流れました。

電話番号が変わったなら、新しいシールを配布しろ!東京電力!と毒づきたくなる気持ちを抑え、「つくば市市民べんり帳」から「東京電力龍ケ崎支店」の電話番号に電話、しかしと云うか、やっぱりと云うか、電話は混雑していて話し中。

それでは、それではと、となりの「土浦支店」に電話すると、こちらも大混雑?で繋がらず。

それでは、それではと、つくば市の危機管理課に電話すると、つくば市内、茨城県内の停電情報(発生戸数)を淡々と話し、東電は懸命に作業中との一般的情報をのみで、まったく役に立たず。

当方には、97歳になる母親が居る、このまま停電が続くと、熱中症の危険がある、避難所の設置とか、何か対策は考えているか?と問いかけると、「当方では、現在、特に、そのようなことは・・・」と、モゴモゴと答えるのみ。

私は、そこで、苛立ちつつ「解りました!そうですか、危機管理課はその程度ですか!」と、捨て台詞を吐いて電話を切りました。

停電後は、携帯ラジオが頼り、台風情報は、交通関係がメインで、停電情報は地域と戸数だけで、回復の情報はまったく無し。

兎に角、暑い、母もソファーに横になり団扇で暑さしのぎ。これは、そろそろ不味いと、1時過ぎに車に避難。エアコンを効かせラジオを聞きつつ電源の回復待ち。

これは、もう、今日中の回復は困難と判断。入浴サービスを受けている介護ステーションに4時過ぎに電話を入れ、宿泊を依頼。30分ほどして受け入れ施設が見つかったとの電話が入る。

30分ほどして迎えの車が到着。近所にもう一軒、同じような年寄りを乗せていくとの話。5時過ぎにお袋の避難が終了。これで一安心。

後は、自分ひとりなので、何があっても、まあ、大丈夫。先ずは、冷水のシャワーで身体の汗を流します。ガスは使えるのに、電気で制御しているために給湯は使えず。

冷たいシャワーを浴びて、夕飯の準備を開始。冷凍室の製氷皿には、角砂糖ほどの大きさになった氷が、ぷかりぷかり、コップに焼酎を入れ、レモン果汁を入れ、氷と溶けた水を入れ、晩酌を開始。

つまみは、冷凍室で溶け始めた「豚小間」をフライパンで炒め、懐中電灯の明かりのなか、ひとり、ラジオを聞きつつの夕食。

6時を過ぎた頃より、ラジオの台風関連情報も、停電関連のニュースが増えてくる。

でも、とても、とても、抽象的で、千葉を中心に、茨城、神奈川、東京で、80万所帯で停電。一部を除き、今日中の復帰は無理との情報。

我が家は、その一部に入るのか、入らないのか、まったく不明。

アルコールが入ると、体温が上昇するのです。焼酎は3杯ほどでやめ、2階のベランダで身体を冷やす。

身体を冷やしつつ、今日は、このまま、ベランダに折りたたみベットを運んで寝るか?それとも、車の中で寝るか? 

車の中で寝るとエコノミークラス症候群の危険があるし、ベランダで寝ると、蚊に刺される危険があるし、でも、エコ症候群は生命の危険だし、蚊に刺されるのは痒いだけだし・・・。

アルコールで少し痺れた頭で、ラジオを聞きつつ、夜空を眺めつつ、ボンヤリしていたのです。10時頃になり、部屋の温度も少し下がり、酔いも少し冷め、部屋の中でも動かなければ汗はかかなくなったのです。

そして、そして、忘れもしない、10時45分ごろ! 部屋の明かりが点いたのです。

停電していた時間は12時間45分。生まれて初めての経験でした。

でも、何故か、何か、あっ点いた! 程度の感激でした。

部屋は明るくなり、エアコンも効き涼しくなり、テレビのニュースを眺め、それなりに、ヨカッタ、ヨカッタ、なのでした。

異常事態で、それなりに興奮したのか、1時過ぎまで寝付けませんでした。

翌朝は、停電中、冷凍庫に移動していた、牛乳、卵、しらす干し、すべて食べましたが、特に問題は起きませんでした。12時間程度の停電では食品に影響はないようです。

本日も、千葉県を中心に50~60万所帯で停電が続いているようです。それに加えて断水。千葉県では93歳の女性が熱中症で亡くなったようです。

ホント! 他人事ではありません。母を早めに避難させて正解でした。

昨日、母は避難先から10時過ぎに戻って来ました。

料理が薄味だったとか、食後はコーヒーしか出なかったとか、慣れない寝床で眠れなかったとか、同部屋の人はご飯を残していたとか、やっぱり、我が家が一番とか、それなりに元気に話してくれました。

今回の台風での被害は、停電だけでした。去年は台風で軒天が剥がれたりしたのですが、今回は家屋の被害は無く、ヨカッタです。

そうでした、被害と云えば、楽しみにしていた庭の秋茄子。6から7個ほど、5センチ位に成長していたのですが、すべて表面が茶色に変色してました。これって台風による塩害?

兎に角、電気の無い生活は、特に夏場は、とても、とても、大変なのでした。

 

それでは、また。

 

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日韓関係の行き着く先は戦争ですか?丸山穂高君?

2019年09月03日 | 世間話し

まったく、ホントに、困ったことになってきました。

いゃ、”困った”なんて生やさしい段階は、もう越えたのかも知れません。

週刊誌が、嫌韓を煽り、読者はより強いを刺激を求め、嫌韓から断韓を煽っています。

”断韓”を煽るのは、あの小学館が発行する「週刊ポスト」です。

新聞広告の見出しが、

『韓国なんて要らない・「嫌韓」ではなく「断韓」だ・厄介な隣国にサヨウナラ・10人に1人は要治療「大韓神経精神学会」怒りを抑制できない「韓国の病理」』

これです。

感情的対立を煽るだけ煽って、目先の売り上げが伸びればOK。すべては”目先の銭金”です。日韓関係がどうなろうと、そんなことは知ったこっちゃ無い!のです。

ここは、冷静になる事です。

以下に、元外交官で政治学者の浅井基文氏の記事を転載します。

今日の日韓関係の悪化を招いた責任は全的に安倍政権にあることについての私の理解をお話しします。

私は1966年から1988年まで外務省で勤務し、アジア局及び条約局にそれぞれ通算4年間、合計8年間在職し、「日韓間の過去の問題は1965年協定で決着済み」とする日本政府の主張の一部始終を理解しています。

その理解に基づく結論を申し上げると、日本政府の主張は1965年当時国際的に広く共有され、通用していた。

しかしその後、国連憲章(人権関連条項)、世界人権宣言(正確に言えば法的効力はない)、国際人権規約をはじめとする国際人道法が国際的に承認されるに至って、日本政府の主張はもはや法的正当性を主張できなくなった、ということであります。

すなわち、1960年代までの状況と21世紀の今日の状況を法的に根本的に分かつものは、第二次大戦後に普遍的価値として確立した個人の尊厳・基本的人権が、国際法上の法的権利としても確立したことです。
 

c0315619_11231812.png特に、1967年に発効した国際人権規約(日本加盟:1978年。韓国加盟:1990年)は、国家による人権侵害に対して「効果的な救済措置を受けることを確保」することを定めました。

よく知られているのは、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド及びアメリカが先住民族に対して行った謝罪、補償です。

またアメリカは、第二次大戦中の日系アメリカ人に対する隔離政策に対して謝罪し、補償しています。

植民地支配の責任を認め、補償を行ったケースとしては、2008年8月31日にイタリア(ベルルスコーニ首相)とリビア(カダフィ最高指導者)との間で締結された友好協力条約、いわゆる「ベンガジ条約」が重要です。

イタリアはこの条約で、過去の植民地支配について謝罪するとともに、補償としてリビアのインフラ整備に50億ドルを投資することを約束しました。

カダフィ政権が崩壊したために条約は中断されましたが、2008年7月8日に、国連が支援するリビア暫定政府のシアラ外相とイタリアのミラネシ外相との間で条約を復活することが合意されました。
 

c0315619_11303580.pngまた、徴用工、すなわち強制労働の問題に関しては、ドイツが2000年7月に発足させた「記憶・責任・未来」基金の事例があります。

8月12日付のハンギョレ・日本語ウェブ・サイトは韓国大統領府がこの事例について研究していると報道しました。

「記憶・責任・未来」基金については、『日本大百科全書』(ニッポニカ)に要領を得た解説があります。

安倍政権は徴用工、「従軍慰安婦」などの「請求権問題は日韓請求権協定ですべて解決済み」という主張にしがみついています。

しかし、以上の国際的事例が明らかにしているのは、人権問題に関しては法律上の「不遡及原則」の適用は認められないということです。

さらに重要な事実は、日本政府も日韓請求権協定にかかわる国会答弁において、個人の請求権は協定によって消滅することはないと認めていることです。

しかも外務省は、日ソ共同宣言に関する国会答弁において、日本国民(シベリア抑留元日本兵)がソ連の国内法に従って請求権を行使することはできるとも明確に表明したことがあります。

c0315619_11315207.pngしたがって、徴用工問題に即していえば、元徴用工(及びその遺族)は、日本の国内法に従って請求権を行使することができます。

しかし、日本の最高裁判所が日本政府の主張を事実上追認する立場(「慰安婦」問題)に鑑みれば、これらの人々が韓国の国内法に基づいて韓国国内で、往時の日本政府の国策に協力して彼らに「強制労働」を強いた日本企業を相手取って賠償・補償を請求する裁判を起こすことももちろん当然かつ正当な権利行使というべきですし、被告である三菱重工業は韓国大法院の判決に従う法的な義務があるというべきです。

安倍政権の重大な誤りは、世界的に過去の戦争責任及び植民地支配にかかわる重大な人権侵害に関する法的責任を認める大きな流れが確立しているのに、これに逆らい、法的権利として確立した個人の尊厳・基本的人権を認めない点にあります。

安倍政権がかたくなな姿勢に固執するのは、日本の戦争・植民地支配の責任を認めた場合に天文学的数字の賠償・補償に応じなければならなくなることに対する抵抗があります。

c0315619_11443322.pngしかし、もっと重大で根本的な問題は、安倍首相を筆頭とする日本の右翼支配層(中心は「日本会議」)が日本の戦争責任・植民地支配責任を否定する歴史認識(聖戦論)に固執していることです。

彼らの歴史認識にかかれば、神聖不可侵の天皇に直属する皇軍が従軍慰安婦調達、強制連行などに手を染めることはあり得ず、朝鮮半島の人々は自発的に慰安婦となり、日本内地で契約労働に従事した、とされてしまうのです。

問題の本質は正にここにあります。だからこそ、この問題に関して「足して二で割る」式の妥協的解決は許されないゆえんがあります。

私たちは、韓国に100%の理があり、日本に100%の非があること、日韓関係悪化の責任は100%安倍政権にあることを内外に明らかにしなければならないと思います。

そして、今日の事態を作り出した「1965年日韓体制」を根本的に清算して、個人の尊厳・基本的人権の尊重を基調とする21世紀にふさわしい日韓関係の構築が求められていることを日韓両国民の共通認識に据える努力を行っていく必要があると確信します。

冷静で、簡潔で、論理的で、とても、とても、参考になる主張ででした。

それでは、また。

 

 

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