昨日の続きです。
「接合狛犬」の謎を楽しんだ後、もう少し境内の散策を続けます。
掃き清め、集められた「小枝や落ち葉」から、白い煙が青い空にゆっくりと昇って行きます。
静かな鎮守の森に、時よりカラスの鳴き声が響き、涼しい風が抜けて行きます。
これぞ「日本の風景」何て、思いつつ辺りを見回していると、この石碑が眼に入りました。
「奉納 一金五百圓。ふ~ん、五百圓ねェ、いつの頃なんだ?」と、石碑に近づくと、左端に「昭和4年10月」と刻まれています。
「野田仲町 伊勢太々講(だいだいこう)」とあります。伊勢神宮を信仰する人達の団体です。
不鮮明(この写真、明るさ、コントラスト、鮮明度をいろいろ調整して、やっとこの程度になりました)ですが、右端には「百年据置預金 三井信託株式会社」とあります。
現金ではなく、百年据置預金を奉納したようです。具体的には神社名義の定期預金通帳を作り、それを奉納したのでしょうか?
昭和4年は西暦の1929年です。アメリカで株が暴落し、世界恐慌が始まった年です。日本では、翌年の昭和5年に「世界恐慌」に連鎖して「昭和恐慌」が起こりました。
そんな当時の500圓の価値はどの位なのか、いろいろ調べたのですが、米の価格から推測すると、だいたいのところで、現在の「12万円ぐらい」ではとの結論になりました。
神社への団体寄付として、12万円は妥当な額に思えます。しかし、現在、12万の寄付をした「記念」として、石碑までは建てないと思います。
石碑の方が高くつきます。それだけ当時は「石工」等の技能職の手間賃が安かったのです。当時は「格差社会」でした。
汽車、船などの乗り物には、1等車、2等車、3等車がありました。現在はグリーン車しか有りませんが、そのうちに「1・2・3等車」が復活するかも・・・・・・しれません?
最近、常磐線の中距離通勤電車に「グリーン車」が2両連結されました。
これは、治安の悪化と、マナーの悪化に対して、通勤でも「それなり」の「別料金」を払ってでも、安全と安心と快適を買う。
そんな、資力を持った「層」が現れた証に思われます。話しが「格差社会」に逸れてしまいました。
兎に角、石碑の話しです。
現在ならば、せめて1千万以上でないと「石碑」まで建てるのは、世間的には憚られると思うのです。
それと、百年なんですが、昭和4年ですから1929年で、百年後とは、あと22年先の2029年です。ホントに気の長い話しです。
それで、2029年に「五百圓」はいくらになっているのか計算しました。昭和4年辺りの預金金利を調べると4%前後でした。
百年据え置きですので、ここは金利を「4.5%」で1年複利で計算したところ、100年後には4万794円になっています。
インフレが無く、当時のままの価値が百年後も続いていたとすれば、現在の価値と比較して、979万円位に相当します。
てすから、昭和4年の「野田仲町 伊勢太々講」の人達は、百年後には「大変な額」になると思い、百年据置預金をしたと思います。
しかし、22年後に満期となる「五百圓」は、たったの4万794円です。百年経ったら「それなりの大金」も「端金」になってしまうのです。
お金は、いつまでも貯めていてはいけませんよ! なるべく価値のある間に使い切りましょうネ、皆さん!
今日の「愛宕神社」は、大変勉強?になりました。
明日は野田の市街を歩きます。
それではまた明日。