歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

ホントに月曜日は嫌いでした

2010年05月31日 | 雑談
月曜日は嫌いでした。

今朝方、会社勤めしている頃の夢を見ました。

・・・・・・何かの用件で、地方にある工場に打ち合わせ来たのですが、帰りは何故かバイクで帰る事になったのです。

ヘルメットが無い事に気付いたり、運転して帰る自信もなく途方にくれているなか、工場の人間もその場で、次々に首になっていったりするのでした。

いつのまにか電車で帰るような話にもなったり、でも、駅が何処にあるのかわからなかったり・・・・・・。

迷いと、不安と、いゃ~な気分で眼をさましたのです。


夢から覚めたあと、憂鬱な気分で夢での出来事を、ボンヤリ微睡みながら、反芻してしまいました。

嫌な気分は、嫌な夢を招くようで、微睡みながらの反芻しつつ、またしても、夢の中に入ってしまい・・・・・・・。

・・・・・・誰かを迎えに、何故か“山形”に行く事になったようなのですが、相手と連絡をとろうと携帯電話をかけようとするのですが、番号が分からないのです。

そこに何処かで見たような女性が現れ、その女性の携帯で、迎えに行く相手に電話を入れ、私に話せと云い携帯を手渡してくれたのです。

わたしが、迎えに行くことを告げても、何も答えてくれないのです。とても身近な相手のようでもあり、まったく見知らぬ人のようでもあり、ずっと、ずっと過去に出会った人のようでもあり・・・・。

迎えに行く相手は誰なのか、何故、迎えに行くのか、どうして、何も、話してくれないのか・・・・・・。

どうしてなの、誰なの、何故なにも答えてくれないの・・・・・・。

不安、迷い、暗く重く、憂鬱で、またしても、いゃ~な気分で、目を覚ましたのでした。こんな気分にさせる夢は、月曜の朝に見る確率が高いような・・・・・・、そんな気がするのです。

でも、しかし、今日は朝から外はいい天気です、風もありません、会社に行くこともありません。

これから、気分転換に自転車で近所を走りまわって来ます。


それでは、また明日。




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ホントに鳩山総理お疲れ様でした

2010年05月28日 | 世間話し
鳩山総理ですが、結局、やっぱり、孤軍奮闘で力尽きたようです。

マスコミからも、官僚からも、民主党からも、国民からも、誰~も応援して貰えず、不本意ながら自民党政権の「辺野古移転案」で、収拾を図るようです。

高が海兵隊の基地一つで、日本の総理大臣が、こんなにも右往左往して、結果として政権担当能力に赤信号が点滅してしまう異常な事態。

確かに、読みの甘さがあったのかも知れません。国民が沖縄の現状に、米軍基地の縮小に、もっと、もっと、関心を抱き、応援してくれると思ったのでしょう。

しかし、大事な時期に、政治資金問題で世論が離れ、政権基盤が弱体化してしまったのです。世論は総理の裕福な家庭環境に、妬み、嫉み、嫉妬したのです。

でも、しかし、政治資金の問題は、ずっと、ずっと以前より、検察が知らなかった筈はないのです。今、このタイミングで事件として立件したのは、明らかに政治的な行動でした。

でも、この作戦は成功しました。鳩山総理対して冷たい風が吹き荒れたのです。政治資金で防戦にまわり、辺野古が片手間となってしまったのです。

国民誰もが米軍基地の撤退を望んでいないのか? 米国の軍事力に守られていると信じているのか?世論調査好きのマスコミは、この件で世論調査はしないのですか?

敗戦から65年も経っているのに、独立国家の首都に外国の軍隊の基地があるなんて事は異常です。恥ずかしいことです。

戦後、日本人の努力とアメリカの“都合”で、日本は経済発展を遂げたのですが、冷戦後は、アメリカの都合で“かいかく”され、経済競争力を削がれたのです。

現在は、アメリカの都合で、中国の経済力の発展を望んでいるのです。日本も自国の都合を主張しないと、他国の都合で、いいように弄ばれてしまうのです。

鳩山総理が就任して、対等な日米関係、東アジア共同体への言及、そして、鳩山氏の持論である、駐留なき日米安保、核兵器の所有等々、アメリカ離れの発言が米国を刺激し、いろいろな動きが起こったのです。

結局、アメリカの“属国”から、自立した、一人前の、普通の国家になるための、第一歩が、普天間基地機能の国外移転であった筈でしたが、完全に敗北しました。

これで、今後、数十年は、本気で、対等な日米関係を言い出す政治家は出て来ないかも知れません。

スキャンダルで潰されますからね。有権者が政治家に献金する習慣はほとんど無いですし、政治に金を掛けるのは“悪”と“思い込まされて”いますしね。

民主党は、普天間のドタバタと、小沢幹事長の政治資金問題で、7月の参議院選挙に敗北し、社民党と連立を解消し、旧自民党勢力の別働隊“みんなの党”とか、公明党等と連立を組み、アメリカに頭を撫で撫でされて、ニコニコ笑っている、世界の笑いモノの道を歩み続けるのでしょうか?

普天間移設に関して、“鳩山総理ひとりを笑い者”にして、これでお終いになれば、ホントに、日本はお終いかも知れません。笑われるのは日本の国民です。

でも、それにしても、鳩山さんは、よく解らない方です。やっばり、宇宙人でした。

それにしても、この普天間問題で、管氏はまったく発言していません。次の総理を狙っているようですが、対米関係でのスタンスがまったく不明です。目の前で鳩山さんを見ていたら、やっぱり、何も云えなくなるのでしょう。

それと、小沢さんですが、「第七艦隊だけで充分」とか、「辺野古のきれいな海は埋めるべきでない」とか、「総理の発言は公約」とか、ポツリ、ポツリと発言をしていますが、やはり、目の前で鳩山さん見、過去の田中角栄を見て、かなり“ビビッテ”いるのでしょうか。

兎に角、この際、小沢総理で、その噂の剛腕で、命懸けで、戦後の日米関係に“ハッキリとケリ”をつけて貰いたい、と、思うのです。

国民も、それなりに肝を据えて、覚悟を決めて、小沢政権を支えなければ不可能です。もう、これは、“銭金の問題”では無いのです、日本人としての“矜持の問題”です。


それでは、また来週。


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茨城空港見学 ⑥ いつまであるのか?

2010年05月27日 | 街の風景
昨日の続きです。

ソウル便の到着は12時、1時間ほどあるので車に戻り早めの昼食を済ませます。

本日はお弁当持参で空港見学です。お弁当は勿論、“ご飯+おかか+ご飯+海苔”の“二段重ね弁当”です。今回は特別に“きんぴら牛蒡と梅干し”がプラスされています。

“空港の駐車場”で食べる“特別二段重ね弁当”は、とても、とても、美味で、ゆっくり、ゆっくり、良く噛んで、味わって食べようとしたのですが、旨すぎて夢中で頬張ってしまいました。

食べ終わって、お茶を飲み食休みをして、そろそろと思ったのですが、到着までは後20分ほど、でも、何だか落ち着かず早めにターミナルビルに向かったのです。

“空港レストラン”は満員の盛況、これならばターミナルビルの方だけは黒字でいけそうな?


でも、そのうち物珍しさも冷めて、見物客が“チラホラ”になったら、見物料の徴収でもして赤字補填にあてても・・・・・・。でも、金を取ったら見物客は余計に来なくなるか・・・・・・。

空港施設の方は、首都防衛の拠点、第七航空団との“軍民共用”ですから“それなりの予算”が付くので、それなりにやっていける筈です。

でも、しかし、誰も飛行機に乗らなければ、国内線も国際線も直ぐに廃止されます。もしかして、早ければ年内に定期便はゼロになったりして・・・・・・。

そうなったら、自衛隊の第七航空団のお力を借り手、毎日の訓練をそれなりにショーアップして、見物客を集めますか? 

送迎デッキ前に、戦闘機のF-15J・DJとか、F-4E・4EJ改とか、偵察機のRF-4E・4EJとか、救難捜索機のU-125Aとか、救難救助機のUH-60Jとか、ずらりと並べて見物客を集めますか? でも、見物客だけで空港は維持できませんしね・・・・・・。

まぁ、そんな事は、アレですから、こちらは、ジェット旅客機の見物です。今度は、何たって国際線の旅客機の到着です。

12時15分、小さな光の点が二つ見えて来ました。アレがそうです。


帽子を被ったオジサンは、私が“あッ来た来た”と云ったら、はじめは反対の空を眺めていたのです。そして“アレ?こっちから?”と云って向き直ったのです。

たぶん、以前、一度見学に来て、その時の風向で、反対の方向から着陸するのを見たのでしょう。今日は“アッチ、ではなく、コッチ”なのです。

コッチの方の、これです。


国際線の到着です。


韓国はソウルから、この茨城県に飛んで来たのです。


どんな人達が、


どのくらい、乗っているのでしょうか?


アシアナ航空と全日空の共同運行便です。


どんな人が、どのくらい、搭乗しているのか、


1階に降り、国際線到着口の前で待つことにしました。


待つこと10分、最初の乗客が出て来ました。観光客ではなさそうな? 韓国の方のような?


“いばラッキーシート”です。乗ってきた座席番号でプレゼントが貰えたりするのです。


ゾロゾロではなく、ポツリポツリと、韓国人ビジネスマン風、韓国人観光客人風、日本人ビジネスマン風、日本人観光帰り風、どれも、誰も、何だか、よく解らない、区別が微妙な方達が出てくるのでした。


このお二人の男性は、明らかにお仕事で来られた韓国人ビジネスマンでした。片言の日本語でバス停の場所を空港職員に聞いていました。二人はひとまず、石岡駅に向かうようです。


路線バスは、石岡駅、


水戸駅、


そして、つくば駅の、3本が出ています。


今日は、国内線の到着、出発、国際線の到着、そして、自衛隊機の離着陸訓練の爆音もたくさん聞いたし、ターミナルビルも見物したし、そろそろ引き上げる事にします。

取り付け道路には、歓迎の幟が沢山立っています。


こんな道で、


こんな風景を通って、6号線に向かうのです。


途中、石岡市街の手前で、こんな風景が、廃線なった“鹿島鉄道”の“車輪”です。線路がサイクリングロードになっているようでした。


鉄道が消えたり、空港ができたり、いろいろなのです。

常磐道の“千代田石岡インター”から空港までの“取り付け道路”の工事が始まっていました。完成すれば、常磐道に10分ぐらいで入れるのでしょうか?


これで、茨城空港見学シリーズはお終いです。


それでは、また明日。


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茨城空港見学⑤ 着陸も離陸もその瞬間は見えません

2010年05月26日 | 街の風景
昨日の続きです。

そろそろ神戸便の離陸時間、送迎デッキに戻ります。見物客はだいぶ増えて来ました。老人施設の方達でしょうか、車椅子での見物です。老若男女、飛行機を見るのが大好きなのです。


空を飛ぶのは素敵なことです。飛行機に夢があります。


やっぱり、ガラスは邪魔です。鬱陶しいのです。


しゃがんで、屈んで、覗き見です。


平日でこの状態です。見物客だけは、当初の予想をかなり超えているそうです。


そこで、警備員の方に、“見物客が発表されているが、誰が、何処で、どんな方法でカウントしているのか?”と、質問したところ“そう云えば、そうですよねェ~・・・、私も・・・ちょっと分からないです・・・・・・”との返事。

たぶん、デッキに上がるエスカレーターの降り口付近に仕掛けが、と思い、


上を見たり、下を見たりしたのですが、それらしき仕掛けは、“コレ”これぐらいです。


エレベーターの緊急停止装置のセンサーのようでもあり、計数カウンターのようでもあり、両方の機能を持つ装置のようでもあるのです。まぁ、兎に角、何処かで、誰かがカウントしているのでしょう。

それで、神戸便の離陸ですが、着地の瞬間が見えないように、離陸の瞬間も見えないのです。滑走路の見えない所で、離陸しているのです。デッキから見え始めるのはこの高さになってからです。


やっぱり、誰が、何と云っても、空港見学の醍醐味は、滑走路に車輪が着地する瞬間と、離れるその瞬間なのです。やはりその瞬間が、一番危険で、一番緊張するのです。送迎デッキの高さがもっとあればと思うのです。

民間機は右旋回で飛び立ち、自衛隊機は左旋回で飛び立ちます。進入の際も、きっとそうなのでしょう。


それにしても、旅客機の離着陸の際に、自衛隊機が間隔もあまり置かず、離着陸の訓練をやっているのには驚きました。

2本の滑走路はかなり距離を隔てあるのでしょうが、送迎デッキからは、その距離感がまったく掴めないので、オィ!オィ!大丈夫か?と、思ってしまうのです。

神戸便も無事に飛び立ち、見物客も引き上げていきます。


車椅子の方達もお帰りです。


お土産を買い込み、バスに乗り込みます。鉾田名物?“メロンカレー”をぶら下げた方を発見、それなりに売れているようです。


わたくしは、あと1時間ほどで到着するソウル便も見学します。一応、県民として、搭乗率など、それなりに心配なのです。それに、時間はたくさん、たくさんありますから・・・・・・・。


それでは、また明日。



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茨城空港見学④ ジェット旅客機に興奮

2010年05月25日 | 街の風景
昨日の続きです。

いよいよ、待ちに待った神戸便が目の前に現れました。着陸する瞬間は見えないのです、現れた時は減速し終わり、ゆっくりと移動している状態でした。ジェットエンジンの排気音は何故か興奮します。


ターミナルビルは、2700㍍ある滑走路のほぼ中央に位置しているようですから、この機種では、通常必要な滑走路の長さは、1000㍍もあれば充分なのでしょう。


旅客機は興奮します。間近にジェット旅客機を見るのは7~8年ぶりでしょうか、やっぱり、ジェット機の機体を見ると、何故か、ワクワク、ドキドキして来るのです。真っ直ぐ、こちらに向かって進んで来ます。


スカイマークエアーラインです。搭乗率はどうなのでしょうか? 赤字ですと直ぐに撤退ですから、県民としては心配なのです。


でも、見ていても、何だか?よく分かりませんでした。この機体でこの乗客は、5~6割なのでしょうか? それで、この機体ですが、中型機の部類に入るのでしょうか、この位いの大きさが、旅客機として、見た目でも、乗ってみても、飛行機らしくて、丁度良いと思います。


ジャンボ機に2度ほど乗ったことがあるのですが、見た目でも、乗ってみても、こんなデカイのが、ホントに飛ぶの? 客室もだだっ広く、ホントに機内? そんな感じでした。

昔、むかしに乗った“ホーイング727”が、小さくて、狭くて、飛行機に“乗ってる感”が、とても、とてもあって、ヨカッタのです。

乗客も降り終わり、見物客も帰って行きます。私も一旦休憩です。


そこそこ、売店にも客が入っています。見物に来たら、やはり、行った“証拠”が必要なのです。ご近所に配り、みやげ話をするのです。


神戸便の離陸までは約1時間あるので、ターミナルビルの外に出て、辺りを見物します。


路線バスが待機しています。


1300台収容の駐車場は、とても、とても、空いています。


送迎デッキで目隠ししても、この脇からは自衛隊の施設は良く見えるのです。ホント、デッキの目隠しは止めた方が良いと思います。ホントに、ホントに、鬱陶しいだけです。


団体客の到着です。搭乗客ではなく見物客です。神戸便の離陸と、ソウル便の着陸を見物に来たようです。未だ、時間があります。


それでは、暫く、車の中で休憩です。


それでは、また明日。


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茨城空港見学③ “レストランとトイレと売店”で考える

2010年05月24日 | 街の風景
先週の続きです。

神戸便の到着まで時間があり、ターミナルビルをウロキョロします。

先ずは“空港内レストラン”です。ガイドパンフに“レストラン”と表記してあるのですが・・・・・・、まぁ、どちらかと云えば、“駅内立ち食い蕎そば屋”の佇まいです。


食事時ではありませんから、とても閑散です。


メニューは、和食に、洋食に、中華に、イタリアンに、いろいろ取り揃えております。


こんなもの、


あんなもの、


いろいろあります。価格は、“まぁ、そうだろうなァ~”と、云った価格です。


そして、こんな売店で、


こんなモノとか、


茨城県のインフォメーションとか、


隣町の鉾田の名産の、何故かトマトジュースとか、


何故か、メロンカレーのレトルトパック、私が手にとって“メロンカレーですか?”と呟くと、近くに居た女性店員が“デザートを中に入れたみたいでしょ”と笑っていました。やっぱり、別々に食べた方が良さそうです。


何故かのトマトジュースは2000円です。きっと、ものすごく美味しくて、ものすごい栄養があるトマトから造られたジュースなのでしょう。


こちらが、本命、鉾田のメロン。


こちらが“亀印製菓”の売店、私は知りませんが、きっと、茨城県を代表する、有名なお菓子屋さんなのでしょう。


やはり、しっかりと自衛隊も進出していました。でも、百里基地コーナーが分かりませんでした。


一階ロビーを見下ろすと、やはり、この時間は、閑散です。2階の見学が終わったので、1階ロビーに降ります。

垂れ幕は、ハングル、中国語、日本語です。ハングルは分かるのですが、中国語は?

一階ロビーでトイレに入ります。


用を済ませて手を洗っていると、こんなモノがカガミの下に、


これも、国土交通省に連なる、特殊法人の、そのまた下の、関連子会社でしょうか? 空港には、警備会社とか、駐車場会社とか、清掃会社とか、いろいろと群がって、ぶら下がっているようです。場所が場所だけに、何か、臭います。

ソウル便は、共同運行なのでした。共同運行は、こんな表示の仕方をするようです。2便あるように見えてしまいます。便が少ないので、景気付けですかね?


こちら、出発ゲート。国内便、国際便も、出発は同じようです。


手荷物検査の機械が見えます。


わたし、以前、仕事で国内線に乗ったとき、測定用の“検査冶具”の、“鉄の塊”が引っかかったのですが、その旨を説明して機内に持ち込めたのです。

でも、その時、考えたのですが、“鉄の塊”の内部に、凶器分解して仕込んでいたら、もしかして、これは、簡単に通過できるかも? と思ったりしたのです。当然、思っただけで、その後は、一度も実行したことはありません。

もう、そろそろ、神戸便が到着です。


それでは、また明日。




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茨城空港見学② 送迎デッキは左側が見えません

2010年05月21日 | 街の風景
昨日の続きです。

いよいよ、空港のターミナルビルに入ります。ワクワク、ドキドキです。なんのかんの云っても、やはり、そここは、飛行場です、空港です、大型ジェット機が飛び交うのですから、それは、やっぱり、なのです。

閑散とした、航空会社のカウンターを横目に、


兎に角、先ずは、滑走路を見渡せる展望デッキと云うか、送迎デッキと云うか、高いところに向かいます。後ろは誰も居ません。


デッキに出て、エッ! アレ? 何コレ? 左半分が曇りガラス?


左側は雲っていて、なァ~~にも見えないのです。


何なんだコレ!?


離れたり、近づいたり、いろいろやってみたのですが、右側しか見えないのです。


この二人も、下の隙間から覗き込んででいます。


このお年寄りは、かなりの常連のようで、折り畳みイスに、双眼鏡に、水筒を肩に、空港見物です。


突然、凄まじい爆音を轟かせ、戦闘機が離陸していきました。お腹の脂肪が爆音で震動するのを感じました。そうなのです、ここは航空自衛隊の百里基地なのです。民間機は間借りしているのでした。


ガードマンに近づいて、質問したところ、このガラスには、“正面と右方向”しか見えない仕掛けがしてあるとの事。

デッキから左前方に航空自衛隊のいろいろな、弾薬庫とか、燃料庫とか、戦闘機の格納庫とか、駐機場とか、司令部とか、管制塔とか、見られたくない、知られたくない、いろいろなモノがあるようです。


確かに、左の隅から右方向を眺めると、スッキリと全面的に見渡せるのです。


それにしても、かなり閑散です。神戸便が9時半に到着して10時半に出発。ソウル便は12時に到着して13時に出発で、この時は時計は9時を少しまわったところでした。

旅客機の離着陸は、国内線が各1回、国際線も各1回ですが、戦闘機の離着陸訓練は数分に1回は見ることができるので、それなりに飽きないのです。

こちらでも、下からのぞき見です。


それで、送迎デッキを右に行ったり、左に行ったり、近づいたり、遠ざかったり、右を見たり、左を見たり、あっち、こっちで写真を撮ったり、あたりの様子を観察していたのです。

それで、大胆にも、警備のスキ?を狙って、カメラを頭の上にのせ見られたくない場所を一枚パチリ、これって発見されたら、何かの罪になるの? どんな法律で罰せられるの? 幸いにも、憂慮される事態は起きませんでした。


それで、警備なのですが、ガードマンが1名と、それと、この自動販売機の脇に立つ男性ですが、どうも“怪しい”のです。

デッキ全体を見渡せる立ち位置、その服装髪型、カメラもバックも持たず、後ろに手を組んだ姿勢、目配り、観光客ではありません。

どうも、これは警務隊の私服隊員?とお見受けしました。何と云っても軍事基地なのですから。全くの無警戒の筈はありません。


兎に角、茨城空港は国際線も飛んで来るし、軍事基地だし、いろいろと、それなりに緊張感も、もの珍しさもあり、面白そうです。

神戸便の到着まで時間があり、2階フロアーの様子を見学します。

裏側の駐車場を見渡します。わたしの車も見えます。ホントはココ、搭乗者用の駐車場でして、この先の道路を隔てた所に、未舗装の見学者用の駐車場があります。でも、ガラガラなので見学者も搭乗者もそんなの関係ないのです。


1300台収容の駐車場は、ざっと見で30%の駐車状況。


遠くに筑波連峰が見えます。


あれが、民間機の燃料タンク。


旅客機の到着が待ち遠しいです。


それでは、また明日。






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茨城空港見学①ホントにありました

2010年05月20日 | 街の風景
昨日、遂に!“これが最後の地方空港”とか、“赤字必至”とか、“噂”されていると云うよりも、世間で広く公言されている“茨城空港”に行って来ました。

実際は、土浦に用事があり、そのついでに行って来たのです。昨日は曇りで、空港の空には暗雲が垂れ込めていました。

それで、6号線を石岡市内に入った所で、


案内板に、遂にと云うか、とうとうと云うか、“空港マーク”が出現。ホントに、この行く手に、飛行機が飛び交う“空港”があるのです。


二股を案内板に従い右方向に進み、少し走って右に折れ“355号線”に入ります。ホントにこの先に空港があるのでしょうか? 


335号線を暫く走り案内板に従い、丁字路を左折し59号線に入ります。運転しながらの撮影ですから、なかなか案内板はすべては写せないのです。

6号線からは案内板に従い進んで行けば、間違いなく空港に到着できます。


但し、ずっと、ずっと、片側一車線の田舎道ですから、ホントに?この先に?空港はあるの? と、云う不安を抱くことは多々ありますが、でも、しかし、確実に空港へ到着します。

空港まで6㎞です。


“そろそろ”近くに来たような雰囲気がして来ました。


この信号を右折です。


新しくできた、茨城空港への“取り付け道路”のようです。


将来的には、一応、片側2車線に拡張可能になっています。しかし、その先の道路が一車線ですからこの道路だけが2車線になったところで・・・・・・。


あと1㎞。なんか、どういう分けか、すこしドキドキ、ワクワクしてきました。


見えてきました。ホントに空港が! ホントに知らないうちに、いつの間にかです。


広々として、とても、とても、空港の雰囲気。


広い駐車場。料金は無料です。


ターミナルビルです。何か、やっぱり、興奮します。空港は何かイイです。

人は皆、遠くへ行きたい願望があるのです。

それを叶えてくれる“空港”、空港には、やっぱり、夢があるのです。


茨城に空港が、ホントに、できてしまったのです。


空港には、別れがあり、出会いがあり、いろいろ物語が生まれるのです。



それでは、“空港”を聴きながら・・・・・・。

テレサ テン
((空港(20060614



それでは、また明日。

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“お仙泣かすな馬肥やせ”は取手にあります

2010年05月19日 | 街の風景
取手駅前の写真展を早めに見終わり、時間もあり寄り道をしたのです。

“取手一高”の脇を通りかかったところ、


見上げるポールの先に、“本多作左右衛門重次墳墓”とあるのです。茨城県指定史跡です。町の指定よりも、市の指定よりも、その上の“県指定で”すか。

きっと、それなりのお方の、それなりのお墓です。これは、もう、覗いてこなければと、思ったのです。それにしても、“本多作左右衛門重次”と云う方は、いったいどんな方なのでしょうか?

それにしても、この案内板は、何で?こんな高いところにあるの? 高すぎて、遠くからでないと視界に入いらん! 視界に入っても字が読めん! 近くだと字は読めるが、視界に入いらん! 

でも、しかし、“暇と好奇心”がある、少数の限られた方だけが気が付くのでした。住宅街の奥の方にあるようですから、住民のからの、無闇に人が入り込まないようにとの要望が、この高さとなったのでしょうか?


まぁ、そんなことより、兎に角、墳墓目指して路地に入ります。あと400㍍


あの名門、取手一高野球部の練習グラウンドの脇を通過します。


なかなかケッコウな町工場です。もしかして、もう現役引退?そんな雰囲気が漂っています。


工場の前には祠が二つ並んでいました。工場に祠、とても似合います。


グラウンドは続きます。


住宅街を進みます、この先で右に折れます。


右に折れたら、真っ直ぐに進みます。


あと100メートルの標識で左に曲がります。


突き当たりに、それらしいものが見えて来ました。


ココです、コレです。


まぁ、それなりの佇まい。


いゃ~、知りませんでした。「シゲツグさん」は、あの“お仙泣かすな馬肥やせ”の方だったのです。わたし“お仙”は娘だと思っていました。

ふつう“お仙ちゃん”と云えば女の子と考えますよ。息子“仙千代”の名前まで“お仙”と縮めていたのです。“お仙ちゃん”は後に、4万3千石のお殿様になっていたのでしす。知りませんでした。


いろいろと立ってます。


これがお墓です。


“必要にして充分”な手紙、“一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ”が、「本多作左右衛門重次」の作で、“お仙”が息子で後に殿様になったとか、その作者の墓が、取手の、こんな処にあったり、もう、ホントに知りませんでした。

世の中、いろいろなモノが、いろいろなトコロに、アッタリするのでした。

それでは、また明日。


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あの頃“カレーにソース”で世間を知りました

2010年05月18日 | 昔の思い出

昨日の続きみたいなものです。

昭和30年代の写真展に刺激され、私の昭和30年代を引っぱり出して来ました。

昭和25年の生まれですから、5歳から14歳までが昭和30年代と云う事になります。幼稚園から中学一年生の頃にあたります。私はその頃、東京の板橋区に住んでいました。


幼稚園の前でしょうか?まだ前掛けをしています。パン?を手に持って、物干し竿を囓っている?


左側は“トモキ君”です。“めんこ”が強くていつも負けていたのです。今でも、雨の日にアパートの階段で“めんこ”に負けて悔しかったこと、ハッキリ覚えています。しかし、それにしても、悪ガキの顔。


お昼のコッペパン代として親から貰った15円を失くした時、トモキ君のお母さんが“見つけたとよ”云って、私に手渡してくれたのは、失くした15円ではなかったと・・・・・・・、今頃になって気付きました。

それにしても、トモキの運動靴はとても綺麗な新品で、私のは、泥んこだらけです。“上履き入れ”が懐かしいです。

昭和の子供達、私の右隣が姉で、何処で覚えたのか、後ろ手に組み、脚を前後にしてそれらしいポーズでキメテいます。でも、足下は下駄、私は長靴。


小学校の1年生か2年生だと? いろいろな子がいました。左上隅みの女の子、


金髪でポニーテールで、青い眼をした混血の子です。“ジュリーちゃん”と呼んでいました。

 とても、とても、可愛い子でした。3年生の頃には何処かへ行ってしまいました。今、何処で、何をしているのでしょうか?


後ろに見える建物が“引揚者住宅”です。いろいろな人が住んでいました。二階建て、共同炊事場、共同便所でした。


我が家の上は“謡曲師”で、隣の部屋には“浪曲師”の一家、端っこには“お妾さん”も居ました、内職で散髪屋をしていて、私もそこで“ぼっちゃん刈り”にしました。


この車は?


この車は、“ダットサン”だと? 額に絆創膏が貼ってあります。何をしたのか?


こちらは“ルノー”。この頃の父より、今では年が上になってしまいました。似ているような?似ていないような?


鎌倉の大仏様での記念撮影ですが、大仏の首が切れているのです。


小学校3・4年の頃だと、羽田空港です。昭和35年頃でしょうか? 昨日の写真展の子供達とはかなり風景が異なるのです。


これも3・4年の頃。林間学校で夕食にカレーが出たのですが、私はいつものように、カレーに“ソース”をタップリかけて食べたのです。その時、担任の先生に“カレーにソースはかけません!”と注意を受けました。


我が家では“カレーにソース”が当たり前だったのです。我が家の常識と世間の常識とは、同じではないと知ったのです。今思うと、それは、家族中から、世間の中に入り始めた事を意識した、最初の出来事だったのです。

でも、今でも、時々、家では、カレーにソースをタップリかけて食べるのです。塩分の摂り過ぎですが、でも、やっぱり、旨いのです。子供の頃の味は、懐かしく、絶対なのです。

中学一年生の頃です。後ろは、“トヨペットクラウン”です。観音開きで、フロントガラスは一枚ガラスではありませんでした。


この車は、当時としても中古車でした。先ほどから、いろいろ車が登場しましたが、我が家がお金持ちで、常に自家用車を所有していたわけではありません。

父が中古自動車の修理と販売をやっていたので、商売用の車なのです。あの頃、エンジンがかからず、“クランクシャフト”を回して始動したり、坂道まで押して行き、転がして始動させた記憶があります。

いろいろあった、あの頃でした。


それでは、また明日。

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