知りませんでした。
今年の1月号の「論座」と云う朝日新聞社発行の月刊誌に掲載されて、一部でかなり話題になったそうです。
「論座」なんて云う「高級」な月刊誌など買ったことも、書店で手にしたこともありませんでした。
私がその事を知ったのはつい最近です。誰かのブログを見ていたら、その事にふれていました。
以前、「フリーターが戦争を望んでいる」何て話しを聞いたような気がしますが、ネタ元を知ったのは、ほんの数日前でした。
そこで「丸山眞男をひっぱきたい」で検索したら、書いた本人のサイトが見つかりました。そこで「その文章」を始めて読んだのです。
それで、読んだ感想なんですが、「やっぱり、そうか、こんな発言をする、こんな若い奴がでて来たか」と、思いました。
話題になった理由は、「論座」と云う「進歩的で、アンチ体制派的で、高級な月刊誌に掲載されたこと。
そして、タイトルです。
―――「丸山眞男」をひっぱたきたい
31歳フリーター。希望は、戦争。―――
これが「衝撃的」「攻撃的」「刺激的」だったようです。
戦後の日本を代表する進歩的文化人の「丸山」を「ひっぱだきたい」と思い、現状打開の手段を「戦争」に求めたことです。
タイトルの付け方がイイですね。それと結論ですが「話題性」を狙っていますね。内容的には、目新しさは特になく「極常識的」なものでした。
---以下、内容の要約---
彼の置かれている境遇が、「フリーターで月給10万、両親と同居、両親とはソリがあわない」
そして、フリーターが定職につけない原因は「バブルの崩壊」と云う時期に、就職期がたまたま重なった「ロストゼネレーション」であり、自分の努力が不足していることが原因ではない。
ワーキングプアを「ひとくくり」にするな。
「ロスゼネ」以外のワーキングプアには、チャンスがあった。しかし、「ロスゼネ」にはチャンスはなかった。
高齢者の経済対策が、豊かな生活水準を維持する要求に対して、ロスゼネ向けには、せいぜい行政による職業訓練ぐらいしか要求しない。救済レベルには大きな格差が存在する。
「ロスゼネ」と云う弱者に対して、本来は味方である筈の「労働組合」も自分達の既得権を守る為に、「ロスゼネ」に敵対している。
格差は固定化しており、流動化させる為には「戦争」が一番の解決手段である。東大出のエリートを、無学無教養の一等兵が上官として、横っ面を張り倒すことができる。
戦争は「失うものを持つ者」にとっては「悲惨」であるが、「失うものが無い者」にとっては「チャンス」である。
平和は、悲惨な現状の固定化であり、戦争は、悲惨な現状の流動化である。
-----以上、要約-----
以下、結論的部分の抜粋です。
私たちだって右肩上がりの時代ならば「今はフリーターでも、いつか正社員になって妻や子どもを養う」という夢ぐらいは持てたのかもしれない。だが、給料が増えず、平和なままの流動性なき今の日本では、我々はいつまでたっても貧困から抜け出すことはできない。
我々が低賃金労働者として社会に放り出されてから、もう10年以上たった。それなのに社会は我々に何も救いの手を差し出さないどころか、GDPを押し下げるだの、やる気がないだのと、罵倒を続けている。平和が続けばこのような不平等が一生続くのだ。そうした閉塞状態を打破し、流動性を生み出してくれるかもしれない何か――。その可能性のひとつが、戦争である。
しかし、それでも、と思う。
それでもやはり見ず知らずの他人であっても、我々を見下す連中であっても、彼らが戦争に苦しむさまを見たくはない。だからこうして訴えている。私を戦争に向かわせないでほしいと。
しかし、それでも社会が平和の名の下に、私に対して弱者であることを強制しつづけ、私のささやかな幸せへの願望を嘲笑いつづけるのだとしたら、そのとき私は、「国民全員が苦しみつづける平等」を望み、それを選択することに躊躇しないだろう。
-----抜粋終了-----
さぁて、ここからが私の意見と感想です。
ロスゼネには「同情」します。私が彼と同じ時期に就職活動を行っていれば、間違いなく、フリーターの彼と同じ境遇になっていたでしょう。
私の時代は高度成長期、彼の時代はバブル崩壊期、生まれた時代が悪かったのです。普通の能力の人では、普通に暮らせない世の中です。
しかし、ロスゼネは全員がフリーターではありません。高度成長期も全員が豊かになった訳でもない、それも事実です。
そこら辺が「ムズカシイ」のです。そこら辺で「お前が単に怠け者なだけで、全てを社会の責任にするな」と云う意見も出てくるのです。確かに、そういう面もあります。
彼の現状認識では、格差の固定化は「経済の停滞」が原因であり、経済が成長し景気が良くなれば、フリーターにも正規雇用の道が開かれる・・・と思っているのです。これは、単純な結論です。
経済が成長し景気が良くなっても、単純労働には「それなりの賃金」しか、支払われません。単純労働の競争相手は、海外の低賃金労働者です。
彼が、自分達「ロスゼネ」の不平等を国民全員で共有すべきと云っています。
が、しかしです。彼が少ないと云っている収入を、大変に「魅力的高収入」だと考え、仕事を自分達にも回せと要求している労働者は海外に沢山いるのです。
発展途上国は、不平等を全世界で共有すべきと云って来ます。
法律的な規制により、国内労働者を保護したならば、景気は減速するか、企業は益々海外に出て行き、仕事は無くなります。ここが「ムズカシイ」のです。
そして、結論の「戦争」ですが、彼の想像する「戦争」は、国家間の通常兵力による長期戦です。
しかし、そのような「戦争」を想定するのは、「非現実的」で単純です。可能性の高いのは、紛争地帯へ「派兵」です。
第二次大戦後のアメリカが主導して闘った戦争の朝鮮、ベトナム、中東のパターンです。この戦争では流動化は起きませんでした。
非正規雇用の貧しい労働者が犠牲になります。「丸山眞男」は、戦略を考えるだけです。血を流し「張り倒され」、死んで行くのは「フリーター」の人達です。
まぁ。彼も「本気」で戦争を望んでいる訳でもありません。注目してほしいのです。
経済成長や戦争によって「格差」の「拡大・固定化」を解決することは不可能です。考え方が「古い」です。
若いのだから、もっと新しい解決方法を考えなさい。そちらの方が「現実的」です。
団塊世代の端っこに生まれた「おじさん」は、そう思うのです。
答えはきっと有る筈です。
それではまた明日。
今年の1月号の「論座」と云う朝日新聞社発行の月刊誌に掲載されて、一部でかなり話題になったそうです。
「論座」なんて云う「高級」な月刊誌など買ったことも、書店で手にしたこともありませんでした。
私がその事を知ったのはつい最近です。誰かのブログを見ていたら、その事にふれていました。
以前、「フリーターが戦争を望んでいる」何て話しを聞いたような気がしますが、ネタ元を知ったのは、ほんの数日前でした。
そこで「丸山眞男をひっぱきたい」で検索したら、書いた本人のサイトが見つかりました。そこで「その文章」を始めて読んだのです。
それで、読んだ感想なんですが、「やっぱり、そうか、こんな発言をする、こんな若い奴がでて来たか」と、思いました。
話題になった理由は、「論座」と云う「進歩的で、アンチ体制派的で、高級な月刊誌に掲載されたこと。
そして、タイトルです。
―――「丸山眞男」をひっぱたきたい
31歳フリーター。希望は、戦争。―――
これが「衝撃的」「攻撃的」「刺激的」だったようです。
戦後の日本を代表する進歩的文化人の「丸山」を「ひっぱだきたい」と思い、現状打開の手段を「戦争」に求めたことです。
タイトルの付け方がイイですね。それと結論ですが「話題性」を狙っていますね。内容的には、目新しさは特になく「極常識的」なものでした。
---以下、内容の要約---
彼の置かれている境遇が、「フリーターで月給10万、両親と同居、両親とはソリがあわない」
そして、フリーターが定職につけない原因は「バブルの崩壊」と云う時期に、就職期がたまたま重なった「ロストゼネレーション」であり、自分の努力が不足していることが原因ではない。
ワーキングプアを「ひとくくり」にするな。
「ロスゼネ」以外のワーキングプアには、チャンスがあった。しかし、「ロスゼネ」にはチャンスはなかった。
高齢者の経済対策が、豊かな生活水準を維持する要求に対して、ロスゼネ向けには、せいぜい行政による職業訓練ぐらいしか要求しない。救済レベルには大きな格差が存在する。
「ロスゼネ」と云う弱者に対して、本来は味方である筈の「労働組合」も自分達の既得権を守る為に、「ロスゼネ」に敵対している。
格差は固定化しており、流動化させる為には「戦争」が一番の解決手段である。東大出のエリートを、無学無教養の一等兵が上官として、横っ面を張り倒すことができる。
戦争は「失うものを持つ者」にとっては「悲惨」であるが、「失うものが無い者」にとっては「チャンス」である。
平和は、悲惨な現状の固定化であり、戦争は、悲惨な現状の流動化である。
-----以上、要約-----
以下、結論的部分の抜粋です。
私たちだって右肩上がりの時代ならば「今はフリーターでも、いつか正社員になって妻や子どもを養う」という夢ぐらいは持てたのかもしれない。だが、給料が増えず、平和なままの流動性なき今の日本では、我々はいつまでたっても貧困から抜け出すことはできない。
我々が低賃金労働者として社会に放り出されてから、もう10年以上たった。それなのに社会は我々に何も救いの手を差し出さないどころか、GDPを押し下げるだの、やる気がないだのと、罵倒を続けている。平和が続けばこのような不平等が一生続くのだ。そうした閉塞状態を打破し、流動性を生み出してくれるかもしれない何か――。その可能性のひとつが、戦争である。
しかし、それでも、と思う。
それでもやはり見ず知らずの他人であっても、我々を見下す連中であっても、彼らが戦争に苦しむさまを見たくはない。だからこうして訴えている。私を戦争に向かわせないでほしいと。
しかし、それでも社会が平和の名の下に、私に対して弱者であることを強制しつづけ、私のささやかな幸せへの願望を嘲笑いつづけるのだとしたら、そのとき私は、「国民全員が苦しみつづける平等」を望み、それを選択することに躊躇しないだろう。
-----抜粋終了-----
さぁて、ここからが私の意見と感想です。
ロスゼネには「同情」します。私が彼と同じ時期に就職活動を行っていれば、間違いなく、フリーターの彼と同じ境遇になっていたでしょう。
私の時代は高度成長期、彼の時代はバブル崩壊期、生まれた時代が悪かったのです。普通の能力の人では、普通に暮らせない世の中です。
しかし、ロスゼネは全員がフリーターではありません。高度成長期も全員が豊かになった訳でもない、それも事実です。
そこら辺が「ムズカシイ」のです。そこら辺で「お前が単に怠け者なだけで、全てを社会の責任にするな」と云う意見も出てくるのです。確かに、そういう面もあります。
彼の現状認識では、格差の固定化は「経済の停滞」が原因であり、経済が成長し景気が良くなれば、フリーターにも正規雇用の道が開かれる・・・と思っているのです。これは、単純な結論です。
経済が成長し景気が良くなっても、単純労働には「それなりの賃金」しか、支払われません。単純労働の競争相手は、海外の低賃金労働者です。
彼が、自分達「ロスゼネ」の不平等を国民全員で共有すべきと云っています。
が、しかしです。彼が少ないと云っている収入を、大変に「魅力的高収入」だと考え、仕事を自分達にも回せと要求している労働者は海外に沢山いるのです。
発展途上国は、不平等を全世界で共有すべきと云って来ます。
法律的な規制により、国内労働者を保護したならば、景気は減速するか、企業は益々海外に出て行き、仕事は無くなります。ここが「ムズカシイ」のです。
そして、結論の「戦争」ですが、彼の想像する「戦争」は、国家間の通常兵力による長期戦です。
しかし、そのような「戦争」を想定するのは、「非現実的」で単純です。可能性の高いのは、紛争地帯へ「派兵」です。
第二次大戦後のアメリカが主導して闘った戦争の朝鮮、ベトナム、中東のパターンです。この戦争では流動化は起きませんでした。
非正規雇用の貧しい労働者が犠牲になります。「丸山眞男」は、戦略を考えるだけです。血を流し「張り倒され」、死んで行くのは「フリーター」の人達です。
まぁ。彼も「本気」で戦争を望んでいる訳でもありません。注目してほしいのです。
経済成長や戦争によって「格差」の「拡大・固定化」を解決することは不可能です。考え方が「古い」です。
若いのだから、もっと新しい解決方法を考えなさい。そちらの方が「現実的」です。
団塊世代の端っこに生まれた「おじさん」は、そう思うのです。
答えはきっと有る筈です。
それではまた明日。