歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

牛久市 成井一里塚の決着

2011年04月27日 | 女化道標問題
「女化道標」の決着に合わせて、「成井一里塚」も、ついでに、一応決着となりました事をお知らせします。






こんな文面に訂正されました。


こちらが、以前の説明板です。云いたか無いけど、かなり、いろいろと、いい加減な文章でした。こういう内容で、こういう文章表現が、教育委員会の名で掲げられている事が、とても問題なのでした。


以上で、「女化道標問題」と「成井一里塚問題」は、これでお終いです。いろいろ、また、言い出すと切りがないので・・・・・・。兎に角、いろいろ勉強になりました。


只今の放射線量は、0.10μSv/hです。




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牛久市 女化道標の決着

2011年04月25日 | 女化道標問題
こんな、大地震が起き、大津波が押し寄せ、原発から放射線が漏れる、こんなご時世に、何ですが、やっと、牛久市の女化道標問題が、それなりに決着を見ました。

2009年の1月から、牛久市の教育委員会とか、文化財保護審議会とか、いろいろとあって、2010年を越して、2011年の4月を迎えて、新しい説明板の完成と相成りました。









文面に対して、特に、コメントは致しません。


参考までに、以前の説明板です。
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原発で放射能騒ぎのなか“女優”の田中好子が亡くなった

2011年04月22日 | 世間話し
今朝、新聞を見たら、あの、キャンディーズの、スーちゃんの、田中好子さん死亡の記事がが眼に飛び込んできました。



ホントに! エッ!・・・。うッ!???でした。未だ、55歳、乳癌だったそうです。

フクシマ原発の放射能騒ぎの真っ直中での悲報です。何か、とても、“因縁”めいた思いがするのです。被爆、被曝、放射能、癌・・・・・・。

わたしにとっては、キャンディーズの“スーちゃん”ではなく、“女優”田中好子でした。ふつうの人を、ふつうに演じる、ふつうではない女優でした。

田中好子を意識したのは、「黒い雨」であり、「鏡の女たち」でした。2作品ともに、原爆をテーマにしたものです。

「黒い雨」は1989年の作品で、特に必然性もないのに、入浴シーンで可愛らしい胸を披露して話題になり、その3年後、乳癌が見つかったそうです。

原子爆弾で爆発して放射能を浴びると“被爆” 原子炉の放射能を浴びると“被曝”

“フクシマ”は原発が爆発して放射能を浴びたのですから、ヒロシマ、ナガサキと同じく、“被爆”だと思うのです。

それにしても、この時期に・・・、あの“田中好子”の訃報は、わたしにとっては、何処かで、何かが、いろいろと、繫がっているようで、とても、何か、因縁めいたものを感じるのです。


                  合掌
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つくば市街から人も車も消えてしまった!

2011年04月18日 | つくば市の風景
一昨日の土曜日、しばらくぶりにつくばの中心街を走って来ました。

驚きました。人が、あまりと云うか、ほとんどと云うか、見かけないのです。

空は青く、雲は白く、木々は新緑、赤や黄色の花々は咲き、風は暖かく心地良く、もう、何とも、素晴らしい土曜日の昼下がり、なのに、なのに、街は閑散なのです。

市街のメインストリートは車の往来は疎ら、


ノバホールの脇も、


前の広場にも、


Qt’の脇も、


西武の前も、


バスターミナルにも、


バスターミナル裏にも、


脇の道路にも、


つくばエキスポセンターにも、


エキスポセンターの脇にも、


池の前にも、


松見公園の、


芝生にも、


オトナも子供も、外国人も、ほとんど、見当たらないのです。天気の良い、4月の土曜日の、昼下がりに、これですから、かなりの、異常事態です。

以前は、ジョギングする外国人をよく見かけたのですが、この日、すれ違ったのは白人男性ただ一人。

外国人の多いつくば市ですが、研究者も留学生も、みんな、みんな、帰国してしまったのでしょうか? 

茨城県は“フクシマ”の隣ですし、放射線量は東京の3倍近いし、余震も頻発しているし、ふつうに考えれば、母国に避難するのは当然かと・・・。

市街に居住する日本人も、極力外出を避けているのでしょう。枝野クンに“直ちに影響することは無い”と云われても、ここは科学技術の街です。

“いつかそのうち影響がある”、被爆しても“安全な線量レベルは無い”ことぐらい、十分承知している人達が多く居住する街ですから。

ヨウ素131、セシウム137、ストロンチュム90、いろいろな核種が漂っているのです。

昨日、東電から“収束への工程表”が発表されました。工程表の通りに収束してくれれば、ホントに万々歳なのですが・・・。

どうも、中身をみると、いつまでには、こうしたい、ああしたい、こうなって貰いたい、と、云うような、願望に近い内容で、とても、とても、未だ、不安なのです。


10時27分現在、つくば市の線量は、0.12μSv/h です。

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今頃になって“レベル7”ですか

2011年04月13日 | 世間話し
本日、スーパーで買い物をして来ました。

納豆は一家族1パック、ペットボトルの飲料も1本と、限定販売が続いていました。

あれから一ヶ月、まだまだ、こんな状況が続きそうです。


それで、レベル「7」ですが、枝野官房長官、原子力保安院、東電、彼らの発表は、これまでほとんど“デマ”に近い発表でした。

枝野さんが、いつも「直ちに」を付けて「健康に影響しない」と説明しています。そう云う表現が不安を与えるとの批判がありますが、ある意味で、それなりの誠意かな?とも考えたりして・・・・・・。

いくら何でも、正直に、“長い時間を経過すれば、それなりの健康被害は発生します”と、官房長官の立場として、そうは云えないのです。いわゆる遠回しに伝えているのでは?

それにしても、どう見ても、どう考えても、チェルノブイリと同等かそれ以上であると、理解するのが普通です。

発表にあたって、放射性物質の飛散がチェルノブイリの一割程度で、直接的死者も無く、原子炉では現在も、数百人の技術者が機能回復に従事しているので、大丈夫、安心して下さい的な、補足説明がありました。

でも、しかし、チェルノブイリは原発一基で、放射性物質の流出は2週間で止まったのです。福島原発は5基、1ヶ月経っても、いまだに放射性物質は漏れ続けています。使用済み燃料も大量に貯蔵されています。

終わった事故と、現在進行中の事故と比較しても、それは無理があります。事故を小さく見せたり、何かを隠したり、そういうことは、もう、やめるべきです。

大丈夫、大丈夫、問題ない、問題ないと云っておきながら、突然、破局を迎える方がパニックを起こします。

と、ここまで書いてきて、えッ!もしかして!「レベル7」の発表は、もしかして、かなり、危険な段階に近づいているので、突然の発表ではパニックを引き起こすので、それなりの心の準備をさせる為? 何て、思ったりして。

まぁ、それは、勘ぐり過ぎだと、思いたいです。

それにしても、冷却する為に放水し続け、汚染した水を外部に流出しないようにして、放射性物質の漏れる箇所を特定し、そこを修理しなければなりません。

しかし、放射線に汚染された水が漏れ続ける箇所を、どのような方法で塞ぐのでしょうか?兎に角、現場の技術者、技能者の知恵と勇気に期待するしかありません。

只今、つくば市の放射線量は「0.12μSv/h」です。



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放射能に曝されながら「トウキョウソナタ」を観る

2011年04月09日 | 映画の話し
昨日、録画しておいた映画「トウキョウソナタ」を観ました。

NHKBSプレミアムで放送された、“山田洋次監督が選んだ日本の名作100本”の「家族編(50本)」です。放送は4月6日。

現代の崩壊して行く?、崩壊してしまった?家族を描いた作品のようです。こう云う、暗いテーマは、今現在の状況で観るのは、とても気が重いのですが、それなりに見始めると、最後まで、飽きることなく見てしまいました。

この映画は2008年の制作ですから、世の中のリストラの嵐は、かなり過ぎ去った頃です。リストラと云う言葉も、失業率も、かなりピークを過ぎた頃の作品です。

“リストラ映画”と云えば、山田洋次監督自身が、1998年に“学校Ⅲ”で描いています。あの時の小林稔侍の役と、トウキョウソナタの香川照之とは重なります。

父親の権威失墜とか、家族の崩壊とか、2008年の作品としては、特に目新しいテーマを扱った訳でもなく、権威ある父親として振る舞う香川照之が、とても古くさく見えました。

監督としては、リストラとか家族とかは単なる背景で、生きていくことの、悲しさ、儚さ、寂しさ、空しさ、孤独とか、でも、その先には、ちょっとだけある、夢とか、希望とか、未来だとか、そんなことを描きたかったのでしょう。

次男がピアノに天才的な才能を持っているように描かれています。音楽学校のピアノの実技試験の演奏場面がラストシーンになっています。この次男だけが救いなのです。

エンドロールのバックに、試験会場のパイプ椅子を片付ける音とか、会場を後にする関係者とか、受験生の家族とかの足音のざわつきが流れます。

映画館でこの映画を観ていたならば、エンドロールになると、客席でも同じように席を立つざわつきが起こり、観客も映画の演奏場面の中に居たような、不思議な錯覚が生じた気がします。この演出はなかなかでした。

でも、しかし、父親が車にはねられ、母親は砂浜の波打ち際に身を横たえ、長男は米軍の傭兵で中東に派兵され、みんな死んでしまい、次男も一人見知らぬ土地を彷徨い、誰にも知られること無く消えて行く・・・・・・・。そんな終わり方を予想させるシーンになっているのです。

でも、しかし、映画は、家族全員が再出発を果たし、目出度し、目出度し、で終わるのです。やっぱり、映画は、それなりの救いが無いと、とてもお金を出してまで観る気にはなれません。

でも、現実はもっと厳しいのです。でも、その厳しさは、高校か大学の友人の夫婦の自殺でちょこっと描かれています。

それにしても、長男が“ティッシュ配り”のバイトで、配りきれず残ったティッシュを友人と二人で“柳橋”から川に放り込むシーンがあり、その時、友人がこんな台詞をしゃべるのです。

“こないかなぁ~大地震、ぜんぶひっくり返ってさぁ、威張っている奴らをボコボコにしてさぁ、俺が総理大臣になって、バイクの後ろ乗りOKの法律をだす”

大地震も来たし、大津波も来たし、原発も爆発したし、でも、威張っていた奴らは、誰もボコボコにされず、何の責任も追及されていません。

リストラされても、家族が崩壊しても、あの頃は、原発は爆発していませんでした。小さくとも、それなりに、ちょっとだけ、夢や、希望や、未来は確実にあったのでした。

2012年3月11日からは、小さな、夢や、希望や、未来も、東京電力福島第一原子力発電所の吐き出す、放射線のシーベルト、放射性物質のベクレル、原子炉の水位と圧力等の、数値しだいになってしまったなのです。

ストーリーも、主役も、監督の意図も、何ともハッキリしない、三流SF映画のようで、とても現実とは思えません。この映画の“エンドロール”に、何が、綴られるのでしょうか・・・・・・。

バックにはテーマ音楽が流れるのか、それとも、いろいろな“叫び、怒号、ざわめき”それとも、爆発音でしょうか?

ホントに何を観ても、何を聞いても、何を考えても、行き着く先は、原発に行き着いてしまう毎日です。

もう、ジタバタしても、ショウガナイ、ハジマラナイ、とは、思うのですが・・・・・・。


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福島第一原発は事件?で、いらねェ!危ねェ!なのです!

2011年04月05日 | 世間話し
しかし、福島原発は、どんなメンバーで対策を検討し、誰が決定権限を持ち、実効段階の指揮を誰が執っているのでしょうか?

経産省の保安院は、まったくの素人集団ですし、検討も、決定も、実効も、すべて東電がやっているように見えるのです。

津波で原発が破壊される事を、“敢えて”想定しなかった組織に、想定外の対応をさせている訳ですから、これは、もう、後手、後手になるのは、当然なのです。

ダメな事が判っていても、東電の設計者技術者、管理技術者、現場技術者、現場技能者が考え、実行するしか無いのです。原子力工学の大先生でも、破壊された原発を直すことは不可能なのです。

彼ら技術者・技能者の知識と知恵に頼るしかないのです。しかし、最終決定権は東電の社長が持っていた筈です。社長が、初期の段階で、海水での冷却を決定していれば、状況は変わっていたとの見方があるようです。

この大事故?大事件?が、もしも、無事、収束したその時は、いろいろハッキリさせるべきです。

今回程度の津波を設計段階で想定からの排除判断は、どのようなメンバーで、どのようなデータに基づき、どのような討議の結果であったのか?

原発メーカー、東電、そして、監督官庁の経産省保安院、そして、原子力委員会、原子力安全委員会が、どう関わり、何を行い、何を行わなかったのか、ハッキリして貰いたい。

組織や制度の責任にすり替える事を許してはなりません、決定に関わった個人のレベルまで責任を明らかにすべきでは?

原発の惨事は、事故では無く、事件として、事によっては、刑事罰の“未必の故意”による殺人罪を、各段階で関わった者に適用すべき?かも・・・・・・。

刑事訴追などしたら、関係者は真実を語らず、事故の再発防止に役立たない・・・・・何て、発言が聞こえてきそうですが、原発を段階的に稼働を停止する方向での、刑事訴追なのです。

原発を必要としない暮らし方を、真剣に、真面目に、一生懸命、死ぬ気で、考えれば、とくに問題なく、そんな世の中になるのです。

まあ、そんなに考えなくても、数年前に、原発の総点検で全ての原発が停止した時、特に問題は発生しませんでした。そもそも、原発の稼働率は6割程度なのです。

あの頃より、再生可能な自然エネルギーでの発電技術は進歩しています、原発が無くともそれなりに暮らせるのです。

原発を必要としているのは、発電、配電を独占している電力会社なのです。各家で、各企業で発電し始めたら、電力会社は斜陽産業になってしまうのです。

地球温暖化説も、二酸化炭素原因説も、二重に怪しいのです。化石燃料の使用を、二酸化炭素の排出を、共に減らす事は、地球が綺麗になりそうで、とても、とても、反対しづらいのです。

そこらへんを上手いこと利用して、電力会社、原子炉メーカーは、原発は“クリーンなエネルギー”、そしてドサクサに紛れて、あろう事か、“安全なエネルギー”とまで叫んでいたのです。

兎に角、忌野清志郎も叫んでいたように、原発何かいらねェ!いらねェ! 原発は危ねェ!危ねェ! なのです。


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忌野清志郎様スイマセンでした。原発に反対します!

2011年04月01日 | 世間話し
本当に、本当に、最悪の事態が現実になってしまったのです。

毎日、毎日、毎日、これって現実なの? もしかして夢? 

そんな思いに駈られる日々です。

本当に、ヒロシマ、ナガサキ、そして、フクシマになってしまいました。

忌野清志郎の歌を聞き、それだけで、原発に反対する気分になっていた、あの頃・・・・・・。

原発反対の歌を聴いているだけでは、何も変わらなかったのでした。

RCサクセション サマータイムブルース~LOVE ME TENDER


歌には、それなりの「ちから」があります、唄っているだけで、聴いているだけで、それなりに、とても“何かした”ような“気分”にさせてしまう、そんな気がしたりして・・・・・・。

でも、こんな歌を創り、唄っていたロック歌手が居たのでした。

あの世で、今頃、清志郎は、どんな思いでいるでしょうか?

忌野清志郎様、あなたの歌を、ただ聴いて、何もしなかった結果、こんな現実になってしまいました。

あなたの曲をもう一度聴き、未だ間に合う事を信じて、何ができるか・・・・・・考えます。

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